第四章三話 水底を憂う

文字数 3,504文字

「マコちゃん、お婆さんの名前は恵美(えみ)さんだったよね」タカシがルイス・バーネットとナミを挟んだ向こうに座っているマコに訊いた。ええ、とマコが答えた。
「あの、この村に山崎恵美って方はおられませんか。僕たちはその方のお宅を捜しているんです」というタカシの言葉に、ああ、忘れてた、と玉兎(ぎょくと)が声を上げた。
「恵美さんは祝山(いわいやま)の麓の祝森(いわいのもり)という所に住んでいるよ。ここからなら表参道前の道を左に行って、真っ直ぐ進んで行ったら細い川が横切っている場所がある。そこを左に曲がって川沿いをずっと進んでいたら辿り着くよ。ちなみに少し坂道を上ったら黒い瓦屋根のけっこう大きな家がある。そこは健介さん()なんだけど、そのすぐ隣だよ」この村に住む民のことは当然のようにすべて把握しているよ、と言わんばかりに淀みなく恵那彦命(えなひこのみこと)が答えた。
「そうですか、ありがとうございます。では、私たちは急ぎますのでこの辺で失礼します」順調に、リサへと続く道のりを前進できている、そんな気がしてタカシは少しほっとした表情をした。
「ちょっと待ってくれないか。少し訊きたいことがあるんだ。君たち一行は民草(たみくさ)はいるし、各お社の眷属はいるし、見慣れぬ者たちもいる。通常では考えられない顔ぶれだ。そんな君たちが、なぜ一緒に行動し、なぜ恵美さん家に行こうとしているのか、聞かせてくれないか」
 恵那彦命の言葉を受けて、タカシは現在一緒に行動している者たちの顔をさっと見渡した。みんなの視線が、彼に説明するように求めていた。だから、タカシは順を追ってこれまでの経緯を語った。じっと彼を見つめながら聴いていた恵那彦命は、説明が終わっても少しの間、黙っていた。少し考え込んでいるような表情だった。みな、神が言葉を発する時を待った。
「やはりな」しばらく黙っていた恵那彦命が唐突に口を開いた。「知っているかもしれないが、今この郷にはかつてない異常な事態が頻発している。数日前、突然、地が揺れた時から次々と生じている。郷の中心から大量の水が噴き出し湖ができ、各村に禍い者が大量に発生している。村人が数名跡形もなく消えた村もあるようだ」先ほどまでの朗らかさが影を潜め、厳しい表情を見せていた。「私は、この異常な事態の原因を突き止めるために、うさぎを放った。まだ報告を聞いていないけれど、どこの状況も私たちが予想していた通りなのだと思う。そうだろ、うさぎ」
「ああ、どこもかしこも禍い者が湧き出している。どこの村でも人や家畜が姿を消している。そして禍津神(まがつかみ)も現れた」
 恵那彦命は流石に取り乱したりはしなかったが、一瞬、横にいる玉兎に鋭い視線を投げ掛けた。
「その禍津神は今どこに?」
 そう訊かれて玉兎はちらりとナミの姿に視線を向けた。
「隣村の神様の雷に撃たれて湖に落ちていったわよ」と抑揚のないナミの声。
「何てことだ……。それで、禍津神はどうなったんだい?」
「分からないわよ。私も少し意識を失っていたし」
「そう……」神の表情がますます深刻さを増したように見えた。「その湖の下、地中深くに災厄が鎮まっている。やっと長い春秋を経て、その身は朽ち、宿す力も衰えた。現状、人にも大地にも害をなすことはできぬだろう。ただ……」
「ただ、どうしました?」タカシが思わず訊いた。
「その禍津神が災厄と遭遇して何らかの作用で力を得たらと思ったのだが……。しかし災厄は地中のとても深い場所に鎮められている。そこに達する可能性は限りなく低い。だから大丈夫だとは思う。とはいえ警戒しておくに越したことはない。みなさんもくれぐれも気をつけなさい」

 それから一行はこの村の鎮守神とその相殿伸と眷属に見送られて、境内(けいだい)を後にした。
「うさぎ、あの人たちの道案内をしてきなさい」一行の後ろ姿を見ながら恵那彦命が口を開いた。
「え?祝森まではそんな迷うような道はないぞ。あいつらだけで大丈夫だろ。もし迷ってもまた訊きにくるだろう」
「いや、祝森までの道のりだけではない。これからのあの人たちの行動いかんでこの郷の命運が決まってしまうかもしれない。我ら神々は力は持ち合わせているが、日頃からそれは平穏な状態を維持することにばかり使われている。我らは変化に対応することは不得手なのだ。だから彼らに期待してみたい。彼らなら現状の差し(さわ)りもどうにかしてくれるような気がするんだ。だから彼らの旅が終わるまで力になってあげなさい」
「そんな、俺がいなくなったら誰がこの村を、このお社を守るんだよ。忘れているかもしれないけど、あんたの眷属は俺だけなんだぞ」
「大丈夫だよ。マガがいるから、どうにかなるよ」
 そう言われたマガは不機嫌な顔つきをして恵那彦命を睨んでいた。
「うさぎ、またどっか行くのか?マガ、いやだ。まだうさぎと遊んでない。うさぎはここに残る。神があの人たちと一緒にいけばいい」
「マガ、わがままを言ってはいけないよ。私はここを離れる訳にはいかないし、うさぎは彼らと行かなくちゃならないんだ」
「いや、やっぱり俺は残った方がいい。お前のきまぐれに付き合う気はない。それに、あいつらはあんなに人数いるんだし、自分たちでどうにかするだろう」
「玉兎」恵那彦命の声音が変化した。断固とした厳しい声。「これは神勅(しんちょく)である。(つつし)んで受けなさい」
 玉兎はそう言われて、もう何も言い返せなくなった。珍しく自分が仕える神からはっきりと命じられたせいもあったが、どれだけ親しい間柄であっても彼らは神と眷属なのだ。勅と言われれば、異を唱えることなどできるはずがない。いくら現状を(かんが)みて、自分を生み出した神と、村のことが心配だとしても。
「……ったよ」
「ん?」
「分かったよ。行くよ、行けばいいんだろ」
「そうだ。頼んだよ」恵那彦命がにこりと笑った。その笑顔に玉兎は嫌な予感がした。変な胸騒ぎ。その原因は分からないが、少し息苦しさを覚える。マガを見る。不機嫌な顔つきのまま黙っている。
「さあ、みんなの姿が見えなくなってしまったよ。早くついて行きなさい」その恵那彦命の言葉に玉兎は軽く頭を下げて、「マガ、後は頼んだぞ」と言うが早いか背を見せてタカシたちを追っていった。
 玉兎の姿が見えなくなると、恵那彦命が口を開いた。
「マガ、禍津神が生じていたこと知っていたのかい?」
 マガは特段、感覚が鋭い方ではなかったが、同類の禍の者の気配だけは、かなり離れていても察することができるようだった。だから、今回も知っていたのだろう、と思っていた。
「うん。知ってた」
 マガと一緒にいて気づいたことだが、禍い者には思考力がないものの、縄張り意識はあるようだった。神々が、氏子区域という自分たちの縄張りを意識するように、禍い者も他の同類の縄張りには近づかない。彼らは同類であっても遭遇すれば何ら遠慮も抵抗も感じずに取り込んでしまう。そのため、特に自分よりも強いだろう同類の行動範囲には極力近づかない習性があった。この村を守るマガは、禍い者たちと比べて格段にその力が強い。だから大きな禍い者は村に近づかないし、村に生じた小さなものもすぐにマガの威を恐れて他村へと逃げ去っていく。そんな感じだったので、たとえ禍津神であってもこの村には近づいてこないだろう、そうマガは当然の如く安心しているようだった。
「その湖に落ちた禍津神はまだ生きているのかい?」
「うん、消えてはいないみたい。でも動きも感じられない。じっと力、蓄えているみたい。気持ち悪いくらいに静か。きっと復活するまでに何十年もかかるね」
「それはどうかな」
「どういうこと?」
「もし、災厄の命を取り込んだなら、すぐにでも強靭な力を手に入れて復活してくるだろう。そうなったら我らでも太刀打ちできるかどうか」
「ははは、何言ってる。そんな大きな命、取り込めない。取り込める命、自分の身体と同じくらいの大きさまで。長~い時間掛ければもう一回りくらい大きな生き物も取り込める。だけど災厄は大きすぎる。無理だよ」
「そうだな。でも、もし取り込んでしまったら……」
「心配しすぎ。もしかして、それを心配してうさぎ、行かせたの?災厄が復活したら、結界を破るため、最初に一番弱いこの村、襲うと思って、避難させたの?」
 恵那彦命はまたにこりと笑った。「そろそろお社に戻ろうか。ここは暑すぎる」そしてフッと虚空へ向けて息を吹いた。一陣の風が境内の木々をそよがせた。
「マガ、まだ外にいる。悪いやつら、出てこないように見回ってくる」
「そう言って、また和子さん家に行く気だね。和子さんの家、テレビつけっぱなしだから。しかも最近耳が遠くなったからって、音量が大きすぎる」
 今度はマガが無邪気な笑顔を見せた。
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