第42話 砕け散る Ⅰ

文字数 2,803文字

 ベロルディンゲンに朝陽がさす。陽の光も満足に届かない地下牢では、夜が明けたことにも気付かずに、囚われた者たちが寝息を立てていた。
 何かに反応したのか、不意に猫の耳がピクンと動いた。寝ぼけ眼で起き上がると、慌てて牢の外へ耳をそばだてた。
「どうされたのですか、フリッツィ殿……」
 傍で寝ていたヴィッテキントが目を覚ました。フリッツィは口に指を当て、静かにするよう促す。
「なんだか、外が騒がしいみたい……」
「ヴァルトハイデ様が来られたのですか!?」
 それは分からないが、兵士が慌ただしく行ったり来たりする足音が聞こえた。


 ベロルディンゲンの城門で、声を上げる者がいた。
「我は帝都より参った皇帝陛下の勅使である。ライヒェンバッハ公にお目通りを願う。開門されたし!」
 馬にまたがったヴァルトハイデが、城へ入れるよう訴えていた。
「皇帝陛下の勅使と申したか? 証拠はあるのか!」
 城門の上から衛兵が答える。ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣をかざした。
「見よ、この剣こそは皇帝陛下からお預かりした勝利の剣。ルーム帝室の宝である。確認されたなら、門を開けられよ!」
「立ち去れ、痴れ者め! そんな物が証拠になるか!!」
 おりしも魔女の集団が押し寄せてくるかもしれないという切迫した状況だった。衛兵はヴァルトハイデを疑い、門前払いにする。ヴァルトハイデも、そう簡単に中へ入れてもらえるとは考えていなかった。
「ならばしかたあるまい。この剣が勝利の剣であることの証拠をお見せしよう!」
 ヴァルトハイデは剣に魔力を込めると、城門めがけてなぎ払った。
 かんぬきが下された分厚い木製の門が横一線に切り裂かれると、兵士たちは茫然と立ち尽くした。
「これ以上の証拠が必要ならば、我が前に立ちはだかるがよい。己が身で、陛下の御意を知ることになる!」
 兵士たちが慄くと、ヴァルトハイデは揚々と城門をくぐった。


 ヴァルトハイデが城内に入ると、騒ぎに気づいたライヒェンバッハ公が信頼厚い主治医を呼んで何事かと質した。
「ルオトリープよ、どうしたのだ。城内が騒がしいようだが?」
「魔女が現れたようでございます」
「なに、魔女が! 例の女か?」
「ただいま確認しております」
「何者でもよい、魔女は一人残らず始末せよ!」
「はっ」
「こんなところで寝ておれぬ。わたしも参るぞ!」
「無理をされてはなりません。魔女のことは兵士に任せ、ルペルトゥス様はお身体をお休めください」
「心配いらぬ。わたしは充分に回復している。そのことは、お前が一番良く知っていよう?」
「……分りました。では、念のために薬を一本、投与させていただきます。その後、わたくしもお供させていただきます」
「うむ。お前が傍にいてくれれば、わたしも心強い。すぐに支度せよ。わたしとともに、魔女の最期を見届けるのだ!」
 ルペルトゥスは何も疑わないままルオトリープの治療を受けると、戦装束に着替えて部屋を出た。


 城内に入ったヴァルトハイデを迎え撃つため、次々と兵士が集まってくる。
「出会え、魔女の襲撃だ!」
「これ以上、侵入を許すな!」
「ライヒェンバッハ騎士団の力を示せ!!」
 彼らはヴァルトハイデを風来の魔女の仲間だと誤認していた。
 兵士たちの注意が侵入者に集中すると、その隙をついてフリッツィたちが地下牢から抜け出した。
「今がチャンスよ。誰もあたしたちに気づいてないわ。あたしは二人のところへ行くから、あなたたちは公爵のところへ行きなさい!」
「了解しました。フリッツィ殿も、くれぐれもお気をつけて!」
「あなたたちもね!」
 ヴィッテキントたちがルペルトゥスの寝室へ向かう。フリッツィはルートヴィナの両親のところへ急いだ。


「魔女め、覚悟せよ!」
 兵士らがヴァルトハイデに立ち向かう。しかし、彼らの力では太刀打ちできない。ヴァルトハイデはランメルスベルクの剣を振い、軽々と兵士を退けた。
 馬にまたがったまま、城の本丸へ迫ろうとしたときだった。鋼鉄の鎧に身を固めた騎士が、ヴァルトハイデの前に立ちはだかった。
「我が名は熊殺しのベルンドルファー。ルペルトゥス様の忠臣にして、魔女狩り隊の隊長を仰せつかっている。貴様、風来の魔女ではないな。何者だ、名乗る名があるなら申してみよ!」
 これまでの兵士とは、見るからに風格も実力も一味違うといった雰囲気の騎士だった。ヴァルトハイデは馬をとめて答えた。
「わたしは皇帝陛下の勅使である。ライヒェンバッハ公に用があって参った。道を空けられよ。さもなくば、他の兵士どうよう身をもって陛下の威光を知ることになる」
「貴様、妖婦の分際で陛下の名をかたるか! その罪、万死に値する! 我が槍をもって、貴様の心の臓をえぐり取ってくれるわ!!」
 ベルンドルファーは切っ先をヴァルトハイデに向けると、騎馬の腹を蹴って突進した。


 城内の混乱は、囚われていた夫婦にもただならぬ空気となって伝わった。
「何でしょう、外が騒がしいようですが……」
 ルートヴィナの母が、不安な様子で窓を覗く。兵士たちが忙しなく行き交い、怒号のような声が聞こえる。
「まさか、リカルダたちが助けに来てくれたのでは……」
 ルートヴィナの父がいいかけて、イスから立ち上がるのと同時だった。ノックもなく、ドアが開いた。
「さあ、今のうちよ。この城から脱出しましょう!」
 いきなり飛び込んできた見知らぬ女に夫婦は戸惑った。
「……どちら様でしょうか?」
「なにいってるの? 昨日来てあげたじゃない!」
「はぁ……?」
 そういえば、人の姿で会うのは初めてだったかなとフリッツィは思う。が、説明している暇はない。
「……とにかく、逃げるんだったら今しかないわ。行きましょう!」
 戸惑う二人を無理やり連れだし、地下の抜け穴を通って城外へ脱出する。
「ここまで来れば、もう大丈夫よ。あたしはお城に戻るけど心配しないで。何かあったらクラウパッツへ行きなさい。そこに、リカルダたちがいるわ」
 それだけ言い残すと、再び抜け穴へと消えた。
「待ってください、あなたはいったい……」
 フリッツィの背中にルートヴィナの父が呼びかける。最後まで、正体がわからなかった。


 寝室を後にしたルペルトゥスは兵士を呼び、状況を確認した。
「風来の魔女ではないのだな?」
「はい、アルンアウルトに現れた魔女ではありません。自らを帝都よりの勅使と名乗り、ルペルトゥス様への目通りを要求しております」
「総力戦では敵わぬと考え、刺客を送り込んできたか。それにしても、レギスヴィンダの勅使を名乗るとは恐れを知らぬ放胆さよ。こちらも相応の礼を尽くしてもてなしてやらねばのう!」
 主治医に向かっていった。ルオトリープは「御意」と頷く。
 ルペルトゥスは兵士に案内させると、力強い足取りで廊下を急いだ。城内を一望できるバルコニーへ出ると、今まさに魔女と騎士が一騎討ちを行わんと向かい合っているところだった。
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