第19話 鍵を掛ける Ⅲ

文字数 2,854文字

 愛情がゆえに、魔女たちが骨肉の争いを始めなければならなくなったころ、いち早く侵入者の正体に気づいて危険を報せに行く者がいた。
 地下室へ続く螺旋階段を駆け下り、施錠された鋼鉄の扉を開け放つ。
「ファストラーデ様!」
 真っ暗な部屋の中へ呼びかけると、安置された棺の蓋が開き、銀の胸甲をつけた魔女が起き上がるのが見えた。
「ギスマラか……ちょうどいいところへ来てくれた。肩をかしてくれないか?」
 眠りながらも、ファストラーデも城内で起こる異変を感じていた。
「お身体は、よろしいのですか?」
「そんなことを言っている場合ではないだろう……」
 ハルツで受けた傷や極限まで使い果たした魔力は、完全回復するところまで至っていない。
 それでも、このまま眠り続けているわけにはいかず、ファストラーデはギスマラの肩につかまると、萎えた身体を立ち上がらせた。
「リントガルトの中の呪いの魔女が目を覚ましてしまったようだな……」
「ルームの都へいかれ、そこでファストラーデ様が戦われたハルツの魔女と接触したことが原因だったようです」
「ハルツの魔女か……あの時感じた胸騒ぎは、このことを報せていたのかも知れないな……ともかく、このままにしておくわけにはいかない。リントガルトたちの処へ行こう」
「はい」
 きっかけは何であれ、リントガルトを呪いの連鎖に堕としてしまったのは自分だと、ファストラーデは責任を感じていた。


 攻撃を躱されたリントガルトは、嫌悪と嘲笑の眼差しでヴィルルーンを睨んだ。
「……ホント汚いよね。忘れてたよ、いつも車椅子に座ってるから。自分の足で歩けたんだよね? もしかしてそれも、ボクを油断させるための演技だったの?」
 再疑心と被害妄想に取りつかれたリントガルトには、すべてが自分を陥れる悪巧みに見えた。
 ヴィルルーンは否定しなかった。かといって肯定しているわけではない。何をいってもリントガルトが承服するはずがなかった。
「……まあいいや。まずは一人。沈黙の魔女が、完黙の魔女になっちゃったね。四人なら、ボクに勝てると思ったの? 見くびられたもんだね!」
 壁には大きなひびが入り、その下にシュティルフリーダが蹲っている。衝撃は凄まじく、城全体を揺さぶるものだった。
「そういやヴィルルーンって、自分から魔女になりたいってフレルクにいったんだよね? 一人で歩けるようになるために。よかったね、願いをかなえてもらえて。でも……そんな足じゃ、ボクからは逃げられないよ!!」
 リントガルトは、再びヴィルルーンに襲いかかった。
 立ちあがった車椅子の魔女は銀の靴に魔力を集め、つま先で滑るように床の上を移動した。そのスピードは七人の魔女でも一二を争い、普通の人間の目には影を追うことすら困難である。
 ヴィルルーンは襲いかかるリントガルトの攻撃を華麗に、軽々と回避した。かに思われた。
「アハハ! 遅い! 遅い! そんなんじゃ、いつまでたってもボクから逃げられないよ!」
 どんなに素早く移動しようとも、その背後にぴたりとリントガルトが付いてくる。あえて攻撃を加えるわけでもなく、力の差を見せつけるように挑発のみを行う。
「ほら、もっと早く逃げなきゃ。魔力が切れて立てなくなった時が、ヴィルルーンの死ぬ時だからね!」
 獲物を弄んでから止めを刺す猛獣のように、リントガルトは命をかけた追いかけっこを楽しんだ。
 その様子を見ていられなくなったのはラウンヒルトだった。
「やはり、力を加減したままリントガルトを取り押さえようというのは甘かったようじゃのう……」
 そういうと、左手の薬指にはめた銀の指環を抜き取った。
 オッティリアの薬指を移植された左手を広げ、リントガルトへ向ける。
「親愛なる者よ、偽りなき心で我が手に結んだ永久(とわ)なる誓いを、ここに果たそう。病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、わらわはそなたの帰りを待つであろう……」
 ラウンヒルトの魔力が凝縮し、巨大な左手が形作られる。
 その指先がヴィルルーンを追いかけていたリントガルトを捕まえ、強大な握力で絞めつけた。
「今のうちじゃ、ヴィルルーン。そなたがリントガルトの首を刎ねよ!」
 ラウンヒルトがいうと、ヴィルルーンは壁に掛けられた剣を手に取り迫った。殺すことのできない仲間の首や手足をバラバラに切断し、それぞれが復活しないよう別の棺に鍵をかけて閉じ込めるために。
「ぐぅ……ラウンヒルト! お前まで、こんな力を隠してたのか……みんなでボクに秘密にして! いいよ、だったら逆にお前の魔力を呑み込んでやる!!」
 リントガルトは感情を高ぶらせると、全身からどす黒い魔力を放出させた。
 壁の剣を取り、リントガルトの首を刎ねようと向かったヴィルルーンが足を止めて警告を放った。
「ラウンヒルト、今すぐ術を解きなさい! リントガルトは、あなたの魔力を侵食するつもりです!!」
「もう遅いよ!!」
 リントガルトから放たれた魔女の呪いに汚染された魔力が、ラウンヒルトの左手へと逆流する。移植されたオッティリアの薬指が黒く変色し始める。
 ラウンヒルトは指先から肉体的な痛みとともに、怒りや憎悪や悲しみや孤独といった心の痛みに似た波動が流れ込んでくるのを感じ取ると、恐怖して術を解こうとした。だが、遅かった。
 リントガルトはラウンヒルトの左手をつかんで離さず、さらに魔力を逆流させた。
「どう、すこしはボクの痛みが分かった?」
 同意を求めるように、口許に陰惨な笑みを浮かべる。
 ラウンヒルトは悲鳴を上げると、とめどなく流れ込んでくるリントガルトの心の声を聞いた。
 それは、かつての自分が感じた痛みに似ていた。指環の魔女は、心の片隅に宿した、今なお思い続けるある男のことを想い出した。
 没落貴族の娘として生を受けたラウンヒルトは、気位だけが高い家庭で厳しい躾を受けながら、貧しい幼少期を送った。
 それでも美しく成長すると異国の王子に見初められ、幸福で満ち足りた生活を手に入れることができた。
 しかし、ある日王国に戦乱が巻き起こると、王子はラウンヒルトの薬指に誓いの指環を残して出征した。必ず勝利し、帰ってくると約束して。
 ラウンヒルトは王子の帰国を待ち続けた。だが誓いは果たされることなく王国は滅亡した。
 虜囚となったラウンヒルトはフレルクの下へ売られながらも王子を愛し、その帰りを待ち続けた。魔女となった今もである。
 心の中に流れ込んでくるリントガルトの声が、王子は誓いを破り、お前は捨てられたのだと囁きかけた。
 正常な状態なら、そのような虚妄に惑わされることはなかっただろうが、魔女の呪いに汚濁された言霊はひび割れた心に染み入って、正しい判断を狂わせる。
 黒く染まった薬指から、手の甲、手首、肘にかけて呪いの陰が広がる。
「ラウンヒルト!」
 スヴァンブルクが呼びかけた。しかし、その声は愛を失った女の耳には届かない。
「なんということを……」
 肉体を傷つけられるよりも残酷な報復に、ヴィルルーンは嫌忌の念を積もらせた。
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