第10話 出陣 Ⅳ

文字数 3,307文字

 首なしの魔女ラインハルディーネは、抵抗を続けるクルムシャイト侯爵軍の兵士を概ね片付け終えた。
「……変わらぬな、ルームの兵士たちよ。敵わぬと知っていながら、忠義のために命を差し出す。敵ながら称賛に値する」
 片手に抱えた首から見える景色に命ある者は映らず、逆の手に握った錆びた剣にはおびただしい血のりがまとわりつく。
 そこへ、同じようにクルムシャイト侯爵軍を壊滅に追いやった白骨馬の騎士マルボドゥス・フォン・ボーネカンプがやってくる。
「終わったか、ラインハルディーネよ。だが、我らが退けたのは諸侯軍の一部にすぎない。まだ多くの兵が残っている」
「分かっている。七十年たった今でも、ルームの兵士は精強で士気が高い。貴様も誇らしかろう?」
「できれば逆の立場で貴様と干戈を交えたかったものだ。だが、叶わぬことを夢想しても仕方あるまい。せめてこの手で帝国を滅ぼすのであれば、隆盛を極めた時代のまま、花となって散るのがよかろう」
「では、次はどの花を散らす?」
「メーメスハイム子爵軍がよかろう。子爵家は古来より武門の誉れ高い家柄。我らの時代においても、その勇名をとどろかせていた」
「よかろう。貴様の願いどおり、せいぜい、あでやかな血花を咲かすことに期待しよう」
 二人の死霊の頭目は、更なる犠牲者を求め戦場を移動した。


 クルムシャイト侯爵の戦死は、諸侯軍全体に深刻な影響を及ぼした。
 死者によって由緒正しき名門貴族の命が奪われるという七十年前の戦いにおいても前例のない惨事に、諸侯は激しく動揺し、次は自分の番ではないかと怖気づいた。
 また、クルムシャイト侯爵軍が敗退したことによって他の諸侯軍にかかる負担は増大し、一部においては死者の軍勢に押し返される場面も現れた。
 戦場は混沌とし、敵味方が入り乱れる中でフロドアルトは奮戦するも、斬りつけても斬りつけても起き上がってくる死者の群に焦り始めていた。
「ええい、これではきりがない! やはり、亡者どもを率いる首領を退治せねば終わりが見えぬわ!!」
 死者には疲労や負傷といった概念がない分だけ、戦闘が長引けば諸侯軍が不利になる。フロドアルトは早期に決着をつけるべく、クルムシャイト侯爵の命を奪った二体の復活者(ヴィーダーゲンガー)を捜して戦場を駆け巡った。
「奴らめ、どこへいった!」
 クルムシャイト侯爵軍が戦っていた場所へ救援に駆けつけるも、すでにそこには目的とする死者の姿はない。代わりに、メーメスハイム子爵軍が撤退を始めたという報せが舞い込んだ。
「何だと、メーメスハイムめ! さんざん大口をたたいておきながら、ここへきて臆したか!!」
 メーメスハイム家が武勇を誇ったのも今は昔。現当主であるランデリン・フォン・メーメスハイムは先祖の勇名を笠に着るだけの喰わせ者であった。
「クルムシャイトめ、奴がフロドアルトこそレムベルト皇太子の生まれ変わりと豪語するから参戦してやったものを、早々にくたばりおって! こんな戦いで愚か者どもに付き合って死んでられるか! 帝室は滅び、ルームの栄光もこれまでだ。今後は北方の獅子王にでも臣服するしかあるまい」
 側近とともに馬を駆って戦場を離脱するメーメスハイム子爵だったが、その前方に白骨馬に跨った黒金の騎士が現れた。
「メーメスハイム子爵とお見受けする」
「何者だ貴様! わたしをメーメスハイムと知って道を塞ぐか! 無礼者め、そこをどけ!!」
「兵はまだ戦っているにもかかわらず、なぜ子爵だけが先に戦場を離脱する?」
「わたしのために兵士が時間を稼ぐのは当たり前のこだと! 邪魔をするのであれば、貴様も容赦はせぬ。やれ!」
 側近に命じて黒金の騎士を襲わせる。が、四名いた側近は瞬く間に、返り討ちにされた。
「な……貴様、いったい!?」
「我が名はマルボドゥス・フォン・ボーネカンプ。かつて子爵と同じく、ルーム帝国に仕えた騎士だ」
「……まさか、貴様か、クルムシャイト侯爵を手に掛けたのは!?」
「いかにも。侯爵は最期まで帝国に忠誠を誓い抗った。ルームの名誉を汚すメーメスハイム、その罪、万死に値する。潔くこの場で我と斬り結んで果てるがよい!」
「うぅ……」
 追い詰められたメーメスハイムは、半ば自棄になって黒金の騎士に斬りかかった。しかし、その武勇の誉れ高いはずだった切っ先が相手に届くことはない。ひびと刃こぼれの目立つ戦斧によって、無残に頭蓋骨をたたき割られた。


 人知れずメーメスハイム子爵が絶命したころ、フロドアルトは捜し求める死霊の頭目の一人を発見した。
 赤い頭髪をなびかせた自分の首を片手に、真っ赤な鎧に身を包み、赤く錆びた剣を振るう魔女の姿は、戦場の中で生き血を浴びて、ひときわ赤く異彩を放っていた。
「ようやく見つけたぞ! 貴様だな、クルムシャイト侯爵の命を奪ったのは!」
「いかにも、それはわたしのしたことだ。お前の方こそ、何者だ?」
 掴んだ首をフロドアルトへ向け、死んだ魔女が答える。
「わたしは諸侯連合軍を率いるフロドアルト・フォン・ライヒェンバッハ、彼のレムベルト皇太子の曾孫だ」
「ほう……それにしては、全く似ておらんな。レムベルトはもっと青白く、華奢な男であったぞ?」
「容姿など問題ではない。わたしはレムベルト皇太子から英雄としての誇りと、この剣を受け継いでいる」
「剣だと?」
「そうだ。これこそは、呪いの魔女オッティリアの心臓を貫いた勝利の剣。貴様たち魔女は、この剣を目にするだけで恐ろしかろう?」
 フロドアルトが剣をかざすと、首なしの魔女ラインハルディーネは一瞬たじろいだ。だが、すぐに哄笑した。
「愚か者め、それのどこがレムベルト皇太子の剣だというのだ?」
「何だと!?」
「レムベルト皇太子の剣はハルツにあるランメルスベルクという鉱山で採れた銀でできている。特別な力を宿したその銀を、さらにハルツの魔女たちが十夜絶やさず焚き続けた魔力を帯びた炎で鍛え上げた。その刀身には、いかなる術も呪いも切り裂く力があった。だが、その剣からは何も感じぬ」
「でたらめを抜かすな!」
「でたらめではない。実際にレムベルト皇太子と戦い、この首を刎ねられたわたしがいうのだ。見間違えるはずがなかろう?」
「……貴様、このわたしを愚弄しているのか!」
「そう思うのなら試してみろ」
「後悔するぞ、貴様に二度目の死をくれてやる!!」
 冷静さを欠いていたフロドアルトは怒り心頭に発してラインハルディーネに斬りかかった。だが、英雄の曾孫が自信と自尊を持って振りぬいた剣は、首なしの魔女の錆びた剣によって簡単に砕かれた。
「なっ!?」
 真っ二つに折れた剣は、フロドアルトそのものだった。レムベルト皇太子に対する信頼と尊厳が音を立てて崩れ落ちると、戦うことすら忘れて茫然自失となった。
「いかん、フロドアルト様をお守りしろ!」
 無防備となったフロドアルトを救うべく、ヴィッテキントが号令をかけた。
 騎馬に跨った側近たちが突撃し、首なしの魔女の身体に槍を突き立てると、そのまま天高く突き上げた。
 ラインハルディーネはフロドアルトに止めを刺す千載一遇の機会を失ったかに思われたが、むしろ満足したように憫笑とも取れる高笑いを挙げた。
「アーッハッハッハッハッハ!! レムベルトもメーメスハイムも、碌な子種を残せなかったようだなあ! ざまは無い! ご覧ください、オッティリア様! これが七十年後のルーム帝国です。あなた様を裏切った者どもの末路です! 我らは負けてなどいなかった。無念は報われたのです! このまま朽ちて滅びよ、あさましき者どもの子孫らめ! うぼあー!!」
 ラインハルディーネは叫ぶと、口から腐敗した毒液を吐き出し、騎士の頭上へ浴びせかけた。
「ひぃぃぃーー!!!!」
 毒液を浴びた騎士は皮膚が溶解し、肉が腐って削げ落ちる。
「なんという化け物だ……引け! 撤退せよ!!」
 敵わぬと判断したヴィッテキントは、フロドアルトに代わって全軍に命じた。
 その後も首なしの魔女は狂ったように哄笑し、毒液を吐き続けた。
 七十年前、レムベルト皇太子が勝利を飾った緑の平原は毒と腐敗によって汚染され、フロドアルトの初陣は惨めな敗北に終わった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み