第七章一話 受け継いだ大切な言葉

文字数 3,531文字

 ルイス・バーネットは状況に応じて僧兵たちに指示を出していた。このまま攻めていけば、間もなく道が開かれるだろう。しかし僧兵たちの何人かが蛇毒(へびどく)にやられたようだ。それでも戦い続けているが、いつまでもつか分からない。少しでいい、道が開けてくれれば、そう思っていると、前方奥からタカシとリサが走ってこちらに向かってくる姿に気がついた。
“えっ、ちょっと、なぜこっちに来る?僕たちは外に出ようとしているのに、わざわざ包囲網の中に飛び込んでくるなんて”と戸惑いつつも、すでに全速力で駆けてきている二人に声を掛けたところで止まりそうにない勢い、とっさに僧兵たちに指令を発した。
「総員、正面から来る人間を守れ。蛇たちを近づけるな」
 タカシはためらうことなく、カガシたちの群れに向かって速度を上げた。強く手を引かれてリサは何とかついて行こうと必死に駆けた。僧兵たちが更に踏み込んでカガシたちの群れを突き崩していった。タカシとリサは、固まりとなっているカガシたちの頭上を飛び越え、その先に着地する。そこからタカシは、自分の身体を盾にするようにリサの肩を抱きかかえながら更に駆けた。足に、腰に、何箇所か鋭い痛みを感じた。カガシたちに噛まれたのだろうことが察せられたが、自分の身体のことは気にせず、とにかくリサが襲われないようにすることだけに集中した。
 一匹のカガシが飛び上がりリサに襲い掛かってくる。タカシがリサの身体をずらして避けながら手でそれを払った。その手に他のカガシが飛び掛かり、その側面に噛みついた。慌てて叩き落としたが、手の甲からひらを貫く傷が残っていた。
「早く、こっちへ」
 もう、すぐ目の前にルイス・バーネットの姿があった。タカシはリサの肩を抱えながら何とか辿り着いた。
「総員、後退。蛇たちの前面に展開して迎撃体勢のまま待機せよ」
 指示を受けた僧兵たちがすぐさま静かに退き、カガシとタカシたちの間に整然と並んで身構えた。
「大丈夫かい。どこか噛まれていないか」荒い息を繰り返すリサに向かって、自身も荒い呼吸を繰り返す中で訊いた。リサは小さく答える、大丈夫。
「いったい何を考えているんだね君は。僕たちはここから脱出しようとしていたのに、わざわざ飛び込んできて。あの蛇たちは毒を持っている。君もだいぶ噛まれたんじゃないか?大丈夫なのか?」ルイス・バーネットがいつになく強めの口調で問いただしていた。
「いや、ここにマコちゃんやみんながいるかと思ってきてみたんだ。みんなは?」
「マコちゃんもみんなもここにはいない。マコちゃんが湖の方にいるらしいから、みんなそっちに行ったよ」ルイス・バーネットは、仕方がないな、という風に一息吐いた。
 タカシはすぐ横にいるリサの身体から落胆した気配を感じた。湖にマコちゃんがいるのなら、すぐに向かわなくては。そう思うタカシの背後で、どさっという人の倒れる音が聞こえた。慌てて振り返ると僧兵の一人が倒れていた。他にも数人がふらふらと身体を揺らせている。今にも倒れそうだった。
 最早(もはや)、満足に戦える者は半数程度か。いつのまにかマサルが社殿から這うように出て、壁に背をもたせかけて立ち上がっていた。状況を見つめ、遠のきかける意識を繋ぎ止めながら考えていた。
 これ以上、戦ってもカガシたちの層を突き破るのは無理がある。なら包囲が解かれるまで待つしかない。とはいえ蛇毒に侵された仲間たちをこのままにしておく訳にもいかない。自分は、自らの意思で行動した結果だから悔いはないが、仲間たちまで道連れにするのは忍びない。
「すぐに湖に向かおう。手伝ってくれないか」
 タカシの言葉にルイス・バーネットは逡巡した。大鷲にでも変化(へんげ)して一人ずつ運んで、というのは重すぎて無理だし、大きな熊かライオンにでも変化してカガシたちに対抗して道を切り開くことも考えたが、全員が脱出するまで霊力がもつかどうか心許(こころもと)なかった。いやカガシたちの数と脱出するべきこの人数を(かんが)みれば、先ず無理にしか思えなかった。タカシとリサだけなら何とか……そう思い、踏み切るには、ルイス・バーネットは少し情を捨てきれずにいた。それを察したのかマサルが、「我らのことは気にせず行かれてください。見ず知らずの御方(おんかた)にこれ以上、ご迷惑をお掛けする訳にも参りませぬ」と弱々しく声を発した。
 振り返り、その場にいるマサルの姿にルイス・バーネットは、もう、立っている気力もないだろうに、自ら撒いた種だから寝ている訳にもいかないということか、と相手の気持ちを(おもんばか)って、更にその場を離れることができなくなった。何かいい手立てがないだろうか?
 自らを担当する送り霊が珍しく悩んでいる様子を、(いぶか)し気に眺めているタカシの横で、リサは何かの気配を感じていた。それは時間の経過とともにひしひしと伝わってくる。前方の社殿から?いいえ、その向こうの山の中から。
「あの山は?」リサが呟くように言った。
「ああ、あれは、神体山です。大神様の、鎮まり給いし、山ですよ」マサルの弱々しく答える声。
「鎮まっているって、神様はあの建物の中にいるんじゃないのか?」タカシの無邪気な問いにもマサルが答えた。
「三輪の大神様は、あの秀麗な山容を好まれ、山中に鎮まっておられます。今、このお社の社殿は、神体山を、遥拝する場と、なっています」
「それならあの山の中に行けばここの神様に会えるんだね。神様に会ってお願いしたら、この蛇たちをどうにかしてくれるんじゃないかな」
「確かに、大神様なら、それも可能だと、思われます。しかし、あの山には、近づけない」
「どうして?」というタカシの問いをルイス・バーネットが引き取って答えた。
「ここにいるよりももっと多量の蛇たちが(うごめ)いている。それを掻き分けながら踏み入るのはどうやっても無理なんだ」
 タカシは背後にちらりと視線をやった。僧兵たちも消耗し尽くしているような状態だった。他に手がないのなら強行するしかない。
「それなら俺が一人で山に入るよ。多少、蛇に噛まれたところで大丈夫みたいだし、何とか神様を見つけ出して……」
 話しの途中でマサルが(さえぎ)った。
「それは、諦めなさい。我ら眷属でも、立ち入ることができない山中に、民草(たみくさ)が、入れる訳がありません。そもそも、そなたは、なぜカガシに噛まれても、平気なんです?たまたま、毒のない種にばかり、噛まれたのかもしれませんが、民草なら、それだけ噛まれれば、動けなくなるはず」
「別に平気じゃない。身体のあちこちが痛いよ。ほら、この傷なんて傷口がひどい打ち身みたいな色になってる」そう言いながら掲げた手の傷跡を見て、マサルもルイス・バーネットも驚いた。それはどす黒く紫いろに変色して、見るからに尋常ではない傷に見えた。これは毒蛇に噛まれた跡だ。カガシの毒は即効性、すぐに立っていられなくなる。それなのにこの人間は平気な顔をして話している。どういうことだ?
「そなた、大丈夫なのですか?」
「ああ、痛みはあるけど、このくらいの傷、少し前にいた世界で何度も経験しているから耐えられないほどじゃない。それにここに来てから傷の治りが早いんだ。だから少し我慢していたらすぐに治るよ」
 この人間、いったい何者?そうマサルが訝しんでいる横でルイス・バーネットが断固とした口調で言った。
「とにかく、蛇たちの量は半端ではない。いくら毒に耐性があったとしても到底行くことは叶わない。他の手を考えよう」普段、穏やかなだけに、たまにこうして強い口調で言われると妙に説得力を感じる。仕方なくタカシは、うーんと呻りながら考え込んだ。そして考えた末に言った。
「山に入ることが無理なら、神様に降りてきてもらうしかないな」
「それも、無理でしょう。もう、長い年月、三輪の大神様は、山を降りられてはいない。聞いたところによれば、眷属たちの、天降(あまくだ)りの儀式にも、応じられていないようです。増して我々では……」と沈んだ声でマサルが言う。
 天降り……。リサの脳裏に恵美さんの言葉が浮かび上がった。とても大切な話だと、今までになくおばあちゃんが真剣に話していた、決して忘れてはいけない大切な言葉。リサは無意識に呟いた。
“あもりませ”
 ルイス・バーネットは思わずビクリと全身を震わせた。そして驚いてリサに視線を向けた。このコは今、微弱ながらも言霊を発した。何の言葉だ?
「ねえ、リサちゃん。今、何て言ったの?」ルイス・バーネットが腰を屈め、目線を合わせながら、警戒心を持たれないように、極力穏やかな表情で語り掛けた。リサは突然、自分に興味を向けられたので、警戒し、ためらいながらも返答した。
「あもりませ。神様に天降ってもらうための言葉だって、おばあちゃんが言ってた」
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