第九章四話 張り詰める緊張感

文字数 4,346文字

 白牛(はくぎゅう)はマガと並び立って歩いている。
 これからの展開にどう対処するか、何とか方策を絞り出そうと頭の中は躍起になっていた。
 蝸牛(かぎゅう)の願いに勢いで乗っかってしまったが、他村の者を大神様に拝謁させるには、先ず飛梅(とびうめ)殿に承認してもらわないといけない。冷静になればなるほど、それが何とも難しく思える。飛梅殿は迷わない。状況さえ分かれば余程のことがない限り即座に決断する。逡巡(しゅんじゅん)する場面でもあればその間に説得する余地もあるのだろうが、ただ事実だけを確認すれば、あとは周囲の意見など聞く気はないようにたちまち結論を導き出し、指示を出す。
 今まで、そんな飛梅の指示に天満宮の眷属たちは常に従ってきた。それがいつも正しいことだと信じてきたし、実際、それで何の支障もなかったから疑いもしなかった。きっと今回もすぐに結論を出すだろう。
 神々の間で暗黙の了解としてこれまで何百年も守られてきた、隣村の禍津神(まがつかみ)を村外に出さないという禁を破り、自らの村内に入れ、あまつさえ大神様の大御言葉(おおみことば)をいただく、大神様の周辺に波風を立てないことが至上の使命である自分たちにとって、これはどう考えても不適切でしかない。とても飛梅殿が許可を出す案件ではない。
 蝸牛の落胆した顔が目に浮かぶ。何とか事情を説明し、説得する状況にできないだろうか。我らの言葉を飛梅殿が聞くように仕向けることができないだろうか……
 何も思いつかない。今更ながら蝸牛の熱の籠った言葉に(まど)わされたことを後悔した。蝸牛はいたって元気な様子で先頭を歩いている。いつもより足取りが軽いようだ。少し速度も速い。のんきなものだ。そう思いつつも、内心、末弟にはそうあってほしいと白牛は思っていいたのでその姿にほのぼのとしたぬくもりを感じた。あやつを旅に出して良かった。短時間ではあったが、また一回り成長したようだ。
 そんなことを考えていると、いつの間にか道の先に天満宮の境内が目に入ってきた。
 慣れ親しんだお社の境内。それが今日は新鮮に目に映る。普段は特段意識しない色合いや形が目に入り込んでくる。蝸牛は何のためらいもなく足を踏み入れていく。ほんの五段しかない石段を上り、鳥居をくぐり、石畳の上に歩を進める。参道横の広場に昨日、落雷の焦げ跡が、その上は()かれた様子だがまだ黒々と残っている。その先には社殿が、背後の青々と茂った楠の葉の中にただ、黙然(もくねん)(たたず)んでいる。そして、その前に飛梅の姿があった。

 ――――――――――

 弥生(やよい)は回復した女眷属たちを引き連れ、まだ気を失っていたり、負傷している眷属を男眷属に担がせて本隊に合流するべく移動をはじめていた。
 彼女の心中には煮えくり返るような瞋恚(しんい)が渦巻いていて一向に収まる気配がなかった。見た目平静を保っていたが、何かのきっかけで容易(たやす)く噴出しそうな胸の内だった。
 神鹿隊(しんろくたい)が代替わりして、サホが隊長に就任してからは、常にその右腕として隊の中で重きをなしてきた。隊長と自分がいなければ隊は成り立たないと自負していた。だから、たかだか男眷属などに歯向かわれるなどとは(つゆ)ほども思っていなかった。普段は男眷属が直接、話し掛けることさえはばかるような立場なのに、それなのに、歯向かわれて、あまつさえ謀反人(むほんにん)を目の前にしてむざむざと逃してしまった。何という失態、まさに面目丸潰れ……とにかく本隊と合流する。こやつらの処分はまた村に帰ってから決めるしかないだろう。こやつら最近(たる)んできていたからな、少し厳しい処分を下さねばなるまい。
 そんなことを考えている間にだいぶ本隊に近づいた。どうも不穏な空気が流れている。

 カツミたちは数多(あまた)の矢先と剣先を向けられて一歩も動けないままだった。マサルとしては自分ひとりならこの程度の人数、自慢の薙刀(なぎなた)で斬り伏せて突破を図るところだが、いかんせん民草(たみくさ)の娘を守らねばならない。へたに動いて娘が傷ついてしまっては本末転倒だ。とりあえずは相手の出方を見るほかない。ナツミも同じくへたに動けない。ロクメイとしては自らの所属する隊の隊員たちと対峙することとなり、気まずさの塊になっていた。
 睦月(むつき)をはじめ弓矢隊は遠巻きにカツミたちを取り巻きながら状況を固唾を呑んで見守っていた。睦月としては弥生のいない現状、ミヅキが上手く隊に指令を発することができるのか不安を抱いていたので、状況によっては独自に動けるようにいつもより一層緊張感を高めていた。
 サホはそんな膠着状態の中、何とか頭の中を整理しようと試みていた。
 正体不明な二人の女、空を飛び、禍津神と互角に渡り合っていた女と、最終的に禍津神を斬り倒した変な動きをする女、その二人ともに一瞬にして消えた。どうやって、どこに行ったのか、あまりにも不可解な女たち。ただ、自分たちが敵対する禍津神と対抗し、更には倒してしまったことから敵ではないように思われる。ただ、あまりにも不明な存在なので、はっきりと味方とも言い難い気もする。それにあの民草たち、あの女たちの知り合いのようだ。ということはこの一行はあの女たちと関わりがあるのだろうか?しかし、謀反人も加わっている。それにうちの隊員も。どういう経緯でこの者たちは集まったのだろうか?考えても結論は出そうにない。だから、かたわらにいるミヅキに、ここを頼む、と声を掛けるとサホはタカシたちに近づいていった。
 ナミがこの世界を出ていったことで、タカシの胸の中には一抹の寂寥感(せきりょうかん)が吹いていた。そんな彼に向けてサホが歩いてくる。剣を(さや)に収めて徒手の状態でズンズンと近づいてくる。タカシはリサのかたわらにいる。だからナツミとマサルはサホの行く手を(はば)むべくその前に立ちはだかった。更なる緊張感が音がなるほど張り詰める。
「我は春日(かすが)の宮、神鹿隊々長、サホ。そこの民草と話をしたいと思う。通せ」
 通せと言われて通す訳にもいかず、マサルもナツミもそのまま対峙した。
 ナツミはいざ知らず、マサルは神議(かむはか)りの場でサホとは何度か対面したことがある。それほど親しくした覚えはないが、春日神社眷属代表として神議りに顔を出すことも多いサホとは、隣村同士という立場もあり、声を交わすことは多かった。自分の信じる道を疑うこともなく突き進む、自信の塊のような存在、そんな印象。
「サホ殿、山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)のマサルです。我はこの民草の娘を守護する誓いを立てました。よってこれ以上先に通す訳にはいきません。お下がりください」
 日枝神社の眷属が民草を、なぜ?とは思ったが、それは追々(おいおい)訊いていくとして、今は先ず状況の概要が知りたかった。マサルの背後にいる民草たちには声を張り上げれば届きそうな距離だった。だからサホは構わず言った。
「そこの民草に問う。そなたは送り霊とか申す女たちの知り合いか」
 そう言われてタカシはリサのかたわらを離れ前へ進み出た。
「そうだが、それがどうした」
「そなたたちの一行はどこへ行く。目的はなんだ」
 少し(あご)を上げて無表情のまま話す。ちょっと雰囲気がナミに似ているな、と思いつつ目の前のサホに答える。
(さら)われた人間の女性を助けるために、その居場所を捜している。何か心当たりはないだろうか」
 そう言われてサホには思い当たる節があった。あの三輪神社(みわじんじゃ)の眷属が連れていた民草の女のことだろう。しかしあの娘は……
「その民草の女とは、三輪神社の眷属が連れていた娘のことか。それなら気の毒だが、諦めろ。恐らくその娘はもう助からん。禍津神(まがつかみ)の力によって湖深く沈められた。もうだいぶ時間も経っておる」
 とっさにタカシは振り返った。リサが身動(みじろ)ぎもせず、ただ目を大きく見開いて、サホの姿を凝視していた。サホの口から発せられた言葉の意味を頭では理解していたが、心がその浸透を拒絶していた。何のこと?誰のこと?そんなはずはない。
 すぐさまタカシはリサのもとに戻り、少しためらった後、(くら)の突起を掴んでいるリサの手に自分の片手を乗せた。リサはそのぬくもりを感じてゆっくりと視線をタカシに向けた。
「まだ、決まった訳じゃない。真実をこの目で見るまで、俺は信じない」タカシは独り言のようにも、リサに語り掛けるようにも、そこにいる全員に対して宣言しているようにも聞こえる調子で声を発した。リサはうつむいて目を閉じた。
「いや、それは難しいぞ。禍津神の力は強大だった。それに湖も渦巻き荒れ狂い、我ら眷属でも命辛々(からがら)逃げるだけで必死だった。されば民草などひとたまりもないだろう。その(しかばね)さえ浮かんでこないだろう」カツミが話を聞いていて思わず声を発した。ナツミは思わず、バカ兄、と心中(つぶや)いた。タカシの頭の中でバチンと何かが弾けた。
「お前、よくそんなことが言えるな。お前が攫っていかなければこんなことにはならなかっただろ。全部、お前のせいじゃないか。何を他人事みたいに言いやがって。このままマコちゃんが見つからなかったら絶対にお前を許さないからな」
 カツミの胸の内には民草を攫うという妖異並みのことをしてしまったという罪悪感がねっとりとした粘り気を持って底に堆積していた。が、唐突に自分より下の存在だと思っていた民草からの叱責の言葉を聞いて思わず反論した。
「許さないとはどうするのだ。民草ごときが我に何をするというのか?面白い、できるものなら……」
「カツミ、うるさい。黙って!」思わずナツミは叫んでいた。まったくこの兄は場の空気を読むということをしない。思ったことをすぐ口にする。
「えっ、ナツミ、何でだ?この民草が……」カツミは瞬時に狼狽した。誰に言われるより妹に叱責されるのが一番こたえる。
「いいから黙ってて。これ以上しゃべったら、うちが許さないからね」まったく恥ずかしいったらありゃしない。本当に頭が痛い。
 カツミは仕方なく黙ってしゅんとした。それを見届けてサホが再び口を開いた。
「そこの娘。そなた、三輪明神に会ったのか?どうやって。そこの眷属たちでさえ目通りが叶わぬと聞いておったが、なぜ民草の娘であるそなたが会えた」
 リサにはその言葉が聞こえていたが、答えるには頭と胸の中が錯綜(さくそう)しすぎていた。マコが、もういない……。きっと、これもあたしのせい。あたしがもっとちゃんと考えて、もっと早く行動していれば……。そんなリサの様子にタカシが代わって口を開いた。
「彼女は神降(かみお)ろしの血をひく者だ。降神(こうしん)の儀式を行って、姿を現してもらった」
「何と!」サホは素直に驚いた。まだこの郷に神降ろしの血をひく者が残っていたとは。もう何百年も民草が()(しろ)となり天降(あまくだ)りの儀式をしたことはない。だからこの郷にそんな者の存在が残っていることを誰も知らなかった。サホは目を輝かせながら続けた。
「そなたを()が春日村に連れて行く。我が大神、春日明神様に拝謁させてやろう」
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