最終章二話 世界の果て

文字数 6,544文字

 タカシは白い光の線が自分に戻ってきたと同時に立ち上がり、災厄から解き放たれて倒れているリサのもとに走った。名を呼びながら抱き起こす。するとリサが彼の腕の中で目を覚ました。
「タカシ……」目の前に微笑む彼の顔がある。限りなくほっと安堵する。しかしそれを打ち消すように地が揺れる。
「リサ、逃げるよ。立てるかい?」
 リサは頷くが思い出したように声を上げた。
「災厄は?私の中に入っていた黒い記憶と感情はどうなったの?」
 二人は激しい気配を感じて目を向けた。
 離れた所で、異様に黒く光る(ぎょく)が激しく雷光を発し続け、急速に回転しながら右に左に暴れ回っている。その力は小さな玉に納めるにはあまりにも強大。いつまで玉が耐えられるのか分からない。焦燥感が周囲を包み込む。早く砕かないと、しかし雷光が辺り一面に走っているので近づくことができない。
 どすん、と大きな岩が頭上から落ち、がらがらと壁が崩れ落ちる。そんな中、玉から濃密な黒い気体がにじみ出てきた。玉の周りを渦巻くように漂いはじめる。誰もがマズイと思う。どうにかしないと災厄が再び外に出てくる。しかし誰も近づけない。みんなの視線の先で更に黒いドロリとした物体が抜け出ようとしている。
 その時、白い光が玉に向かって伸び、瞬時に漏れ出ようとしていた災厄の魂もろとも玉を包み込んだ。全員がその白い光の出所に目を向けた。タカシが手を伸ばし、白い光を発していた。
「誰か、教えてくれ。これ、どうしたらいい?」
 大きく広げた光る手の中で、(いかづち)を発しながら災厄が暴れ回っている。痛みは感じないが、衝撃が伝わってくる、身体が引きずられる。おまけに全身全霊を懸けて白い光を発しているので、気力体力の消耗が激しい。そんなに時間はもちそうにない。
 試しにサホが剣で斬り掛かってみるが、白い光が衝撃を吸収しているようで、玉はまだ暴れ続けている。しかし光の手を開けば更に攻撃は難しく、災厄の復活に資するだけ。現状、どうしようもない。
「この洞窟ももうもたない。とにかくこの場を離れよう」さすがのルイス・バーネットも慌てた様子で言う。
「ダメです。災厄を地上へ連れていく訳にはいきません」マサルも慌てた様子で応じた。他の眷属も同感という顔をしている。
「じゃ、どうするの?ここで災厄を解き放てって言うの?」ナミが安定の冷たい声で言い放つ。
「それは……」眷属たちはみな言い淀んだ。災厄を滅するのは彼らの悲願である。今、千載一遇の機会に巡り合わせている。しかしこの洞窟の崩落によって玉を砕くしかない現状、それを叶えるためにはタカシに犠牲になってもらう以外に手がない。しかし、ひとに犠牲になってほしいとはなかなか言えない眷属たちであった。
 タカシは引きずられ、地の揺れに足を取られ、満足に立っていられない。たぶんリサは心配そうな顔をしてこっちを見ているのだろう、と思って捜すと案の定、目を見開いてこちらを見ている。このまま彼女をこの場にいさせる訳にはいかない。そして俺はたぶんこの場から動くべきじゃないのだろう。
「みんな、逃げてくれ。災厄は俺がどうにかする。ナミ、ルイス・バーネット、リサを頼む。早く行ってくれ」
 その言葉にリサは心の中で反対した。こんなところにタカシを一人置いて行けない。そんなこと私にはできない、しかしその思いを声に出そうとした矢先、
「やっぱりバカなの、あなたは。ここで潰れたら現実世界でも死ぬわよ。一緒に地上に帰るわよ。後のことはそれからよ」とナミが、
「何を考えているんだ。そんなことはいけない。もっといい方法があるはずだ。とりあえず君も一緒に逃げよう」とルイス・バーネットが口々に言う。その声が聞こえる中、眷属たちはタカシの覚悟に心中打たれていた。彼らももうタカシを置いて逃げる気にはなれなかった。しかし唯一、クロウだけはタカシに劣らず覚悟を決めて声を発した。
「そこの民草よ。我とともに災厄を滅しに参ろう。我ら熊野の眷属は導きの一族、信じてついて来るがいい」
 その声に、眷属やタカシたちは頭に降ってくる小石や砂を浴びつつ、大きな石や岩を避けながらクロウの顔を見た。
「災厄を滅するとは、いかがされるのですか?どこに行かれるのです?」とマサル。
黄泉(よみ)の宮に行く。我なら大神様の居場所が分かる。そちらに向かえばたどり着くことができるだろう。そして黄泉の宮には底の国に通じる道がある」
 底の国、それは()の国とともに黄泉にある。そこは眷属たちも実際に目にしたことはないし、その存在すら本当にあるのかどうかも知らない、ごく伝説的な場所。根の国は死者の魂が向かう世界だが、底の国には何もない。何も存在しないし、何も生じないし、そこにいたればすべてはただの無に帰する。
「しかし底の国はおろか、黄泉にいたればもう二度と戻っては来られないのではないですか?ここが崩れてしまえば、もう戻る道もないでしょう」頭上から落ちてくる岩石を避けながらマサルが言う。
民草(たみくさ)、いや、凪瀬(なぎせ)殿。我はあえてそなたに頼みたい。我とともに黄泉の宮に行ってくれ。我らは二度と帰れない。それでも災厄を滅するために、この郷を守るためにともに行ってくれ」クロウはタカシと正対して、これ以上はないほどの真剣な表情をして言う。相手に過酷なことを言っているのは分かっているが、それ以外に手はないという表情だった。
 その頃には水の排除から解放された玉兎(ぎょくと)が細かい空気の刃を発生させ、マガが無数の針を伸ばして、眷属たちの頭上から降ってくる岩石を砕いていた。地の揺れが更に大きくなり、それにつれて地響きも音量を増し、普通に会話することも困難になっていく。その中で、暴れ回る玉にあちこちに引きずり回されているタカシは再びリサに視線を向けた。
 泣きそうな顔をしてこちらを見ている。このコのために俺がするべきことは、この世界の崩壊を防ぐために俺がするべきことは、リサを救うために俺ができることは……
「ナミ、ルイス・バーネット、他のみんなも、リサのことを頼む。絶対に守ってくれ。何があっても守ってくれ。頼む」そう言うとタカシはクロウに向けて頷いた。
 玉に閉じ込められた災厄の力がますます強く感じられていく。掴んでいる光の手ごと自分の中の精気をごっそり抜き取られてしまいそうな気がする。このままいつまで耐えられるか分からない。そう感じはじめているとナミが口を開いた。
「イヤよ。私も一緒に行くわ」ごく冷たい感じで。
「何を言ってるんだ。君まで行く必要はない。そもそも君にそんな義理もないだろ?」
「そうはいかないの。改定した契約書の二に書かれてあるわ。私の判断で必要だと思ったらあなたを助けないといけないの」
 そんな内容だったかな?と思いつつ玉に引きずられて立っていることもおぼつかなくなっていたのでタカシは返答ができなかった。その間に、ナミはルイス・バーネットに視線を送り、(あご)で地上へ続く道を指し示した。
 ルイス・バーネットとナミは幼馴染である。付き合いは長い。だからルイス・バーネットにはナミの考えていることがおおよそ分かる。きっと黄泉に行っても地上に帰れる手段を思いついたのだろう。彼も送り霊特有の能力を使えばそれが可能だと気づいたので、地響きに負けないように声を張った。
「みんな、後のことは彼らに任せて地上へ戻ろう。大丈夫、彼らならきっとうまく事を終えて、無事に戻ってくる。彼らを信じて僕たちは地上へ戻ろう。さあ、これ以上ためらっていては全員が地の底に埋まるだけだ、すぐに行こう」
 サホもカツミも蝸牛(かぎゅう)も玉兎もマガもマサルも声を出せなかった。もう、彼らに任せるしかないことも、自分たちがここにいても生き埋めになるしかないことも分かっていた。しかし、はい、そうですか、とさっさと逃げる訳にもいかず、逡巡していた。するとその時、リサが声を上げた。胸の中がものすごくざわついていた。自分の意思に関係なく流れていく状況を看過できない気持ちが胸の中いっぱいに渦巻いて、込み上げて、あふれ出た。
「いや、タカシ、行かないで!」
 羞恥心も何もない。ただ、このまま行かせてはいけない、行かせたくないという思いしかない。今、離れたら二度と会えなくなるかもしれない。そんなこと、絶対にイヤ。泣き叫んで、すがりついてとどまってくれるのなら、体裁(ていさい)なんて考えない。そうしたい。
 その時、腹ばいになって引きずられていたタカシがふわりと宙に浮いた。ナミが飛びながら彼の腰に巻いたベルトを掴んで持ち上げていた。浮かびながらタカシはまたリサに視線を向けた。微笑みながら。
「大丈夫。絶対、絶対に戻ってくるから。君のもとに戻ってくるから」
 ナミがクロウに声を掛ける。
「さあ、行くわよ。先導して」
 分かった、と言うとクロウは黒い翼を羽ばたかせながら一方向に飛んで行った。ナミとタカシがその後を追う。
 彼らはすぐに姿を消した。後に残された者たちは見す見すひとを犠牲にした自分の無力さと悲愴感に苛まれていたが、もうどうしようもなく、ルイス・バーネットに促されるままに地上への道を急いだ。
 誰もが満身創痍だった。
 サホもカツミもマサルも全身傷だらけで立っているのもやっとだったし、玉兎や蝸牛は比較的傷は少なかったが、玉兎は力を使いすぎて身体の密度も薄くなって力が出せず、蝸牛は両手が焼けただれてその痛みに耐え続けていた。
 そんな彼らを追い立てるように地が揺れ、天井や壁が崩れていく。その場にとどまる猶予はもう一刻(いっこく)もない。彼らは重い身体を引きずるように来た道を(さかのぼ)っていった。そんな中、リサはそこにとどまろうとした。消えたタカシの後を追っていこうとした。それをルイス・バーネットが無理に引き止め、眷属たちの後を追って引っ張っていく。
「大丈夫だ。アザミも一緒に行ってる。彼らを信用しよう。必ず戻ってくるから」そう言いながら。
 彼らの背後で災厄の鎮まっていた空間が、崩落音を轟かせながら一気に崩れ去っていった。

 クロウはただ感覚で飛んでいた。彼も全身傷ついていたが羽だけは死守していたので飛ぶのには支障がなかった。ただ、背後に感じる威圧感が徐々に大きくなっている。きっと災厄の力がどんどんと玉から漏れ出ているのだろう。タカシの叫ぶような呻き声も次第に大きくなっている。ナミのピアスが発する光のお蔭で真っ暗闇という訳ではなかったが、長く曲がりくねった洞窟では明かりが足りない。全神経を集中しなければすぐに壁に身体を打ち付けそうになる。しかしもう時間がないことはひしひしと背後から伝わってくる。ためらっている暇はない。彼には日々仕えてきた神の気配が薄っすらと感じられる。それに向けて飛び続けていく。
 実際、どれだけ飛び続ければたどり着けるのか彼にも分からない。しかし少しずつ求める気配の濃度が増していく。確実に近づいていることを察する。大丈夫、このまま飛び続ければたどり着く。そう信じて最大限の力を羽に込めて飛び続けた。
 そして数えきれないほどに羽ばたきを繰り返し、覚えきれないほどに曲線を描きながらただひたすらに飛び続け、そして彼らはたどり着いた。
 暗闇の中、そこだけはぽっかりと白く光っていた。その黄泉の宮の入り口に突っ込んでいく。
 入り口を潜った瞬間、それまでの冷たくじめっと湿っていた薄ら寒い空間から暖かい光あふれる空間に切り替わった。
 クロウは最高速で飛んできたために勢いあまって床に身体を打ち付けそのままゴロゴロと転がった。タカシをぶら下げたナミがすぐ後から飛び込んで空中にとどまった。
 キャー、何?何なの?
 イヤー、何か来た。
 ええー、何か飛び込んできた。
 周囲にいた若い女性姿の醜女(しこめ)たちが口々に叫び声を上げる。その叫びを制するように威厳のある声が轟いた。
「何やねん、あんたら。何持ってきてんねん」
 その声にクロウの全身に一瞬にして緊張感が(みなぎ)った。これまでたどってきた気配が最大限に強く感じられる。はっと彼は顔を上げる。そこには白い衣をまとった美貌の女神の姿。彼はすぐさまその場に威儀を正して平伏した。
「我は大神様の第一眷属、クロウと申します。大神様におかれましては益々ご清祥の事とお慶び申し上げます」
「ほう、そなた、わての眷属なんかい。初めて会うが、きっと毎度、苦労掛けてるんやろ。いつもありがとな。それはそうとのんびり挨拶しとる場合ちゃうみたいやで」
 クロウは首を巡らして背後に視線を向けると、そこには白い手に包まれた災厄が宙を暴れ回る様子が見えた。それに引っ張られてタカシも上下左右に動き回る。ただ、包んだ白い手が開かないように集中することしかできない。ナミも必死に制御しようとしつつもタカシにつられて宙を引っ張られていく。
「あの民草が捕らえているのは災厄の魂です。それを滅するために底の国に放ちたいと存じます。どうかお許しを」
 黄泉大神(よみのおおかみ)はタカシたちの様子を眺めていた。
「確かに強い力やな。確かに災厄のようや。こんな所で解き放たれたらかなわんな。ええやろ、底の国にほかしておいで。あんたらこの者らを底の国の大口に連れてったり」
 ええー、と醜女たちは不満気に声を漏らした。
「ええ、やあらへん。あんたら最近、悠々自適すぎやで。たまには勤めを果たさな」
 醜女たちは口々にぶつぶつと不満を漏らしながら一方に向けて歩き出す。
「あんたら、頼んだで。わてが力を使って倒してもいいけど、わては力の制御がでけへん。この宮自体がえらいことになってまう。この醜女たちもみんな消し飛んでまう。そうならんでええようにあんたら気張ってや」
 クロウはそう声を掛けられて(ひたい)を床に打ち付けんばかりに平伏した。これまで何百年も仕えてきたが初めて会う神の声に万感の思いが胸に満ちる。しかしその余韻に(ひた)る間もない。彼はすぐにナミに声を掛け、醜女たちを追った。
 長い回廊を進む。柔らかな白い光に包まれた長い、長い道。その先に突如、岩壁をくりぬいたような洞窟の入り口が現れた。
 ナミは、暴れ回る災厄の動きに翻弄(ほんろう)されるがままのタカシを何とか引っ張ってここまで飛んできた。正直疲れ切っている。ここがあの世だからか自分の気力が漏れ出ているような気がする。それほど長居することはできなさそうな気がする。
 醜女たちは正面に注連縄(しめなわ)の張られた洞窟の入り口に到達すると立ち止まり、そして口々に唄いはじめた。四人の醜女たちが洞窟入り口正面に進み出て、唄にあわせて舞いはじめる。

 ここは世の果て底の底
 すべてを呑み込む闇の国
 すべてが無になる底の国
 行きは短く帰りは長い
 長い(きざはし) 帰り道
 追いつかれたら帰れない
 すべてが無になる帰り道
 すべてが無になる底の国

 ひとしきり唄い舞い終えると醜女たちは注連縄を外した。とたんに洞窟の中へと周囲の空気が吸い込まれていく。急に醜女たちは(おび)えた様子になり、まるで自分たちまで呑み込もうとしているかのように大きく口を開いている洞窟へ、さっさと入っていくようにタカシたちを促した。
 醜女たちが唄い舞っている間、待たされて、ちょっとイラついていたナミはさっさとタカシと災厄を引っ張って中へと入っていった。続いてクロウが中へ入っていこうとする、その間際で再び注連縄が張られた。
「何をしておる。我も中に入るのだが」クロウは宙で羽ばたきながら戸惑った。
「そなたはここで魂呼(たまよ)ばいせねばならぬ。誰かが呼んでやらねば中に入った者らは帰ってこれぬぞ」醜女の一人が不機嫌そうなまま、そう言う。「ちなみに我らは奴らを知らぬから魂呼ばいしても意味がない」他の一人が付け加えて言う。
 クロウは唖然として洞窟を見つめた。これで完全に民草と正体不明な霊体にこの郷の行く末を託さねばならなくなった。まさに断腸の思いだった。しかし他にどうしようもなかったので、ひたすら願うしかなかった。どうか、この郷を救ってくれ。どうか、無事に戻ってきてくれ……

 地の底に向けて長い下り階段が続いている。
 どんよりとした重い空気が風となり、音が鳴るほど低い方へ向かって吹いている。
 頭上も壁も岩石しかない洞窟を、ナミはタカシを連れて飛んでいく。
 
 そしてそれは現れた。
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