第8話 燃やし尽くす Ⅴ
文字数 3,388文字
二人の刃が風圧を起こし、交錯しては火花を散らす。
その目的は相手をねじ伏せることか、それとも自分自身を超克するためか。
強く剣を振るうたびに、ファストラーデの肉体には激痛が走り、ヴァルトハイデは何のために戦っているのか己を見失う。
もはや勝って生き残ろうという考えすらなく、戦うことが戦いの目的になっていた。
永遠に続くかに思われた戦いの決着は、皮肉な偶然によって引き寄せられた。
迫りくるヴァルトハイデの切っ先を迎え撃とうとした時、ファストラーデの肉体は限界を超えた。
身体が動かず、目の前に迫るランメルスベルクの剣を避けきれないかに思われた。だが、ファストラーデの頭上にヘーダが張り巡らせた鋼鉄の蜘蛛の巣の残骸、一本の鎖が垂れ下がっていた。
藁をもつかむ思いで手を伸ばしたファストラーデは魔女を討つ剣を躱し、無防備になったヴァルトハイデの背中に蹴りをくらわせた。
ヴァルトハイデはうつぶせに大地へ倒れこむ。
「これで終わりだ!」
勝機を引き寄せたファストラーデは間髪入れず、両手で剣を握ると渾身の力をこめてヴァルトハイデを背中から串刺しにした。
静かな結末だった。
実験室に並べられた標本のように、ピンで大地に留められたヴァルトハイデは動くこともできなかった。
魔女の呪いに囚われた意識はすでに自分のものではなく、手足をばたつかせようとも簡単に死ぬことはできない。
口からこぼれる言葉は幼児の発する喃語 のように要領を得ず、自身の置かれた状況すら理解していなかった。
ファストラーデはヴァルトハイデを見下ろすと、悲しげに呟いた。
「ヴァルトハイデ、恐るべきハルツの魔女よ。こんな出会い方でなければ、わたしたちは最大の理解者になれたかも知れない……今なら分かる。これが貴様のいっていた憐れみなのだろう? もはや苦痛も憎しみもない。わたしが貴様を救ってやる。ゆっくりと休め、夢さえ見ることのない無窮の闇の中で」
ファストラーデは、ヴァルトハイデが落としたランメルスベルクの剣を拾い上げた。せめてその剣でとどめを刺してやるのが、彼女に対する最大の敬意と弔いに思えた。
「そうはさせぬぞ!」
うずくまっていたヘーダが立ち上がり、鉄器を操って攻撃する。が、ファストラーデはこれを簡単に叩き落とす。
「じっとしていろ、お前もすぐにあの世へ送ってやる」
ヘーダには、ヴァルトハイデを救うだけの魔力は残っていない。しかし、ファストラーデにもヘーダを含め、ハルツの魔女を壊滅させるだけの余力はなかった。
「ランメルスベルクの剣を手に入れるという最大の目的は果たした。今は一刻も早く城へ帰り、身体を休めねばならない。レギスヴィンダやハルツの魔女はいつでも殺せる。貴様さえ、始末してしまえば……さらばだヴァルトハイデ、同じ血肉を分け合った我が姉妹よ!」
ファストラーデはランメルスベルクの剣を掲げ、ヴァルトハイデの首めがけて振りおろそうとした。
その時、ヴァルトハイデの深い意識の底で声がした。
ヴァルトハイデ、まだ斃れてはいけません――
声が聞こえたのと同時だった。ファストラーデを強力な魔力が襲った。
「戒めの炎、アーンデン!」
燃え盛る火球に不意をつかれたファストラーデは反射的に飛び退る。
現われた救い主の顔を見て、驚きと安堵の声を上げたのはヘーダだった。
「おぉ……ヘルヴィガ!」
「御無事でしたか、ヘーダ様?」
「うむ、わしは無事じゃ。だが、ヴァルトハイデが……」
ヘーダの視線の先、地面に串刺しになったままのヴァルトハイデをヘルヴィガは見やった。
黒く変色した右目、振り乱した髪、傷ついてなお戦い続けようともがく様は、彼女が異常な状況に置かれていることを雄弁に物語っている。
「侵入者は、わたくしが相手をします。ヘーダ様は、その間にヴァルトハイデをお願いします」
「だが、お主は……」
「他に手段がありますか? お願いします」
「分かった。仕方あるまい……」
侵入者の排除とヴァルトハイデの救出のため、二人は役割を分担する。その会話を聞きながら、ファストラーデは何者が現れたのかを明敏に察した。
「ヘルヴィガとは、ハルツの長 の名前。ということは、あれが……」
すでに肉体的限界に達しているファストラーデにとって、ヘルヴィガの登場は想定外だった。この強敵を退けるのは困難に思われた。
「ハルツの長、御 自らのお出ましとは、わたしも歓迎されたものだ。それとも他に戦える者が残っていないほど、ハルツの人材は枯渇しているとうことですか?」
窮地にあることを悟られないために、敢えて挑発的な言葉を選ぶ。
ヘルヴィガは凛然と構え、そのような言葉の応酬には乗らず、魔女たちの母親らしく娘を叱るように答えた。
「お黙りなさい。何人であれ、この山での狼藉は許しません。今すぐ、その剣を置いて立ち去りなさい」
「生憎ですが、そのようなわけには参りません。わたくしめにも、立場がございます。ヘルヴィガ様には、ここで死んでいただきます」
ファストラーデはランメルスベルクの剣を振り上げ、ヘルヴィガに斬りかかった。
「今です、ヘーダ様!」
「うむ!」
ファストラーデが攻撃に移った瞬間、ヘーダがヴァルトハイデを助けに向かう。それを支援するため、ヘルヴィガは灼熱の魔力を放った。
「豺狼 の檻よ、煉獄の炎よ、敵意ある者を捕らえ、閉じ込めよ! ツヴィンガー!!」
ファストラーデの四方に炎の壁が現れる。万全の状態ならどうということもない術だが、魔力を使い果たした今は、その檻から抜け出すことさえ困難だった。
「ヴァルトハイデよ、しっかりせんか!」
ヘルヴィガがファストラーデを捕らえているうちに、ヘーダはヴァルトハイデに近づいて様子を確かめた。
意識はあるが、自我はない。ヘーダの呼びかけにも、まともに答えず、狂ったようにうめき声を上げる。
「仕方のない奴じゃのう……」
とりあえず動けるようにするため、背中を串刺しにした剣を引き抜く。
深々と大地にくさびを打った剣は魔力で固着され、無理に引き抜こうとすれば臓器を傷つけ、却って命を危険にする可能性もあった。それでも逡巡している暇はなく、ヘーダは両手に魔力を集めると、繊細さよりも大胆さでこれを処理した。
「ちょっとの間、辛抱しておれよ、そりゃ!!」
白刃が胴体を逆向きに貫通していく際、ヴァルトハイデは獣のような悲鳴を上げた。
それでも鉄器を操ることに関してはハルツで最も長けたヘーダである。臓器や組織へのダメージは最小限に抑えられ、傷口も極小のものですんだ。
自由になったヴァルトハイデは立ち上がり、なおも憎しみの感情に突き動かされて戦い続けようとする。
「これ、まだ動いてはならん。じっとしておれ!」
ヘーダが引き留めるが、その言葉は届かない。
「やむをえまい……」
近くに落ちていた鎖の残骸を操ると、ヴァルトハイデを縛り上げた。
「こっちへ来るんじゃ」
老いた魔女は鎖を掴み、森の中へ引きずっていく。
そこへ、駆け寄ってくる者たちがいた。
「ヘーダ様!」
「おお、殿下、無事じゃったか?」
レギスヴィンダたちだった。
ヘルヴィガは途中で姫を見つけ、傷ついた騎士を治療していた。
「ヴァルトハイデは……」
心配げにレギスヴィンダが訊ねる。
「意識はあるが、呪いの魔女の力を使いすぎて自我を失っておる。残念じゃが、わしにはどうすることもできん」
悔しそうにヘーダが答えると、レギスヴィンダはある物を取り出した。
「これを使ってください」
それは、母から託されたペンダントだった。
「ランメルスベルクの剣と同じ銀でできているこのペンダントには、呪いの力を打ち消す作用があるとヘルヴィガ様がおっしゃられていました。ヴァルトハイデにこのペンダントをかけてあげれば、自我を取り戻すかもしれません……」
「おお、そうじゃった。これがあったな!」
ヘーダはペンダントを借りると、ヴァルトハイデの首にかけた。
ランメルスベルク銀でできたペンダントが、魔女の呪いを吸い取っていく。
黒く染まった右目は元の済んだすみれ色に戻り、獣のようなうめき声も鎮まる。呪われた魔力が抜けると、ヴァルトハイデはそのまま意識を失った。
「ひとまずは、これで安心じゃ……」
ヘーダは胸を撫ぜ下ろすも、すべてが解決したわけではなかった。ヘルヴィガの戦いは続いていた。
その目的は相手をねじ伏せることか、それとも自分自身を超克するためか。
強く剣を振るうたびに、ファストラーデの肉体には激痛が走り、ヴァルトハイデは何のために戦っているのか己を見失う。
もはや勝って生き残ろうという考えすらなく、戦うことが戦いの目的になっていた。
永遠に続くかに思われた戦いの決着は、皮肉な偶然によって引き寄せられた。
迫りくるヴァルトハイデの切っ先を迎え撃とうとした時、ファストラーデの肉体は限界を超えた。
身体が動かず、目の前に迫るランメルスベルクの剣を避けきれないかに思われた。だが、ファストラーデの頭上にヘーダが張り巡らせた鋼鉄の蜘蛛の巣の残骸、一本の鎖が垂れ下がっていた。
藁をもつかむ思いで手を伸ばしたファストラーデは魔女を討つ剣を躱し、無防備になったヴァルトハイデの背中に蹴りをくらわせた。
ヴァルトハイデはうつぶせに大地へ倒れこむ。
「これで終わりだ!」
勝機を引き寄せたファストラーデは間髪入れず、両手で剣を握ると渾身の力をこめてヴァルトハイデを背中から串刺しにした。
静かな結末だった。
実験室に並べられた標本のように、ピンで大地に留められたヴァルトハイデは動くこともできなかった。
魔女の呪いに囚われた意識はすでに自分のものではなく、手足をばたつかせようとも簡単に死ぬことはできない。
口からこぼれる言葉は幼児の発する
ファストラーデはヴァルトハイデを見下ろすと、悲しげに呟いた。
「ヴァルトハイデ、恐るべきハルツの魔女よ。こんな出会い方でなければ、わたしたちは最大の理解者になれたかも知れない……今なら分かる。これが貴様のいっていた憐れみなのだろう? もはや苦痛も憎しみもない。わたしが貴様を救ってやる。ゆっくりと休め、夢さえ見ることのない無窮の闇の中で」
ファストラーデは、ヴァルトハイデが落としたランメルスベルクの剣を拾い上げた。せめてその剣でとどめを刺してやるのが、彼女に対する最大の敬意と弔いに思えた。
「そうはさせぬぞ!」
うずくまっていたヘーダが立ち上がり、鉄器を操って攻撃する。が、ファストラーデはこれを簡単に叩き落とす。
「じっとしていろ、お前もすぐにあの世へ送ってやる」
ヘーダには、ヴァルトハイデを救うだけの魔力は残っていない。しかし、ファストラーデにもヘーダを含め、ハルツの魔女を壊滅させるだけの余力はなかった。
「ランメルスベルクの剣を手に入れるという最大の目的は果たした。今は一刻も早く城へ帰り、身体を休めねばならない。レギスヴィンダやハルツの魔女はいつでも殺せる。貴様さえ、始末してしまえば……さらばだヴァルトハイデ、同じ血肉を分け合った我が姉妹よ!」
ファストラーデはランメルスベルクの剣を掲げ、ヴァルトハイデの首めがけて振りおろそうとした。
その時、ヴァルトハイデの深い意識の底で声がした。
ヴァルトハイデ、まだ斃れてはいけません――
声が聞こえたのと同時だった。ファストラーデを強力な魔力が襲った。
「戒めの炎、アーンデン!」
燃え盛る火球に不意をつかれたファストラーデは反射的に飛び退る。
現われた救い主の顔を見て、驚きと安堵の声を上げたのはヘーダだった。
「おぉ……ヘルヴィガ!」
「御無事でしたか、ヘーダ様?」
「うむ、わしは無事じゃ。だが、ヴァルトハイデが……」
ヘーダの視線の先、地面に串刺しになったままのヴァルトハイデをヘルヴィガは見やった。
黒く変色した右目、振り乱した髪、傷ついてなお戦い続けようともがく様は、彼女が異常な状況に置かれていることを雄弁に物語っている。
「侵入者は、わたくしが相手をします。ヘーダ様は、その間にヴァルトハイデをお願いします」
「だが、お主は……」
「他に手段がありますか? お願いします」
「分かった。仕方あるまい……」
侵入者の排除とヴァルトハイデの救出のため、二人は役割を分担する。その会話を聞きながら、ファストラーデは何者が現れたのかを明敏に察した。
「ヘルヴィガとは、ハルツの
すでに肉体的限界に達しているファストラーデにとって、ヘルヴィガの登場は想定外だった。この強敵を退けるのは困難に思われた。
「ハルツの長、
窮地にあることを悟られないために、敢えて挑発的な言葉を選ぶ。
ヘルヴィガは凛然と構え、そのような言葉の応酬には乗らず、魔女たちの母親らしく娘を叱るように答えた。
「お黙りなさい。何人であれ、この山での狼藉は許しません。今すぐ、その剣を置いて立ち去りなさい」
「生憎ですが、そのようなわけには参りません。わたくしめにも、立場がございます。ヘルヴィガ様には、ここで死んでいただきます」
ファストラーデはランメルスベルクの剣を振り上げ、ヘルヴィガに斬りかかった。
「今です、ヘーダ様!」
「うむ!」
ファストラーデが攻撃に移った瞬間、ヘーダがヴァルトハイデを助けに向かう。それを支援するため、ヘルヴィガは灼熱の魔力を放った。
「
ファストラーデの四方に炎の壁が現れる。万全の状態ならどうということもない術だが、魔力を使い果たした今は、その檻から抜け出すことさえ困難だった。
「ヴァルトハイデよ、しっかりせんか!」
ヘルヴィガがファストラーデを捕らえているうちに、ヘーダはヴァルトハイデに近づいて様子を確かめた。
意識はあるが、自我はない。ヘーダの呼びかけにも、まともに答えず、狂ったようにうめき声を上げる。
「仕方のない奴じゃのう……」
とりあえず動けるようにするため、背中を串刺しにした剣を引き抜く。
深々と大地にくさびを打った剣は魔力で固着され、無理に引き抜こうとすれば臓器を傷つけ、却って命を危険にする可能性もあった。それでも逡巡している暇はなく、ヘーダは両手に魔力を集めると、繊細さよりも大胆さでこれを処理した。
「ちょっとの間、辛抱しておれよ、そりゃ!!」
白刃が胴体を逆向きに貫通していく際、ヴァルトハイデは獣のような悲鳴を上げた。
それでも鉄器を操ることに関してはハルツで最も長けたヘーダである。臓器や組織へのダメージは最小限に抑えられ、傷口も極小のものですんだ。
自由になったヴァルトハイデは立ち上がり、なおも憎しみの感情に突き動かされて戦い続けようとする。
「これ、まだ動いてはならん。じっとしておれ!」
ヘーダが引き留めるが、その言葉は届かない。
「やむをえまい……」
近くに落ちていた鎖の残骸を操ると、ヴァルトハイデを縛り上げた。
「こっちへ来るんじゃ」
老いた魔女は鎖を掴み、森の中へ引きずっていく。
そこへ、駆け寄ってくる者たちがいた。
「ヘーダ様!」
「おお、殿下、無事じゃったか?」
レギスヴィンダたちだった。
ヘルヴィガは途中で姫を見つけ、傷ついた騎士を治療していた。
「ヴァルトハイデは……」
心配げにレギスヴィンダが訊ねる。
「意識はあるが、呪いの魔女の力を使いすぎて自我を失っておる。残念じゃが、わしにはどうすることもできん」
悔しそうにヘーダが答えると、レギスヴィンダはある物を取り出した。
「これを使ってください」
それは、母から託されたペンダントだった。
「ランメルスベルクの剣と同じ銀でできているこのペンダントには、呪いの力を打ち消す作用があるとヘルヴィガ様がおっしゃられていました。ヴァルトハイデにこのペンダントをかけてあげれば、自我を取り戻すかもしれません……」
「おお、そうじゃった。これがあったな!」
ヘーダはペンダントを借りると、ヴァルトハイデの首にかけた。
ランメルスベルク銀でできたペンダントが、魔女の呪いを吸い取っていく。
黒く染まった右目は元の済んだすみれ色に戻り、獣のようなうめき声も鎮まる。呪われた魔力が抜けると、ヴァルトハイデはそのまま意識を失った。
「ひとまずは、これで安心じゃ……」
ヘーダは胸を撫ぜ下ろすも、すべてが解決したわけではなかった。ヘルヴィガの戦いは続いていた。