第39話 すれ違い Ⅱ

文字数 3,896文字

 父の暴走を止めるためアルンアウルトへ向かったフロドアルトだったが、幾つかの事情によって裁判には間に合わなかった。
「なんということだ……我ながら不甲斐ない!」
 季節はずれの大雨によって橋が流され、足止めを食らったのである。増水した濁流を渡ることもできず、大幅な迂回を余儀なくされた。
 それでも最短ルートで進もうと考え、無理な山越えを決行したが、今度は土砂崩れに巻き込まれ、さらに時間を無駄にすることとなった。
 ようやくアルンアウルトへ続く街道へ戻ることができたが、近隣の村で魔女の集団に偽装した盗賊団が出るということを知らされ、これを放置しておくこともできず、部下とともに討伐へ向かった。
 村長から大変な感謝と歓待をしてもらった時には、すでに裁判が終わった後だった。
「……いかがなさいますか、フロドアルト様。今から向かわれても、手遅れだと思いますが?」
 疲れた様子でヴィッテキントが訊ねた。
 さすがにフロドアルトも、こればかりは諦めるしかないかと思いかけたとき、アルンアウルト方向から馬に乗った兵士がやってくるのが見えた。
「魔女が現れ、途中で裁判が中止になっただと?」
 兵士の話を聞き、フロドアルトは驚きの声を上げた。自分は間に合わないと判断し、代わりに兵士だけを先行させていた。
 兵士が説明する。
「現れたのは、予想どおり風来の魔女集団を率いるリカルダという魔女でした。魔女は被告夫婦を連れ去ろうとしましたが、ルペルトゥス様に阻止されました。ルペルトゥス様は大事をとって審理を中止されると、ベロルディンゲンへ移動されました。そのさい、あと一太刀のところまで魔女を追い詰めながら敢えてとどめを刺さず、次は仲間を引き連れて被告を奪い取りに来いと命じ、魔女を置き去りにしたそうです」
「……魔女を置き去りにした?」
 フロドアルトも父が裁判を利用して、目下最大の懸案となっている風来の魔女集団をおびき寄せようとしていることは分かっていた。
 にもかかわらず現れた魔女を放置し、もう一度出直してこいと命じたというのはどういうことかと理解に苦しんだ。
「現れたのがリカルダ一人だったことが、ルペルトゥス様のお気に召さなかったのではないかといわれております」
「父上は、何を考えておられるのだ……」
 ともかく、一度は間に合わなかった裁判に、今度こそ出廷できる機会が訪れた。
 フロドアルトは、腹心のヴィッテキントに命じた。
「我々もベロルディンゲンへ行くぞ」
「ハッ!」
 複雑な気持ちはあったが無意味な戦いをやめさせなければと、息子は父のいる城へと転進した。


 ベロルディンゲンは堅牢な要塞である。周囲には険しい山々が屹立し、自然の要害に守られている。
 魔女が徒党を組んで攻撃してきたとしても、容易に攻略できる城ではなかった。
 アルンアウルトを去った後、ルペルトゥスは体調を崩した。ほぼ一日中ベッドに横になっていたが血気だけは盛んなまま、魔女が来るのを待ちわびていた。
 そこへ、別の集団が到着したと報せが入る。
「ルペルトゥス様、フロドアルト様が参りました」
「フロドアルトだと……?」
 近侍の報せを聞いて、父親は気分を害した。息子にはハイミングで謹慎しているよう命じたはずだった。
 ルペルトゥスはフロドアルトを私室へ呼んだ。
「何をしにきた?」
 猜疑心に満ちた目で、非歓迎的な言葉を浴びせる。
 フロドアルトは叱られることを覚悟していた。生まれてから、一度も父に逆らったことなどなかった。それでも、今だけは強い気持ちで父と対峙するつもりだった。
 しかし、ベッドに横になった父の姿を見て、そんな気持ちも萎え衰えた。
 ルペルトゥスは頬がこけて目が落ちくぼみ、白髪も増えて、病弱だった以前よりもやつれて見えた。
「父上、お身体は大丈夫なのですか……?」
「心配するな。長征の疲れが出ただけだ。それより、お前のほうこそ何をしている。わたしはまだ、お前の禁足を解いてはおらぬぞ?」
「それについては、お叱りをいただく覚悟はできています。父上には改めて魔女狩りをやめるよう、お願をしにまいりました」
「……フロドアルトよ、まだそんなことをいっているのか?」
「ですが、父上のお身体はあまりにも――」
「黙れ!」
 剛毅な一言だった。身体こそやつれて見えたが、ルペルトゥスの目には光が宿り、声には覇気がこもっている。
「わたしは今、この上なく気分がよいのだ。間もなく大挙して魔女が押し寄せる。わたしの戦いの邪魔をするのなら、お前でも許さぬぞ!」
 アルンアウルトに風来の魔女をおびき出していながら、もう一度向かって来いと言って逃がしたことはフロドアルトにとって理解しがたい出来事だった。
 ただ魔女が憎く、滅ぼしたいと考えているだけなら、そんなことをする必要はないはずだった。
 フロドアルトは父の真意が分からず、何かに取りつかれたような異常な執念を感じた。
「魔女のことは我々に任せ、父上はエスペンラウプへお戻りください。父上に必要なのは戦いではなく、穏やかな環境と適切な療養です」
「その必要はない。すでにエスペンラウプからルオトリープを呼んだ。近日中に着くはずだ」
 父の口からでた主治医の名前に、フロドアルトは「またあの男のことか……」と嫌気がさした。
「どうか父上、ルオトリープに脈を取らせるのはお止めください」
「何を言うか、わたしがこのように魔女と戦えるようになったのは、すべてルオトリープのおかげだ。ルオトリープ以上にわたしを理解し、この身体を任せられる者はおらぬ!」
「ですが、ゴードレーヴァが言っておりました。ルオトリープの治療を受けるようになってから、父上はお人が変られたと」
「ゴードレーヴァだと……そうか、お前たちはわたしに隠れ、二人で示しあっていたな。親不孝者どもめ! このわたしをないがしろにし、二人で家督を乗っ取ろうとでも企んだか!」
「バカなことを言われますな。ゴードレーヴァは父上のことを、大変心配しておりました。このままでは父上の身が持たないのではないか、ライヒェンバッハ家が破滅するのではないかと」
「バカを申しているのはお前の方だ! わたしは今ほどこの身体に自信を持ったことはない。気分は優れ、全身に力があふれている。お前たちに介護され、フロイヒャウス城に閉じ込められていたころとは大違いだ!」
「そんなことはありません。わたしが見る限り、父上は健康になどなられておりません。あの男に、騙されているのです」
「黙らぬか! お前もゴードレーヴァも、何も分かっておらぬ。皆でわたしを病人扱いし、隠居させようと考えているのだろう! そうはさせぬぞ! 出て行け! お前など、もう親でもなければ子でもない。二度とわたしの前に顔を出すな!!」
 ルペルトゥスは激昂する。取りつく島もないほどの疑心暗鬼と被害妄想に取りつかれていた。
 父がこれほどまでに人の話を聞かず、短慮で攻撃的になっているとは想像もしていなかった。以前よりも精神を病み、人格そのものが崩壊しつつあるのではないかと思われた。
 フロドアルトが絶望しかかったころ、兵士が待ち人の到着を伝えにきた。
「ルペルトゥス様、国手殿が参られました」
「おお、ルオトリープか。早かったではないか!」
「いつお声がかかってもいいようにと、準備を整えていたとのことです」
「そうであろう。やはり、わたしのことを誰よりも理解し、心配してくれているのはルオトリープだけだ。すぐに連れて参れ!」
「ハッ!」
 ルペルトゥスに命じられ、兵士が案内に向かおうとする。フロドアルトは「待て!」と兵士を呼びとめた。
「ルオトリープを呼ぶことは許さぬ。帰ってもらえ!」
「よろしいのですか……?」
 相反する命令に板挟みになり、兵士は困惑する。今度は、ルペルトゥスが声を荒げた。
「フロドアルト、そうまでしてこの父に逆らうつもりか。ならば、わたしにも考えがある!」
 ルペルトゥスは息子を睨みつけると、大声をあげてベルンドルファーを呼んだ。
 隣室につながるドアが開き、熊殺しの騎士が姿を見せる。
「何でしょうか、ルペルトゥス様?」
「今すぐフロドアルトをこの城からつまみだせ!」
「公子様をですか!?」
「もはやフロドアルトは息子でもなければ公子でもない。ライヒェンバッハ家を乗っ取ろうと企む不逞の輩だ! 身ぐるみを剥いて追い払え!!」
「分かりました……」
 フロドアルトにとってはあまりにも無情な通告だった。
 ベルンドルファーは命令を宜うと、フロドアルトに歩み寄った。
「フロドアルト様、どうか、ご理解を――」
 命令とは言え、手荒なことをするわけにはいかない。ベルンドルファーは自主的に退去してもらえるよう訴えた。
 公子といえども、腕力では精鋭の騎士に敵わない。
 致し方なく、父の寝室を後にする。失意を抱いてフロドアルトが廊下を歩いていくと、ちょうどルペルトゥスの下へ向かうルオトリープとすれ違った。
「これはこれは、フロドアルト様。ご無沙汰しております。お父上に、お会いになられたのですか?」
 ルオトリープは立ち止まり、慇懃に頭を下げる。
 フロドアルトは男を睨みつけると、立ち止まることなく通り過ぎた。
 公子が廊下の角を曲がって見えなくなると、男の連れていた女が口を開いた。
「あなた、彼に何かしたの? すごく睨んでいたわよ」
「とんでもない。彼はただ拗ねているのさ。自分の父親が、他人のわたしばかりを可愛がるのが気に入らないのだろう」
 ルオトリープは答えると、口の端に憫笑を浮かべた。
 男は女を廊下に待たせ、部屋へ入る。中からルペルトゥスの歓迎する声が聞こえた。
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