第十三章十一話 牡丹の目

文字数 6,211文字

 カツミは鎖鎌(くさりがま)を自由自在に使い、周囲の禍い者を次々に倒していく。ナツミも使い勝手の悪い鋼線を、何とか使いながら少しずつ兄のいる方へと近づいていく。普段は何かと口うるさく、行動も自分勝手で難が多いと思える兄だったが、やはりこういう時は頼りに思える。どんな状況でも兄と一緒ならどうにかなりそうな気がする。
 サホは地下で鹿姿に変化(へんげ)した時に剣を置いてきていたが、それに気づいた如月(きさらぎ)から剣を借り受け、跳ねながらこれも次々と禍い者を退治していった。ミヅキは自らも禍い者を退治しつつその後方に近寄り、普段通りに隊長の後方支援的な役割を担う。
 そんな眷属たちのもとにタカシは駆け寄っていった。後方にリサを残し、ルイス・バーネットにその護衛を頼み、低空で飛びながら次々に禍い者を手のひらサイズの球体に変化させていくナミを引き連れて。
「君たちは稲荷神社のタマっていう眷属が今どこにいるか知らないか?」
 どの眷属に訊いても、タマの存在は知っていたが彼が今どこにいるのかは誰も知らなかった。
「じゃ、八幡宮のヨリモってコは知っているか?」タカシは、ヨリモならタマの居所を知っているのではないかと思って訊いた。
「ヨリモって、あの豆鳩(まめばと)チビ助のことよね。それならあそこにいる」そう言いながらナツミが指さす先は郷の中心方向であった。タカシは目を細めて遠望する。何やら人が集まっている気はするが、そこがどのような状態で誰がいるのかなどは離れていてよく分からない。しかし感覚の鋭い眷属の言うこと、まず間違いないのだろう。
「ナミ、あそこに行こう。時間がない。急ぐよ」
 そのままタカシは駆け出した。また勝手に決めて突っ走る、と思いながらもナミはすぐに後ろをついていった。
 その姿を見るとリサは思わず、かたわらで周囲を警戒しているルイス・バーネットに向かって、
「私も行きます」と言うとそのまま歩き出した。
 このコも、自分と妹にとって現状が節目だと感じ取って、ただ傍観するべきではないと思ったのだろう。ルイス・バーネットもナミの近くにいて、手助けをしたかったので願ったり叶ったり。すぐに、乗って、と言うと毛並みの綺麗な栗毛の馬に変化した。リサは低く屈んだその馬の背に横向きに乗り、その首に腕を回した。鞍も手綱もなかったが、ここ数日、鹿の背に乗って移動することが多かったのでためらいはない。馬は上体を起こすとタカシたちの後を追った。
 自分たちを置いて走り去る馬の背に、()(しろ)の娘が乗っていることに気づくとナツミは兄に声を掛けてその後を追った。自分たちは依り代の娘を守らなければならない。
 そんな一行を見送っているサホとミヅキに如月が近寄って声を掛けた。
「あんたらも行ってきい。郷の中心に郷中の社の者たちが集まっているみたいやからなあ」
 声を掛けられてサホとミヅキは如月に目を向けた。白いマントを頭から目深(まぶか)に被っており、その顔は見えない。サホも、弥生(やよい)とロクメイを助けるためになるべく多くの手勢を率いて災厄のもとへと戻らねばならないから、みんなが集まっている郷中心部に行くべきだと思っていた。
「如月殿はどうされる?」とサホが訊く。
「わっちはもう力を使い果たしてしもうたからなあ。人前に出られるような姿でないのやあ。ここの禍い者はわっちが相手する。あんたらは早う行きい」普段より(かす)れた力のない声で如月が答える。
「分かりました。では」と応じてサホが駆け出そうとした。すると再度、如月が声を掛ける。
「サホ。よう帰ってきたなあ」マントの下で表情は分からないが少し柔らかい声に聞こえた。
 サホは軽く頭を下げるとそのまま郷の中心に向かって跳ねていった。ミヅキは後をついて行きながら如月の身を案じた。きっと先ほど巨大水龍にお見舞いした電流は如月殿の渾身の力によるもの。ほぼほぼ力を使い果たしたのではないだろうか。しかしそんな思いはすぐに振り払った。如月殿のことだ。どんな状況に陥ってもどうにかされるだろう。それだけ強く、信頼できる自分たちの頭領なのだから。
 如月は少しの間、佇んでサホたちを見送った後、頭から被っていたマントを取った。(しわ)だらけの顔、艶やかだった長い黒髪は色が抜け、白く乱れていた。手を顔の前に上げて見る。潤いがなく皺だらけ。こんなに老いたのはあの時以来だろうか、と思いつつ昔のことを思い出した。

 それはまだ彼女が神鹿隊(しんろくたい)々長だった時のこと。
 その頃、自分は特別だと思っていた。
 誰より強く、誰よりも部下からの信頼厚い特別な存在。
 相手が誰だろうと負けることはないと思っていた。
 実際、いつでも華麗に(まが)の者を討ち祓っていた。
 だから郷の外からも数多(あまた)の依頼を受けて禍い者や時には禍津神(まがつかみ)の討伐に向かった。
 そしていつも仲間の誰一人欠けることなく帰還した。
 自分がいれば神鹿隊は最強だと思っていた。誰もがそう思っていた。
 あの日までは。
 ある日、東野村(とうのむら)の東側、山二つ越えた先にある越谷村に出現した禍津神討伐の依頼を受けた。情報を集めるとその禍津神はさほど大きくはないようで、それほど力も強くないと思われた。だから隊員の三分の一を連れて現地に向かうことにした。その頃にはサホや弥生も頭角を現していたが、そんな主力の者たちは残して普段あまり戦場に出ることがない控えの者たちを、経験を積ませるために主に編成して現地に向かった。まあ、他の者たちが主力だろうがそうでなかろうが、自分がいれば大勢に影響ない、と思っていたから。
 当時の副隊長だった牡丹(ぼたん)が、それに反対したが特に気にしなかった。牡丹は実務的には常に万全の態勢を整えてくれるとても有能な副官だった。しかし反面、とても臆病で心配性だった。だからどんな時も躊躇(ちゅうちょ)することのない如月の提案にいったんは反対意見を言う。ただいつもその意見を一笑に付して如月は自分の意見を通した。それで何の問題もなかったし、何の差し障りもなかったから。誰もが、牡丹が述べる反対意見を恒例のことと気にさえしなかった。それだけ如月は強く信頼されていた。
 その時も隊長に何かあった場合、控え組だけでは持ちこたえられず、退却さえままならないかもしれない。経験を積ませるものいいが、半数は手練(てだ)れの者を連れていくべきだ、と牡丹は提案した。しかしその意見も、隊長に何かあるはずがない。きっと隊長が一人でどうにかしてくれる。牡丹以外の者は当然のようにそう思い、その意見を軽く扱った。だから牡丹としても何か悪い予感を抱いていても、それは自分が臆病なせいだと思うしかなかった。
 そして現地に到着し、禍津神を探した。探すうち、その禍津神が今までにない速さで越谷村に被害をもたらしていることが分かった。村中の家畜や民草にも被害が出ている。彼女たちはそんな相手を丸一日費やして(ようや)く見つけ出した。それは思っていたよりも小さかった。自分たちと大差ない程度の大きさ。これならさほど苦労せず倒せる、と彼女たちが思っていると禍津神はさっと逃げていった。それは驚くべき速さで。
 如月はとっさに追った。相手はどうやら逃げ足が著しく速い。一度見失うとまた見つけるまでに時間が掛かるだろう。こんな相手にそんなに時間を掛けたくない。
 如月は部下たちに指令も出さずに跳ねながら追っていった。他の者たちには牡丹がちゃんと指令を出してまとめていてくれるだろう。そう信じていた。そして一刻(いっこく)を掛けて追った結果、見失った。その後も少し粘って探したが、もう夕刻が近い。夜間でも動けないことはないが、捜索は困難だろう。そう思って諦めて来た道を戻っていった。
 仲間たちのもとへ戻った時、如月は完全に禍津神にしてやられたことを察した。
 そこには傷ついた仲間たちの姿。腕や足を欠損した者、腹に大きな穴を空けた者、倒れて動かない者が周囲に散らばっていた。
 そして眼前に禍津神、隊服の少しの違いで分かる牡丹の身体を呑み込んでいた。
 上半身が完全に口の中だった。片足はない。残った片足だけが口の外に出ていた。そして自分の身体と大差ない相手を呑み込んだせいか禍津神の身体は引き延ばされ、そのため身体の内
側が薄っすらと透けて見えた。
 如月の視線が、呆然とこちらを見ている牡丹の目と重なった。この禍津神は移動速度だけではなく取り込む速度も著しく速いのか、牡丹の身体は目以外原型を留めない様子だった。そして全身が呑み込まれ、その目も消えた。
「全員、負傷者を連れて退()がれ。急げ!」
 負傷者たちの後方に固まって震えて縮こまっている経験の浅い眷属たちに如月は指令を発した。その時にはすべてを察していた。きっとこの禍津神は最後の仕上げとして眷属を取り込むことを望んでいたのだろう。だから攻撃力の高い自分を仲間から引き離した。そうしておいて、仲間たちを襲った。
 禍津神はもう逃げなかった。身体も先ほどより一回り大きくなっている。そして何よりも有用な取り込む対象である眷属を取り込んで気力体力ともに充実した様をその威圧感で示していた。
 そして突如、襲い掛かってきた。一瞬にして如月の目の前に達し、その鋭い爪と牙で彼女を捕らえ、喰い、滅しようとした。その間際、如月の身体が雷光を発した。かつてないほどの電流を放った。感情のすべてを叩きつけるように、眼前の怨敵に対して。

 禍津神を倒した如月は残った隊員に担がれるようにして、社に戻った。結果的に任務は遂行したが達成感など微塵もなかった。それよりも常に側に寄り添ってくれていた副官を失った。それも自分の浅慮(せんりょ)と油断のために。全身が倦怠感(けんたいかん)の固まりのように感じられた。体力も使い果たした。もう何もする気になれない。
 体力が回復するまで如月はサホを代理として隊長に、副隊長に弥生を指名した。自分と牡丹と同じような組み合わせだったし、二人とも能力は高い。それほど難しい任務でなければ瑕疵(かし)なくこなせるだろう、と思っていた。
 予想通り、サホたちは任務をこなしていった。そして予想外に隊の編成を変更していった。
 先ず明確に隊を、サホたちの近接攻撃部隊と後方支援部隊とに分け、新たに後方支援部隊の長としての副隊長に睦月(むつき)を任命した。そしてそれまでも地位は下に見られていたが、戦闘には加わっていた男眷属たちを移動手段として特化させた。
 これらはもちろん如月の許可を受けて改編したものだった。サホの言い分としては自分は如月ほどの戦闘能力はない。一人に頼れない分、全員で戦う必要がある。そのために編成を改めたいということだった。無気力に(さいな)まれていた時期でもあり、如月はそのまましばらく様子を見るつもりで許可を出した。
 やがて自分のいない隊は以前より更に効率よく、手際よく任務をこなすようになっていった。
 そして、如月が充分に体力も見た目も回復した頃、突然、彼女はサホを代理ではなく正式な隊長に任命した。
 もちろん周囲は反対したが、彼女は笑いながらも決して聞き入れなかった。如月の脳裏には牡丹の最期の目の残像がはっきりと存在していた。信頼を裏切った自分、大切なものを守れなかった自分、取り返しのつかない過ちを犯した自分、そんな自分の姿をその目はいつまでもいつまでも見つめ続けている。

 サホとミヅキの背中が見る見る小さくなっていく。その二つの背中を見ながらミヅキに牡丹の面影を重ねていた。ミヅキもとても臆病だ。だからこそ隊になくてはならない。そしてサホには過去の自分を重ねた。サホは今回のことで怖れを知ったことだろう。どうかそれを乗り越えておくれ。自分のようにはならないでおくれ。どうか二人とも生きて帰ってきておくれ。心の中で、ごく静かに、そう願う。

 ――――――――――

 あらかた禍い者を討伐し終えると秘鍵(ひけん)は、八幡宮の軍勢と対峙しているヨリモのかたわらに並び立った。それを見て、残存する禍い者の討伐を他の者たちに任せてマサルとクロウも同じく並び立った。そして御神輿(おみこし)に向かい低く頭を下げた。ヨリモは自分の強さは自覚していたが、それでもたった一人で群れに立ち向かう不安はずっとあった。それが今、一気に解消されたために緊張し通しだった身体からほんの少し力が抜けた。
「八幡大神様。(かしこ)みて申し上げます。我が大神様は災厄の復活には反対されておられます。郷のみなの力を合わせて災厄を討伐したいと存じます。どうかお許しくださいますようお願い申し上げます」秘鍵が意を決して発言した。すると、
「我が大神様も同じ意見です。どうかみなで力を合わせましょう」とクロウが言上する。
 その言葉に、そもそも今回のことは熊野神社の眷属たちが我らを焚きつけた結果だろう。それを今更、真逆のことを言われても、と八幡宮の眷属たちはみな思い、その不満を代弁するようにクレハが言い放つ。
「クロウ殿、エボシ殿は何処に?我らはそなたらの卜占(うらない)を信じ、ここまで来た。今更そのようなことを言われても困る」
「それは関しては大変なご迷惑をお掛けした。衷心よりお詫び申し上げる。それ、すべてエボシの一存により行われ、我が大神様も感知していなかったこと。その策動が明らかとなったので、エボシは第一眷属を解任され、捕らえた後、幽閉しております。皆様のお怒りはごもっとも。しかし現在は緊急を要する事態。事の処理が済みました後、我自身、責任を取るつもりであります。どうかこの場はご容赦のほどを」
 そんな都合のいいことを言われても、と八幡宮の者たちは思った。しかし状況も状況だったし、頭を下げている他社の眷属をこれ以上責める訳にもいかない、と二の足を踏んでいると、
「災厄に依り代の娘を与えたところで、大御神意(おおみごころ)のままにこの郷に害をなさず離れるとは思えません。結局は力を合わせ対峙することになるかと存じます。それなら依り代の娘を与える前に、動けない現状で討伐する方が理に適っておるかと存じます」と秘鍵があらん限りの声を発した。
 それを聞いて八幡宮の眷属たちは更に孤立を感じた。行動の指針としたエボシの提案も否定され、自分たちの行動も否定された。やはりここはみなの力を合わせて災厄に対峙するべきなのだろうか。しかしそれでは大神様の大御神意に背くことになる、と更に二の足を踏んでいると、その様子を見て好機とヨリモが割って入った。
「そうです。大神様、みんなで力を合わせて災厄を討伐しましょう。そしてその前に(ぎょく)を私にお与えください。どうかお願いします」
 ヨリモは何とかタマを取り戻そうと必死だった。神前だったが上手に整然とした話し方などする余裕がなかった。そのなりふり構わなさにクレハはイラついた。
「それはダメだと言っただろう。そなたなぞに下賜(かし)できるものではない」
 感情的な声。その声を聞くと今まではいつも委縮していた。でも今は怖くもないし、自分が話すことにもためらいはない。
「もし災厄の討伐に玉が必要なら、私が代わりの玉を見つけてきます。だからどうか……」
「バカか、そなたは。あの玉の代わりなど、どこにも存在せぬ」
「それはどういうこと……」
 そこまで聴いて、二人とも感情的になっている。このままでは話が長くなりそうだと思い、秘鍵が静かにヨリモに声を掛けた。
「あの玉は、災厄を生み出した玉だ。災厄はあの玉の中で生じ、あの玉から出ることによって災厄となったのだ」
 ヨリモはあからさまに困惑した。何それ?そんな話、初めて聞いた。
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