第一章四話 旅がはじまる

文字数 4,394文字

 誰も声を上げず、身動(みじろ)ぎもしない時が過ぎた。すると、ふと御神輿(おみこし)の横の空気が揺れた。その方に視線を向けると、ゆっくりと一人の眷属が移動していた。その眷属は宝珠(ほうじゅ)と同じく紫色の(はかま)と黒い冠装束(かんむりしょうぞく)を身に着けていた。
 その眷属は階下まで移動すると頭を下げ、そのままの姿勢で穏やかに声を発した。
「大神様の御前に謹みて申し上げます。現状を(かんが)みますに、郷周辺地域の消失、臥龍川(がりゅうがわ)氾濫(はんらん)数多(あまた)(まが)い者が()れ出でるなど、今までにない事柄がここ数日で起きております。そしてその原因は恐らく神議(かむはか)りでもはっきりとしなかったものと存じます。この民草(たみくさ)の言の葉が信用に足るものかはひとまず置いて、その話とその望みだけでも聞いてみるのもよろしいかと存じます」
秘鍵(ひけん)、要らぬことを申すな。不敬な者の(げん)など聞くに耐えぬ」
 階上から宝珠の威圧する声が響いた。しかし秘鍵と呼ばれた眷属は臆する様子もなく、静かに頭を上げた。
「この者は不敬なのではありません。ただ、礼儀を知らぬだけ。もしくは礼に気を配る余裕もないほどの心配事に心が()いているのか。何にせよ、聞くだけ聞いて、世迷言(よまいごと)でしかなければ追い出せばいいだけの話ではないでしょうか」
 宝珠とは着ているものは似ていても、声音は正反対に柔らかい。
 ――秘鍵、そちに任せる。
 その御簾(みす)の奥から聞える声に、タカシは違和感を感じた。眼前にある御簾の裏側に、遥か奥まで広がる空間があり、その先の遠い場所から聞こえてくるような声だった。人とは違う声、喉で作った言葉を耳へと送るのとは違う、一つ一つの言葉が自ら意志を持ち、動き出して、相手の言語を理解する脳内の部位へと直接達するような、そんな聞こえ方。聞いている相手は、その言葉をそのまま受け取らざるを得ない。自分の解釈を加えることも、曲解することもできない。そんな力を持った言葉たち。
「仰せのままに」
 秘鍵が深々と頭を下げながら言い、再び上げたかと思うと、くるりと向きを変えてタカシの目の前まで音も立てずに歩いてきた。その体躯は細身かつ色白で髪は長く、目元は涼し気に薄く開かれていた。
凪瀬(なぎせ)タカシ殿。そなたの話をどうかお聞かせください。先ほどそなたが指摘された通り、今、この郷に異変が起きております。その原因が何なのか、どう対処すればよいのか、我々にはまだ分かっておりません。外から来たと言うそなたの言に何か手掛かりになるようなものでもあるかもしれません。どうか忌憚(きたん)なく、そなたのこの郷に来た理由と、そなたの望みをお聞かせください」
 秘鍵はタカシの正面にたおやかな所作で正座した。
「私がこの世界に来た理由は大切な人を救うため。そして望みはその大切な人と会い、この世界の崩壊を防ぐことです。私は自分の大切な人を捜しています。この世界のどこかにいるはずなんです。その人は山崎リサといいます。二十代半ばの髪の長い女性です。心当たりはありませんか?」
 秘鍵はゆっくり振り返り御簾と宝珠に視線を向けた。何の反応もなかった。少しの間を置いて再びタカシに視線を戻した。
「我らはこの村に住まうすべての民草を知っています。ですが長らく、山崎という(うじ)の者はこの村には住んでおりません。だからその者の居場所は我々でも分かりかねます」
「そうですか……」
「して、そなたはこの世界の崩壊を防ぐと言われた。どのように防ぐおつもりでしょう」
「分かりません。分かりませんが、リサに会うことができれば、どうすれば崩壊を防ぐことができるのか、分かると思います」
「それは何故(なにゆえ)に」
 タカシは、必死に言葉を探した。しかし、的確に要点を示せる言葉が思い当たらず、言葉で説明する困難さを感じて、いっそのことという思いで、リサの魂に入り込んでからこの自我に来るまでの、ナミとの出会いや地下都市でリサを捜し、出会い、崩壊を防ぐまでの出来事をなるべく詳細に語った。その間、みな耳をそばだてて聴いているようで、社殿内にはしわぶき一つ聞こえない静けさが漂っていた。不思議と(せみ)の鳴き声さえ聞こえない。
 タカシが語り終えても、誰も口を開かなかった。その静寂に、あまりに荒唐無稽(こうとうむけい)な話に聞こえただろうか、ただの作り話だと思われただろうか、と少し不安に思った。
 ――宝珠、秘鍵。
 再び屋内に、御簾の奥からの声が流れた。瞬間的に、宝珠と秘鍵が御簾の前に移動して平伏した。しばらくの間、御簾の前後での会話がつづいた。どの声もボソボソとした音量だったので、タカシにはその内容は聞こえなかった。彼の横でタマは手のひらを床に着け、腕を伸ばした状態で頭を下げていた。その体勢のままずっと動かずにいた。タカシも同じような姿勢で頭を下げていたが、同じ姿勢を保つことがつらくなったので、少し頭を上げた。
「今、大神様たちは、そなたのことを話し合われている。今しばらく我慢しろ」微かに横からそういう声が聞こえた。タカシは再び頭を下げた。
「ご低頭、お直りください」
 声がして顔を上げると、いつの間に移動したのか自分の目の前に宝珠と秘鍵が並び立っていた。
「先ほどのそなたの話は、なかなか面白くはありましたが、そのまま受け入れられる話ではありません。先ほど申し上げた通り、その山崎リサという者を我々は存じません。この世界に変化をもたらすほどの力の持ち主なら我々が知らないはずがないのですが。ただ、そなたが言う、この世界の崩壊については、最近、起きた異変の数々がその兆候と言えるのかもしれません」
 秘鍵の穏やかだが、一念の込められた声が全身を包んでいく。更に宝珠が引き継いで周囲を圧する声を発した。
「そなたはこの郷に来たばかりだと申しておった。だから少しこの恵那郷のことを説明しておこう。この郷は、千年の昔、ただ一つの目的のために生まれ、今の時世まで存続してきた郷である。その目的とは“災厄”を鎮め封じつづけること。その“災厄”は郷の中心、地の奥深くに鎮まり、頭と尾に(くさび)を打って封じられた。そして未来永劫鎮めるために、その周囲に八村が配され、鎮守神が祀られた。我が大神様をはじめ鎮守の神々たちは災厄を鎮めることで、この郷を、ひいてはこの国を守護しておるのだ」
 災厄?いったい何が鎮まっているのだろうか?話からけっしてよい存在ではないのは分かるが、情報が少ないために具体的な像を思い浮かべることができない。宝珠はそんなタカシの様子には頓着(とんちゃく)せずに続けて語った。
「最近、この郷の大地が荒れておる。地震や洪水が生じ、禍い者が大量に這い出てきおる。民草は次第に気を弱め、負の気が大気に混ざり作物を弱らせていく。まだ、その兆候は弱く、我々で対応できておる。しかし、先だっての地割れで“頭の楔”が消失した。もしかしたら、もう“災厄”は目を覚ましておるかもしれぬ。しかし、まだ“尾の楔”が残っておるために恐らくは力を発揮することができておらん。現状で変化がなければ大神様の大神徳(おおみのり)で鎮めつづけることができる。しかし、これ以上の災害や変化が生じてしまえば大神様たちのお力をもってしても動きはじめた災厄を鎮めることができないかもしれん。いつ(いまし)めを解き、結界を破るかもしれぬ。災厄が解き放たれれば、少なくともこの郷は消滅してしまう。そなたが言う崩壊を免れぬことになる」
「だから我々はそなたの行いに興味を持ちました。そなたはただの民草。しかし我々のことを視認したり、外界からやってきたり、霊的な存在とも交流できるという異能も持ち合わせているようです。完全にそなたを信用した訳ではありませんが、少なくとも今、そなたの行いを(さえぎ)ることはありません。また、そなたの願いは我らの勤めと相容(あいい)れることのようですし、本当にそなたの行いが我らの信に耐えうるようなら、その時は全面的に協力させていただきましょう」
 回りくどい言い方だな、とタカシは思いながらも大人しく聴いていた。秘鍵がつづけた。
「そなたは先ず、この恵那郷の総社である八幡宮に向かわれるのがよろしいでしょう。そこで八幡神のお許しを得ればこの郷内での移動が楽になるし、他の神々たちの協力も得られやすくなりますから」
 これから先ず自分が目指すべき場所が示された。ただその鎮座地が分からない。
「分かりました。それで、その八幡宮にはどう行けばよろしいのでしょうか」
 地図も通信機器もない現状、人に訊くしか行き方が分からない。
「心配するな。そこのタマが案内する。タマ、おぬしその民草に付き添い八幡宮に向かえ。道中、その行いを助けてやれ」
 宝珠のその言葉に、タマは床に額を打ち当ててしまわんばかりに平伏しつつ、はっ、と答えた。タカシもつられて平伏しながら言った。「ありがとうございます」
「これはすべて大神様のお計らいですよ。そのタマはまだ幼く小さいですが、力は強く、必ずお役に立つかと思います。どうか(よろ)しゅうお取り計らいください。タマ、頼みましたよ」
 微笑みながら秘鍵が言う。タマがまた、はっ、と返答した。タカシも「ありがとうございます」と答えた。
「では、道中のご無事をお祈りいたします」と秘鍵。
「さっさと出立せい。ぐずぐずするな」と宝珠。
 タカシとタマは御簾に向かって一度深く頭を下げた後、入ってきた扉から退出した。

 まだ、じんじんと(しび)れたままの足を引きずりながら外に出てみると、陽光があふれていて目がくらんだ。目を細めながら社殿正面に回っていく。一仕事終えて気分が軽くなったせいか、来た時よりも境内が広く明るく感じられる。水流を模した箒目(ほうきめ)やきれいに剪定された樹々が絶妙に調和をなして整然とした印象を受ける。ああ、いい境内だな、タカシは自然にそう思った。
 そんな彼が、ふと後方から近づいてくる気配を感じて無意識に振り返ると、そこに先ほど社殿内にいた一人の少女眷属の姿、むすっとした表情をして歩み寄ってきていた。
「何してる。早く行くぞ」とタマは言いながらさっさと石畳の上を先導していく。
「あ、いや。あのコ、何か用があるんじゃないか?」と言いつつタカシが追いついていくとタマが囁くような小声で答えた。
「あの方は清瀧(きよたき)殿だ。我の次に若い眷属なのだが、自信過剰で口うるさい。今回も自分より若い我が勤めをあてがわれてきっと不満に思っている。捕まるとめんどうだ。さっさと行くぞ」
 言いながらも足早に進んでいく。眷属の世界もいろいろあるんだな、と思いつつ、タカシは仕方なくついていく。その間に再度振り返るとその少女眷属はすでに立ち止まっていたが、更に不満気な顔をしてじっとこちらに視線を送っていた。
 しばらく行って、朱のトンネルに差し掛かる頃には、タマはまるで広い公園に向かっている遊び盛りの子どものような高揚感を身にまとっていた。朱のトンネルを抜け、大鳥居をくぐり(ふもと)の民家の間を行く。何か、とても嬉しそうだ、と思いつつタカシもその背を足早に追っていった。
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