19 果し合いまで八時間 清見さんの病室
文字数 3,673文字
病院駐車場にスカシバイクを停める。後ろに座る夢月は二人のヘルメットを魔法でしまい、俺の肩に両手を置く。跳ねるように着地する。
雪月花端末に着信があった。柚香からだ。
『月が来るのは花から聞いた。静かにしようね。私は先に病室にいく。受付で博士の名前をだせば、ドクターコートを貸してもらえる』
『お父さんがいる。司令官とグレイもいる。月を抑えて』
ちょっと不安だけど、俺は受付で偽造免許証の名前を記入する。夢月は『望月夢姫』などと目立つ偽名を書く。それぞれ水色のコートを受け取る。みんなが彼女を目で追う。小さい女の子も。
清見さんは点滴のチューブをつけて、痩せ衰えて目を閉じていた。我慢しようと思っていたのに、視界が潤んでぼやけてしまう。
息子さんの症状は事例があります。狭いですし研修生の邪魔になりますので、外でお話させてください、ぐひひ。
語尾の笑いは子供の頃からの癖ですので、気にせずにしてください。ぐひひひひ
清見さんのお父さんは、清見さんを太らせた銀行員って感じだった。車椅子の櫛引博士に深く礼をして、町田さんにも礼をして、落窪さんと一緒に退室する。すぐに町田さんも藍菜に会釈して部屋をでる。
藍菜も博士の研究室の学生を演じていた。二十一歳の娘だものな。某組織の前線司令官よりは、医大生のが通じやすい。
不審そうだったな。竹生の派手な髪の色。陸奥と相生はいきなり泣き出す
いやいや、一番怪しいのは落窪さんですよ。お父さんは何か売りつけられそうな顔をしてましたよ
カラカラ
……夢月ちゃん、来てくれてありがとうね。今日は一段とかわいらしいし、またまた妹にしたくなっちゃった。服装によって見違えちゃう……
それよりも相生智太、泣いている暇があったら博士に挨拶しろ。
毎回言われてないか? 清見さんが嘆くぞ
本当にありがとうございます。
清見さんはいかがですか?
私は君たちのために名前と体を貸しただけだ。彼を見に来たわけでないし、専門でもない
守れなくてごめんなさい。逆に守られて……。
お礼を言いたいです。だから目を覚ましてよ……
水色のドクターコート。黒髪。赤らんだ目。そのまま泣き崩れる。
やめてくれ。俺まで泣いてしまう。ほら泣いた。
…ッタク
清見さんの報酬は知性だったらしいです。それを奪われて、脳の活動が極度に低下したなんてあり得ますか?
私には分からないが、形だけでも脳波などの資料を見させてもらった。そちらに異常はない。
長居はやめよう。夏目は父親を呼んで来なさい
櫛引博士は車椅子を清見さんのそばに寄せる。その顔を見つめる。手を伸ばし、彼のまぶたをひろげる。
仮説ならばある。それが正しければ、彼は二度と目を覚まさない。だが、それが正しければ、彼を連れ戻すことはできる
意味がよく分かりませんけど、清見さんを回復できるのですか?
連れ戻すと言いましたよね。清見さんはどこにいるのですか?
もし報酬が知性でなければ――。おのれへの自信であったならば、それを失った彼は、怯えて自分の中に閉じこもっている。
あくまでも仮説だ。殻から引きずりだせるかもしれないが、より深みに嵌まるかもしれない
まだレベルが低かったころ、やや自信なさげに教えてくれた。隼斗の病室でも、多弁になるのを恥じていた。『昼は蝶』では、本部の人間相手にもずけずけ言えるようになっていた。
エリーナブルーも自信に満ち溢れた女秘書のようだった。
柚香をぼろくそに言ったこともあったよな。それがバクサーと戦い報酬を奪われた後は、おどおどした態度に変わっていた……。
仮説と言ったはずだ。これ以上意見を言えば、私の責任になる。君たちで決めるべきだ。
……チラリ
櫛引博士が振りかえる。黙ったままの夢月に目を向ける。
彼女は涙をこらえていた。清見さんと柚香を見ていた。
空を覆うほどの圧倒的な正義の怒り。彼女から感じた。
くしゃくしゃな顔の柚香は、洗面所に行くように指示された。
相生は無口だな。
陰と惨に気づくのが先か、目を覚ますのが先か。何も起きぬか
二人きりのエレベーターの中で、櫛引博士が振り向かずに言う。
謎かけは相手の知的レベルに合わせて欲しい。俺は中二の女の子より……、
洞谷湖佳がいた。あの子の少々ねじれた頭脳ならば、言葉遊びの謎を解けるかも。
精神エナジーがおのれの心身へと望んだものを受けとる
有り余る金運財運が献身だと? たしかに利益のほとんどを寄付しているけど、全額ではない。
じつは、俺の報酬が性フェロモンであることに納得できないです。なぜあんなのになったのですか?
自分ではわからない。たしか夏場は胸ばかり見ていたけど、女にモテることに固執していなかった。と思う。
自分で考えるのを放棄すると伸びないぞ。それでいいのか?
これは仮説でないかもしれない。
相生の精神は正義のための見返りを拒否した。無償の正義を望んだ。なのにペナルティは受けいれたい。ジレンマの中で、相生の精神でなく相生の本能が報酬を決めた。
生物であるがゆえの欲望、相生の報酬は性欲の昇華だ。
恥ずかしがるな。子孫を残すために、生存欲と同じで誰にでもある。……焼石はそちらを選んだのだろう
生き延びるための、生身での力。
焼石嶺真も正義のための戦いで報酬を拒絶した。おかげで生き延びようとする本能が力を求めた。そのため高圧電流に耐えられるほどの体を得た。おれもそっちのが良かったけど、俺のがエロいってことだろう。
だとしても、あの女はそれを悪に用いている。
相生は無口すぎる。私もひとり言をしてしまうが、聞き流しなさい
怯えた精神エナジーを無理やり戦いに引きずりだす。勝利を収めて報酬を受け取る。
だが、あまりに危険だ。弱ったエナジーは戦場の匂いを嗅ぐだけで消失するかもしれない。
そうなったら、精神は完全なる死を迎えるだろう
雑魚扱いは失礼だったかも。口にだしてしまったからどうにもならない。
男たちは俺と目を合わせようとせず、車は去っていく。俺は博士の言葉を反芻する。
弱りきった清見さんを無理やりエリーナブルーに転生させ戦わせる。そういう意味だろう。だとしても一人でなど戦わせない。強烈なサポートをつける。スカシバレッドほどに。
病室に戻っても清見さんは眠ったまま。柚香はまた泣いている。
彼女と目も合わせていない。無口すぎる俺。なんでもいいから言葉をかけろ。心の奥が叫ぶけど、何を言えばいいのだろう。
よきじゃないですか。
お父さんがトイレから戻ってきたら私たちも移動します。町田さん、よろしくお願いします
俺は清見さんの手を布団からだして握る。冷たい手……。俺がすべきことは決まった。
私は蘭より智太君より、お婆ちゃんより柚香がずっと好き。ここに来て分かった。ごめんなさい。
やっぱり一緒に戦お
涙で赤い目に挑むような笑みを浮かべる。雪豹の瞳。
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