第十四章一話 妹の目覚め

文字数 5,643文字

 タカシのもとへ周囲を取り巻いていた者たちが集まってきた。
 ルイス・バーネットや秘鍵(ひけん)やサホ、更にマサルやクロウや蝸牛(かぎゅう)が口々に健闘を称えた。多くの眷属たちの心中は、体力も能力も智慧も自分たちより劣ると思っていた民草(たみくさ)が、自分たちでは成し得ないだろうと思うことをやり遂げた驚きと、素直な称賛の気持ちに満たされていた。
 そんな興奮を宿した和やかさの中、ナミはタカシに声を掛けるでもなく、そのまま横たわるタマへと近づいていった。
「あなた、人間の傷を癒せるのよね。悪いけどついてきて」言いつつその手を取ろうとする。それをヨリモが慌てて制する。タマはまだ復活したばかりで衰弱している。動かすべきではない。
「どこにつれて行くつもりです?まだタマ殿は動ける状態ではないですよ」
 自分とタマの間に割って入る小さな眷属に、ナミは特有の冷ややかな視線を向けた。ヨリモはその視線を警戒せざるを得なかった。このひとに渡したら、せっかく復活したタマ殿が消滅しかねない気がする。
「あなたには言ってないわ。急いでいるの、邪魔しないで」
 極々、冷たい視線と声音。しかしそれに動じるつもりはない。せっかく再会したタマを連れていかれてなるものかと、ヨリモはキッと睨み返した。そこへ不穏な空気を察したルイス・バーネットが仲裁に入る。
上隠山(かみかくしやま)の麓で、君たちも知っている山崎マコちゃんが瀕死の状態なんだ。すぐにでも助けないといけない。だからついてきてくれないか」
 ナミは横合いから口を出されて少し不機嫌な顔つきをしている。その表情を気にしながらヨリモは答えた。
「でも、まだタマ殿は回復してません。今、動かしては……」
 言い終わる前に足もとから聞こえてくる細い声。
「ヨリモ、いいんだ。もう大丈夫。行けるよ」そう言いながらタマが立ち上がろうとしている。しかし、なかなか足に力が入らないのか腰も浮かない。ヨリモはやっぱりこのまま連れていかれてはいけないと思い、どうにかしないと、と周囲を見渡した。何か手はないだろうか。
 すると集まっている眷属たちの中に見覚えのある神鹿隊(しんろくたい)々員の姿。とっさにヨリモは駆け出し、その者の手を取ると強引に引っ張っていった。
「お願いします。こっちに来てください」
 いきなりのことに睦月(むつき)はされるがままに眷属たちの輪の中へと引っ張られていった。
「何だ、何の用だ?何をしようと言うのだ?」
 睦月の声は無視して、ヨリモはけっきょく立ち上がれないままのタマの手を取って今にも飛び上がろうとしているナミに近づいた。
「待ってください。このひとも治療できます。連れていくのならこのひとにしてください」
 は?え?ちょっと待て、何を言っているんだ、貴様は?と慌てた様子で言う睦月にサホの視線が向いた。
「本当にあなた、傷の治療ができるの?」
 サホの問いにヨリモが自信満々に答える。
「はい、できます」
 おい、ちょっと待て、という睦月の声に合わせて背後から秘鍵の声が響いてきた。
「睦月殿に民草の傷を癒す力があるのかどうかは分からないが、眷属と民草では身体の構成要素が違う。宝珠(ほうじゅ)でも民草の治癒には充分、力を発揮できなかった。その点、タマは特殊な能力を有している。睦月殿よりもタマの方が民草を救う可能性は高いだろう。そこで、睦月殿にはタマを回復させてもらい、その後でタマを民草のもとへ連れて行ってはいかがだろう。それなら確実だ」
 その声にヨリモは輝く瞳を睦月に向けて、よろしいですか、と期待感満載な声を出した。睦月は、どうもこのコの我に対する扱いが雑な気がするのだが、と思いつつも承諾した。
 それから睦月は左手を、座り込んだままのタマの頭上に掲げた。すると念じる間でもなく、白い光の粒が大量にタマの全身に降り注いだ。
 全身に気力が湧いてくる。身体中に力が(みなぎ)り、停滞していた気の動きが滑らかに流れていく。何て暖かい。これはもしや宝珠殿の光。そう思っている間にタマはすっかり回復した気がした。だから、立ち上がりながら睦月に声を掛けた。
「もう大丈夫です。お蔭ですっかり回復しました。それで、そなたの力はもしや……」
「ああ、我の身体には宝珠殿の力が宿っておる。その力がそなたを回復させたのだ」
 その睦月の返答にタマの脳裏には疑問が湧いた。それでは宝珠殿は?辺りを見渡しても姿がない。
「宝珠殿は、先の災厄との戦闘で我や仲間を救うためにその身を犠牲にされた」
 そんなバカな。あの宝珠殿がやられるはずなどない、と驚きの表情をていして何か言葉を発しようとしたタマの手をナミがガシッと掴んだ。
「もう、時間がないの。行くわよ」と言うが早いかナミはタマを引き連れて飛び上がり、そのままマコの待つ上隠山麓へと飛んだ。慌ててルイス・バーネットがツバメ姿に変化(へんげ)して後を追った。ヨリモは槍を持っていたので変化できなかったが、すぐさま駆け出し全速力でその後を追った。
 その様子を見送りながら睦月は左側の首筋に違和感を感じて反射的に手を当てた。何かちくちくする感じがした。虫にでも噛まれたのかと思ったが、特に何もいなかったので気のせいだろうと特に気にしないことにした。
 また同じくナミたちの飛翔する姿を見送っていたタカシの耳朶(じだ)にリサの声が聞こえてきた。
凪瀬(なぎせ)さん、大丈夫ですか?」
 振り返るとすぐそこにリサがいた。
「大丈夫だ。心配掛けたね」
 身体中痛みが走っているけれど笑ってみた。するとリサも安心したようにニコリと笑う。まだ幼さが残っている。見た目、中学生くらいに見える。だけどそれは間違いなくリサの笑みだった。一瞬にして痛みが和らいだ気がした。その笑みしか見えない。それ以外のものを感知できない。周囲のざわめきも消えた。と、感じていると急に叫び声が聞こえた。さすがにそれは気になったので視線を向けると玉兎(ぎょくと)がタカシの周囲に集まっている眷属たちの後方で、一直線に走っていた。
「何だ、こいつら、おい、なぜ、俺を追ってくる。あっち行け、こっち来んな」
 玉兎の後方には多数の人の姿。それは大水に巻き込まれた村人の(むくろ)、むくりと立ち上がり、玉兎を追って歩いていく。
 そもそも玉兎は生き返り、場の流れでここまで来たものの、(まが)い者たちは予想外に大きくて、今までずっと逃げ回っていた。それほど動きの速くない禍い者たちから逃げるのは容易(たやす)く、そうするうちに他の眷属が次々に禍い者を倒してくれた。だからすっかり安心していたのだが、いきなり禍い者たちとともに地上に湧き出ていた骸が、やおら起き上がったかと思うと、身体を引きずりながら彼に向かって近寄ってきた。
 骸たちの動きは禍い者よりも更に遅かった。だから逃げるのは難しくなかったが、ただ確かに死んでいたはずの者たちが自分に向かって襲い掛かろうと向かってくる、その事実に戸惑いを隠せず、どう対処していいのか分からなかった。
 その場にいた他の眷属たちも戸惑っていた。自分たちがこれまで長い年月、守護し続けてきた村人が自分たちに襲い掛かってくる。彼らの脳裏には民草は守るものであって、倒す対象と思ったことはなかった。村外への流出はあっても、流入がほぼない村々のこと、自分の村の村民なら生まれた時から見知っている存在である。あちらは個人的にこちらのことを知らなくとも、こちらはそれぞれに確固たる親近感を抱いてしまっている。たとえ襲い掛かられても、無碍(むげ)に倒すことには抵抗があった。だから眷属たちは襲いくる村民の骸の攻撃を避けるばかりで倒すことができなかった。やがて、骸の口々からごぼごぼという音とともに声が漏れてきた。
()(しろ)の民を寄越せ。寄越さねばこの地を崩壊させる。依り代の民を……」数多(あまた)の口から(かす)れた声で、そう繰り返す。
 タカシは声もなく怯えているリサにそっと寄り添いながら、その骸たちの姿を凝視した。特にその身体に輝きはなかった。本当に死んでいるし、先ほどの災厄の分御霊が操っていたような光る線も見られない。ただ、それぞれの骸の足もとに水流が激しく流れていた。それぞれの身体を包み込むように流れていた。きっと災厄が水を操って骸を動かしているのだろう、と推測した。
 骸たちはリサを探している。しかしその目は見えていないようだった。動くものに反応して追っているようだった。それならここでじっとしていればいい。
 そんな状況の中、マコモとクレハは自分たちが担いできた御神輿(おみこし)の前でしばらくの間、(ぬか)づいていた。そして宣下(せんげ)を受けると御神輿の前を離れ、タカシたちへと近づいた。
「凪瀬タカシ殿と言ったかな。そろそろ災厄のもとへと向かおう。我らもともに参る。それからそこの依り代の民も連れていく」クレハが決定事項だという口調で言う。
「いや、リサを危険な場所には連れていけない。彼女は地上に残る」即座にタカシが拒否したが、それは不可能だと言わんばかりにクレハが続ける。
「もし、そなたが災厄を倒せなかった場合、その娘の身体が必要だ。宝玉を失った我らにとっては災厄を倒せなかった場合、その娘の身体に災厄を鎮めるしかない」
 その言葉を聴いているうちにタカシはすべてを察した気がした。きっとリサの身体に災厄の御霊(みたま)を鎮めて、動き出す前にリサの身体ごと消滅させるつもりなのだろう。当然、そんなことさせる訳にはいかない。自分でも意外に冷静にそう感じて返答した。
「それはできない。大丈夫、俺が災厄を倒す」
 毅然として言うタカシの様子に、クレハは数日前に八幡宮で見た、不安気にオドオドとしていた民草と本当に同一人物なのだろうかと(いぶか)しく思った。
「何か、考えがあるのか?」マコモが思わず訊いた。
「いや、できそうな気がするだけだ」
 クレハは呆れたような顔をした。一方、実際にタカシの、戦ううちに強くなっていったその力を体感したマコモの胸にはじわりと期待感が湧いてきていた。
「我も、そなたならできそうな気がする」そう言うマコモにクレハは驚いて視線を向けた。マコモが珍しくニヤリと笑っていた。「しかし、それなら尚更その娘を連れていく方がいいのではないか。そなたの力の源泉はその娘なのだろう」
 そう言われれば確かにそうなのだが、そうは言ってもやはりリサを死地に連れていく訳にはいかない、と返答しようとした矢先、
「分かりました。私も行きます」とリサが返答した。
「リサ。何言ってんだ。危険なんだ。ここで待っててくれ。頼むから」
 とっさに少し厳しい口調で言った。リサは見る見る表情を失くしてうつむく。ああ、これは納得していない時に彼女がよく見せる姿。
「私は怖がりだけど、凪瀬さんや他のみんなが傷つくのはやっぱりイヤ。行った方がいいんなら行きたい。行かせて、お願い」
 そこまで言われたらタカシにはもう反対できなかった。リサは見た目よりもずっと頑固なところがある。彼女も彼女なりに決意を固め、覚悟を決めたのだろう。それならこれ以上、反対できない。
「分かった。じゃ、一緒に行こう。でも危険だと思ったらすぐに戻るんだ。いいね」
「うん」と言いつつまた笑顔になる。次第に表情豊かになるリサの姿を見るのが嬉しかった。
 そんな二人の後方から聞こえる声。
「それなら我らも行く。我らはその娘を守らねばならん」
 そこにはカツミとナツミの姿。続いて、
「我も同行いたします。我もその娘を守ります」とマサルが、
「それなら我も一緒に行こう。我なら道中、みなを導くことができる」とクロウが声を上げた。そして更に、
「我らもともに行く。戦闘になったら我らがおらねばどうしようもなかろう」と言うサホと並び立つ睦月とミヅキ。「それに我らは黄泉(よみ)に仲間を残しておる。助けるために災厄を討伐せねばならぬからな」
 そして秘鍵からも同行する旨、申し出るに及んで、もうすべての眷属たちが自分たちとの同行を望んでいることを察した。それはとても心強いことだった。どんな困難が待ち受けているか分からない前途だったが、少し希望が見えた気がした。

 ――――――――――

 その頃、タマをマコのもとへ送り届けたナミは、追いかけてきたルイス・バーネットやヨリモとともに洞窟の一室で口婆と一緒に待っていた。タマの治癒能力がどれほどのものか、実際の治療現場を見たことがないので分からない。だから時間が経てば経つほど徐々に不安が募っていく。そんなナミに、ヨリモは平然と、大丈夫です、タマ殿はどんな傷でも治せますから、と自信ありげに言う。それだけが少し救いだった。
 タマが目婆や耳婆に連れられてマコのいる一室に向かってから多少の時間が流れた。それほど長い時間ではなかったが、ナミはそわそわと落ち着かない。
 やがて待つ間に、もしこのままマコの目が覚めなかったら、と悪い想像が頭をよぎりはじめた頃、口婆が唐突に口を開いた。
「どうやら治療が終わったようだ。もうあっちの部屋に行ってもいいぞ」
 慌ててナミがマコのいる部屋に駆け寄る。煙はもう抜けていたが強く臭いが残っていた。

 マコはとても長い時間、眠っていた気がした。そしていろんな夢をみたような気もする。深い水の底にいた気もするし、洞窟の中にいた気もするし、誰かが自分を呼んでいた気もする。薄っすらと目を開けながらその一つひとつを思い出していた。とても変な夢。そんな夢を見たせいかとても頭がぼんやりとする。何か視界もぼやけている。あ、誰かいる。誰だろう?スラっとした長身、茶色がかった長い髪、グレーのパンツスーツ、あ、ナミさんだ。
 無表情な顔がそこにあった。やっぱりかっこいいな、とマコは思った。
「まったく、どれだけ心配掛けたら気が済むのよ。これだから妹は、まったく」
 感情のこもっていない淡々とした声。マコは微笑んだ。
「おはよう、ございます」
 ナミはくるりと身体の向きを変え、背を向けた。
「身体の調子はどう?動けるならお婆さんの所に送っていくわよ」
 そう言うナミの姿を見ながら、まったく素直じゃないんだから、とルイス・バーネットは微笑んだ。
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