第7話 空へ(フリーゲン)! Ⅳ

文字数 4,159文字

「死ね!」
 両手に蟷螂の鎌を生やしたラギンムンデがブリュネに襲いかかる。
 猫科動物特有の素早い身のこなしで攻撃を躱すが、その隙を突くように自らが女王蜂となったマールヴィーダが空中を舞って尾にある毒針を突き刺す機会をうかがう。
「頭上が、がら空きですわよ!」
 空と地上に分かれた二人の連携は見事にかみ合い、ブリュネは一瞬も気を抜くことができない窮地へと追い込まれていく。
「これで止めだ!」
 振り下ろしたラギンムンデの鎌が、ブリュネの腹部を掠めた。
 反射的に後方に跳んで直撃を避けるも、皮膚が切り裂かれ、出血を強要される。幸いにも、命にかかわるような痛手ではなかった。しかし、バランスを崩したところを、背後からマールヴィーダに羽交い絞めにされた。
「捕まえましたわよ」
 獲物を捕らえた女王蜂は尾にある針を突き立て、巨象をも死に至らしめる猛毒を注ぎこもうとする。だが、その時、遠くから名前を呼ぶ声がした。
「ブリュネ様!」
 戦場に到着したヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を抜くと、刀身に魔力を込めて振りぬいた。
「ハァ!!」
 魔女を討つ剣から放たれた銀色の閃光は刃となり、ブリュネの背中にしがみついたマールヴィーダを急襲する。
「避けろ、マールヴィーダ!」
 咄嗟に発したラギンムンデの警告に助けられ、マールヴィーダは間一髪ブリュネの背中から飛び退る。
「なに事ですの!?」
 状況の飲み込めない二人の魔女を無視し、ヴァルトハイデはブリュネの下へ駆け寄った。
「ブリュネ様、ご無事ですか?」
「ヴァルトハイデ、よく来てくれました。あなたのおかげで窮地を脱することができました……」
 ブリュネは腹部を切られていたが、流れ出た血の量ほど深刻なものではない。
「申し訳ありません。侵入者に気づくのが遅れました」
「あなたが謝ることではありません。まさか直接ここへ乗り込んで来るとは、誰も想像していませんでしたから」
「あれが、帝都を襲った魔女ですね?」
 銀の胸甲の女を見やりながらヴァルトハイデが訊ねると、ブリュネは頷いてから答えた。
「彼女の身体から、オッティリアと同じ匂いを感じます。ですが気をつけて下さい。残る二人のはぐれ魔女も油断ならない相手です」
 ブリュネにいわれ、ヴァルトハイデはラギンムンデとマールヴィーダを順番に見た。確かに、その見た目からも尋常ならざる印象を受ける。
「まずは、わたしとあなたで、あの二人を片付けましょう」
「その必要はありません」
 ブリュネが提案すると、ヴァルトハイデはこれを拒否した。
「……残りの一人を倒せば、後の二人は戦わずとも撤退すると考えるのですか? 確かに、その可能性もあるかもしれませんが、わたしには、それほど甘い相手だとは思えません」
「いえ、そうではありません」
 もう一度ヴァルトハイデが否定すると、ブリュネはさすがに困惑の色を浮かべた。
「どういうことですか?」
「わたしが三人を相手します。ブリュネ様は、休まれていて下さい」
 傷ついた恩師を慮っての発言だった。それにしても、一人で三人と闘うのは無謀に思われた。
「お待ちなさい。いくらあなたでも、一人で勝てる相手ではありません!」
「御心配ありません。ブリュネ様に教えて頂いたことを、今ここでお見せいたします」
 ヴァルトハイデは自信に満ちた表情で答えると、魔女たちの前に歩み出た。
「おい、聞いたかマールヴィーダ? あの女、一人でオレたちを相手にするつもりだとよ」
「ハルツの魔女が冗談をいうなんて知りませんでしたわ。ただし、笑えない冗談ですわね……」
 傲慢とも思えるヴァルトハイデの態度に、二人の魔女は不快感を示した。
「ファストラーデ様! あの女から殺しても構いませんか?」
 ラギンムンデが訊ねた。
「好きにしろ。いずれにしても、ハルツの魔女は皆殺しだ。お前たちの力を見せてやれ」
 胸甲の魔女の許可が下りると、ラギンムンデは陰惨な笑みを浮かべた。
「行くぞ、マールヴィーダ!」
「ええ、速攻で終わらせますわよ!」
 二人の魔女は左右に展開し、同時にヴァルトハイデへ襲いかかる。
 この時ファストラーデは、命令とは裏腹に別のことを思っていた。
 ヴァルトハイデが現れた時、振りかざした剣の切っ先から放たれた魔力の刃は銀色に光っていた。あれこそは、自分たちが探し求めるランメルスベルクの剣ではないのかと。
 だとすれば、ラギンムンデとマールヴィーダが束になったところで太刀打ちできない。果たして、事実そうであるのか、ファストラーデは二人の魔女を嗾けることで試そうとした。
 得意の瞬発力でラギンムンデがヴァルトハイデとの距離を縮める。
「薄のろめ!」
 ヴァルトハイデはスピードに対応できず、身を守る体勢もとれないまま、蟷螂の鎌によって切り裂かれるかに思われた。
 だが、ラギンムンデが鎌を振りおろそうとした刹那、ヴァルトハイデはため込んだ力を解放し、二人の魔女を上回る圧倒的な動作と素早さでこれを迎え撃った。
 まず、ラギンムンデが鎌を振り上げた瞬間、わずかに隙が覗いた横腹へこぶしを叩きこんだ。
 ラギンムンデは吐しゃ物をまき散らし、悶絶してその場にうずくまる。
 さらに、空中からヴァルトハイデを捕まえんと飛来するマールヴィーダに対して高々と跳躍すると、後ろ回し蹴りを女王の顔面へ炸裂させた。
 マールヴィーダは脳しんとうを起こして草地の上へ仰向けに落下する。ヴァルトハイデは剣を抜くこともなく、一瞬にして二人の魔女を無力化した。
「ほう……」
 意外な面持ちで戦いぶりを評価したのはファストラーデだった。もう一度、剣を振るう所を見ることはできなかったが、ランメルスベルクの剣を託されたとしても違和感のない実力者と判断した。
 それよりもさらにヴァルトハイデの成長に目を見張ったのはブリュネだった。
 愛弟子が既に自分に匹敵、あるいはそれにも勝る力を蓄えていることは以前から認めていた。しかし、自分が苦戦した相手を問題にもならないほど軽くあしらって見せた様は、これまでの認識をはるかに凌駕するものだった。
「貴様、名前は何という?」
 ファストラーデが訊ねた。
「ハルツの魔女、ヴァルトハイデ」
「どうだヴァルトハイデ、わたしと一緒に来ぬか? 殺すには惜しい逸材だ。人間どもを滅ぼし、共に魔女の国を創ろうではないか」
「断るといったらどうする?」
「何が不満だ? 貴様らハルツの魔女も、人間にはうんざりしているのだろう?」
「だからといって、お前たち悪しき魔女と同じ道を進むことはできない」
「悪しき魔女か……ならば仕方あるまい。貴様には死んでもらう」
 剣を抜いて、ファストラーデが歩み寄った。
 今度の相手は、先の二人とは格が違う。ヴァルトハイデはファストラーデから発散される圧倒的な魔力を感じた。おそらくは自分と同等。あるいは、それを上回るものだった。
「ヴァルトハイデ、わたしも戦います。二人でなら、あの魔女を追い帰すくらいはできるでしょう」
「ブリュネ様……」
 ブリュネも感じていた。ファストラーデという魔女の実力を。ヴァルトハイデはこの時も断るつもりだったが、それができなかった。
 師であるブリュネが、怯えているように見えたからだった。
「分かりました。ですが、ブリュネ様は傷を負われています。くれぐれも無理はなさらないでください」
「無理をせずに勝てる相手ならばいいのですが……ともかく、参ります!」
 ブリュネが剣を握り直し、ヴァルトハイデがランメルスベルクの剣を抜こうとした瞬間だった。ヴァルトハイデの視界に捉えていたはずのファストラーデが、姿を消した。
 同時に、ブリュネの悲鳴が響いた。
 再びヴァルトハイデがファストラーデを視界に映したとき、すでにブリュネは戦闘不能に陥っていた。
「ブリュネ様!!」
 背後から、ファストラーデがブリュネを切り付けていた。
 深々と背中を切り裂かれた人猫(カッツェフラウ)は、雪のように白い肌を真っ赤に染めて倒れ込む。
 ラギンムンデが使っていたのと同じ術だ。しかし、その効力は比較にならない。ヴァルトハイデもブリュネも、ファストラーデの影さえ見ることができなかった。
「……他愛ない。しょせん使い魔などこの程度のもの。飼いならす価値もない」
 ブリュネに手こずっていたラギンムンデとマールヴィーダを蔑むように呟いた。
「おのれ!」
 ヴァルトハイデはカッとなり切りかかった。
 ファストラーデは楽々とこれを躱し、いったん距離を取る。ヴァルトハイデは胸甲の魔女への追撃を後回しにし、倒れたブリュネに手を伸ばした。
「ブリュネ様!」
 かすかだが息はある。しかし、予断を許さない深手を負っていた。すぐに手当を施さねなければ、再び目を覚ますことはないと思われた。
「くっ!」
 ヴァルトハイデはファストラーデを睨みつけた。
「どうした? その程度の使い魔に、何をむきになっている?」
「この方はただの使い魔ではない……わたしにとっては、命を救っていただいた恩人の一人。この身に代えても、守らねばならない相手だ!」
「ではヴァルトハイデよ、貴様と貴様の恩人に生きる機会を与えよう。もう一度命じる、わたしと共に来い」
「断る!」
「では、使い魔ともども死ぬがいい」
 ファストラーデは剣を振り上げた。
 ヴァルトハイデはどうすることもできなかった。ブリュネを守って戦えるほど甘い相手ではない。かといって一人で逃げるなど、なおさらできない。
 万事休すかと思われた瞬間、ヴァルトハイデの耳に自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「ヴァルトハイデーーーー!!!!」
 箒に乗ったゲーパが空をかけてくる。
「掴って!」
 箒の上から手を伸ばす。ヴァルトハイデはとっさにランメルスベルクの剣を口にくわえると、左手でブリュネを抱え、右手でゲーパの手を掴んだ。
「離さないでよ!」
 さすがに、片手で二人分の体重を支えるのは無理があった。それでも、ゲーパは腕がちぎれても構わないとばかりに魔力を振り絞って空高く舞い上がった。
 ファストラーデは、上空へ逃れたヴァルトハイデらを慌てる風もなく見上げた。それだけの余裕、力の差が彼女にはあった。
 ゲーパは上手く二人を助けることができたが、長く飛んでいられる状態ではなかった。
 近くの森の上まで達すると、墜落するようにその中へ紛れた。
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