第一章三話 お稲荷様の大前に

文字数 4,191文字

 しばらく歩いているうちに、急に行列の移動速度が上がった。そして行列全体から漂う緊張感も増加した気がした。
「みんなかなり急いでいるね。何かあったのか?」息を切らして行列について行きながらタカシはタマに訊いた。
「分からん。分からんが、恐らく周囲を警戒している仲間からマガイモノ襲来の知らせがあったのだろう」
「マガイモノ?」
「ああ、さっきお前を襲おうとしていたものだ」
(まが)い物って、偽物って意味だっけ」
「その紛い物ではない。禍々(まがまが)しいという言葉は知っているだろう。その禍だ。簡単に言うなら禍とは災い。災いをもたらす存在、その元になるような者、という意味で禍い者と我らは呼んでいる」
 タカシは、そういった言葉で形容される存在に心当たりがあった。
「それはケガレと同じようなものなのだろうか」
「そうだな。人に災いをもたらす点では同じだが、ケガレは災いをもたらすものの総称だ。それは何かの存在だったり、病気や死だったり、過去の記憶だったり、とにかく平穏な生活を送る上で、支障になるすべてのものだ。我らの言う禍い者とはそれ自体がケガレであるが、その一種とも言える」
 はっきりと納得できる話ではなかったが、さっきのカエルの化け物みたいな生き物が禍い者という存在で、人にとってけっしてよい存在でないことだけは分かった。
「そんな生き物なら退治しないといけないんじゃないか。さっきやったみたいに。なんか逃げているように見えるけど」
「もちろん、退治する。しかし今は御行幸(みゆき)の最中である。大神様の身に万が一のことがあってはならない。だから、まず境内に還御(かんぎょ)いただくことを第一としているのだろう。恐らく、還御いただいた後、我ら眷属によって掃討することになる」
「かんぎょ?」
「大神様の御霊を“(ぎょ)”と言う。その御が神域を出て御旅所(おたびしょ)に向かわれた後、お社に帰られることを還御という」
「ふーん。境内に入ったら大丈夫なのかい。禍い者はもう襲ってこないのかい?結界というやつかな?」
「結界というか、御神域(ごしんいき)、つまり神社境内は大神様の光り輝くような大御稜威(おおみいつ)が満ちている場所だ。大神様の御神意(おおみごころ)に関わらず、その大神徳(おおみのり)で禍のない清浄な状態に保たれているのだ」
「オオミイツ?オオミノリ?」
 それまでも不機嫌な態度を端々に示していたが、そのタカシの言葉にタマは急に言葉を荒げた。
「あー、もう。お前は本当にこの国の民草(たみくさ)か?()つ国の言葉ばかり取り入れる前に、この日の本の国の言葉を少しは覚えろ。大御稜威とは、大神様の御威光、御威勢のことだ。大神徳とは、大神様の顕現(けんげん)し給うたお力であり、それによってもたらされるお恵みのことだ」
「ふーん」と応えながら、タカシは少しの面倒臭さを感じた。言葉の一つ一つにつっかえている場合でもない。リサの居場所はおろか、ここが、山並みに囲まれた真夏の田園風景の中という以外、どのような場所かすら分かっていない。
 先ほどの通り雨の影響で蒸し暑さがいっそう酷くなり、濡れた身体の足取りが重い。そんなタカシの状態などおかまいなく、御神輿(おみこし)行列は粛々と進んで行く。ほとんどが瓦葺(かわらぶ)きの木造建築である民家の間を抜け、背の高い杉林の中の坂道を上がる。
「ここには人がいないのか?一人もまだ会っていないけど」
「今、御行幸道(みゆきみち)を通っているからな。こちらの方が平坦で距離が短いし、お前のような特異な者がいるかもしれぬから、念のため民草と干渉せずに通れるこの道を通っている」
「ミユキ道?」
「大神様たちが御行幸される道のことだ。人の道と接しているが、人の世とは隔絶している」
「???」
「分からぬなら、分からぬでもよい。さあ、もう神域に入る。無駄話は(つつし)め」
 目の前に朱色の大鳥居の全景が現れた。その真下に行くまでもなく、頭上高く見上げる威容。そして大鳥居の先からは長い石階段が山肌に沿って上へと伸びている。その階段の始終に渡り、数えきれないほどの朱色の鳥居が等間隔に立ち並んでいる。ちょうど屈まずに人が通れるほどの朱色のトンネルになっていた。
 その場景に少しの間、見惚(みと)れていたタカシに向かってタマが少し得意げに言った。
「昔、この地域の出身者で材木商として財を成した者がおってな。その者が大神様を信仰しておったので、御神恩(みたまのふゆ)に感謝して奉納したものだ」
 それきりタマは黙り込んだ。
 朱鳥居のトンネルの中へ御神輿行列は進んで行った。そこに入る間際、御神輿を担ぐ者たちも、御神輿自体もすっと縮まったようにタカシには見えた。そのまま滞ることなく行列は進んで行く。タカシも行列の後につづいて(あか)いトンネルに足を踏み入れた。
 空気が変わった、と感じた。立錐の余地なく立ち並ぶ鳥居によってはっきりとは見えないが、階段両脇の斜面を覆うように古木、大木が鬱蒼と茂り、周囲は昼なお暗く、漂う大気に一抹の清涼さを感じられた。そして、そよぐ風に揺れる木々の枝や葉が鳴らす音、蝉の鳴き声、そんな重層をなして周囲を包み込んでいる音たちをも巻き込んで、心地よい清々しさが朱に染められながら漂っていた。
 所々、(こけ)が生えていたが、雑草や落ち葉などは見当たらない清められた石段を踏みしめながら進んで行く。(いや)が応でもこれから向かう場所がこれまでとは異なる空間であることがじわりじわりと身に染みてくる。これからこの世界でどんなことが起きるのか、まったく予想がつかない。そんな不安とともに、何が起こってもそれに対処しなければならない、という覚悟がふつふつと湧き起こってきていた。
 最後の一段を上がりきると、目の前に陽光に満たされた開けた空間が広がった。箒目(ほうきめ)の描かれた砂利(じゃり)の間に、真っ直ぐ石畳が正面奥まで伸び、その先に小振りだが、色鮮やかな、と思わず形容したくなる、装飾を所々に(ほどこ)された朱色を基調とした社殿が建っていた。
 行列は立ち止まることなく、石畳の上を進み、そのまま社殿の中へと入っていった。社殿の正面にはお賽銭箱が置いてあり、その奥に木製の(さく)が設置されていて、社殿内部に立ち入りができないようになっていたが、行列は何の抵抗も感じぬていで、柵を通り抜け、そのまま建物奥へと進んで行った。
「こっちへ来い」
 タマが先導して社殿向かって右側に回っていった。タカシがついていくと、建物横にある格子戸を開き、入り口で軽く一礼した後、タマは中へと入っていった。中は板敷きだった。タカシは入り口で靴を脱いで、道中だいぶ乾いたもののまだ生乾きな全身のままで入室することに抵抗を感じつつも、タマに(なら)って一礼の後、殿内(でんない)へと参入した。
 社殿内も朱色を基調としていた。そして無数の灯明で明るく照らされていた。空間一帯暖色で包まれている感じだった。
 扉を入ると正面にタマが正座しており、タカシに自分の横に座るように指図した。タカシはなるべく音を立てないようにタマの横に正座した。
 建物奥の中央に御神輿が台座に()えられていた。更にその奥に朱色の階段があり、その上にこれも朱色の大きな扉があった。その扉は開かれている。
 御神輿の両脇には白丁(はくちょう)姿の御神輿()きたちが並んでいた。その右側の並びの最奥に先ほど宝珠(ほうじゅ)と呼ばれていた眷属が見えた。
 宝珠が動き出すのと時を同じくしてタマが「頭を下げろ。けっして前を向くな」と小声だったが厳しい口調で指示した。タカシは言われた通りにした。
 突然、おぉ―、という警報のような長く伸びる声が聞こえた。聞こえてくる方角的に宝珠の声だと思われた。急に周囲が白い光に包まれた。
 宝珠の長声は三回繰り返された。三度目の長声がやむ頃、周囲を輝かせていた白い光もすうっと消えていった。
「低頭直れ」
 そのタマの声にタカシは顔を上げた。宝珠が階段の上に移動し、扉の枠から御簾(みす)を下げているところだった。宝珠は御簾を下ろし終えるとその前に座し、平伏してそのまま少しの間、身じろぎもしなかった。そしてまた頭を上げると今度は座したまま爪先を立て、ヒザを()りながら扉の横まで移動した所で口を開いた。
凪瀬(なぎせ)タカシとやら。大神様が奏上(そうじょう)をお許し召された。申し上げたき儀があれば、(つつし)みて申せ」
 タカシはタマに視線を向けた。タマは軽く頷いて(うなが)した。
「では、謹んで申し上げます。この世界は間もなく崩壊します。消えてなくなってしまいます。私は、大切な人を救うため、その崩壊を防がなくてはなりません。でも、現状、この世界に来たばかりで、何をどうすればよいのか分かりません。ですので、この世界のことをいろいろと教えてもらえないでしょうか」
 御神輿の両側に並ぶ眷属たちも、宝珠もタマも、そして視界の最奥部にある御簾の更に奥に座している稲荷の神も自分のことを見ている気がした。実際に視線を向けていなくても全身で自分の一挙手一投足に注目し、一言一句に耳をそば立てているように感じた。
「この世界が崩壊するとはどういうことだ。大神様の御前にて嘘、偽り、世迷言(よまいごと)を申せば不敬千万なことこの上なく、神罰は免れぬぞ。正しき言の葉を敬いて申せ」
 宝珠の声は大きくはなかったが、漏らさずにはっきりと耳朶(じだ)に届いてくる。その声と周囲の独特な雰囲気に緊張感がいやが上にも増してくる。思わず震えそうになる声を懸命に抑制しながら返答した。
「嘘ではありません。説明するのは難しいのですが、この世界が崩壊するのは紛れもない事実なんです。もしかしたら、その兆候がもう出はじめているかもしれません。何か心当たりはありませんか?」
 一瞬、音が消えた気がした。社殿中の空気が動きを止めた。そして、ぴしっと張り詰めた。少し間を空けてから宝珠が口を開いた。
「この世界に何が起ころうと大神様の大御稜威(おおみいつ)により守護される。汝ら民草(たみくさ)は心穏やかに、ただ大神様にこの世の平穏を乞い()ぎ奉ればよい」
 宝珠の低い音声(おんじょう)につられて空気が重くなっていく。それを振り解くようにタカシは声を上げた。
「本当にそれで大丈夫なんでしょうか。私は、今、他の世界からやってきました。その世界は崩壊寸前でした。それは確実に、手を打たなければ(まぬが)れない状態でした。だからきっとこの世界も何か手を打たなければ崩壊してしまうことと思います。そのために……」
(かしこ)め。不敬であるぞ。大神様の大御力に疑義を持つとはあってはならんことだ。謹め、敬え」
 音量ではなく質で周囲を圧倒する声。タカシは委縮し、それ以上はもう声を出そうにも出てこなかった。
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