第2話 魔女の山 Ⅳ

文字数 3,066文字

 ハルツでは毎年四月三十日から五月一日まで魔女が集まり、春を祝う宴が催される。
 この期間、全山でかがり火が焚かれ、真っ赤な炎が夜空を焦がす。
 魔女の夜(へクセンナハト)の祭りが行われる四月末日の朝、ヴァルトハイデはゲーパに支えられてほら穴を出た。
 晴れた青空に朝陽が差す。
 瞑想を続けている間、太陽が頭上にある時も常に暗闇の中に閉じこもっていたので、ヴァルトハイデの目は陽射を受け付けないほど弱っていた。
 それでも少しずつ視力を回復させるとヘルヴィガの庵へ移動し、数日ぶりの朝食を味わった。
 とはいっても、胃腸が弱っているため味の濃いものや刺激の強いものは食べられない。ヴァルトハイデは一切れのパンを手に取ると、温めたヤギのミルクに浸しながら、ゆっくりと時間をかけ、何度も咀嚼しながら空っぽになった胃袋へ(したた)めた。
 窓の外の小枝に小鳥がとまる。食事が終ると、ゲーパの曾祖母であるヘーダがやってきた。
「ヴァルトハイデよ、気分はどうじゃ?」
「どうといわれましても、正直、何の実感もありません」
 ヴァルトハイデは食卓に着いたまま、落ち着きながらも、やや自嘲的に答えた。
「ふぁっふぁっふぁ、じゃろうのう。わしの目にも、少しも変わっておるようには見えんわ。この短期間で、新たな物を得ることなど不可能じゃて。気張らず、普段通りにしておればええ」
「はい。ですが、気持ちだけはすっきりしています。何か、ありとあらゆるものが新鮮に感じられるというのでしょうか……」
「そりゃ、お主が暗闇の中に閉じこもっていたせいじゃ。感覚が敏感になっておるのじゃろう。そんなことより、めしを食ったのなら水浴びに行って来い。汚れた身体のまま、祭りに臨むわけにはいかんじゃろう」
「そうします」
「ゲーパよ、後で新しい服を持って行ってやれ。わしがほれ、若いころに着ていたのがあるじゃろう?」
「ダメよそんな古臭いの。ヴァルトハイデには、あたしが町で買ってきた最新のコーデを貸してあげるから、ひいお婆ちゃんは黙ってて」
「なんじゃ、そんなちゃらちゃらしたものより、代々伝わる伝統的な衣装の方が祭りの主役にはふさわしかろう」
「それが時代遅れなの。ヴァルトハイデもちゃんとおシャレすれば、可愛い普通の女の子なんだから、あたしにまかせて!」
 二人が言い合うのを何日かぶりに聞いてヴァルトハイデは苦笑する。
 ほら穴にこもっていた半月程度の時間では、自分も外の世界もなにも変わっていなかった。ヴァルトハイデは席を立ち、身体を清めるため谷川へ向かった。


 魔女の夜(ヘクセンナハト)の準備が進められていく。
 かがり火を焚くための薪が積み上げられ、各地から魔女が集まってくる。
 魔女の中には、様々な理由でハルツ以外に暮らす者も大勢いる。そんな者たちも、年に一度の祭りの日には里帰りを行う。
 ある者は箒に乗って、またある者は牛やロバの背にゆられながら、あるいは翼のある小動物に姿を変えて飛んでくる者もいる。
 久しぶりに顔を合わせた魔女たちは、互いの無事や健康を確かめあい、年を追うごとに暮らしにくくなる下界の様子や状況を伝えあう。特に今回の祭りでは、二つの事柄が話題になっていた。
「今年は例年にも増して、薪の量が多いのではないか?」
 広場で準備の様子を見守るヘルヴィガの肩にとまった小鳥が呟いた。ヘルヴィガの古い友人である、ルツィンデという魔女が変身した姿だった。
「これでも足りないくらいです。今年は、特別な年になるでしょうから」
「例の、下界で拾って来たという娘のことか? さっき見てきたが、ハルツの大魔女様が目をかけるほどの逸材だとも思えなかったがな」
 揶揄するようにルツィンデがいうと、ヘルヴィガは薪の山を見つめながら迷いない口調で答えた。
「あの娘は特別です。いずれ、あなたにも分かるでしょう」
「えらくこだわっておるな。まあ、お主が決めることではあるが、魔女の中には、どこの馬の骨とも分からぬ小娘に例の剣を継承させることを快く思っていない者もいる。ハルツの調和を乱すようなら、わしは賛成せんぞ?」
 二つの話題の一つは、ヴァルトハイデがほら穴にこもり瞑想を始めたことを知った魔女たちによる、その意味や理由についての考察だった。
 魔女の中には、罪を犯した娘をハルツで保護することに反対する者もいた。
 ましてや、ヘルヴィガがその娘にランメルスベルクの剣を継承させようとしているのではないかと噂が立つと、魔女たちの反発は小さなものではなかった。
「それより、帝国の姫が行方不明になっていると聞きましたが?」
 話題を変えるように、ヘルヴィガが訊ねた。ルツィンデは羽づくろいをしながら答える。
「わしが知った話によれば帝都が陥落した夜、数名の騎士に守られながらレギスヴィンダという名の姫君がシェーニンガー宮殿を落ち延びたそうじゃ。消息は不明じゃが、恐らくまだ生きておるじゃろう。死んだなり、捕まったりすれば、そういった発表があるじゃろうからな」
 二つの話題のいま一つは、帝国を襲った魔女についてだった。
 ルーム帝国の首都プライゼンが正体不明の魔女に蹂躙され、皇帝が殺害されたことは、ハルツはもちろん下界の隅々にまで広まって人々の耳目を聳動(しょうどう)させた。
 ハルツに集まった魔女たちは、それが何者なのか、目的は何なのかと噂や憶測を飛び交わせた。また、ちょうど時期を合わせるようにヘルヴィガがヴァルトハイデにランメルスベルクの剣を継承させようとしていることから、二つの間に関連があるのではないかと邪推や不安を膨らませた。
「魔女の長が、帝国の姫君が気になるか?」
「帝都を襲撃したのが魔女の集団となれば、ハルツを預かる者として看過できません。当然の気遣いです」
「そうかのう? わしの目には、お主が七十年前のことを思い出し、何やら期待しているようにも見えるが、気のせいかのう?」
 嗤うようなくちばしで小鳥が訊ねる。ヘルヴィガは凛然と否定した。
「……わたしがそんな風に見えるようでは、あなたも老いて目が悪くなったようですね」
「ひゃっひゃっひゃっ、これは参ったのう。お主に老人扱いされるとは。共に長生きはしたくないもんじゃな?」
「あなたこそ、何かを期待しているのではありませんか?」
「わしはただ、退屈な世の中に飽き飽きしておるだけじゃ。別に、お主の足を引っ張ろうなどと考えておるわけではない」
 果たしてどうだろうか。長い付き合いだが、ヘルヴィガは小鳥の本当の姿を見たことすらなく、いつも彼女の真意を測りかねていた。
「そんなことより帝都を襲撃した魔女については、何かご存知ないのですか?」
「それは、お主の方が詳しいのではないか?」
「わたしは何の報せも受けておりません」
「報せではない。心当たりがあるのではないかといっておるんじゃ?」
「そんなもの、あるわけがありません……」
「本当にそうか?」
「………………」
 重ねてルツィンデが訊ねると、ヘルヴィガは押し黙った。
 小鳥は、その瞳で、高みから地上を見下ろすようにヘルヴィガの心を見透かした。
「心当たりがあるからこそ、慌てて小娘にランメルスベルクの剣を継承させようとしておるのじゃろう? わしとお主の間じゃ。それぐらいのこと、分からぬとでも思ったか?」
 ルツィンデの視線がヘルヴィガを突き刺す。ヘルヴィガは、やはり答えられなかった。
「まあ好い。いずれはっきりすることじゃ。お主の気遣いが功を奏するか、それともわしの期待が現実となるか、見届けさせてもらうぞ」
 そういうと小鳥は飛び去った。ヘルヴィガの肩に、重たい自責だけが残された。
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