第六章四話 蛇と熊とその他諸々

文字数 4,432文字

「我が名はマサル。山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)が眷属であります。我が大神の意を受け、三輪明神(みわみょうじん)に言上したき儀あり。故に我は三輪明神の御許(みもと)まで参らねばなりません。道をお開けなさい。邪魔立てするなら押し通ります」
 目の前には、カガシたちの群れ。数えきれないほどに集まり、流動的にうねうねと重なり合って巨大な個体のように頭上高くそそり立っている。マサルが駆け寄りながら声を掛けても決して道を譲る気はなさそうだった。その様子に、仕方がないと思いつつ、マサルは覚悟を決めた。そのまま突進して横一閃、前のめって自分に覆い被さろうとしている群れの中ほどを薙刀(なぎなた)で斬り払った。
 固まりの上部が崩れ、彼の頭上からカガシたちが大口を開け、牙を鋭く光らせながら各個落ちてくる。その一つひとつに対応することは、あまりの数の多さに不可能だった。身を守るためには後退せざるを得ない。しかしそんなことではいつまで経っても前に進めそうにない。だから、マサルは目的を果たすため、あえて自分の身を守ることを諦めた。雨あられと落ちてくるカガシたちを迎え撃つでも、避けるでもなく、ただ前だけを向いて更に踏み込み群れの固まりを()ぎ払った。
「三輪神社の大神よ。御姿を発現(あらわ)さしめ給え。これ以上、大前でカガシたちを(ほふ)りたくありません。どうか御姿を……」
 マサルは美和山に向かって声を張り上げた。応答はない。頭上から降ってくるカガシたちが次々に身体に噛みついてくる。その度に鋭い痛みが身体中を駆け巡る。その間にも後から後からカガシたちは折り重なり、更なる波が頭上から怒涛のように押し寄せてくる。風切り音を鳴り響かせながら更に薙刀を振る。裁断されたカガシたちの身体がボタボタと地面に落ちる。その様子を眺めながらナミが僧兵たちに向かって口を開いた。
「あなたたちはあのひとを助けに行かないの?仲間じゃないの?」
 そう言われて僧兵たちは一瞬狼狽したが、すぐに一人が慌てた様子で口を開いた。
「我らは伏龍寺(ふくりゅうじ)の守護者である。こんな所で無益な殺生をする(いわ)れはない」
「ふーん、そう。まあ、どうでもいいけど。じゃ、私たちは行くから。邪魔しないでね」ナミのその言葉に少し僧兵たちは動揺した様子を見せたが、特に抵抗する風でもなかったのでナミはそのままその場を立ち去ろうとした。その時、横からルイス・バーネットが声を掛けた。
「なかなか無茶をするね、彼は。そろそろ手を貸してやろうかな」
「勝手にすれば、あなたのバカはよく知っているから」
「何を言っているんだよ。君のそばにいたら、自然と無茶をしている人に手を貸す習慣が身に着くんだよ」
「何、それ。私が無茶ばかりしているみたいじゃない」
「実際、無茶しかしないだろ」
「何それ、バカ言わないで」
 その言葉に微笑み返すとそのままルイス・バーネットは社殿の裏手に進んでいった。そこには身体中、カガシに噛みつかれたマサルの姿。手や足はもちろん顔にも噛みつかれたまま薙刀を振り続けている。もう足元はカガシたちの裁断された身体で埋め尽くされていた。
 社殿の裏からは禁足地。誰であろうと侵入は許されない地だった。それを必死に守ろうとカガシたちは後から後から尽きることなく押し寄せてくる。マサルは休むことなくそれに対抗していたが、まだ一歩も禁足地に足を踏み入れることができない。そんなマサルのすぐ後ろまで近づいてルイス・バーネットは一喝した。
「動くな!」
 とたんにマサルの身体が固まった。ぴくりとも動かなくなった。しかしカガシたちはそのまま(うごめ)き続けている。ありゃ、(へび)たちには言霊(ことだま)が通じないようだ、と思いつつ再び一喝した。
「動け!」
 再びマサルの身体が動いた。驚いて後方を向いた。
 言霊は人語を解する相手にしか効かない。もしかしたらと思ったが、さすがに蛇たちに人語は分からないようだ。それならこうするしかない、とマサルの視線の先でルイス・バーネットは光に包まれた。見る見るうちに身体が膨らみ、巨大化していく。そして光が消えるとそこに獰猛さを絵に描いたような、見上げるような体躯(たいく)の獣が二本の足で立っていた。
 熊?この男は眷属か?しかし熊に変化(へんげ)する眷属など聞いたことがない。そもそもこの郷ではもう何百年も熊など目撃されたことがない。しかもこんな巨大な熊なんて。マサルの脳裏は混乱していた。目の前にいた男が正体不明な存在だということは察していたが、こんな変化をするとは。おまけに先ほどは我に言葉で(しば)りを掛けた。あれは言霊か?人間でも眷属でも言霊を使える者などいない。使えるのはただ特定の神だけ……。
 マサルはルイス・バーネットの方に気を取られてカガシたちへの警戒を怠った。その虚を突いてカガシたちがマサルとルイス・バーネットに向けて更に襲い掛かった。熊姿のルイス・バーネットは何度もその太い腕を振ってカガシたちを払った。足に腕に何匹かカガシたちが噛みついてきたが、その硬い毛と厚い皮膚で牙と毒を防いだ。更に彼が振り上げた手でカガシたちを払おうとしたとたん、カガシたちの数匹がまとめて渦を巻きはじめ、すぐに丸い球体になって地に落ちた。ルイス・バーネットが顔を上げると空高くにナミが浮かんでいた。
「山の中にここの神がいるなら、そこに行ってマコの居場所を訊くことにしたわ」
 実際、他に手がない状況だったから、それが一番手っ取り早い気がした。ただ、自分が上空から探しても樹々に邪魔をされて発見は難しいだろう。かといって山中に入れば大量の蛇が潜んでいるだろうことが予想される。なら、この男たちを手伝うのが最善に思えた。
 急に飛んでいったナミの姿を眺めながら、僧兵たちは口々に、降りてこい、勝手に動くな、おい、言うことを聞け、と声を上げていた。ナミは僧兵たちに視線を向けて声を投げ落とした。
「あなたたち、戦うのが怖いのならすぐに逃げた方がいいわよ。蛇が周りを取り囲んでいる。今ならまだ逃げられるわよ」
 僧兵たちはそう言われて慌てて周囲を見渡した。確かにそこかしこに蠢く気配を感じる。実際、姿を現しているカガシたちもいる。退却、どの僧兵の脳裏にもその二文字が浮かんだ。正直、三輪明神は得体の知れない存在だった。その神の勘気(かんき)(こうむ)りたくない。こんな所で無駄に争う必要などない。そもそもここにはマサルに言われてやってきた。御仏(みほとけ)に言われたのでもなければ、大神様に直接命じられてきた訳でもない。本当にここで争うことが必要なのか、それが本当に大神様の大御神意(おおみごころ)なのかも分からない。それならいったん退いて神仏にお伺いを立てた方が良いだろう。もしマサルが恣意的(しいてき)に我らに命じたことなら、それをもとに奴を糾弾してやればよい。
 そんな思考を巡らせている僧兵たちの耳に、唐突にマサルの声が響いてきた。
「そなたたちは撤退すればいい。(おの)が村まで退けばよろしい。ここは臆病者の手を借りずとも我のみで事足ります。腰抜けどもは早々に退けばよいのです」
 もうやけくそだった。目の前には何万匹いるか分からぬカガシたちの群れ、横にはいきなり巨大な熊に変化した正体不明な男、頭上には空を飛びつつカガシを球体に変える正体不明な女。もう、何が何やら訳が分からない。他の僧兵たちに気を使っている余裕など微塵(みじん)もない。もう勝手にしろ、という思いしかなかった。
 普段、伏龍寺に入り浸っている他の眷属たちとは滅多に会うことはない。だから仲間意識は希薄だった。ただ、大神様から命じられたことを実現する場合に必要なら手を貸してもらう、くらいの間柄だった。ただ、手を貸してもらうと言っても、その風貌と横柄な態度と数で相手を圧倒する以外に大して役に立った覚えもなかったが。だからその時も、帰りたければ帰れ、という気持ちだった。
 僧兵たちはマサルの言葉にその場を動けなくなった。実際、争いごとに巻き込まれるのは御免被りたかったが、臆病者呼ばわりされてそのまま退くには彼らはあまりに誇り高かった。伏龍寺の守護者として他の社の眷属より一段上の存在だと自負していた。自分たちこそ神仏に次いで(あが)められるべき存在だと感じていた。だから罵倒され、卑下されることは許されざることだった。
 そんな風に僧兵たちが自分たちの身の振り方を逡巡している間に、空から一羽の(はと)が舞い降りてきた。
「これはどういうことです?なぜ日枝神社の眷属がここにいて、カガシたちに囲まれているのです?あっちの山が美和山ですか?あれは、大量のカガシたち?なぜ熊?しかも大きい」
 地上に着くなり変化したヨリモが訳が分からないという表情をていしながら僧兵たちに訊いた。僧兵たちは答えを言い淀んでいる。だからヨリモはさっと周囲を見渡し、空中に浮かんでいるナミの姿を見つけると、その足元まで駆けつつ声を掛けた。
「あなた、マコさんの居場所が分かりました。一緒に来てください、早く」
 ヨリモは、今、ナツミとともにいるタマの所に一刻も早く駆けつけたい。頭の中に、親し気にタマに近づいて肩に手を乗せているナツミの姿が何度も何度も浮かんでくる。その度に胸がざわざわと騒がしくなる。だから気が焦っていた。それに呼応するように、ナミが急降下してヨリモの前に降り立った。
「どこ?どこにマコはいるの?」
「この郷の中心、今、湖になっているところにいるはずです」
「それは、確かなの」
「ええ、(さら)っていった本人が白状しましたから間違いありません」
「じゃ、すぐに行くわ。案内して」
「分かりました」
 二人の会話を聞きながらルイス・バーネットは足を一歩踏み込んで一気に多くのカガシたちを追い払った。そしてすぐさまマサルの身体の前に腕を差し出すとそのまま後方へ下がっていった。
「何をするんですか。我はその山に行かなくては……」と言うマサルの声を聞きながらルイス・バーネットは再度、人型に変化した。
生憎(あいにく)、僕たちはここを離れなくてはならなくなった。君一人では蛇たちのランチになるだけだから引くべきだ。戦いで一番大切なのは引き際を知ることだよ。余力を残して退けば、また機を見て反撃することができる。戦えるうちは負けじゃない。だからまだ戦えるうちに退くべきなんだよ」
 マサルはすでに満身創痍に見える。眷属の身体に蛇毒が影響するのかどうか分からなかったが、影響がなくても噛み跡だけで全身傷だらけだった。反撃云々は別にしても、一旦は退いた方がいいだろう。
 カガシたちの大半は追ってこなかった。禁足地との境界線で不気味に(たたず)んでいた。だからルイス・バーネットは立ち止まり、マサルの身体中にまだ噛みついているカガシたちを払い、叩き落してやった。すると急にマサルの足元がふらつき出した。何とか踏ん張ってヒザを折ることはなかったが、張っていた緊張の糸が緩んだとたん、足に力が入らず、もはや歩くこともままならない状態だった。
「よく頑張ったね。君は立派に戦った。自らの武勇を誇るに充分値するよ」にこやかにルイス・バーネットが声を掛けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み