第十一章十話 如月の覚悟

文字数 4,722文字

 目を覚ました途端に激しく咳き込んだ。
 完全なる闇の中、自分が煙に包まれていると感じる。煙?火事?しかし、焦げ臭さはない。それどころか(かぐわ)しくさえ感じられるにおい。ただ、その密度が濃すぎて、百歩譲っても心地よくはない。とにかくここから出ないといけない。これ以上、煙に巻かれたら息ができなくなってしまう。と思うが、ここがどこで、どうすれば外に出られるのか分からない。かろうじて手探りで周囲を探ってみると自分が岩のベットの上に敷かれた布団に寝かされていると察せられた。誰かにここまで連れてこられたのだろう。いったい誰が、なぜ?
 そんなことを考えていると部屋の一画からガタガタと音がして光が室内に射し込んできた。明かりが目に(まぶ)しく映る。薄目にその方向を見ていると通路との境に差し入れた扉を外してクロウと口婆が部屋の中に入ってきた。
民草(たみくさ)よ。目覚めたか」
 山伏?羽?この人も眷属なのだろうか。煙越しに見えるクロウの姿にそう思っていると口婆がクロウに向かって指示を出した。
「奥に空気穴がある。塞いでいる石を外しておくれ」
 クロウが言われたままに奥に向かい、穴に刺さっている円柱形の石を外すと、通路の方からすうっと空気が通り煙がたなびきながら外に排出されていった。
「あなたたちは誰ですか?ここはどこです?」タカシが軽く咳き込みながら訊いた。
「そなた、よく戻ってきたな。神の勘気(かんき)に触れた民草は戻ってこれぬ者も多いからな」
 神の勘気?自分がいったいどうなってここにいるのかタカシにはとっさに分からない。だから必死に記憶をたどってみた。
「そなたは、春日神(かすがしん)の勘気に触れて気を封じられたのだ」とクロウ。
 そうだ。確か、春日神社の社殿で、神様と話していた。春日神社の眷属や山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)の眷属、そしてリサもいた……。一気に思い出した。リサ、そうだ、リサはどうなったのだろう。
「そなたとともにおった民草の娘は今、神々の()(しろ)となり、災厄の依り代となっておる妹と戦っておる。心配せずとも災厄の依り代は、依り代としては完全ではない。それほど力が強い訳でもない。神々の力を得た、そなたとともにおった娘が負けることはあるまい」そう現状を説明してくれる口婆の言葉は更に彼を戸惑わせた。
 リサとマコちゃんが争っている?いったいぜんたい、どういう状況なのだろう?なぜそんなことに。リサは負けないって、相手がマコちゃんならリサは争うことそのものをためらうはず。彼女は自分が傷つくよりひとが傷つくことを恐れる、まして相手が実の妹だとしたら……
「リサは今、どこに」そう言いながら岩のベットから降りようとした。しかしうまく身体が動いてくれなかった。タカシはそのまま派手に床に落ち伏した。
「そなたは神に気を封じられたのだ。回復したといってもまだ流れが完全に円滑ではない。動くなら慎重に動け」聞こえた音から耳婆が察した状況をもとに口婆が言った。その声にあわせるように洞窟入り口に人が入ってくる音が聞こえた。
 洞窟入り口は前面に何重にも草木が生い茂り、つる草におおわれ、一見するとそこに洞窟があるようにはまったく見えない。これじゃ、見つからなかったのも無理はないな、とルイス・バーネットは独り()ちつつナミとともに、マサルの後に続いて屋内に入っていった。
 思ったより広い空間にポツンと一人老婆が椅子に座っていた。その老婆は目を閉じたままゆっくりと奥の部屋を指さした。
「もう、目覚めましたか」と言うマサルの声に耳婆は静かに頷いた。
 三人が奥の部屋に向かうと床に座っているタカシと山伏の格好をした眷属ともう一人の老婆がいた。
「あなた、こんなところで何をしているの?」タカシを見るなりナミが声を上げた。
「あ、ナミ。それにルイス・バーネットも」タカシは渡りに船を得た気分だった。ちょうどいい。困惑しかなかった前途に一筋の光明が射した気がした。「すぐにリサのところに行こう。リサがマコちゃんと戦っている」
 ナミはマコの名前が出て、情動が突き動かされる気がした。
「山崎リサがマコと戦っているって?いったいどういうこと?」
 心がざわついている。ナミは自分の感情に素直な方だ。いつもなら、それを自覚しつつも自分でうまく処理したり抑えつけたりできる。しかし、この地では感情が増幅される。彼女でもうまく処理できない量になってしまう。
 そんなナミのかたわらでルイス・バーネットは更に気を引き締めていた。彼としても普段と比べて格段の量の感情の湧出を感じていた。しかし感情のコントロールに関して彼はナミの数段上手(うわて)だった。余程のことがない限り支障はない。それにこれはアザミの身の危険に繋がるかもしれない事象、自分の感情なんかに構っている暇はない。

 ――――――――――

 リサの身体が両手のひらを地面に向けると、再び地が揺れ、グワリと開いていた大地の裂け目がゆっくりと周囲に震動を伝えながら閉じていった。
 大地の裂け目が閉じ切ると、リサはその少し隆起した繫ぎ目を越えて歩いていく。そんな身体の中で、リサの意識は八幡神(はちまんしん)の言葉を聴いていた。
 ――我らが各々自分の社に帰れば、妹に憑いている災厄の分御霊(わけみたま)がそなたの身に遷る。さすれば自然と災厄のもとまでそなたを導くだろう。
 途端にわさわさと多重に声が聞こえてくる。他の神々が異論反論、言い募っているよう。その中にどんと威圧的な八幡神の声。
 ――もう、(はか)り合う時宜は過ぎた。これよりはただこの郷を守るため、なすべきことをなさねばならぬ。我はもう決めた。恵那郷(えなごう)の総社の神である我が決めた。これ以上の意見は必要ない。
 更にわさわさと多重な声で脳裏が埋まる。そのうち、ふと気が一部消えた。何?今、何が起きているの?リサは思わず声を上げ、それに対し恵那彦命(えなひこのみこと)が苦し気に答えた。
 ――神々がそれぞれ自らの意見を言い張っている。日頃からの不満が一気に噴出したように。誰もひとの話を聴かず、自分のことばかり声高に言い募っている。あきれた三輪明神が去った。自らの社に戻られた。これで結界を張ることができなくなった。
「大丈夫なんですか?恵那彦命様、私は八幡様の言う通りにしても大丈夫なんですか?それでみんな助かるんですか?」
 リサのとっさの言葉に八幡神が応じる。
 ――娘、心配せずともよい。我の言う通りにしておれば、この郷は助かる。また、そなたの妹も災厄の分御霊から解放される。我を信用せよ。
 恵那彦命は落ち着かない気分に包まれていた。どうも悪い予感しかしない。このまま総社の神の言葉に従ったままでいいのだろうか?依り代の民を得た災厄が、自分を千年もの永きに渡って幽閉してきた我々の希望通り、この郷に災い成さずにいる保証などどこにもない。
 ――八幡様、しばしお待ちください。もう少し様子を見てから判断しても遅くはないと存じます。それにもっとみなと議り合い、納得し合った上でないと和が保てません。
 恵那彦命は普段の神議(かむはか)りでもめったに発言することはない。ただ静かに聞いているだけのことがほとんどだった。だからこのように自分の意見を言うことは珍しく、意を決しての発言だったが、八幡神の野太い声がそれを一蹴した。
 ――何をのんきなことを言うておる。もう(くさび)はなくなった。先ほどの雨を見たであろう。このまま災厄を放っておいたら、たとえ身体がないとしてもこの郷に災いをもたらし続けること疑いもない。今、この郷のために決断せねばならぬのだ。
 その言葉が終わらぬうちに、再度いくつかの気が消えた。山王日枝神社と熊野神社の神々の分御霊が去っていった。
 もはや、この流れに従うしか道はないのか?どうにかして、我が開き、マガや玉兎(ぎょくと)とともに暮らしてきたこの恵那の地を救う方法はないのだろうか?

 そんな神々やリサの思念を乗せた、リサの身体が横を通り過ぎていく。ミヅキはそちらに視線も向けずにただ呆然と座り込んだままだった。何も考えられない。思考しようとする気さえ起こらない。もう、仲間はみんないなくなった。自分だけが残された。たった一人だけ……
「ミヅキ、何を呆けておるんやあ。さっさと立たぬか。そなたは御神体(ごしんたい)を守るべく大神様に選ばれたんやあ。さっさと起きて御神体を大杉の斎場(さいじょう)の蔵に遷し奉らんか」
 すぐかたわらから声が聞こえた。急に我に返ってミヅキは声のした方を見上げた。
 そこには長い黒髪を結いあげ、白装束に(よろい)を重ねた神鹿隊(しんろくたい)の軍装に、真っ白いマントを羽織った如月(きさらぎ)の姿。普段の穏やかさの欠片もないような緊迫した雰囲気を身にまとっている。話す口調も威圧感を帯びている。ミヅキは見たこともない第一眷属の様子に驚きつつ、自分が抱きしめている大鏡に意識を向けた。
「早うせぬか。いつまで、そなたのむさ苦しい懐に御神体を抱いておるつもりだ。さっさと遷し奉れ」
 その言葉に圧倒されつつも、ミヅキの心中には何か釈然としない思いが確かに鎮座していた。睦月がいなくなり、サホや弥生や他の仲間が消える中、自分だけが助かった。限りない喪失感と罪悪感。如月殿は今までどこにいたの?今更やってきて仲間の喪失を嘆くでもなく、何を言っているの?そう思いつつ無意識に如月を睨みつけていた。
「如月殿は今までどこにいたのですか?仲間たちが必死にこの郷を、この村を、みんなを守るために戦っていた時に、何をしていたのですか?」
 ミヅキにももちろん如月が、リサに神々の分御霊を降ろすための儀式をしていたことは分かっている。それがいかに重要なことであるかも。しかし、それでも自分たちがただの時間稼ぎに使われたように思えてしょうがなかった。そもそも、湖に禍津神(まがつかみ)が現れてから、自分たちは戦い通しだった。まともな援軍もなく、強敵と戦い続けてきた。なぜ私たちだけがこんな目に遭わなければならないのだろう。他の社の分まで私たちは戦った。でも、それだけの(ねぎら)いも称賛もない。せめて第一眷属である如月だけは、そんな仲間を労い、その喪失を嘆くべきなのではないか。自らは戦っていないのだから、せめてそのくらいは……
 頭上から冷たい如月の視線が降っていた。そして冷ややかな言葉も。叱りつけるでもなく、釈明する訳でもない、ただ淡々と綴られる言葉。
「我は仲間たちとともに消える訳にはいかんのやあ。我はこの郷、最後の一手。我が守護せねばならんのや、この身を賭してもなあ」
 八幡神が心変わりし、依り代の民を災厄に献上することになった。まだリサの内に残る春日神(かすがしん)の分御霊からそう伝わってくる。先頃、クロウが卜占(うらない)の結果を伝えに来てから、如月も春日神もそうなることを予想していた。そのため、春日神は如月にそうなった場合の対処を命じていた。それは、依り代の民であるリサを斬殺すること。憑依している神々が去り、リサが災厄の分御霊を宿そうとする際に実行する。依り代に何かが憑依する場合、ほんの少しの間、その身体に順応するために間が空き、隙ができる。そのほんのわずかな間に攻撃する。依り代の民がいなくなれば災厄はこの地を離れることができない。そのために、この郷に災いが降り掛かり、もしかしたら消滅してしまうかもしれないが、我々の犠牲の上で、この国が守られるのなら、それも仕方がない。春日神と如月はそう結論づけていた。そして事態は彼女たちの予想通りに展開している。
「ミヅキ、そなたは生き残れ。先ずは御神体を遷し奉れえ。そして我が社の復興に尽力せよ。どれほど時間が掛かっても、どのような困難に見舞われたとしても、必ず成し遂げるのだえ。後は任せたえ」
 真剣な表情のまま、如月は言い終わると両手に剣を抜き放ち、ゆっくりとリサの後を歩きはじめた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み