夢月も柚香も、スカシバレッドの腕の中で震えている。俺は岡崎平野よりもでかく激しく、濃尾平野ほどに怒っている。ミカヅキが500メートル低く飛んでいたら飛龍さえも間に合わず、二人は豊橋平野に激突していた。
二人を抱いたまま考える。櫛引は人殺しも厭わない奴だ。倒す。雪月花の端末がなくなったのならば、夢月と柚香は退場だ。つまり俺だけで倒す。
なんてことだ。スカシバレッドの中の相生智太がちょっと興奮を覚えてしまった。
だとしても。
白いブラ。収穫がとっくに終わった東三河の枯れた田で、夢月がスカートとタイツを脱ぎながら放置されたトラクターに拳を向ける。
博士が作った端末だから、消滅させることもできるんだ。智太君がいなければ、私も夢月も殺されていた。……とても戦えないね
たった今、私は死の恐怖を味わった。漏らしてはないけど
君は経験してないから言える。
分かったよ。永遠の闇なんてごまかしているけど、待っているのは他でもない。死だ。
だったらハデスブラックでも抜けだせるはずない
それは違うと思う。根拠は、百夜目鬼は人殺しの目をしてなかったから。説得力がないから口にはしない。
上着もヒップホップに着替えた夢月が言う。スカシバレッドよりずっと似合う。お姫様は何を着ても似合う。
日没近い東三河の静寂は八秒。遠くで寺の鐘が鳴った。俺も柚香も夢月に呆れた顔を向ける。
柚香は手をだしてないから大丈夫よ。
柚香が私と智太君の分まで謝る
ふうん……理屈だと、おそらくマントで変身できる。精霊になれる
私が使うと赤くなるから、私はパックのを奪う。柚香はトビーちゃんに借りて
あっ、緑モスがトビーちゃんから借りてたんだ。じゃあ芹澤から奪おう。あいつ最近生意気。スカシバのが強く美しく賢いとか聞こえる声で――
聞きながら直感が降りてきた。マントで精霊になれば、深雪は白いスクール水着になるのではと。しかも小ぶりな胸で……。
夢月が俺を見つめている。ぞくぞくを通り越して怯えた眼差し――。
彼女と並んで歩く。そんな日は二度と来ないと予感していた。俺は夢月と柚香を抱えなおす。
死なせないタイミングで西と東の境に落とす。
櫛引博士から本部に連絡が来た。
いまの状態では私に勝てないよね
暗闇が近づくなか、彼女は乾いた田んぼを歩いてくる。
降伏しろ。さもないと陸奥と竹生は二度と歩けないぐらい痛めつける。
私はすごく譲歩している。人の心が残っているならば、私と同じ境遇を想像してみろ
戦いから退いたガイアさんアグルさん蘭さんに加えて、陸さんや隼斗を倒されたなら。仲間すべてが戦いを続けられなくなり一人残されたなら……。痛いほどに分かる。
でも俺は譲歩できない。俺こそ人の心が残っているのだから、それ以上に大事なものを守らないとならない。彼女にとって俺たちは憎むべき悪だろう。だとしても。
そしたら私はビッグレッドライオンになるしかないね。……私じゃない。レアが名づけた
興奮して暴走して、あなたを蹂躙する。その後に陸奥も……
目の色が変わったぞ。こいつは自分の言葉ですでに興奮しだしている。……レオフレイムが巨大ライオンになっても、スカシバレッドが龍になれば互角以上だと思う。でも、暴走したこいつは広大な森に炎をまき散らした。生身の夢月と柚香が危険。
スカシバレッドは自分に都合のいいことしか提案しない。
こいつは俺以上に人の話を聞かなかった。燃えるような赤色に包まれながら、その体が3メートル背丈の獣人女になる。でも赤い立派なたてがみ。夢月と柚香が悲鳴をあげる。
キューティーレッドライオン……私が今思いついたネーミング
その姿を見ながらスカシバレッドはこう思う。
龍にならねば勝てるはずない。
ならば逃げろ。
二人を抱えて空へと飛ぶ。高く高く全速力で。レオフレイムは飛べないけど跳躍できる。凍てつく高さまで逃げろ。
スカシバレッドは振り向くことなく、左へと旋回する。跳躍した獣人の爪から逃れる。
獣人はさらに天高く飛翔していく。落下の際の攻撃を避ければ逃げきれる。
二人を抱えて死に物狂いで斜め下へと飛ぶ。脚と尻に熱を感じながら避けきる。
枯れた田んぼに炎のドームが築かれた……。この女は夢月ほどに。
上空から叫びが聞こえた。まだ自由落下が始まらないのかよ……。
火球だけが大量に降ってきた。ひとつひとつが頭ほどもある。
さらに。
密集した火山岩が雪崩のように落ちてくる。
こんなの俺一人でも避けられるか。しかも抱えた二人にかすめさせることもできない。
須臾にして久遠の刻。
俺は、柚香の頼みも柚香の話も聞き流していた。甘えていた。そのうえ裏切った。それでもだよ、戦いが終わった後も友だちになってくれるならば、今後はしっかり聞こう。
でも今夜を最後に。二人を守るために。
二人を抱えたまま体に力を込める。巨大化していく肉体。
鱗がすべての炎を弾きかえす。
巨大な爪で小さな二人をやさしく抱えなおし、上空へと咆哮をあげる。血の色の炎を吐く。
赤黒いブレスは真なる炎に飲みこまれる。滅びの炎が龍の鱗を焼く。ただれさせる。
血走った目の巨大な赤いライオンが降りてきた。即座に最終形態になりやがった。龍の尾をつかむ。地上へと引きずられる。
……この野郎。
ならば逃げる。龍がライオンを引きずり返す。そのまま飛ぶ。
穂村であった巨大ライオンは、スカシバレッドであったドラゴンの半分ほどもある。そいつが龍の体を這いあがる。興奮した息遣いとフローラルな香りが近づく。
龍は体をくねらせる。獅子を落とそうとする。獅子の爪が鱗を裂きながら龍の頭へと近づいてくる。獅子自体がすでに炎。龍の体に延焼していく。
ライオンの爪がドラゴンの目をえぐる。
激痛。激怒。二人を守る。
龍が叫ぶ。
陰惨たる滅びの熱波。
接して浴びたライオンが吹っ飛ぶ。
えぐられた眼球。見えなくても見える。すべてが血の色。
燃える獅子の巨体が豊橋市街へと落下していく。龍が追う。
俺と戦えた存在。上玉だ。
龍は舌なめずりして。
対の牙に。
すべてを込めて。
龍は我に返る。しぼんでいく獅子を追い越し、ヒップホップなお姫様を再び手にする。
頭に何かが当たった。龍になっても体が柔軟で、首の裏に手を伸ばす。つかんで目の前に持ってくる。
燃えた背中が痛い。血の色の龍は東海の空をゆるゆると飛ぶ。