第49話 この腕の中に Ⅳ

文字数 5,417文字

 ヴァルトハイデの瞳に、もっとも守りたかった人の姿が映った。
「……陛下……レギスヴィンダ様…………」
 まるで、幻を見ているようだった。
「皇帝……目が覚めたのね」
 つぎはぎの魔女がいった。レギスヴィンダはかすかに頷き、魔女に懇願した。
「お願いです。これ以上、ヴァルトハイデを苦しめないでください」
「違うわ。わたしは、彼女を楽にしてあげてるの。わたしと一つになれば、もう二度と彼女が苦しむことはない。二人で、探し物を見つけることもできるのよ」
「探しているものなら、ここにあります。あなたがやり残したこととはレムベルト皇太子への復讐。その子孫であるわたくしの命を奪うことです! わたくしは逃げも隠れもしません。だからヴァルトハイデを解放し、わたくしを殺しなさい!」
 皇帝らしい威厳ある言葉で命じると、つぎはぎの魔女の方へ歩み出た。
 レギスヴィンダの表情には恐怖や葛藤すらなく、ただ揺るぎない決意だけが張り付いていた。
「なりません、レギスヴィンダ様!」
「陛下、お下がりください!」
 オトヘルムやブルヒャルトや騎士たちが思いとどまるよう叫ぶ。しかし、それらの悲痛な願いもレギスヴィンダの気持ちを変えることはできない。
 皇帝の目には、二人の魔女しか映っていなかった。
「ヴァルトハイデ、あなたはよく戦いました。あとはわたくしに任せ、ゆっくりと休みなさい」
「陛下……」
「心配いりません。わたくしの命であなたが助かり、彼女が納得して眠りにつくことができるのなら、これもルームの定に生まれたわたくしの運命として、抗うことなく受け入れましょう。さあ、その剣をヴァルトハイデではなく、わたくしの心臓へ突き立てなさい。それで、すべてが終わります」
 レギスヴィンダは潔く、無防備に自らをさらけ出した。
 躊躇ったのは、つぎはぎの魔女だった。
「……皇帝。わたしは、あなたを殺したいとは思わない。わたしは、あなたと過ごした時間をとても大切なものだと感じているわ。だから、あなたを殺しても、わたしの探しているものは見つからない」
「それは、わたくしも同じです。あなたは聡明で、純粋で、優しく、わたくしを傷つけようともしませんでした。あなたが現れてからの今日まで、あなたを憎いと思ったことは一度もありません。ですが、わたくしの大切な人の命を奪うというのであれば、わたくしは無条件にあなたを憎むことができます」
「悲しいことはいわないで。あなたに他人を憎むことなんてできないわ。わたしには、嘘はつけないのよ」
「だったら戦いをやめて、共に生きる道を選びましょう。わたくしたちが協力し合えば、あなたの探している物も見つけることができるはずです!」
「それはできないといったわ」
「どうしてですか。そんなに、ルオトリープの力が必要だというのですか?」
「違うわ」
「だったら、なぜ、そうまでヴァルトハイデにこだわるのですか?」
「彼女に会って理解したの。わたしには、どうしても彼女の身体が必要だと」
「他のものなら、何でもわたくしが用意するといっても?」
「できないわ」
「なぜですか!」
「わたしの顔を見てごらんなさい」
 つぎはぎの魔女は、レギスヴィンダを見やった。レギスヴィンダもまた、互いの顔を確かめるように見つめる。
 寝室にいた時よりも、皮膚をつなぎ合わせた傷口は変色し、周囲に悪臭を漂わせている。
「分かるでしょ? どんなに新しい身体を用意しても、わたしの魔力には適合しない。こうして、すぐに傷んで使い物にならなくなる。でも、彼女だけは違うの。彼女の右目は、いつまでも輝き続けている。あの右目でなければ、わたしの探している物は見つけられないわ」
 つぎはぎの魔女の肉体が限界に迫りつつあった。ヴァルトハイデとの戦いでさらに身体は傷み、すぐにもルオトリープの下へ帰って新たな肉体に取り換えなければ生存し続けることはできない。今がそのタイムリミットだった。
「陛下、そういうことです。だからこれ以上、つぎはぎの魔女の邪魔をしないでやってください…………」
 声を振り絞り、ヴァルトハイデが懇請した。誰にとっても意外な言葉だった。
「何をいっているのです!? あなたはこのまま、自分の命と身体を差し出すというのですか?」
「……心配には及びません。つぎはぎの魔女は、決して誰にも危害を加えたりはしません」
「ですが、現にあなたはいま……」
「勿論、わたしは例外です……なぜなら、わたしはあの女の血肉を分け与えられた最後の一人。運命を共にする義務があります……」
「そんなのは運命ではありません! あなたが責任を取る必要なんてないのです!」
「いいえ。陛下は、なぜあの女が誰にも手出ししなかったか分りますか? わたしを呼び寄せるためなら無駄な魔力など使わずに、陛下やゲーパや帝都の住民を見せしめのために処刑すればよかった。なのに、そうはしなかった。自分の限界を早めてでも、静かにわたしを待ち続けることを選んだ。つぎはぎの魔女は……あの女は呪いの魔女でもなんでもなかった。再び戦乱を巻き起こそうとも考えていない。自分が、この時代に目を覚ましていてはいけないのだということも理解しています……探しているものさえ見つかれば、納得して眠りにつくでしょう。わたしには、つぎはぎの魔女の気持ちがよく分ります…………」
「でも、あなたは……!」
「わたしにとっても、ここが潮時なのです。わたしは充分に戦いました。思い残すことはありません。陛下のために、この命を使い果たせるのなら本望です……」
 ヴァルトハイデは、ずっと命の使い方を考えていた。一本の剣を折るためだけに、自らの命を燃やし尽くした魔女のように。そして、その答えをつぎはぎの魔女との戦いに見出した。
 たとえ自分がつぎはぎの魔女の一部となって消えてしまっても、彼女が納得して眠りにつくのであれば、この世から呪いの魔女の肉体はすべてなくなる。
 そうすることが、自分だけが生き残ってしまったことへの贖罪。リントガルトへの供物になると信じた。
「陛下、離れていてください。そして、見ていてください。陛下の剣は、最期まで盟約を守り戦い続けたと……」
 ヴァルトハイデは満足すると、つぎはぎの魔女にとどめを刺すよう促した。が、そうはさせまいとレギスヴィンダがヴァルトハイデに駆け寄った。
「彼女を殺すというのなら、わたくしの身体ごとその剣で貫きなさい! わたくしは、大切な友人を失ってまで生きながらえようとは思いません!」
「陛下……」
 ヴァルトハイデの瞳に雫が浮かぶ。レギスヴィンダもまた、大切な者のために感情を溢れさせた。
「わたくしは愚かでした。あの時、帝都を去るあなたを引きとめていればよかったと、何度も後悔しました……今もまた、ひとりで運命を背負いこもうとするあなたを失っては生きていくことができません。あなたがいなければ帝位も帝国も、すべて虚しいだけ。これ以上、わたくしのために自分を犠牲にしないでください!」
「レギスヴィンダ様…………」
 それは皇帝ではなく、一人の友人としての言葉だった。
「あたしも、ヴァルトハイデを一人にしないわ!」
 ゲーパが叫んだ。
「そうだ、オレたちもヴァルトハイデ殿と運命を共にする!」
「陛下、我らもお供いたします!」
 オトヘルムとブルヒャルトが続いた。
 広場には宮廷騎士団が駆け付ける。誰もが皇帝を支持し、ハルツの魔女を惜しんだ。
 ヴァルトハイデの右目に、血とも涙ともつかない液体が流れた。そして、その瞳に妹の姿が映った。

 ボクは、お姉ちゃんを恨んでないよ。だから、まだこっちに来ちゃだめだよ――

 ヴァルトハイデの中で、何かが解けた。
 いつの間にか取りつかれていた。
 同じ血肉を分け合った七人の魔女はすべて死に、実の妹まで手にかけた自分が生きていていいのかと。その問いかけに対する罪悪感が、自分の命を軽く、価値のないものだと思わせていた。
「わたしは、生きていてもいいのか……」
「そんなこと、当たり前です。お願い、生きて……誰でもない、わたくしのために……!」
 切なく、そして強く懇願するようにレギスヴィンダの声が響いた。その瞬間だった。ヴァルトハイデの腰にある剣の鞘から光があふれた。
 命を失っていた魔女を討つ剣に息吹が戻る。その生命の輝きともいうべき煌めきが、つぎはぎの魔女の魔力を押し返した。
 つぎはぎの魔女の桎梏(しっこく)から自由になったヴァルトハイデは封印の鎖を解いて、ランメルスベルクの剣を抜き放った。
「これは……」
 折れた刃が一つにつながり、完全な状態へ復活していた。
「ランメルスベルクの剣が元に戻った……ヴァルトハイデの心が絶望に打ち勝ったのよ!」
 涙を浮かべながらゲーパがいった。
 所有者の精神に大きく影響を受けるランメルスベルクの剣は、ヴァルトハイデの心を映す鏡でもある。
「そうだ。わたしは死ぬわけにはいかない……生きてレギスヴィンダ様をお守りするため、盟約を果たすために遣わされたハルツの剣なのだ……!」
 死を受け入れようとしていたヴァルトハイデは、それが間違った選択、罪の償い方だと目を覚ました。
「レギスヴィンダ様、お下がりください。わたしは、本当の魔女を討つ剣としての役割をいま知ることができました」
「ヴァルトハイデ……これからも、わたくしの傍に居てくれるのですか……?」
「もちろんです陛下。この命ある限り、陛下を、レギスヴィンダ様をお守りします!」
 剣だけではない、ヴァルトハイデ自身もまた完全に復活した。二度と折れない心を手に入れて。
 ハルツの魔女は、ランメルスベルクの剣をつぎはぎの魔女へ向けた。が、それはルームの皇帝にとって大いなるジレンマだった。
「ヴァルトハイデ、待ってください。彼女に、その剣を向けてはなりません……!」
 レギスヴィンダにはヴァルトハイデ同様、つぎはぎの魔女の命も守るべき対象だった。どれほど困難であったとしても、最後まで彼女の願いをかなえる努力を諦めてはいけなかった。
「心配には及びません。この剣は、魔女を生かすための剣。悲しみの連鎖を断つ剣なのです!」
 ヴァルトハイデも理解していた。レギスヴィンダが創り上げようとする新たな世界は、誰かの犠牲を必要として成り立つものではない。
 人であれ魔女であれ、すべての者が等しく報われなければならない。そのことを証明しなければ、七十年にも及ぶこの戦いに本当の意味での終止符を打つことはできなかった。
「わたしには、つぎはぎの魔女が何を望んでいるのか分ります。この目が過去に見たものを、彼女は求めているのです」
「その目が見たもの……」
 レギスヴィンダはヴァルトハイデの右目を覗き込んだ。人の手によって植えつけられた魔女の瞳が、強く熱く苛烈に燃えていた。己の命を糧として輝きを放ちながら。
 ヴァルトハイデが剣を構えなおすと、その溢れる気迫、研ぎ澄まされた切っ先から、つぎはぎの魔女は記憶のさざ波を感じとった。
「知っているわ、その剣……過去のどこかで、わたしに同じ剣を向けた人がいる…………」
「そうだ。お前がこの剣の前に立つのは、これが二度目。わたしにも、あの日の光景がはっきりと見える。お前がどんな想いでこの剣をその胸に受けたのか。お前の痛みは、わたしの痛み。ともに分かち合おう。人と魔女の未来のために。それが、この剣の継承者に選ばれたわたしの使命。そして、わたしの生まれた理由と、生きる証だ!」
 ヴァルトハイデは過去の景色を右目に映しながら魔力を解き放った。かつての英雄が己の罪を償うために、命の炎を燃え上がらせたように、すべての魔力を結集させる。
 二度とその目に光が灯らなくとも、二度と剣が持てなくとも、たとえ魔女であることを失っても、ヴァルトハイデに悔いはなかった。なぜなら、これが最後になるから。
 彼女からもらったものを彼女へ還す。ただそれだけの想いで、救いと贖罪の剣を握りしめた。
「行くぞ、つぎはぎの魔女! 失った七十年の空白を、わたしがこの剣で埋めてやる!」
「……そうよ、感じるわ。あの人と同じ気迫……わたしの心臓にその剣を突き立てた、憎い、憎い、男のことを、今なら想い出せる…………」
 つぎはぎの魔女も魔力を全開で放出する。自分の内側に閉じ込められた記憶と感情を吐き出すように。
 英雄の広場に二つの強大な魔力がせめぎあい、嵐となって荒れ狂った。
 その中でヴァルトハイデは悲しい女の愛憎を断ち切るべく、全身全霊で剣を振りかざした。
 魔女を討つ剣は、いともた易くつぎはぎの魔女の魔力を切り裂いて、その胸に突き刺さった。
 いや、突き刺さるかに見えた瞬間、一羽のフクロウが二人の間に割って入った。
 ランメルスベルクの剣はほんの僅かに威力をそがれ、魔女の心臓を正確に貫くことができなかった。
 代わりに、その身に刃を受けたフクロウが地面に墜ちて絶命する。まるで自分を犠牲にして魔女を庇ったかのようなその行為に誰もが困惑し、虚を突かれて言葉を失くした。
 つぎはぎの魔女は、辛うじて命脈を保った。しかし、即死を免れただけで、もはやすべての生命活動が停止するのは時間の問題かに思われた。
 それでも胸に空いた傷口を押さえながらヨロヨロと後ずさると、崩れ落ちる間際に顔を上げた。広場に立つ英雄の像が瞳に映る。
 失った記憶の中の人影が、優しく微笑みかけた。
「レムベルト……」
 男の名前を呟いた。
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