第24話 一本の糸 Ⅱ

文字数 2,487文字

 黒き森の外縁部。悪しき魔女の領域との境界に、ブロートシェルムという村がある。
 七十年前、レムベルト皇太子はこの村の猟師に先導され、森の中へ分け入った。
 フロドアルトの命を帯びた斥候隊も故事に習うと村人に案内を頼み、緑の迷宮の入口へたどり着いた。
「ここから先が黒き森でございます。レムベルト皇太子もこの道を通って、呪いの魔女の討伐に向かわれたと伝えられております」
 村の案内人が騎士たちに説明する。
「おそれながら、これ以上はわたくしたちもご案内することができません。どうか無理をなさらずに」
「ご苦労であった。些少ではあるが礼を取らせる。気をつけて村へ帰るがよい」
 斥候隊の隊長を命じられたリッポルト・オルトゥルフ・フォン・ヘンデリクスが村人に謝礼金を与える。村人たちは頭を下げると、すごすごと引き返した。
「では、我らも行くぞ」
 村人が立ち去るのを見送ると、いよいよ騎士たちも森の中へ足を踏み入れた。
 斥候隊に選ばれたのはヘンデリクス以下、ローデガング・フォン・バイルハック、ノーター・ガルライプ・フォン・ディナイガー、ナントヴィヒ・フォン・ブレシュにオトヘルム・フォン・グリミングを加えた五名である。
 三十代後半のヘンデリクスを除けば、いずれも二十代の若く将来を有望された騎士ばかりだった。
 森へ入るとすぐに道は消え、うっそうと生い茂る下草が脚に絡みつく。空を見上げても木々の枝葉が視界を遮り、日の光を拝むことはできない。先入観のためか、常に何者かに監視されているようなプレッシャーがあった。
 五人の騎士は一列に並び、周囲に注意を払いながら道を切り開いていく。彼らには、大きく二つの任務が与えられていた。一つは実際に、この地に魔女が集結しているのかを確かめること。そしてもう一つが、七十年前にレムベルト皇太子が踏破したとされる勝利の道を発見することだった。
 どれぐらいの距離を進んだだろうか。オトヘルムの前を歩くディナイガーが、聞えよがしにつぶやいた。
「拍子抜けだぜ。ほんとに、こんなところに魔女の城があるのか? これじゃあ、ただのピクニックと変わらないぜ」
 オトヘルムは苦笑する。
 ひたすらに草木をかき分け、代わり映えすることのない景色の中を進んでいくだけの行軍は単調で、うんざりするほど時間が長く感じられる。
 ディナイガーにしてみれば半分は気晴らしに、もう半分は強がりでいって見せたのかもしれないが、騎士たちは森へ入ればすぐにでも魔女との戦闘が始まると覚悟していたため、良くも悪くも期待外れといったところだった。
「お前たち、気を抜くな。どこに魔女が潜んでいるか分らぬぞ!」
 隊長のヘンデリクスが叱責する。あまりにも順調すぎる探索は、かえって不気味に感じられた。
 そんな騎士たちをからかうように、藪の中から山鳥が飛び出した。
「おぉ!!」
 驚いたディナイガーが声を上げる。オトヘルムは、今度は失笑した。
 潜んでいたのは魔女ではないが、ヘンデリクスのいう通りである。オトヘルムは気を引き締めなおす。
 そんな小さな騒動の中にあって、足もとに張られた細い一本の糸の存在にまで注意を払える者はいなかった。


 黒き森の最深部にミッターゴルディング城はそびえたつ。
 七十年前の戦いの後、一度は破壊されたが七人の魔女によって再建され、現在では帝国に追われた者たちの最後の砦となっていた。
 玉座に腰かけた二代目城主のもとへ、股肱の魔女キューネスヴィトが報告にくる。
「リントガルト様、森にルームの騎士が現れました」
「騎士……?」
 閉じていた目を開け、リントガルトがキューネスヴィトを見やる。
「森に張り巡らした糸に、ネズミの群れがかかったとアスヴィーネが申しておりました」
「……やっと、この場所に気づいたんだね。さんざん挑発して回ったかいがあったよ。それで、相手はどれぐらいいるの?」
「五人です。おそらく本格的な攻撃を仕掛ける前に、偵察に来たと思われます」
「たった五人か……それじゃあ、ボクが出るまでもないね。そのままアスヴィーネに殺させなよ。ボクはもう少し休んでいるから。なんだか、とても眠いんだ……」
「お任せください」
 再びリントガルトが目を閉じるとキューネスヴィトは冷たい微笑を浮かべ、騎士を排除するため糸車の魔女を差し向けた。


 シェーンガー宮殿の庭園にて、宮廷騎士団のブルヒャルト・フォン・ゲンディヒが声をかけられた。
「オトヘルムのやつが、どうかしたかですと……?」
「うん。最近、顔を見ないんだけど……まさか、風邪でもひいたの?」
 話しかけたのはゲーパである。見回り中のブルヒャルトは足を止めて答えた。
「オトヘルムが風邪? はっはっは、やつが病気になぞかかるものですか。ゲーパ殿はご存じなかったか。オトヘルムなら斥候隊の一人として、黒き森へ向かいましたぞ」
「オトヘルムが斥候隊に……」
「宮廷騎士団からも推薦がありましてな。わしも、もう少し若ければ志願したのですが、血気盛んな連中の手柄を横取りするわけにもいきませんので、帝都で留守居とあいなりました」
 ブルヒャルトの話を聞きながら、ゲーパは街でオトヘルムに会ったときのことを想い出した。
 やけに思いつめた表情をしていたのは、決戦が近づいているからだけではなかった。あのときすでに、斥候隊に志願することを決めていたのだ。
「それってレギスヴィンダ様が話してた、とても危険だっていう……」
「さよう。しかし騎士たるもの、どんな任務にも危険はつきもの。今回だけが特に危険というわけではありません。姫様のお供をしてハルツへ行った時のことに比べれば、森へハイキングに行くようなものです。ご心配には及びません」
 冗談めかしてブルヒャルトがいった。仲間に対する、信頼の表れである。決して二人の関係を知って、気休めでいったわけではない。
 ゲーパはオトヘルムを案じた。しかし、戦いが終わったら手料理をごちそうするという約束を守るためにも、必ず無事に帰ってくると信じた。
 ただ、本当のことをいえば心配するだろうと思われ、何も教えてもらえなかったことが寂しかった。
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