第9話 焔の決意 Ⅲ

文字数 2,103文字

 ハルツの夜空を、巨大なかがり火が焦がす。
 偉大な指導者を喪ったハルツの魔女は松明を片手に集まり、一人ずつかがり火の中にそれを投げ込んでいく。
 誰もが悲嘆に暮れていた。
 オッティリアとの戦い以降、七十年にわたりハルツを暖め、光を放ってきた炎が消えた。
 魔女たちは暗闇の中に突然放り出されたように道を失い、せめてその余熱だけでも消さないようにと、祈りを込めながらかがり火を灯した。
 かがり火の傍で、ゲーパが泣いていた。
 ヘルヴィガの最期を見届けられなかった悔しさと、力のない自分に向けられた呵責の念。これからの不安に、心が折れそうだった。
「泣かんでもよい。ヘルヴィガは解放されたのじゃ。あ奴はこれまでよく耐え、よく戦った。ようやく、休める時が来たのじゃ……」
 ヘーダが慰める。
 突然の別れではあったが、こうなることは呪いの魔女が復活したことを知った時に、ハルツの誰もが覚悟していた。
 これからはヘルヴィガなしで結束し、これまで通り魔女の歴史や伝統を紡いでいかなければならない。重たい荷物ではあるが、ヘルヴィガが一人でそれを支えていたことを思えば、残された者たちで分担し、担いきれないものではないはずだった。
 かがり火を見つめるレギスヴィンダの所へヴァルトハイデがやって来る。
「身体はもういいのですか?」
 レギスヴィンダが訊ねた。
「問題ありません。動けさえすれば、今は事足りますので……」
 ファストラーデとの戦いで多くの者が傷つき、休息を必要としていた。でも今夜だけは、偉大なハルツの長との別れに無理をしてでも立ち会わなければならない。
「殿下に、これを返さなければなりません」
 ヴァルトハイデは首に掛けていたペンダントを外してレギスヴィンダに手渡した。
「このペンダントのおかげで、わたしは助かりました。殿下には、感謝の言葉もありません」
 もしレギスヴィンダがペンダントを差し出さなければ、ヴァルトハイデは魔女の呪いによって自我を失ったまま、死ぬまで戦い続けていただろう。そうなれば、ハルツはヘルヴィガと、その後継者となるべき魔女を失っていた。
 レギスヴィンダのペンダントはヴァルトハイデだけでなく、ハルツに残された小さな希望も守ったのである。
「これは、あなたが持っていて下さい」
 レギスヴィンダは返還を固辞した。いずれまた七人の魔女との戦いにおいて、同じような場面に遭遇するかもしれない。その時、いつも傍に自分がいられるとは限らなかった。
 しかし、ヴァルトハイデもまた、それを断った。
「いいえ、これは殿下がお持ちください。これは、元々オッティリアがレムベルト皇太子に送った物です。英雄の末孫である殿下にこそ、所有がふさわしいとわたしは思います」
「オッティリアがレムベルト皇太子に……」
「はい。オッティリアは心からレムベルト皇太子を愛し、彼を命がけで守るつもりでした。たとえ運命が二人を引き裂いたとしても、その想いをこのペンダントに託したのです」
「やっぱり二人は……」
「最期まで愛し合っていました。戦いの後、ヘルヴィガ様はこのペンダントをハルツへ持ち帰ることもできましたが、そうはせず、レムベルト皇太子の遺体とともに帝国へ返したのです。憐れな魔女の最後の願い、せめて形の上だけでも二人が結ばれるようにと」
 レムベルト皇太子は戦いの最中も、常にそのペンダントを身につけていたといわれている。
 レギスヴィンダは初めてヘルヴィガに会ったとき、ペンダントを返そうとした。しかし、それを拒否したヘルヴィガに冷たい印象を抱いた。
 今になって思い返せば、あれもまたヘルヴィガの思いやりであり、七十年たって再び自分の目の前に戻ってきたオッティリアのペンダントに数奇な運命を感じていたのだ。
「どうして二人が憎みあい、戦わなければならない立場になってしまったのでしょう……」
「それが人と魔女の関わりです。我々は相容れない存在なのです」
「わたくしには、そうは思えません。ヘルヴィガ様は、わたくしにも深い思いやりや慈しみを与えてくださいました。わたくしたちは、もっと互いを理解しあえるはずです……」
 レギスヴィンダはペンダントを握り締めた。
 かがり火を見つめるヴァルトハイデの肩に小鳥が止まった。ヘルヴィガの古い友人であるルツィンデが化けた姿だ。
「ヘルヴィガが死んだか。惜しい奴ほど、早く逝くのう……」
「ルツィンデ様……」
「悲しんでいる暇はないぞ、ヴァルトハイデ。下界では呪いの魔女以外の者も動き出しておる。オッティリアの残り香に引き寄せられた羽虫のような連中がな」
「心得ています」
「奴らは、かつてオッティリアに与した魔術師やならず者、なかには帝室に刃向う貴族まで含まれておる。お主は、それらの者とも戦って勝利せねばならぬ。その剣を受け継いだ魔女の使命としてな」
「望むところです。わたしは二度と負けることも、魔女の呪いに呑まれることもありません。ヘルヴィガ様の魂が宿る、このかがり火に誓って、ハルツの魔女として旅立ちます」
 ヴァルトハイデは夜空を焦がす炎を睨んだ。
 ヘルヴィガの無念を晴らすため、思いを実現させるため、固く決意を秘めた。
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