第三章四話 天神村の一大事

文字数 4,242文字

 道を少し行くと竹林が終わり開けた土地に出た。重い陽射しに包まれて民家がうだるような様子で並んでいる。その民家の間に伸びる、舗装された道の先に、少しだけ高台となった石垣に縁どられた場所がある。遠目に、少しの石段の上に石鳥居、奥に伸びる石畳の参道を覆うように多くの古木が茂っている。どう見ても神社境内。タカシたち一行は蝸牛(かぎゅう)を先頭にそちらに向かおうとするが、すぐ目の前、竹林と民家の並びの間に弓を手にした一団が並んで道を塞いでいた。道の先の神社に(まつ)られている祭神の眷属なのだろう、二十人ほどに増員している。その全員の顔からこれより先には通さない固い決意が感じ取れた。
「止まれ。これ以上、お社に近づいてはならぬ。即刻、この場を立ち去れい」
 その一団の構成員はみな、他のお社の眷属より一回り大きく見えた。その中でも更に筋骨隆々とした一団の長にあたるのだろう眷属が威厳を漂わせながら一歩前に進み出た。
「あなたたちの言うことに耳を貸す気はないと申し上げたはずですが。私どもは天神様にお目通りした後、隣の東野村(とうのむら)に向かう、それだけです。あなたがたと事を起こすつもりはありません。早々に道をお開けください」
 ヨリモは一歩前に進み出て、蝸牛と並び立った。
「おい、お前たち。弟をどうするつもりだ。人質を捕るなど卑怯千万。すぐに弟を解放しろ」
 一団の長の横に他の眷属が並び立って声を上げた。その途端、他の眷属たちからも、そうだ、弟を返せ、だとか、この卑怯者、だとか、弟をどうするつもりだ、とかひとしきり声が発せられた。そんな声に遅れて蝸牛がぼそぼそとした声を仲間たちに向けた。
「兄者たち、この人たちは強い。兄者たちでも敵わぬかもしれぬ。みんなが傷つくかもしれない。そんなこと大神様はお喜びにはならないと思う。ここは争わずに、このまま通してあげましょう」
「何を言っている。そうか、そいつらに言わされているのだな。大丈夫だ、我らが命に代えても必ずそなたを助けてやるからな」
 続けて、また天満宮の眷属たちの口々から声が発せられた。そしてまた時間を少し空けてから蝸牛が口を開いた。
「兄者たち、お願いです。どうか争いをおやめください。我は兄者たちの傷つく姿を見たくないのです」
 タマも蝸牛の横に進み出た。「そうだ、そなたたちはなぜそのように(かたく)なに争おうとする。それが天満天神様の(おぼ)()しなのか」
「我が大神様は平穏を好まれる。現状維持を最善とされる。よって、よそ者の立ち入りを好まれぬ。現状、次々に湧き出る(まが)い者たちのせいで我が村は非常事態なのだ。そのような時に、そちたちの通り抜けなど容認はできぬ。早々に来た道を戻れ」
「それはできぬと申したはず。どうしても八幡大神様の(めい)が聞けぬと申されるのなら、仕方がございません。全員消滅の憂き目に遭っても恨みっこなしですよ」ヨリモが体勢を低くして槍を構えた。
 まったくこのコは、先ほど反省の弁を述べた舌の根も乾かぬ内に、すぐに力を頼って問題を解決しようとする。本当に見た目と丁寧な口調とは裏腹に喧嘩っ早いな、とタカシは思う。当然、双方の緊張感が否が応でも高まっていく。蝸牛が慌てて間に割って入る。
「そなたたちも待ってくれ。争う必要などない。眷属同士が争っても喜ぶのは禍い者ばかりだ。兄者たち、この人たちはこの村を通って東野村に行くだけだ。この村に影響はないはず。このまま通してあげましょう。それで済むのだから、そうしましょう」
「そなたを人質としている時点で、我らに敵対しようとしていることは明らか。そのような者たちを通す訳にはいかぬ」
「……人質になっている訳ではありません。我はこの者たちに協力することにしたのです」
 より一層、天満宮の眷属たちがざわついた。事態がうまく呑み込めていない顔つきを誰もがしている。
「この人たちはとても強い。我らでも敵わないかもしれない。それにここを通過するだけだと言う。八幡神のお許しも得ているようですし、どうも嘘を言っているようにも思えないのです。ここは通してあげた方がよろしいかと……」
「バカなことを。そんなことをして万が一、大神様の勘気を(こうむ)ったらいかがする」
「そんなことくらいで慈悲深い大神様が荒びすさぶるのでしょうか。兄者たちはあまりに大神様の御力(みちから)を恐れすぎではありませんか。我には大神様に気兼ねするあまり、兄者たちが外から訪れた者たちを忌み嫌う姿が奇異に思えてなりません」
「それはそちが大神様の恐ろしさをまだ知らぬからだ。なぜ我が大神様がこの郷の鬼門に鎮座されていると思う。それはもしもの時に、その強大な大御力(おおみちから)を顕現させ給うためだ。そのため大神様は普段は社殿奥深くにお鎮まりになられておる。よそ者に入り込まれてこの村の気を乱されてはならないのだ。お目通りなどもっての他である」
 彼らが押し問答を繰り返しているうちに、いつしか彼方の空に暗雲が立ち込めてきた。通り雨でも降りそうだ、とタカシは思いつつ、どうにか早めに現状を打開できないか考えた。だが、結局はヨリモの言うように力尽くで打破するしか、もう術はない気がしていた。
 そんな彼らの間に突如一陣の風が吹き通っていった。つづけて二陣、三陣と砂塵を巻き込みながら強い風が吹きすぎていく。次第に樹々がざわつき、大気がうろたえはじめた。重厚感のある巨大な黒い雲が足早に駆けてきて、瞬く間に太陽を覆い、辺りはどんよりと暗転していく。
 目の前に居並ぶ眷属たちが急に色めきはじめた。一団の長はその頃には真顔で空をじっと見上げていた。そのただならぬ様子に何事かとタカシたちが(いぶか)しんでいると眷属たちの一人が(おさ)に向かって声を上げた。
白牛殿(はくぎゅうどの)、これはもしかして・・・」
「うむ、この突如吹きつける()ぐような風。意志を宿しているかのように動く暗雲。間違いない」
 その言葉を聞いてから見ると、確かに頭上の雲の動きは速いが風に流されているようでもなく、誰かに操られているかのように統率の取れた動きをしつつ、次第に集まり、黒く、厚みを増していた。
「おい、角牛(かくぎゅう)。もしもの時は竿を持て。我が祝詞(のりと)を奏上する」
 長にそう言われたその傍らにいた眷属は慌てふためく、というような様子を見せた。
「え、なぜ我が?我は五百年ほど前に竿を持ったことがあります。今回は他の者のはず……」
「ぐだぐだぬかすな。雲の動きが早い。急がねば大御力がいつ落ちてくるか分からぬ。順番などと言っておる場合ではないぞ」
「しかし……」
「ええい、観念せい」
 もう、相対している眷属たちはすっかりタカシたちのことなど眼中にないようだった。各々、上空を眺めながら右往左往しはじめた。
「おい、どうした。なぜ、あいつらはあんなに慌てているのだ?」タマが横にいる蝸牛に訊いた。蝸牛は少し考えているような姿を見せてから返答した。
「もしかしたら大神様の大御力が発現(あらわ)されるのかもしれない。ここ何十年もなかったことなので我も見たことはないのだが、聞いたところによると大御力が発現れた後は、我ら眷属で大神様の荒ぶる御魂(みたま)をお鎮め申す祭祀(さいし)を斎行するとのこと」
「祭祀?」
「ああ、雷除けの祭祀だ」
 そんな会話をしている間に、眷属の数名が社殿の方向へと駆けていった。そしてそれと入れ違いに社殿の方から一人の老婆が滑るように彼らに向かって移動してきた。
 その老婆は腰は曲がってはいなかったが、齢重ねて縮んだのか背は低く、その小さな身体に紅色の半衿(はんえり)に白い着物をまとっていた。そのまま首を垂れている大柄の眷属たちの足元を進みながら厳しい口調の声を発した。
「何をぼさっとしておる。大神様の御力のお(くだ)しじゃ。早う魂鎮(たましず)めの御祭りの準備をせい。供物を供え終わったら、各自持ち場で待機せい。白牛!」
 名を呼ばれた長が老婆の前に進み出た。
飛梅(とびうめ)様、白牛ここに」
 白牛が片膝を着き、老婆の目線まで降りてきた。
「今回は誰が竿を持つ」
「はい、角牛が」
 老婆は辺りを見渡し、角牛の姿を見つけるとニコリと目尻にシワを寄せた。
「角牛よ、よろしく頼むぞ」
 角牛は、いや、あの、と何か言い逃れようと試みていたが、そう言われると、ただうなだれて、はい、とだけ言った。
「今から何がはじまるんだい?」
 眷属たちの様子を(いぶか)しんでタカシが蝸牛に訊いた。
「我が大神様、天満天神様は今では学問の神様として名高いですが、雷神(らいじん)としての一面もあわせ持っているのです。大神様はこの村に(あだ)成す者の存在、またこの郷の中心に張られた結界を破ろうとする者がいればその大いなる御力を発現されます。いったん、その大いなるお力である(いかづち)を顕現されると、御魂が鎮まり給うまで、いつまでも続きます。そしてその雷は人の形をとる者を目指して落ちていきます」
 蝸牛の説明を聞いているうちに白牛が声を掛けてきた。
「ほらみろ。言わんこっちゃない。そなたたちのようなよそ者が入り込んだせいで大神様がお怒りだ。悪いことは言わん。早々に退散せよ」
 ジッと雲行きを観察していた老婆が白牛の言葉を(さえぎ)った。
「いや、この者たちが原因ではなさそうだ。雲の中心は臥龍川(がりゅうがわ)に向かっておる。誰か結界を破ろうとしているのかもしれん」
「結界を?それは禍い者ですか?」
「いや禍い者などではない。禍い者が結界に近づいたとて何の支障もない」
「それなら災厄が?」
「いや、災厄はまだ動いておらぬ」
「では……」
「ああ、禍津神(まがつかみ)が生じたのかもしれん」
「禍津神が?それは真ですか!」
「まだ、分からぬ。調べねば。大御力が降されたら、足の速い者を三人ばかりやって確かめさせよ」
「承知いたしました」
「それから、おい、おぬしたち」タカシたちに視線を向けて、老婆は続けた。「死にとうないならよく聴け。もうすぐ雷が降ってくる。お札を授けるよって、そこの林の中でそのお札を頭の上に掲げて姿勢を低くしておれ。ほれ、あいつらに札を渡してやれ」
 声を掛けられた眷属が彼らの前にやってきて蝸牛以外の一人ずつにお札を渡していった。
「おぬしは曲がりなりにも大神様の眷属なのじゃから、少々の雷に撃たれても支障ないじゃろう」そう老婆に言われて蝸牛は、はあ、と言いつつ複雑な表情をしていた。
「さあ、皆の者、もう時間がないぞ。自らの成す事を(いそ)しみ励め。供物の準備は済んだか?万が一つも間違いがあってはならぬ。慌てる必要はないが、速やかに動け」
 その号令に天満宮の眷属たちはばらばらと各自散っていった。もう、タカシたちのことを構っている余裕は誰にもないようだった。
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