第8話 燃やし尽くす Ⅰ

文字数 3,623文字

「起きろ、マールヴィーダ!」
 草地に倒れていたラギンムンデが目を覚まし、まだ意識を失っているもう一人の魔女に声をかける。二人とも術が切れ、元の姿に戻っている。
「ラギンムンデ……うっ!」
 したたか顔面を蹴り飛ばされたマールヴィーダは脳が揺れて、自分が何をしていたのか想い出せない。立ちあがろうとすると、ズキンと鈍い痛みが走る。皮肉にも、それがきっかけとなって記憶を取り戻した。
「……ハルツの魔女は、ファストラーデ様は!?」
「分からない。オレが気付いた時には、二人ともいなかった」
「まさか、ハルツの魔女に……」
「バカなことをいうな! ファストラーデ様がハルツの魔女ごときに後れをとるはずがない!」
「じゃあ、いったいどちらへ……」
 置き去りにされた二人の魔女は困惑し、周囲を見渡しながら所在なさげに立ちつくした。


「大丈夫ですか!」
 森へ墜落したヴァルトハイデたちのところへ、戦いの様子を見守っていたレギスヴィンダたちが集まってくる。
 幸い、木の枝葉がクッションとなり、直に地上へ叩きつけられることはなかった。
 ヴァルトハイデとゲーパはすぐに立ち上がるも、深刻だったのはブリュネだった。
「ブリュネ様、しっかりしてください! 目を開けてください!」
 声をかけても反応しない。おびただしい出血に、元来の白い肌がさらに青白く血色を失っている。
「ヴァルトハイデ、あたしに診せて!」
 簡単な治療術なら扱えるゲーパが傷口に手をあてるが、想像した以上にダメージは深かった。
「このままじゃダメだわ。すぐにヘルヴィガ様のところへ運ばなきゃ!」
 その場で治療するのを諦めたゲーパは、態勢を立て直すために一時撤退すべきだと訴える。
 ヴァルトハイデは「分かった」と答えるも、撤退するのは二人だけだと付け加えた。
「ゲーパはブリュネ様を連れて行ってくれ。わたしは、ここで奴らを迎え撃つ」
「そんなの無理よ、あなたも見たでしょ? あの人たち、とんでもない強さだわ! みんなでヘルヴィガ様のところまで戻りましょ!」
「ダメだ。すぐに奴らは追ってくる」
「でも、いくらヴァルトハイデでも一人じゃ勝てないわよ!」
「一人ではない!」
「及ばずながら、オレたちも一緒に戦わせてもらう!」
 ブルヒャルトとオトヘルムが申し出た。
 二人が加わったところでブリュネ一人分の戦力にも匹敵しないだろうとヴァルトハイデは思いながらも、今は彼らの助勢に期待するしかなかった。
「さあ、行ってくれ。ブリュネ様を頼む!」
「……分かったわ。ひいおばあちゃんたちも来てくれるはずだから、それまで無理しないでね」
 ヴァルトハイデは箒にブリュネを乗せてやると、飛び立つゲーパを見送った。
「使い魔は行ったか」
 ゲーパが去るのを待っていたように、ファストラーデの声がした。
 ヴァルトハイデたちは驚き、声の方を振り返る。
「ぬぅ、いつの間に……」
「姫様、お下がりください!」
 まるで気配を感じなかった。ブルヒャルトとオトヘルムは戦慄し、レギスヴィンダの盾となって身構える。
 ファストラーデは、騎士たちに庇われた魔女の山に不釣り合いな人間の娘に目をやると、それが何者なのか即座に見抜いた。
「これはこれは、そちらにおわすはレギスヴィンダ内親王殿下ではございませんか。やはり、ハルツへ逃げ込まれていたのですね?」
 悪しき魔女の視線にさらされたレギスヴィンダは、それだけで息がつまりそうになった。
 意志の弱い人間ならば精神を狂わされただろう。しかし、レギスヴィンダは逆に相手の目を見据えると、英雄の血を受け継ぐルーム帝国の皇女として、強い自覚を持って答えた。
「……いかにも、わたくしはレギスヴィンダ・フォン・ルームライヒ。この国の皇帝ジークブレヒトの娘です。そういうあなたは何者ですか?」
「これは失礼しました。わたくしはファストラーデと申します。見ての通りの魔女でございます」
「では、ファストラーデにレギスヴィンダが命じます。ここは魔女の聖地ハルツです。招かれざる者は、すぐにこの場から立ち去りなさい!」
「たとえ内親王殿下の御諚(ごじょう)であっても、それはできません」
「なぜですか?」
「わたくしめには、二つの目的があるからです」
「二つ……」
 レギスヴィンダは困惑した。ファストラーデの目的は自分の命を奪うことではなかったのか。その他に、どんな目的があるのか想像もできなかった。
「その目的とは何ですか?」
「一つはもちろん、殿下の御命を頂くことです」
「わたくしの生命……」
「御存じのとおり、殿下を含めたレムベルト皇太子の血脈は、我々魔女にとっての大敵。その血は一滴たりとも残しておくことはできません。皇帝皇后両陛下と同じように、わたくしが殿下をあの世へお送りしてさしあげます」
「両陛下……」
「左様。両陛下とも見事な最期を遂げられました。皇帝陛下は敵わぬと知りながらわたくしめに闘いを挑まれ、皇后陛下は虜囚となるを恥辱と判断され、自らお胸にナイフを突き立て、ルームの誇りをお示しになられました」
「お母様がナイフを……!」
 娘は父だけでなく、母までも亡くなっていることを知らずにいた。それだけに、悪しき魔女の口から聞かされた悲報にショックは大きく、とても受け入れられるものではなかった。
「……そんなでたらめで、わたくしの心を欺こうというのですか? 母は……皇后陛下はわたくしが帝都に帰るのを待っていると約束してくれました。だから、自ら御命を絶つなど、そんなことが、あるはずありません!」
「そう思うのでしたら、今すぐ両陛下に会わせさしあげましょう。殿下への敬意と情けを持って、せめて苦しまずにあの世へお送りいたします」
 レギスヴィンダは、無意識に首にかけた銀のペンダントを握りしめた。いまやそれが、父母が残した唯一の形見となっていた。
「お覚悟を!」
 ファストラーデがレギスヴィンダに斬りかかった。その速度は人の技を超え、皇女は身構えることも、二人の騎士は動くこともできなかった。
 魔女の凶刃がレギスヴィンダを貫こうとした瞬間だった。それを阻止する者がいた。
 ヴァルトハイデは剣を抜くと皇女の前に割って入り、ファストラーデの切っ先をはね返した。
「ほう……大したものだな。先ほどは何もできずに使い魔を犠牲にしたが、さすがに皇女殿下の命が危ういとなれば、動きにも切れが増すということか?」
 皮肉まじりにファストラーデが礼賛する。
「お前の動きは、すでに見切っている。あいにくだが、オッティリアの肉体を植え付けられているのはお前たちだけではない」
「……なに?」
 ヴァルトハイデは右目の奥に黒い陰を宿しながら答えた。
「貴様、その瞳は……」
「そうだ、わたしもフレルクによって魔女に造り替えられた女の一人。お前たちと同じ呪われし存在だ」
「なるほど、そういうことか……」
 ヴァルトハイデの右目を覗きながら、ファストラーデはふっと表情を緩めた。
「ますます気に入ったぞ、ヴァルトハイデ! 我らの仲間になれ。我らは同じ血肉を分け合った姉妹も同然。他の者も喜んで貴様を迎え入れるだろう!」
「さっきもいったはずだ。お前たちの仲間になるつもりはないと!」
「頑なだな。なぜそこまで我らを拒む。ハルツの魔女に術をかけられているのか? それとも、我らをこんな姿に変えたフレルクを憎んでいるのか?」
「どちらでもない。わたしはただ、お前たちを憐れみ、自分自身を憎んでいるだけだ。わたしたちは存在していてはいけないのだ」
「奇態なことをいう。我らを憐れんでいるから敵対するというのか? 傲慢な。憐れみとは、強者が弱者へ向けるものであろう。それを理解すれば、貴様の考えも変わるはずだ」
 ファストラーデはまるで教訓でも与えるかのように、攻撃の矛先をヴァルトハイデへ変えた。
 目にもとまらぬ速度で踏み込み、躊躇いもなく白刃を振るう。同じオッティリアの血肉を分け合った相手ならば手加減はいらない。多少切り刻んだところで、死ぬことはなかった。
 ヴァルトハイデは、右目の陰を広げて迎え撃った。
 魔女として持って生まれた素質はファストラーデの方が上だった。加えて初期の実験で失敗したヴァルトハイデよりも、ファストラーデへの肉体の移植は改良されている。
 二人の力量差は明確で、どちらが強者で、どちらが弱者であるかは、剣を打ち合うほどにはっきり形となって表れた。
「どうした、ヴァルトハイデ? 動きが鈍りつつあるぞ!」
 ヴァルトハイデは自我を保って制御できる限界までオッティリアの力を振り絞った。
 しかし、胸甲の魔女のスピード、パワーについていけたのは最初だけだった。徐々に、無理に力を引き出そうとする反動によって肉体は悲鳴を上げ、精神的にも集中力を保っていられなくなる。
 攻撃を躱しきれず、その身体に創傷が増え、体力は削り取られていく。ファストラーデが半分の実力も出していないうちに、ヴァルトハイデは魔力を枯渇させようとしていた。
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