第七章三話 ナミ、サホと共闘する

文字数 4,228文字

 湖面上で激しくやりあっている正体不明の女と禍津神(まがつかみ)の様子を見上げながらサホは腕を組み、仲間たちの攻撃体勢が整う時を待っていた。傍らで弥生(やよい)が援軍の要請に出掛けていた部下たちの報告を受けていた。
「では、山王日枝(さんのうひえ)の眷属たちは美和村には来ているのだな」
「はい。しかし三輪のカガシたちに足止めを喰らって、いまだ社の境内を出ることが叶わぬ様子」
「では、熊野の眷属たちは何をしているのだ」
「はい、村に現れた禍い者たちの駆除に手を焼いている旨の返答がありました。駆除が済み次第こちらに向かわれるとのこと」
「あの、風見鶏ども。状況が悪いとまったく動こうとせぬ」苦々しくそう呟くと弥生はサホに向きを変えた。
「どうやら各村の結界付近に巨大な(まが)い者が群れを成して現れたようです。八幡、稲荷、天神の北方三村ではすでにその禍い者を退け群れを動かす準備に入っているようです。残りの二社、山王日枝の眷属は三輪神社(みわじんじゃ)で停滞、熊野の眷属はいまだ動く気配がないようです」
 サホはくすりと笑った。熊野の眷属たちは生来的に先を読む能力がある。彼らがここにこないということはここの現状が著しく悪いということだろう。保身のため、彼らはそのような良くない状況には極力近づかない一団だった。そうか、状況は良くないか、そう改めて思っても、さして悲観的な気分にはならない。もう存分にその身に敵の強さは思い知らされている。どう考えたって楽観視できる状況ではない。しかし、先ほどは突然現れた禍津神に、とっさのことだったために対抗しきれなかった部分もある。また、いつの間にか正体不明の女が現れて禍津神と戦っている。あの女が我らの味方かどうかは分からぬが、現状、同じ敵に対する仲間ではあるようだ。先ほどのように簡単にはやられぬ、その自信だけはあった。我らはこの八村の眷属たちの中で最強と(うた)われた神鹿隊(しんろくたい)である。任務とあらば死地にでも赴く。その覚悟はいつも心中に帯びている。
「隊長、全員集まりました。出撃準備完了です」サホと弥生の横に一人の女眷属が走り寄ってきて報告した。散らばっていた隊員たちがやっと集合した。サホが弥生に顔を向けた。
「一騎使って、あの三輪の眷属を社まで送っていかせろ」
 眷属たちは耳がいい。サホは少し離れた先にいたタツミたちの話を聞くでもなしに聞いていた。そしてタツミの(いさぎよ)さを胸裏で秘かに称賛していた。話しの全容までは聞き取れなかったが、消滅することへの覚悟を決めた上で、最期に自らの仕える神の御許(みもと)に帰りたいという。そのくらいのことは叶えてやりたい。戦士としての彼女の矜持がそう思わせていた。弥生が、分かりました、と返事すると、サホは背後に集まっている隊員たちに向きを変えた。
「皆の者、よく聴け。今、この郷は言い知れぬ禍事(まがごと)に覆われておる。それを祓うは我らが勤め。この郷の命運これにあり。只今より我らは禍津神を討伐する。各々身を惜しむことなく勤めを果たせ。行くぞ、者ども。我についてこい!」
 オー!と地を揺るがせるような雄叫びが隊員全員から上がった。すかさず弥生と睦月(むつき)が指令を発した。
「一番騎から三番騎、前面進め。四番騎から八番騎右に。九番騎から十二番騎は左に展開。残りは川岸で待機。攻撃陣は三人ずつ波状に進行せよ」
「三番隊、左右に分かれ水中を展開、一、二番隊の動きに合わせ遊撃せよ。四番隊川岸に広がって射撃体勢を取れ」
 隊員が各自の配置に動きはじめた。男眷属はみな、鞍を背負い雄鹿に変化した。そのうちの一番若い個体に弥生が近づいた。
「十三番騎、そなたはあそこの三輪の眷属を社まで連れていけ」
「えっ、あ、はい、分かりました」いったん雄鹿に変化したその男眷属は再び人型に変化すると不思議そうな顔をしながら返答した。

 周囲に動く気配を感じた。どうやら眷属たちがこちらに向かって移動している。これからどういう展開になるか、まだはっきりとは読めない。が、しかし手詰まりな現状を打開する一手になるかもしれない。状況が動くまで何とかもちこたえなければ。少しの間を取るためにナミは意識して禍津神に向かって話し掛けた。
「ねえ、さっきここに人間の女の子がいたでしょう。どこに連れていったの?返してほしいんだけど」
 禍津神は、警戒心や闘争心など微塵も見られない、まったく力みのない様子でただ浮かんでいた。少し待っても応える様子がない。
「あのコさえ返してくれれば、私は邪魔をしないわ。約束する。だから今すぐ、あのコを返して」
 異形のせいで禍津神の表情は読みづらかった。そもそも感情などその身の内に宿しているのかどうかも不明だったが、ふと笑ったような気がした。
「あの女は返せぬ。大事な器なのだ。まあ、もし返せたとしてもおぬしの言うことなど聞くつもりはないがな」
 ナミは目の前の相手を憎々し気に思ったが、とりあえず会話に乗ってきたのでそのまま続けた。
「いったい、何をするつもり?あなたは何なの?」
「そんなこと、おぬしには関係ない」
「関係あるわよ。大事ないも……」一瞬ためらった。でも思いのまま口に出した。「妹を(さら)われて黙ってはいられないわ」
「妹?しかし、おぬしは人間ではないだろう。別ものではないか」
「ええ、そうね。でも、私があのコのことを妹だって思った。それだけで充分。私は彼女を守りたいの」
「ふん、まあ、どうでもいいことだ。どちらにしても諦めろ」
「それはできないって言ったでしょ」
 ナミは会話をしながら呼吸を整え、情動を必死に抑えつけようと試みた。しかし手詰まりな状況やマコの安否を心配するあまり、なかなかうまく自制が利かない。
「どうしても消えて失せたいのなら、しょうがない。浅はかな自分を恨みながら(つゆ)と消えよ」
 禍津神を包む周囲の雰囲気が変化した。来る、ナミは身構えた。一先ずマコのことは後回しにせざるを得ない。マコを助けに行く前に自分が力尽きてしまうかもしれない。その予感が濃厚に脳裏に湧いてくる。全力で当たる。出し惜しみをしている余裕など微塵もない。そう思ってはみたものの、霊力残量もそろそろ心もとなくなってきた。それほど時間を掛ける余裕はない。何かいい手立てはないものかしら。
 突然、ナミの耳朶(じだ)に幾本もの矢が放たれる音が聞こえた。そのどれもが緩やかに弧を描きながら禍津神に向かって飛来してきた。禍津神は少し上空に上がって避けた。ナミはとっさに左手を差し出して禍津神に向けた。その先の空間がぐいっと渦を巻く。禍津神が手を上げ素早く振ってそれを払う。その瞬間、ナミは禍津神の足の下をくぐって背後に回り、再び左手を差し出した。また払われ、また背後に回り、左手を出して、払われ、背後に回り、左手を……何度か繰り返した。すると、睦月の、撃て、の声に併せて更に大量の矢が放たれた。
 ナミは神鹿隊の陣形をさっと見渡した。川岸や湖の浅瀬に射手が並び立って更なる矢を弓につがえている。その包囲網の中を十頭余りの雄鹿がザブザブと水面上に広がっていく。その後方で雄鹿の背に乗った弥生とミヅキ。声を張り上げながら指令を発している。更にその後方に雄鹿の背に乗ったまま移動をはじめるサホの姿。背筋を伸ばし、長い髪とマントを風にそよがせながら腕を組んでジッと禍津神を睨みつけている。
 きっとあの女眷属が隊長ね。ナミはそう思うが早いか次の瞬間にはサホの頭上まで移動していた。
 サホとしては、著しく気になっていた正体不明の女が急に自分の目の前に移動してきた。いったいどういうつもりで何をしたいのか、問いただしたいと思っていた相手が自分の方からやってきた。だから、すぐさま質問を投げつけようとしたが、一瞬早くナミが口を開いた。
「あなたこの部隊の隊長なの?」
「いかにも我は神鹿隊の(おさ)、サホである。そなたは何者か」
「私はナミ。送り霊よ」
「送り霊?何だ、それは」
「簡単に言えば、死んだ人の魂を新しい生命に生まれ変わらせる仕事をする存在よ」
「何だ、それは。そんな生業(なりわい)も存在も聞いたことがない」
「世間は広いの。いろんな存在がいていろんな仕事があるのよ」
 長く人の上に立っているがために、普段ならどんな状況も大して気にはしないのだが、今はこんな状況だし、気が立っている。何をえらそうに、と一瞬サホは不機嫌さを視線に表してナミの姿を睨みつけた。ただ、ナミはそんなことを特に気にしていない様子で話を続けた。
「そんなことより、私たちは今、同じ敵と戦っている、そうよね。それなら別々に攻撃するより連携した方が効率がいいと思うの。だから……」
 ナミの戦う姿を眺めながらサホも同じように考えていた。なるべく多方面から連携して攻撃を加えたい。そうしない限り光明を見出せない気もしていた。だから、ナミの言葉の途中で口を挟んだ。
「いいだろう。我らが下方向から斬り掛かり、横方向から矢を射かける。敵は上空に逃げようとするだろうから、そこをそなたが抑えて逃がさないように。いいな」
 ナミはちょうど同じようなことを言おうとしているところに先に言われて言葉を詰まらせた。が、すぐにまた話しはじめた。
「分かったわ、なるべく波状攻撃になるように、攻撃の手を休めないようにしてね。機を見てこちらからも打撃を加えに下降するから、なるべく相手の気を逸らすようにして」
 今度はサホが言葉を詰まらせた。波状攻撃ってすでに指令を出している。改めて言われるまでもない。あまり手を出されて手柄のいいとこどりされるのもごめんだ。
「いいだろう。しかし、あまり無理する必要はないからな。敵が逃げないようにしてくれればあとはこちらでどうにかする」
 あなたたちでどうにかなるの?ナミは心中で呟いた。
 お互いに何か話しづらさを感じていた。どうも言うことが似通っている。改めて見てみると体格も雰囲気も同種のものを有しているよう。何かキャラが被っているわね、ナミはふと思うというより感じたが、その時、サホも同じように感じていた。たぶんこの相手ならそんなに詳細な打ち合わせは必要ないかも。
 ナミは目前の新しい仲間をじっと見つめながら言った。
「あなたたちも無理しないように」
 サホがその視線に応えるように微笑んだ。
「健闘を祈る」
 ナミは一瞬、微笑みを見せるとすぐに上空へと飛んだ。サホが仲間たちの動きと敵の動きを眺めながら指示を発した。
「剣撃隊、残り二波。その後、ただちに弓矢隊、射撃開始。敵に休む間を与えるな。怒涛(どとう)の如く襲い掛かれ」
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