第48話 生きている限り Ⅰ

文字数 3,818文字

 探し物を見つけるため、現世にとどまり続けるため、ヴァルトハイデの身体を必要としたつぎはぎの魔女は帝都に現れた。
 しかし、そこに目的の女はおらず、行方を捜すうちに皇帝の居城へと迷い込んだ。
 皇帝の口からヴァルトハイデが去ったことを聞かされると、つぎはぎの魔女は女を呼び戻すため、皇帝に殺意の刃を向けた。
 それから数日。
 つぎはぎの魔女は皇帝の寝室に居座ったまま、ヴァルトハイデが帰ってくるのを待った。時折、部屋を訪れる皇帝と対話を続けながら。


 シェーニンガー宮殿の城壁の外に、ゲーパ、オトヘルム、ブルヒャルトの三人が集まり情報交換を行っている。
「それで、つぎはぎの魔女はどうしてるんだ?」
 ゲーパに、オトヘルムが訊ねた。
「レギスヴィンダ様の寝室に居座ったままよ。一歩も部屋から出ようとしないで、ヴァルトハイデを待ち続けてるわ」
「レギスヴィンダ様はご無事なのか?」
 ブルヒャルトが訊ねた。
「ええ、つぎはぎの魔女は、ヴァルトハイデ以外には興味がないみたい。昨日もレギスヴィンダ様が部屋を訪ねて話しかけてたけど、危害を加えるようなそぶりはなかったわ。今のところは、だけどね」
 レギスヴィンダは自らの寝室につぎはぎの魔女を隠匿すると、関係者に緘口令を敷いて、この事実が漏れ出るのを防いだ。そのため市井においては混乱もなく、これまで通りの営みが続けられている。
 オトヘルムやブルヒャルトでさえ宮殿内での出来事を正確に知ることは難しく、ゲーパから話を聞いて状況を垣間見るのがやっとだった。
「しかし、本当なのか。つぎはぎの魔女の正体が、あのオッティリアそのものだったというのは?」
 オトヘルムが訊ねた。
「あたしも信じたくないけど、あの感じ、他に疑いようがないわ」
「それで、レギスヴィンダ様の説得はうまくいっておるのか?」
 ブルヒャルトが訊ねた。
「あまり、うまくいってるって感じはしないわ。レギスヴィンダ様は、つぎはぎの魔女に探している物を見つけてあげるっておっしゃられてるけど、それが何なのか、いまだに本人も想い出せないみたいなの」
「そんなもの、本当にあるのだろうか。それもルオトリープに作られた記憶ではないのか?」
 オトヘルムがいった。
「わたしもそうだとは思うんだけど……レギスヴィンダ様は信じてるみたいよ」
「臣下の身分でこのようなことは言いたくないのだが、なにぶん陛下はお優しいお心の持ち主であらせられるのでな……」
 慎重に言葉を選びながらブルヒャルトが呟いた。
 七十年も前に亡くなった女が、今も求め続ける心の空白。そんなものが実在するのなら探してやりたいと考えるのが人情である。
 レギスヴィンダの慈悲深さは、誰もが認める名君としての器量であったが、利用されているだけではないかという不安が付きまとった。
「今は大人しくしていたとしても、このまま手を出さないという保証はない」
「うむ。つぎはぎの魔女とやらにも、堪忍袋の緒はあるだろう。いつ暴発するとも限らぬぞ」
 オトヘルムとブルヒャルトが続けていった。
「そうだけど、あたしたちにはどうしようもないわ。もしも彼女がその気になったら、止められる人はいないもの……」
「ヴァルトハイデ殿はどうなっているのだ? つぎはぎの魔女は、ヴァルトハイデ殿を待っているのだろう?」
 オトヘルムが訊ねた。
「たぶん、声は聞こえてるはずだけど。今のところ何の音沙汰もないわ……」
「こんな時に何もできぬとは、自分の無力さをこれほど不甲斐ないと思ったことはない!」
 ブルヒャルトは自分をなじった。
 ゲーパにも、ヴァルトハイデなら何とかしてくれるのではないかという想いはあったが、ランメルスベルクの剣を振るえない女がもどってきても、つぎはぎの魔女に勝てる見込みはなかった。
 現状では、打つ手なしといったところだった。
「ところで、フリッツィ殿はどうされたのだ。最近、お姿が見えないようだが?」
 ブルヒャルトが訊ねた。
「つぎはぎの魔女が現れた夜に、何か約束があるっていって、どっかに行っちゃったきりよ」
「フリッツィ殿は、かの魔女の使い魔であったな……なにか、思い当たる節でもあるのだろうか……?」
「さあ……」
「まさか旧主に怖れをなして、逃げたのではあるまいな?」
 オトヘルムがいうと、年配の騎士は声を荒げて否定した。
「おかしなことをいうな。フリッツィ殿は、そんな御仁ではない!」
「いや、分らぬぞ。猫は三日で恩を忘れるという」
「オトヘルムよ。貴様であっても、いっていいことと悪いことがあるぞ!」
「二人とも落ち着いて。フリッツィにも、きっと考えがあってのことだと思うから……」
 ゲーパは信じた。
 フリッツィなら心配ない。こんなことで挫けるような性格ではない。それよりも不安なのはヴァルトハイデだった。
 ヴァルトハイデにもつぎはぎの魔女の声は聞こえているはずだった。なのに、レギスヴィンダの危機を知っても戻ってこないのは、今もランメルスベルクの剣が、彼女の心が折れたままになっているからだ。
 そんな女に、今すぐ帝都へ帰ってきて自分たちを救ってほしいとは願えない。それでも、このままつぎはぎの魔女の声に背中を向け続けるつもりなのかという、もどかしさもあった。
 魔女を討つ魔女として、剣の継承者に選ばれたヴァルトハイデがそんなに弱いはずがない。ゲーパは折れた心を打ち直し、ヴァルトハイデが帰ってきてくれることを信じて待つしかなかった。


 ゲーパたちが話し合っているころ、城壁の内側ではレギスヴィンダがつぎはぎの魔女との意思疎通を試みていた。
 寝室のドアの前で呼吸を整え、親しげな顔を作ってから話しかける。
「こんにちは。今日のご機嫌は、いかがですか?」
 室内は暗く、閉め切られたカーテンの隙間から僅かに陽射しが差し込む。
 部屋の隅に佇んだつぎはぎの魔女は、そこから一歩たりとも動こうとせずに答えた。
「こんにちは、皇帝陛下。この部屋にいられて、とても気分がいいわ。でも、わたし一人には広すぎる……」
「何か不便はありませんか? もし必要なものがあれば遠慮せずにいってください」
「必要なものはないわ。あなたがいてくれるだけで十分よ」
 表情もなく、つぎはぎの魔女は答える。
 レギスヴィンダは反応に困った。それが彼女の本心なのか、それとも気を使ってくれているのか判断できない。
 つぎはぎの魔女は夜も眠らず、食事も取らない。あの時の殺意が嘘のように、じっとヴァルトハイデを待っている。
 もしかしたら退屈なこの部屋で、本当に唯一の話し相手である自分のことを憎からず思ってくれているのではないかと、レギスヴィンダは感じた。
「今日も、ヴァルトハイデを待つのですか?」
 躊躇いがちに訊ねた。
「そうよ。そのために、ここにいるのだから」
 つぎはぎの魔女は部屋からは出ないものの、常に魔力を発して声にならない声でヴァルトハイデを呼んでいる。そのせいもあり、肉体は魔力の影響によって少しずつ傷み、室内に異臭がこもるようになっていた。
 レギスヴィンダは鼻を突くような臭気にも顔をしかめることなく話し続けた。
「ヴァルトハイデが戻ってくると、本当に考えているのですか?」
「来るわ」
「わたくしには、そうは思えません。残念ながら、今のヴァルトハイデでは、あなたと戦っても勝てる見込みがありません。それは本人も自覚しているはずです」
「あなたは、彼女が自分を見捨てるというの?」
「そうではありません。わたくしなら、他の方法を考えるといっているのです」
「それは、あなたの願望? それとも予感?」
「どちらでもありません。あなたが定期的に傷んだ肉体を取り換えなければ生存できないことは分かっています。だとすればあなたと戦うよりも、それを行う者を討つことの方が、より安全で確実だといっているのです。ヴァルトハイデも、そのことは承知しています」
「でも、その前にわたしがあなたを殺してしまうかもしれないわ」
「……その時は仕方ありません。わたくしは、この国の皇帝です。わたくしには戦うことはできませんが、国家と臣民のために命をかけることはできます」
「覚悟は、できているのね?」
「はい」
「あなたは本当に立派ね……殺してしまうのが、とても惜しいわ」
「それは嘘です」
「嘘……?」
「わたくしにも分ります。あなたが嘘をつけないと」
「そんなことないわ。あなたを殺すなんてた易いことよ……」
「いいえ。もしも本当に、わたくしを殺めるつもりがあったなら、最初の夜にそうしていたはずです。それに、わたくしが死んでしまえば、ヴァルトハイデが帰ってくる理由もなくなってしまいます。違いますか?」
 レギスヴィンダは儚くも親しげに微笑みながら訊ねた。まるで心の通い合った友人に対するように
 つぎはぎの魔女は、何も答えなかった。
「あなたがヴァルトハイデを待つのなら、わたくしも待ちましょう。あなたの気持ちが変わるのを。わたくしは、いつでもあなたの傍にいます。わたくしが、あなたの探している物を見つけて差し上げます」
 つぎはぎの魔女と交わした言葉は決して多いものではない。それでもレギスヴィンダは、心と心で会話ができたような気がした。
 彼女の純粋さ、一途さ、それらはルオトリープによって与えられたものでも、記憶の欠落によって生じた偽りの人格でもない。
 目の前に立つ女こそ、呪いの魔女と呼ばれたオッティリアの真実の姿、本当の声だと思えた。
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