第18話 心の距離 Ⅱ

文字数 4,022文字

 オステラウアーに指示を与えた後、フロドアルトからシェーニンガー宮殿へ参内したいとの要請があった。
 レギスヴィンダはこれを許可すると、予定の時刻が来るまで軽く睡眠をとることにした。しかし、ベッドに入ってからもすぐには寝付くことができず、目が覚めてからもなお迷夢に囚われるような気だるさが消えなかった。
 それでもフロドアルトが来るころには気持ちを切り替え、皇女の顔で出迎えた。
従兄(にい)様、御無事で何よりでした」
「……うむ。お前も疲れているだろうに無理をいってすまぬな。」
「気を使っていただく必要はありません。事が事ですので。それに、少しは休ませてもらいました」
 応接室へ通されたフロドアルトは、レギスヴィンダの目の下に(くま)ができているのに気づいた。
「城内の後始末も、まだついておらぬようだな?」
「それも、一両日中には片付くと思われます。幸いにも、宮殿の損害は大きなものではありませんでした。深刻なのは城下の方です」
「大変な戦いだったと聞いている。だが、勝利したのは我らだ。多少の犠牲は仕方あるまい」
「多少ですか……」
「なんだ、不満なのか? それとも狂猛な魔女の集団と戦うのに、全くの無傷でいられるとでも考えていたのか?」
「……そういうわけではありません」
「ならば誇るがいい。諸侯も、さすがは皇女殿下とお前を讃えていたぞ」
「勝ったのはわたくしでも、ルーム帝国でもありません。ヴァルトハイデです」
「それがどうした。臣下の手柄は、それを用いた者の手柄であろう? 我らが勝利したのだ」
「そうですね。従兄(にい)様のいわれる通りです……」
 理屈では分かっていても、レギスヴィンダにはフロドアルトほど傲慢にはなれなかった。あるいはフロドアルトも自分たちの勝利ではないと承知しているからこそ、同意を求めるように迫ったのかも知れないとレギスヴィンダは感じた。
「で、その勝利の立役者はどうしている?」
「戦いつかれ、眠っています」
「それは残念だ。本来ならば、本人に質すべきなのだろうが仕方あるまい。レギスヴィンダよ、率直に訊ねる。お前が連れてきたハルツの魔女とは何者なのだ?」
 フロドアルトの質問は漠然としていた。それでも、レギスヴィンダはその意図するところを的確に察した。それこそが戦い終わってなお心労を患う目の下の暈の原因だった。
「ヴァルトハイデは……いえ、彼女が妹と呼んだリントガルトを含め、わたくしたちにとっての敵である悪しき七人の魔女は、フレルクと呼ばれる謎の研究者によって生み出された人間の女たちだったのです……」
 レギスヴィンダは、心労の原因を吐き出すように語り始めた。
 フロドアルトは口をつぐむと、いまさらどんな話を聞いても驚きも疑いもしないといった表情で耳を傾けた。そしてレギスヴィンダが一通り説明を終えたところで、憮然としたまま口を開いた。
「……つまり、あのヴァルトハイデもほんの少し事情が変わっていたならば、我らの敵であったかもしれぬということか?」
「そういうことになります。ですが、諸悪の根源はフレルクにあります。フレルクを捕えぬ限り、魔女との戦いは終わりません。いえ、これまではそうだったというべきでしょうか……」
「どういうことだ?」
「魔女の会話を聞いた限りでは、彼女たちはフレルクに対して反旗を翻したと思われます。理由は分かりませんが、彼女たちもフレルクの支配下にあることをよしとしなかったのでしょう。あるいはすでに、彼女たちによってフレルクは殺されているかもしれません」
「なるほど……魔女が自らの国を欲するというのは、フレルクの支配から逃れたいという願望に端を発したものだったのかもしれぬな。だが、そんなものを認めてやる必要はない。いかに同情を乞おうとも、やつらは皇帝皇后両陛下を手に掛けた、我らが怨敵であることに変わりはないのだ」
「わたくしも彼女たちを憐れとは思いますが、だからこそ殺してやることが唯一の救い、本当の意味でのフレルクの支配からの解放だと考えています」
「お前の言う通りだ。よく話してくれたな。感謝する」
「いいえ、わたくしは従兄(にい)様に謝らなければなりません。決して、意図的にこの事実を隠していたわけではないのです。たとえ、その素性がどうであれ、わたくしはヴァルトハイデに全幅の信頼を置いています……ですが、まさかその妹が敵方に与していたとは、想像すらしていなかったのです」
「お前が謝ることではまい。本人も、そのことを知らぬようであった。使い古された言葉を借りるなら、運命の皮肉といったところか。あるいはそれも含め、魔女の呪いにとりつかれているのかもしれぬな」
 言い訳じみた説明を行った後、レギスヴィンダは胸を痛めた。
 フロドアルトは大様な態度でこれを責めなかったが、自分が信用されていなかったことを今さらながら思い知らされた。だがそれも、これまでに培ってきた二人の心の距離によるものなのだと冷たく受け入れた。
「ともかく、フレルクについては生きているものと考えておかねばなるまい。小柄な、白髪の老人といったか? それだけでは個人を特定する材料には事足りぬが、念のためアウフデアハイデから各所へ伝えておこう」
「お願いします。それと諸侯連合についても解散させ、各々の所領へ帰すべきかと考えています」
「何故だ?」
「理由は三つあります。まず一つには財政面において、このまま諸侯連合を維持し続けるのが困難になると思われるからです。従兄(にい)様もご存じのとおり、帝都は先の魔女の襲撃によって著しい損害を被りました。その復旧も完全でない内に、昨夜行われた城下での戦闘によって建物や都市基盤が破壊され、多数の被災民を発生させました。これら都市機能の回復、さらに救民活動によって国費が圧迫されることは明白です」
「うむ」
「二つ目は、諸侯が長く領国を離れたままにしていては、各所の治安悪化が懸念されるからです。現在のルーム帝国は内に魔女、外に列強と、二つの脅威を抱えています。諸外国に対していらぬ野心を起こさせないためにも諸侯を帰国させ、帝国周辺部の守りを固めさせるべきでしょう」
「確かに、お前の言うことも一理ある。だが……」
 フロドアルトも帝国軍の大半を帝都に集結させることによって、古来より帝国領内への侵入を目論んできた蛮族や、対立する列強国に対して隙をつくることになるのではないかと危惧していた。
 しかし、帝都を失えば元も子もなく、魔女に対する備えを薄くすることもできなかった。
「いいえ、その心配はありません」
 フロドアルトが声に出そうとした憂慮を、レギスヴィンダは先んじて否定した。
「わたくしが諸侯連合を解散させようと提案する三つ目の理由は、逃げ去った魔女たちに、今後帝都を攻撃する意思が無いと思われるからです」
 この発言については、さすがにフロドアルトも疑問を抱かざるを得なかった。だが確信的に発するレギスヴィンダの言葉には、妙な説得力があった。
「……なぜ、そう思うのだ?」
「昨夜現れた魔女たちの目的が、帝都への攻撃ではなくヴァルトハイデの持つ剣を奪うことにあったからです」
「レムベルト皇太子が用いた、真なる魔女を討つ剣のことか?」
「その通りです。彼女たちは仲間であったリントガルトを恐れていました。リントガルトが呪いの連載に囚われた時に備え、魔女の呪いを断ち切ることのできるランメルスベルクの剣を手に入れようとしていたのです。ですがリントガルトは呪いの魔女となり、仲間さえ手にかけました。この状況にあって、なおも当初の目的通りヴァルトハイデから剣を奪おうとするでしょうか?」
 レギスヴィンダの説明は楽観的で、都合のいい解釈に思われた。当然のようにフロドアルトは反問する。
「仲間が魔女の呪いに堕ちたのであれば、より剣を欲するのではないか?」
「いいえ、だとすればヴァルトハイデと争って剣を奪うより、一時的でもリントガルトを呪いの連鎖から救うため共闘を持ちかけてくるのではないでしょうか? 昨夜息を引き取ったリッヒモーディスという魔女の言葉を聞いて、わたくしには彼女たちが想像していたほどの悪に満ちた集団ではないのではないかと思えるのです」
 なおも主観に頼った返答を行うレギスヴィンダに、フロドアルトは呆れた。
「バカなことをいうな。奴らがルーム帝国を滅ぼさんと企む巨悪であることに変わりはない。お前はヴァルトハイデとリントガルトの関係を知り、一時的な情にほだされ、真実を歪めて見ようとしているのではないか?」
「そんなことはありません……彼女たちを救わんと欲したとしても、赦すべきだとは考えておりません。先に申した通り、命を奪うことでしか彼女たちを救うことはできないのですから」
「ならばお前は奴らが共闘を持ちかけてくれば、本気でそれに応じる意思があるというのか?」
「条件によります」
「………………」
 フロドアルトは正気を疑うようにレギスヴィンダを見やった。しかし、皇女は思いつめながらも真剣な眼差しを崩さない。苦肉の策なのではあろうが、あまりにも大胆で無謀な考えだった。
 フロドアルトは、即答に窮した。
「……提案だけは心にとどめておこう。だが、早急に結論を出す事ではあるまい。状況を見極めてからだ」
「では、諸侯連合の解散については?」
「そちらは好きにすればいい。エルシェンブロイヒに勝利したことで一定の役割は果たしている。奴らの面目も保たれるだろう」
「では、速やかに、そのように手はずいたします」
 レギスヴィンダは礼を言い、表面上はフロドアルトを立てる形で話し合いを終えた。
 内心はともかく、フロドアルトはレギスヴィンダの変化を感じずにはいられなかった。
 魔女の襲撃があった最初の夜から、それほど長い期間が経っているわけではなかったが、良くも悪くも皇女としての立場が少女を大人へと成長させ、今までのように自分の影響下に置かれた従妹(いいなり)ではなくなっていることを認めた。
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