32 聖なる悪しき龍
文字数 3,839文字
虚無の穴から伸びる無数の蔓がスカシバレッドの体に次々と絡みつく。
諭湖は生身だからダメージを受けない。
さすが湯の国。硫黄の匂いがここまで漂う。スカシバレッドは加速しながら振り返る。
ステルスだか光学迷彩。本宮である空中浮遊物は見えない。ただ小さい黒い穴がぽっかりと蒼天に浮かぶだけ。
熊手で握られているのは、苦悶の顔の与謝倉凪奈――。
スカシバレッドはおのれの正義を貫く。
だから反転する。地獄に浮かぶ門へと飛ぶ。押部諭湖を片手で抱え、片手にだけスピネルソード。
化け物たちは、ウエルカムって感じに入り口を開ける。
ハウンドピンクである与謝倉凪奈が桜の枝を揺らす。
巻き付いた見えない縄が弱まる。
スピネルソードはひとつしかないけど叫ぶ。
ウィローブルーの枝がひとつ落ちる。
裏切り者のハウンドピンクちゃん。お前は悲惨だぞ。精霊で何度も殺されるし、生身でも何度もかわいそうな目に合わされる。そして最後に精霊の力を回復したところで、みんなで平らげる。
……でもな、まずは真壁執務室長がお仕置きする。そこで媚びまくれば、そのかわいいお顔は生きのびられるぜ。奴の奴隷として
意識なき諭湖が流されていく。
与謝倉の悲鳴。クマドーサは巨大な熊手で器用に、彼女の制服を裂いていく。貞操シールドごと。
スカシバレッドは立ちあがる。グリズリーへと飛ぶ。
彼女はぴくりとした後に床に落とされる。
クマドーサは身動きしない俺を見る。
俺は動けない。
巨大な針がスカシバレッドの腹部を貫く――。
柳の化け物は人の姿に戻る。茶色いシャツ。精神エナジーのまま。
そしてぽつりと言う。
蒼柳がスカシバレッドを仰向けにする。俺は動けない。でも与謝倉を守る。押部諭湖を守る。
スカシバレッドを守る。
俺しか守れる人はいない。
頬を叩かれる。
……心に怒りを燃やす。胸を掴まれた。もっと怒りを燃やす。
さらにさらに怒りを燃やす。
こいつはまずスカシバレッドの耳を噛んだ。
俺は怒りに飲みこまれる。慣れ親しんだ感情。でもそれが、感じたことなき新たな力を呼ぶ。
それに従え。
俺は体に力を込める。
蒼柳が言霊を残して消える。
逃げられた。損ねた。
俺はクマドーサの巨体を見おろす。俺の体には狭すぎるフロア。
グリズリーが尻に生えた針を向けて飛んでくる。熊手で俺を叩く。
すべて鱗が弾きかえす。
床に降りたクマドーサが手と顔を上へとあげる。
その体が巨大化する。ツノのごとき骨に覆われる。
まともな敵だと、俺の心が喜ぶ。
焼かれたクマドーサが悲鳴をあげる……。
前言撤回。弱い敵を五本の爪で抱える。
スズメバチの羽根をむしる。尻の毒針を引き抜く。
クマドーサは弱弱しく呻くだけ。
俺は口を大きく開く。そしてこう思う。
喰い殺してやる。
その声に、俺は清見さんを思う。柚香と桧を思う。陸さんも隼斗も思う。芹澤も茜音も藍菜もアグルさんもガイアさんも蘭さんも落窪さんも、みんなを思う。
竹生夢月を思う。
クマドーサが消滅して、俺はスカシバレッドに戻る。
スズメバチの毒が残っていて倒れ込む。
ドアが開く音。
男の影が見えた。影は廊下の明かりに照らされて、巨大な悪魔のように揺れる。
春木千由奈が枝を振るう。
傭兵を貶めた邪悪すぎる技。それを俺を救うために。
タクシーの後部座席で目を覚ます。空は明るいまま。
両脇には私服の女子中学生。
時空を越えて俺にすがってきた女の子。二人ともまだ眠っている。
タクシーが動きだす。二人に寄りかかられたまま、俺も目を閉じる。家に着いたら寝なおさないと、またこの車に来てしまう。
この子たちが家族の元に戻れないならば、戦いを終わらすまでは俺の家で保護しよう。どうせなら岩飛も……。俺はテントを新調しよう。
メッセージが溜まった雪月花の端末が騒ぎだしたから、『生還』とだけグループ送信する。スクランブルをようやく解除。寝ていられない。