第14話 戦いの後に Ⅱ

文字数 5,875文字

 ゼンゲリングに到着したフロドアルトは、最も見晴らしのよい丘の上に布陣した。
「地域住民の避難は完了いたしました」
 腹心のヴィッテキントが報告する。
「ご苦労。それにしても歯がゆいものだな、帝国の命運を魔女に託さねばならないというのは……」
 丘に立ち、死者の群が迫ってくる方向を睨みながらフロドアルトが答えた。
「あのヴァルトハイデという魔女、はたしてレギスヴィンダ様が期待されるほど戦力になるのでしょうか?」
 ヴィッテキントが懐疑的な意見を述べる。
「なってもらわなくては困る。少なくとも、あの剣は本物だ。帝都を襲撃した七人の魔女には及ばずとも、命も持たずに蠢く腐肉の群を打ち払うぐらいには役立つだろう。それよりも当てにならぬのは諸侯のほうだ」
「そうはいわれますがレギスヴィンダ様の要請に応え、多くの諸侯がゼンゲリングに集結しつつあります。数の上では死霊の軍勢をはるかに上回ることは間違いありません」
「数だけはな。我らがクラースフォークトで戦った時も同じだ。クルムシャイトとメーメスハイムは討ち死にしたが、命をかけて戦う覚悟のあった者が他にどれほどいたことか。我らはハルツと同盟を結んだが、諸侯も地位と所領を安堵されるなら死霊たちとすら同盟を結ぶだろう」
「御冗談を……」
「冗談ではない。だからこそ、わたしが目を光らせておかねばならぬのだ。本当にレギスヴィンダを守ってやれるのは、このわたしだけなのだからな」
 フロドアルトは死者の群を真正面に見据えながらも、後背で面従腹背する諸侯への警戒も怠っていなかった。


 フロドアルトが布陣を終えた翌日、レギスヴィンダ率いる帝国軍本隊がゼンゲリングに到着した。
 レギスヴィンダとともに帝都を出陣したのは御前会議に出席したアルバンベルガーバウアー公爵、ホルレバイン侯爵、ディンスラーゲ侯爵、アールグリム伯爵、デクスハイマー伯爵、オクセンキューン伯爵、ヘンリヒフライゼ子爵、レッケンドルプ男爵、グランドルフ男爵である。
 その兵数はフロドアルトがクラースフォークトで戦った時をはるかに超え、七十年前にレムベルト皇太子の下に集結した諸侯軍や義勇軍の大連合を除けば、帝国史においても前例のない規模にまで達した。
 これはレギスヴィンダが何度も諸侯に挙兵を促した結果であり、諸侯にも帝国の興廃に係わる事態に瀕しているとの危機感が共有されていたからである。
「壮観ですな。これだけの有力貴族が一堂に会す様子は、社交界でもそうそう見られるものではありません。これも殿下の人望でありましょう」
 様々な意匠、紋章の翻る友軍の旗印を見渡し、新任の騎士団長ガイヒが武者震いとともに感想を漏らした。
 レギスヴィンダは白馬に跨り、やや緊張した面持ちでヴァルトハイデに訊ねた。
「敵軍はどうなっていますか?」
「先ほど、二度目の偵察に出ていたゲーパが戻ってきました。エルシェンブロイヒの軍勢も、間もなくゼンゲリングへ達するとのことです」
「そうですか。いよいよ始まるのですね。負けることのできない戦いが……」
 再び帝国軍が敗退するようなことがあれば、住民を巻き込んで死者の群を帝都で迎え撃たなければならなくなる。それだけは避けなければならない。また、どこかでこの戦いを見ているであろう七人の魔女に対しても、勝って帝国軍の精強さと、何者にも屈することのない意志を示さなければならなかった。
 太陽が頭上へさしかかったころ、レギスヴィンダの下へ敵軍到着の報せがもたらされた。
「丘の先に、死霊の軍勢が姿を現しました!」
 兵士の声が響き渡り、レギスヴィンダたちに決戦の機運が高まる。
「いよいよですね、ヴァルトハイデ……」
「恐れることはありません。殿下は、このわたしがお守りします」
「……期待しています」
 ヴァルトハイデの視線の先に現れた死者たちは、まるで溢れ出た汚水のように沃野を侵食し、瞬く間にゼンゲリングの半分を埋め尽くす。その数はクラースフォークトの時とは比べ物にならず、帝国軍に引けを取らないほどにまで膨れ上がっていた。
 死者の群を率いる白骨馬の騎士と首なしの魔女は、帝国軍の大部隊を前にしても怯むでもなく驚くでもなく、まずは堂々としたその陣構えに称賛を贈った。
「見事なものではないか。何者が率いているかは知らぬが、レムベルトと戦った時を思い出す」
「クラースフォークトで敗退しながら、まだこれだけの兵力を動員できるとは。帝国軍の精髄は滅んでいなかったようだな」
「何を喜んでいる? 我らはあれと戦わねばならぬのだぞ?」
「なればこそ。武人であれば強き相手と戦ってこそ功を誇れるというもの。この手で帝国を滅ぼすなら、せめてその最盛期にと欲するのが我が忠義である」
「わたしは魔女だ。武人の考えることは分からぬ。だが、死した身体に高ぶりが甦るのを感じている。今度こそハルツに一矢報い、オッティリア様に勝利を捧げる」
「ランメルスベルクの剣といったか? レムベルト皇太子が用いられた剣の継承者がどこかにいるはずだ」
「しかし、これだけの数がいては、その者を捜し出すのも難しかろう」
「ならば、例の男に役立ってもらうとしよう」
 ボーネカンプとラインハルディーネは申し合わせると、騎馬に跨った一人の死者を帝国軍へ差し向けた。
 死霊の群が左右に分かれ、その間から騎兵が駆けだす。それが何者なのかを視認できる距離まで達すると、レギスヴィンダたちは戦慄の声を上げた。
「あれは、メーメスハイム!」
 一早く、その素性に気付いたのはフロドアルトだった。
「まさか、子爵殿が生きておられたとは……」
 ヴィッテキントが続けた。死霊たちに捕らえられながら、隙を見て脱出してきたのではないかと思った。しかし、フロドアルトは非情にそれを否定した。
「……違う、奴は生きてなどいない。見ろ、あの砕けた頭蓋を!」
 ボーネカンプのひび割れた斧によってメーメスハイムの頭部は粉砕され、脳髄が露出している。騎馬もまた腹部が裂け、臓物を引きずりながら疾駆していた。
「なんとむごたらしい……」
「これが我らと同じ名門貴族に対する仕打ちか!」
「うっぷ……見ておられぬ……」
「……奴らには死者や敗者に対する情けもないのだな」
「メーメスハイム子爵、必ず仇は討ちますぞ!」
 ともに戦った諸侯は怒りや憐れみを漏らす。新たに帝国軍に加わった者も、この戦いに負けた時、自分がどのような運命をたどらされるのかを否応なく理解した。
 メーメスハイムは帝国軍と死者の群の中間地点まで来ると、駒を止めた。
「こちらからも代表者を選び、一騎討ちに応じよと誘っているのでしょうか?」
 レギスヴィンダの傍に控えたガイヒがいった。
 諸侯や将兵も、その意図を読み取っていた。しかし、自ら名乗りを挙げる勇気ある者はいない。
「……ヴァルトハイデ、メーメスハイム子爵の魂を救ってあげてください」
「畏まりました」
 ならばと、帝国軍の代表者をレギスヴィンダが指名する。
 ヴァルトハイデは拒否するそぶりもなく命令を宜うと、ゆっくりと丘の斜面を下って行った。
「我らが王の術に絡め取られたメーメスハイムの魂を救済するには、ランメルスベルクの剣でこれを断ち切るしかない。さあ、帝国軍よ、この時代のレムベルト皇太子の後継者がどれほどの者が見せてみよ! そして見事メーメスハイムを解放してやるがよい!」
 ボーネカンプはどんな勇者が代表として出てくるのか期待した。しかし、進み出た黒いマントと長い髪をなびかせた若い女の姿に落胆した。
「なんだあの女は! 帝国軍め、何を考えている? もしや我らの意図が伝わっておらぬのではあるまいな!」
 ボーネカンプは憤る。それをラインハルディーネが諌めた。
「焦るな。あれは魔女だ。強い力を感じる」
「魔女だと? メーメスハイムにかけられた術を解くのに、ランメルスベルクの剣は必要ないというのか?」
「そうではない。恐らくは、あれが現代のレムベルトの後継者――」
 ヴァルトハイデは静かに歩を進めると、十分な距離まで近づいて立ち止まった。
「殿下のご沙汰だ。今からお前を自由にする」
 剣を抜き、メーメスハイムに呼びかける。
 ヴァルトハイデは、死者たちが自分の力を試そうとしているのだと理解していた。また、二人の死霊の頭目だけでなく、彼らすべてを操る古の魔術師がどこかで見ていることにも感覚的に気づいていた。だからといって、力を出し惜しみするつもりはない。
 死せるメーメスハイムに、ヴァルトハイデの呼びかけを挑発と受け取る知能はなかった。それでも、かけられた術が目の前に現れた生者を敵と認識し、攻撃態勢へ移行させる。
 メーメスハイムも剣を抜くと、臓腑を引きずったままの騎馬を疾駆させた。
 決着は、一瞬の交錯の中に終わった。
 メーメスハイムの剣はヴァルトハイデに届かず、ランメルスベルクの剣が人馬もろとも一閃の下に常闇の術を切り裂いた。
 騎馬は横転し、メーメスハイムもそのまま落馬して、ただの死体に戻る。
 見守っていた帝国軍の陣営からは「おお!!」と、どよめきが上がった。
 フロドアルトの詭計によって魔女としての正体が暴露されることはなかったが、レギスヴィンダからランメルスベルクの剣の所有者に指名されたヴァルトハイデの実力を疑問視し、どれほどのものかと訝しんでいた諸侯は少なくなかった。
 この結果は、そんな諸侯を黙らせるものであり、帝国軍全体の士気を高めてあまりあるものだった。
「レムベルト皇太子の時のように、ただランメルスベルクの剣を貸し与えるのではなく、ハルツの魔女自ら戦士となり戦場(いくさば)へ下りてきたか……」
「今の帝国にはレムベルトの跡を継げる者がいないのか、それともハルツの魔女自ら動かねばならぬほど危機感を募らせているというのか……」
 ボーネカンプとラインハルディーネは、それぞれにヴァルトハイデとランメルスベルクの剣に警戒心を募らせた。
「望むところだ。強者と戦ってこそ武人の本懐。ラインハルディーネよ、あの魔女の首は我が頂く。悪く思うな!」
 ボーネカンプは白骨馬の腹をけると、ヴァルトハイデめがけて突進した。
 それが、両軍にとっての開戦の合図だった。
 ボーネカンプが打って出ると、その後に続いて死霊の群がゼンゲリングの丘へなだれ込む。
「敵軍が行動を開始しました。こちらも全軍を以って迎え撃ちなさい!」
 レギスヴィンダも遅れまいと騎士団に突撃を命令する。
 まずは皇女直属の宮廷騎士団の騎馬隊がヴァルトハイデを援護するべく丘をかけ下る。これに呼応して各諸侯軍の精鋭が後を追った。
 ヴァルトハイデは猛然と迫りくる漆黒の鎧に身を包んだボーネカンプを前にしても微動だにせず、相手の攻撃に対して無防備に立ちつくした。
「どうした、臆して動けぬか!!」
 ボーネカンプが挑発する。それでもヴァルトハイデは構えることもせず、別の方向へ意識を向けていた。
 ひび割れた斧が頭上へ落ちかかろうとした瞬間だった。ヴァルトハイデはようやく行動を起こすと、あろうことか背中を向けた。
「なに!」
 驚いたのは白骨馬の騎士だった。もう一人の死霊の頭目、赤い鎧の首なしの魔女が、さらに素早く獲物へにじり寄っていた。
 ボーネカンプを囮にし、背後からヴァルトハイデを急襲しようと企んだラインハルディーネだったが、その行動はすべて黒い陰を宿した右目の網膜に映っていた。
 突き出された錆びた剣の切っ先は、ランメルスベルクの剣で弾き返され未遂に終わる。
「ラインハルディーネ、よけいな真似を!!」
 先を越されたボーネカンプは怒り心頭に発し、がら空きになったヴァルトハイデの背中へひび割れた斧を叩きつけようと試みたが、これも読まれていた。
 ヴァルトハイデは軽やかに跳躍すると、背面跳びの要領で斧鉞(ふえつ)の発する風圧に乗って揚々とこれを躱す。
 いずれの攻撃も不発に終わった。二人の死者は、互いを非難しあったが、それ以上にハルツの魔女を評価した。
「やってくれたな、ラインハルディーネよ!」
「オッティリア様の仇を貴様に譲ると思ったか? 相変わらず甘い男だ」
「だが、奴の実力は把握した。これまでにない戦いができようぞ!!」
 二人は出し抜きあう愚を悟ると、共闘してヴァルトハイデに襲いかかった。
「ヴァルトハイデはどうしていますか?」
 戦いを見守るレギスヴィンダが、ガイヒに訊ねた。
「フロドアルト様を苦しめた、二名の死者と戦っております。今のところ、優勢かと存じます」
「ヴァルトハイデに心配はいりません。二人を引きつけてくれているうちに、例の物を」
「ハッ、カタパルト用意!」
 レギスヴィンダが命じると、ガイヒは部下に投石機の準備をさせた。
 切ろうと打とうと痛みも恐怖も感じない死者に対し、物理的な攻撃のみでこれらを退けるのは限界があった。レギスヴィンダは七十年前の戦いを参考にすると、投石機によって火のついた油壺を発射することを思い立った。
「カタパルト発射用意! 放て!!」
 レギスヴィンダの号令で、無数の火球が空中へと撃ち出された。
 死者の中心に着弾した油壺は火柱を上げ、紅蓮の炎で周囲を焼き尽くす。
「次弾用意、放て!」
 効果があることを確認すると、レギスヴィンダは間髪入れず命じた。
 ゼンゲリングの丘は火山が噴火したかのように、そこここから火の手が上がり、黒煙が上空を覆う。
 死者の行進は勢いをそがれ、多くの遺体が焼かれ、灰になり、帝国軍はがぜん有利な状況で、戦闘の序盤の主導権を握ることに成功した。
「レギスヴィンダはやるではないか」
 最初に布陣した場所から一歩も動かず、戦況を眺めていたフロドアルトが呟いた。
「これもまた、ハルツの魔女による献策とのことです」
「ハルツの魔女は、よほど炎の扱いに長けているようだな。わたしの下にも、このような策を献じてくれる者がいればよかったのだが」
「は、はぁ……」
 冗談とも嫌味とも取れない返答に、ヴィッテキントは苦慮する。
「それはともかく、諸侯も奮戦しているではないか」
「御前会議でレギスヴィンダ様から失いかけた信頼を取り戻すために必死なのでしょう」
「今さら何をしても無駄なことを……いずれにしても、レギスヴィンダはわたしの指示どおりに動いているようだな?」
「すべて、フロドアルト様のシナリオ通りに進んでいます」
「ならば最終的な勝利を決定づけるために、我らも動かねばなるまい。この戦いのその後の主導権を得るために」
 フロドアルトは直接戦闘には参加せず、自らの手勢を引き連れると戦場を移動した。
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