第37話 逢いに行く Ⅱ

文字数 4,715文字

 ライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハが風来の魔女を待っているころ、その息子の下へ訪ねてくる者がいた。
「ゴードレーヴァがわたしに会いたがっているだと?」
 ハイミングの古城で報せを受け取ったフロドアルトは意外な顔をした。腹心のヴィッテキントに確かめる。
「父上の許可は得ているのか?」
「いいえ。ゴードレーヴァ様は、フロドアルト様とお二人きりでお話ししたいとのことです」
「わたしと二人きりで……あのお転婆め、また何を企んでいるのだ……」
 フロドアルトはいつもの、妹の悪い癖がでたと思った。
 父から禁足を命じられ、帝都へ戻ることもできずに無聊をかこつ兄の顔を面白半分に眺めに来るつもりなのだと。
 しかし、いくら奔放な性格とはいえ、無断でそんなことをするだろうか。後に外出がバレて叱られるリスクを考えれば、ひと時の余興のためとはいえ、割の合うものではない。であるならば他に理由があるに違いなかった。
「いかがなさいますか?」
「……もう、こちらへ向かっているのだろう? ならば追い返すわけにもいかぬ。それに、あれでもちょうどいい退屈しのぎにはなる。迎えてやれ」
「かしこまりました」
 フロドアルトはやむを得ないといった表情を作ってみせる。その仮面の下で、思い切った行動にでた妹の目的を探った。


 ハイミングの古城に公女を乗せた馬車が到着する。
 兄はくつろいだ姿で妹を歓迎し、質素ながら、すでに居心地良く使い慣れた感のある私室へ案内する。
 コーヒーを運んできた侍従が下がるのを待つと、約束通り二人きりで向かい合った。
「よく来たゴードレーヴァ。こんなところでは十分なもてなしとはいかぬが、ゆっくりしていくがよい」
「ありがとうございます、お兄様」
「母上は息災であるか?」
「はい。お兄様のことを、とても気にかけていました」
「いらぬ心配をかけてしまったな。まさか父上のご不興を買い、このような場所に長く足止めを食らうとは思いもしなかった。我ながら情けない話だ。今も各地で混乱や対立が続いているというのに、わたしはただそれらを眺めているしかできない。お前も、不甲斐ない兄だと思っているだろう?」
「いいえ、そんなことはありません……」
「禁足が解かれしだい、一度エスペンラウプへ帰ると母上に伝えてくれ。ハイミングの食事は口に合わぬ。子供のころに作っていただいた、母上の手料理が懐かしい」
「……はい、お兄様」
「で、今日は何のために、わざわざこんなところへまで足を運んだ。父上からお叱りをいただき、塞ぎこんでいる兄の姿を笑いに来たのではあるまい?」
 フロドアルトはコーヒーカップを手に取り妹を見た。敢えて他愛ない会話から始め、様子を探る。そのことに気付いているのかいないのか、むしろ塞ぎこんでいるのはゴードレーヴァの方に思えた。
「実は、お兄様……」
「何だ?」
「……お父様は、お身体など崩されていませんか?」
「父上ならばいたって壮健だ。少しは休まれたほうが良いのではないかと、わたしのほうが心配している。今は確か、風来の魔女集団とよばれる賊徒を捕えるためにアルンアウルトという村へ向かわれている。様子が気になるのなら、お前も行ってみるがいい」
「いいえ、その必要はありません。お兄様にお話ししたかったこととは、お父様の体調についてです」
 フロドアルトは飲みかけたコーヒーを口許で止めた。来訪の目的が父についてのことだろうとは想像できていた。
「父上の体調に何の不安があるというのだ? 今も言ったとおり、父上は極めて溌剌とし、長らく病臥されていたのが嘘のように、精力的に活動されている。まるで、人が変ったようにな」
「……お兄様のいわれるとおりです。お兄様は、おかしいとは思いませんか? 何故、お父様があのように変ってしまったのか」
「何がおかしいことがある。むしろ今の状態こそ、父上の本来のお姿ではないか。父上は病のため、したいこともできずに辛抱されていた。これまでが別人であったのであって、病を克服され、ようやく自分自身を取り戻すことができたのではないか?」
 父の変異はフロドアルトも気になっていた。妹も同じことを感じ取っていたことを知って、わざと逆のことをいってみた。
「違います。お兄様はエスペンラウプを離れていたのでお気づきになられなかったのです。わたしは、いつもお傍でお父様を見ていました。お父様は常に優しく、穏やかで、国家と国民、そして皇帝陛下の幸せばかりを願っていました。今のように魔女を敵視することも、争いを望むこともありませんでした。そんなお父様が変わってしまったのは、ルオトリープの治療を受けるようになってからです」
 妹の口から出た意外な名前は、フロドアルトに困惑を与えた。
「……ルオトリープとは、例の町医者のことであるな?」
「はい」
「出自は凡庸ながら、腕のほうは類いない名医と聞いていたが?」
「わたしも、はじめはそう思っていました。彼に任せていれば安心だと。ですが治療を受けるたびに、お父様は人相が変わり、性格まで変わっていきました。今では他人のいうことには耳も貸さず、まるでいいなりのようにルオトリープの言葉に従っています。魔女狩りを始めたことも、彼に唆されたのではないかと……お兄様には、これ以上ルオトリープの治療を受けないよう、お父様にお願いしてほしいのです」
「お前のいいたいことはよくわかった。だが疑わしいというだけで治療をやめよとはいえぬ。ルオトリープのおかげで父上の体調が改善されたのも事実だ」
「もちろん疑惑だけでお願いしているのではありません。わたしはルオトリープについて調べました。すると、彼の自宅を兼ねた研究室に不審な女が出入りしていることがわかりました」
「国手殿も男だ。情人の一人や二人いてもおかしくはあるまい?」
「その女の出入りする日が、あの“菩提樹の枝の魔女”が現れた日に一致していたとしてもですか?」
 またしても妹の口から出た思いがけない女の名前にフロドアルトは驚倒する。風来の魔女集団の対応に追われて失念していた相手だ。
「……本当かそれは?」
「女は必ず菩提樹の枝の魔女が現れる前日に外出し、翌朝には戻ってきます。明確な証拠があるわけではありませんが、わたしには偶然とは思えません」
「確かに気になる話だ。菩提樹の枝の魔女が、すべての罪を風来の魔女になすりつけているのかもしれぬ……」
「わたしは女が、いいえ、ルオトリープが怖くなりました。いてもたってもいられず、このことをお兄様にお伝えしなければと思い、お父様のいないこの時期を選んできたのです」
 ゴードレーヴァの話を鵜呑みにすることはできなかったが、男の怪しさは、フロドアルトも初対面の時から感じていたものだった。
「だが、ルオトリープと菩提樹の枝の魔女が関係しているとして目的はなんだというのだ……」
 魔女同士の確執であろうか。父の力を借りて風来の魔女を排除しようとしているのだろうか。そうだとすれば迂遠なやり方だった。
「わたしにも理由は分りません。ただ、時折ルオトリープが囚われた女性の下をおとずれ、看守に金銭を渡して連れだしていたという話を聞きました。しかも、連れ出された女性の中に、その後もどってきた者はいないと……」
「ルオトリープが女を……」
 フロドアルトは、無実の罪で囚われた女たちを憐れんで助け出してやっているのだろうかと一瞬考えた。だが、そのような善人とは思えない。ならば快楽殺人か、それとも人体実験にでも利用しているのではないかと、口に出すのも憚られるような、おぞましい想像を行った。
 フロドアルトは頭を振ってから、妹に向き直った。
「……ともかく、そこまで自分一人で調べ上げたのか? 大したものだ」
「一人ではありません。大勢の者に手伝ってもらいました……」
「それでも立派なことに変わりはない。お前も成長したな」
「お兄様……」
 兄から、そんな風に褒められたのは初めてだった。ゴードレーヴァは照れ臭く、少しはにかんだ。
「ただ、無断でこんなところへまで遠出してきたことは頂けぬ。そういう無鉄砲なところは何も変わっておらぬな」
「す、すみません、お兄様……」
 フロドアルトは憮然とし、わざとらしく厳格な兄の顔を見せる。ゴードレーヴァは身を小さくして頭を下げた。
「……ところで、お兄様のお返事は?」
「任せておけ。お前が、覚悟をもって来たことだ。兄として無碍には出来ぬ」
「有り難うございます。無理をして、ここまで来て正解でした」
「うむ。いずれにしても、父上とはもう一度会って話をしなければならないと考えていたところだ。実のところ、わたしがこんなところに留め置かれているのも、もとをただせば父上に無益な魔女狩りをやめるよう陛下の御意を伝えに来たからだ」
「お従姉様の?」
「帝都でも問題になっている。レギスヴィンダは、今も人と魔女の共存を望んでいる。父上には、まったく聞き入れてもらえなかったがな」
「よかった、お従姉様はお変りになられていないのですね……」
「安心しろ。良くも悪くも宮中は何も変わっていない。相変わらず騒がしいことだ。ハルツの連中どもが、ますます図に乗りおって……」
「ハルツの連中……?」
 フロドアルトは久しぶりに妹と実のある会話をして気が緩んでしまった。皇帝の周囲の人物を思い浮かべ、つい口を滑らせた。
「何ですの、お兄様? 魔女の山が、どうかされたのですか?」
「いや、その……なんだ……」
 フロドアルトは咳払いをするが誤魔化しきれない。無垢な瞳で追及する妹を前に、こうなっては洗いざらい語って聞かせるよりほかにないと開き直った。
「お前には、話していなかった事実がある。帝都には魔女がいる。それも、三人だ。いや、一人は使い魔だったか……」
 フロドアルトは正確に伝えようとして、かえってあやふやになる。ゴードレーヴァには、何の事だかさっぱりわからない。ともかく、一から説明することにした。
「これはルーム帝国の歴史と尊厳にかかわる真実の物語だ。決して、口外してはならぬ――」
 フロドアルトはレムベルト皇太子と呪いの魔女、そしてルームとハルツが結んだ密約について語った。
 話を聞き終わったとき、事実を知らされていなかったことに対する憤りはゴードレーヴァになかった。ほんの少しの嬉しさと、照れくささがあるだけだった。
「じゃあ、あの時あたしを助けてくれたのは……」
「そうだ。ヴァルトハイデこそ、盟約に従い勝利の剣を振るうために使わされたハルツの魔女だ」
 父の病を治すためなら魔女の術にすがってもいいと考えた少女は、特異な行動を繰り返しては周囲の者から奇異な目で見られた。それでも大真面目に魔女にあこがれ、自らが魔女になることを夢見た。しかし、時がったって成長するにつれ、それが不可能であることを受け入れた。
 少女は魔女になれなかった。だが、魔女は存在した。それも、すぐ近くに。
 父は病を克服した。しかし、また別の問題に直面している。ゴードレーヴァは今度こそ、自分の力で父を助けてあげたいと思った。
「ゴードレーヴァよ、お前は帝都へ行け。お前が掴んだ真実を、レギスヴィンダにも伝えるのだ。皇帝陛下は、お前の味方をしてくれるはずだ」
「はい、お兄様!」
 妹は変わった。無鉄砲といわれようとも、誰に叱られようとも、自分が正しいと思ったことを行動に移した。
 フロドアルトは兄として不甲斐ない自分を省みた。父に言われるまま、城に閉じこもっていた自分の愚かさに気づかされた。
 城を出て父に会いに行き、今度こそ無意味な魔女狩りをやめさせなければならない。
 妹に触発され、成長したのは兄の方だった。
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