第13話 疑惑と虚構 Ⅲ

文字数 4,594文字

 死者の進軍はとどまるところを知らなかった。
 大きな痛手を被った諸侯軍は一時期分裂の危機に瀕したが、寸でのところで踏みとどまった。帝都へ帰還した皇女レギスヴィンダの存在に、多くの者が勇気づけられたからだった。
 ルーム帝室は滅んでおらず。
 レギスヴィンダがその健在を天下に知らしめると、クラースフォークトの敗退にしり込みしていた諸侯からも、国家の一大事に立ちあがらぬわけにはいかぬと参戦を表明する声が相次いだ。
 しかし、最も連帯しなければならない時になって、帝都プライゼンに帝室への不信感を掻きたてるような疑惑の声がささやかれた。


「ディンスラーゲ侯爵が宰相府において、何やら嗅ぎまわっているだと?」
 アウフデアハイデ城のフロドアルトは腹心であるヴィッテキントから報せを聞くと、煩わしそうにナイフとフォークを置いて、ナプキンで口をぬぐった。
 せめて朝食の時ぐらい雑事に追われることなくゆっくりしたいものだと不満顔を作って見せたが、帝国の内外に目を光らせておかなければならない公子にとって、気を許せる時間はなかった。
 ヴィッテキントが説明する。
「宰相府の中に、レギスヴィンダ様がハルツと同盟を結んだことを漏らした者がいるようなのです」
「ほぅ、宰相府に……」
 フロドアルトは特定の人物を想像しながら、近習にワインを注がせる。
「まさか、オステラウアーではなかろうな?」
「いえ、宰相閣下ではありません。まだ特定は済んでおりませんが、小吏が金品によって買収されたものと思われます」
「宰相府も綱紀が緩んでいるようだな。はした金で機密を漏らす汚吏など、ジークブレヒト陛下が存命ならば考えられぬことだ。いや、ディンスラーゲの古狸の仕業となれば、注意を怠っていたわたしが甘かったというべきか……」
「ディンスラーゲ侯爵家はホーエンローエ侯爵家と姻戚関係を結んでおります。これを口実に、レギスヴィンダ様を糾弾し、失脚させるおつもりなのでしょう」
「時代に取り残された老人どもの考えそうなことだ。しかし、放置しておくわけにもいかぬ。奴は、どこまで事情を把握しているのだ?」
「おそらくは、ヴァルトハイデ様の素性についてはすでに」
「なるほど……」
「他にも、ホルレバイン侯爵、アールグリム伯爵、デクスハイマー伯爵、レッケンドルプ男爵が、ディンスラーゲ侯爵の屋敷を頻繁に出入りしているとのことです」
「うむ……」
 フロドアルトは何やら思案を始めた。そして、一計を思いつくとヴィッテキントに命じた。
「宜しい。レギスヴィンダに連絡せよ。わたしが一肌脱いでやろう。例の魔女にも一芝居打ってもらう。失脚するのはディンスラーゲの方だ」
「はっ、承知いたしました!」
 妙案を思いついたフロドアルトは満足そうに、近習に注がせたワインを飲み干した。


 午後になり、レギスヴィンダの名において緊急の御前会議が開かれた。
 シェーニンガー宮殿に招集されたのはフロドアルトの他、クラースフォークトで戦ったディンスラーゲ侯爵、ホルレバイン侯爵、アールグリム伯爵、デクスハイマー伯爵、レッケンドルプ男爵、そしてレギスヴィンダの無事を知って帝都へ駆けつけたアルバンベルガーバウアー公爵、オクセンキューン伯爵、ヘンリヒフライゼ子爵、グランドルフ男爵である。
 諸侯には会議の目的を、勢力を増しながら帝都へにじり寄る死者の軍勢に対し、どのように立ち向かうかを話し合うものと伝えられていた。
 議事室に集った諸侯は歓談を交えながら、各々の考えを述べあう。
 その中でフロドアルトは諸侯の会話に耳を傾けながらも、自ら積極的に意見を発することなく、レギスヴィンダが現れるのを待った。
 やがて、隣室へ繋がるドアが開き、ヴァルトハイデを伴ってレギスヴィンダが姿を見せる。
 レギスヴィンダは居並ぶ諸侯に謝意を示すと、まずは御前会議の趣旨を説明した。
「此度は緊急の招集にも関わらず、よく集まってくださいました。帝室を代表し、わたくしが皇帝陛下の名代としてこの会議を取り仕切らせていただきます。ここに集まった誰もが知ってのとおり、現在ルーム帝国は存亡の危機にさらされています。この国家的苦難を乗り越えるためには、これまで以上に団結した諸侯の力が必要だとわたくしは考えています。そのためにはまず――」
「お待ちください殿下」
 レギスヴィンダの説明の途中だった。やおらフロドアルトが声を挙げ、議事の進行を遮った。
 それまでじっと黙りこんでいた公子が急に口を開いたため、諸侯は違和感を覚え、発言の内容に注目した。
「なんでしょうか、フロドアルト公子?」
 とってつけたように、レギスヴィンダが質問する。
「協議を始める前に、わたくし自身の進退についてけじめを付けておきたいと思いまして」
「それはいったい、何に対してのけじめでしょうか?」
「今回の一件、つまり諸侯連合を率いて出陣しておきながら不覚にも後退を余儀なくされ、必勝不敗のルーム帝国の零名に傷を付けましたこと、また、殿下からお預かりした幾多の将兵、クルムシャイト侯爵、メーメスハイム子爵らを散華させましたことは、偏にわたくしの不徳といたすところ。これらの責任を取り、諸侯連合の指揮権とともに、ジークブレヒト陛下の寝室から無断で拝借いたしましたレムベルト皇太子の剣を殿下にお返ししたいと存じます」
 フロドアルトは立ち上がると、恭しく膝をついて剣を差し出した。
 どこか大げさで、芝居がかった風にも見られたが、諸侯はフロドアルトが黙り込んでいたのを、責任を痛感して消沈していたからだと思いやった。
 レギスヴィンダは一瞬、戸惑うような素振りを見せたが、予定通りの筋書きでやり取りを進めた。
「……分かりました。では、ヴァルトハイデ、あなたがこの剣を取りなさい」
「はい、殿下」
 レギスヴィンダが命じると、今度はディンスラーゲ侯爵らが戸惑いと驚嘆の色を見せた。
「何を驚いているのです?」
「いえ、わたくしは何も……」
 レギスヴィンダに一瞥され、ディンスラーゲ侯爵は顔をそむける。
 改めてレギスヴィンダは諸侯に向き直ると、強い口調で言い放った。
「みなに対し、表明しておくことがあります。このヴァルトハイデは皇帝陛下の命に従い、悪しき七人の魔女によって帝都が襲撃された夜から、身命を賭してわたくしの警護を務めてくれています。あろうことか、そのヴァルトハイデに対して魔女の嫌疑をかける者、わたくしが魔女と契約を交わしたなどと吹聴して回る者がいると聞きます。みなも知っている通り、このレムベルト皇太子の剣は魔女を討つことのできる唯一の剣。魔女ならば触れることすらできない代物です。ヴァルトハイデ、みなの前で剣を手に取り、魔女ではないことを自ら証明しなさい」
 この上ない茶番だった。ヴァルトハイデから借りた物を、大仰な理屈をそえて、再びヴァルトハイデへ返そうというのだ。
 事情を知っている者にとっては、噴飯すべき光景であった。それでもヴァルトハイデを魔女と疑うディンスラーゲ侯爵たちにとっては、目を疑う瞬間だった。それだけに、フロドアルトは頭を垂れた姿勢のまま、口許に冷笑が浮かぶのを堪えられなかった。
 ヴァルトハイデは剣に手を伸ばすと、白銀の刃を鞘から抜いて宣誓した。
「わたくしは、呪いの魔女を討ったこのレムベルト皇太子の剣に誓い、レギスヴィンダ様に忠誠を尽くすことを確約します」
「宜しい。ヴァルトハイデ、今日からその剣はあなたのものです。これからもわたくしのため、ルーム帝国のため、歴代の剣の所有者に恥じぬ活躍をするよう期待します。フロドアルト公子も、それで構いませんね?」
「御意」
「それでは、みなに対しても皇帝陛下の名代として命じます。今後、あらぬ流言を用いて帝室の名誉を貶めるような行為に及ぶ者があれば、厳罰を持って対処します。もし、そのような者を見つけた時は、すぐにわたくしに報告してください。諸侯が秩序と良識に従って行動するよう、切に願います」
 レギスヴィンダの沙汰により、ディンスラーゲ侯爵の思惑は脆くも崩れ去った。
 ホルレバイン侯爵、アールグリム伯爵、デクスハイマー伯爵、レッケンドルプ男爵も、ヴァルトハイデに対する嫌疑が晴れると、噂に踊らされた自分たちの軽率さを恥じ、翻ってその思いはディンスラーゲ侯爵に対する反感やそしりへと変化した。
「では、あらためて死者の軍勢に対する方策を語り合いたいと思います。宮廷に残された過去の戦乱の記録をひも解いて調べたところ、死者の軍勢を率いているのはエルシェンブロイヒという古の魔術師であることが判明しました。このエルシェンブロイヒを討つためには――」
 レギスヴィンダが議題を本筋へ戻す。
 諸侯にとっても、迫りくる死者の群への備えは火急的に対処しなければならない重大事だった。もはや誰も、帝室に対する疑惑など頭の片隅にも残っていなかった。
 だが、その中で一人だけ、レギスヴィンダの説明に集中して耳を傾けていない者がいた。
「どうされましたかフロドアルト公子、何やらお顔の色がすぐれないように見えますが?」
 真正面の席に座るアルバンベルガーバウアー公爵が訊ねた。
 フロドアルトは青ざめた顔で、額に汗を浮かべている。疲れ切った表情で、弱々しく口を開いた。
「……我ながら情けないことに、連日の激務がたたり体調を崩しておりました。殿下の御前会議とあれば無理をしてでも出席せねばと参ったのですが、ご覧のあり様のようです……」
「それはいけません。フロドアルト公子には退室を許可します。会議の終了後、議決の内容を伝えますのでアウフデアハイデ城へ戻り、体調の回復に専念してください」
「……殿下の御仁恕に感謝します。この醜態は戦場での働きにて取り戻しますゆえ、今日のところは失礼させていただきます……」
 フロドアルトはよろめきながら席を立つと、議場を去った。
 諸侯はフロドアルトが責任を取るため、体調が悪いにもかかわらず無理を押して会議に参加していたのだろうと囁きあった。処罰されることを覚悟で出席した公子を、諸侯は立派だと称賛した。
 フロドアルトが部屋を出ると、腹心のヴィッテキントが駆け寄った。
「御無事ですか、フロドアルト様!」
「心配ない……大げさに騒ぎ立てるな。少しめまいがするだけだ。これも魔女の剣に触れていたためであろう。じきに良くなる……」
「こんなご無理をなさらずとも……」
「だが、その甲斐はあった……ヴァルトハイデが剣を手に取った後のディンスラーゲの顔をお前にも見せてやりたかったぞ……」
「では、巧くいかれたのですね?」
「ああ、諸侯はまんまと信じた。あの魔女をただの人間だと……」
「それは、ようございました」
「いや、ディンスラーゲがこの程度で諦めるとは思えぬ。おそらく、別の手段を講じてくるだろう……」
「それはいったい?」
「具体的には分からぬが、今は考える気にもならぬ。まずは身体を休めてからだ……」
「馬車を用意してありますので、そちらへお乗りください」
「ヴィッテキントよ、魔女を操って諸侯を欺くのも、存外悪い気がするものではないようだ……」
 ヴィッテキントには、フロドアルトが疲労からくる高揚状態にあるように思われた。
 ともかく、今は早急に公子を休ませなければならないと、忠実な腹心は馬車を駆ってアウフデアハイデ城へ戻った。
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