第48話 生きている限り Ⅱ

文字数 3,599文字

「ぎゃあ!」
 翌朝。
 皇帝の寝室の窓の外で悲鳴がした。
 声に気づいたゲーパが駆けつけると、一羽の小鳥が庭でひっくり返っている。
「ルツィンデ様!?」
 小鳥に化けるのが得意な魔女だった。
 ゲーパは自室へ連れ帰って手当てをすると、何があったのか話を聞いた。
「やれやれ、ひどい目にあったわい……カーテンの内側をのぞこうとしたら、魔力ではじき返されたのじゃ……」
「無茶するわね……部屋には、レギスヴィンダ様しか入れてもらえないのよ。あたしだって、近づけないんだから」
「つぎはぎの魔女のことは、ハルツでも話題になっておった。どんな奴なのか、一目見てやろうと思ったのじゃがのう……」
「ひいお婆ちゃんたちにも声が聞こえたのね」
「皆、心配しておったぞ。やはり、あの時の魔女はオッティリアじゃったかと。ヘーダなどはなぜ気づいてやれなかったのかと自分を責めておったわ」
「それで、つぎはぎの魔女が探している物が何なのか、見当はついたんですか?」
「さっぱりじゃ。おぬしたちの方が、心当たりがあるのではないのか?」
「いいえ。昨日もレギスヴィンダ様が話を聞いてたみたいだけど、なんにも。ほんとにそんな物があるのかって、疑っちゃうわ」
「オッティリアの探している物のう……ところで、猫の奴はどうした。姿が見えんようじゃが?」
「なにか約束したことがあるっていって、出て行ったの」
「この大変な時にか。まさか、自分だけ逃げおったのじゃあるまいな?」
「そんなこと、あるわけないでしょ。たぶんだけど……」
「まあ、あ奴のことじゃ。なにか考えがあってのことじゃろう。そのうち、ひょっこり戻ってくるわい。それより深刻なのはヴァルトハイデじゃな。これだけ経って、まだ帝都へ帰らぬということは、いよいよ皇帝を見限ったか、どこかで野垂れ死んでおるかじゃな」
「やめてよ、冗談じゃない。ルツィンデ様でも、いって良いことと悪いことがあるわ」
「冗談なものか。ヴァルトハイデをつけ狙う者なら他にもいくらでもおろう。黒き森の残党しかり、力試しや名をなさしめようとする者しかり、皇帝に面従腹背する諸侯の中にも、あやつを疎ましく思う者もおるじゃろう」
「そうかもしれないけど……ううん。そんなことないわ。ランメルスベルクの剣がなくったって、ヴァルトハイデは誰にも負けないわよ!」
「そうじゃな。身を守る術なら心得ておろう。ハルツで、さんざん鍛えられたからのう。しかしじゃ、あやつの心が未だに答えを見つけられずにおるのも確かじゃ。帰るべきか、帰らざるべきか、家出した子供のように、どこかの道の上で迷うておるのじゃ。使命に従うことは教わったが、自分の意思で答えを見つける術は教われなんだのかもしれんな」
 ヴァルトハイデがどこにいるのかは誰も知らない。最後にオーディルベルタとエメリーネが会って以降、その姿を見たという報せはなかった。
 ゲーパは、ヴァルトハイデを苦しめているものの正体が、彼女の背負った使命や運命そのものだということを改めて認識した。あるいは自分たちがそれを都合よく背負わせたのかもしれないが。
「まるでヴァルトハイデの存在自体が、人と魔女が和解するために必要な生け贄じゃったようじゃな……」
 そんなものに頼らなければならない自分たちを不甲斐なく責めながらルツィンデが呟いた。
 ゲーパは、そんな風には考えたくなかった。でも、もしそうだとすれば、どうすればヴァルトハイデを苦しみから解き放ってやれるのだろ。
 あるいは生きている限り、彼女に取りついた運命からは逃れられないのだろうか。
 ならばいっそ、道の上に斃れてしまう方が楽になれるのではないか。
 ゲーパの心もまた、答えの無い闇の中を迷い続けた。


 寝室に魔女を匿っている間も、レギスヴィンダには皇帝としての務めがある。
 この日も玉座に腰かけ、家臣や官吏たちからの陳情を聞いていた。
「本年は様々なことがございましたので、庶民の生活も困窮しております。一部税の免除を含め、どうかご検討ください」
「西部国境地帯の川沿いに、あらたな山城を築かれてはいかがでしょうか。隣国への備えを怠るわけにはまいりません」
「次期宮廷女官長の選任でありますが、クーニグンデ・フォン・エーマーを推薦するとの声が上がっております。陛下のご意見をお聞かせください」
 魔女との対峙のみが国家の大事ではない。レギスヴィンダは瑣末な事柄にも耳を傾け、多くの意見を取り入れようとした。そのため公務や執務は多岐にわたり、身も心も疲弊した。それでも務めに専念しているときだけは、最も大切な者のことを忘れ、憂いや自責の念からも解放された。
 レギスヴィンダが裁可を行っていると、宰相のオステラウアーがやってくる。陳情する者たちを無視すると、顔色一つ変えることなく皇帝陛下に奏上した。
「陛下、先ほどベロルディンゲンから急報がありました」
「ベロルディンゲンから……」
「はい」
 話を聞いた瞬間、レギスヴィンダは理解した。現状の最重要課題に関する、フロドアルトからの報せであると。
「ライヒェンバッハ公はなんと……?」
「その前に、お人払いを」
 逸るレギスヴィンダに対して、オステラウアーは落ち着いていた。
 皇帝は宰相の言を入れて陳情者たちを下がらせると、二人だけで話を聞いた。
「ライヒェンバッハ公はルオトリープの隠れ家を発見し、風来の魔女を率いて討伐に向かわれたとのことです」
「それは本当ですか……!?」
 レギスヴィンダは、驚きながら確認する。
「ヴァルトハイデ様から教えられた手がかりの通りの場所に身を潜めていたとのことです」
「そうですか。ヴァルトハイデが…………」
 報せが事実だと理解すると、レギスヴィンダは安堵する。と同時に、行方をくらませたハルツの魔女に感謝した。
 間に合ったのだ。この事実を聞けば、つぎはぎの魔女もきっと考えを変えてくれる。ヴァルトハイデを連れ去っても、もう誰も彼女に新たな肉体を与えることはできない。ならば帰ってくるかどうかも分からない相手を待つよりも、レギスヴィンダと協力して探し物を見つけるしかないはずだった。
 結果としてヴァルトハイデは自分で自分の身を守ったのだ。
 これに応えてくれたフロドアルトにも、感謝の念が絶えなかった。
 レギスヴィンダはホッとすると張っていた気持ちが途切れ、忘れていた疲労感を思い出した。
 すぐには玉座から立ち上がることもできず、何も考えることができない。しかし、気分は良かった。
 オステラウアーを下がらせると、目蓋を閉じてどこかにいるはずの彼女に想いを馳せた。
 ヴァルトハイデにもこのことを伝え、安心させてやりたかった。そして、早く自分の下へ帰ってきて欲しいと願った。
「皇帝……」
 不意だった。誰もいないはずの玉座の間に女の声が響いた。レギスヴィンダが目を開けると、柱の影につぎはぎの魔女が立っていた。
「あなたに別れを告げに来ました」
 彼女が寝室以外の場所に姿を現すことは一度もなかった。レギスヴィンダは困惑し、すぐには何をいっているのか理解できなかった。
「……別れとは、どういうことですか? たったいま、ルオトリープの隠れ家が突き止められたという報せがありました。あなたはこれ以上、あの男に縛られる必要はないのですよ」
「彼の居場所が分かったのね……でも、もう手遅れだわ」
「手遅れ? そんなことはありません。今からでも、わたくしが皇帝の信義と名誉にかけてあなたの探している物を見つけて差し上げます。ですから、どこへも行かず、ここにいてください」
「……あなたは、とても親切なヒト。でも、それはできないわ」
「どうしてですか?」
「もう、彼女がそこまで来ているから」
 帝都を見はるかす丘に、息を切らせたヴァルトハイデの姿があった。
 ヴァルトハイデにつぎはぎの魔女の声が聞こえたように、つぎはぎの魔女にもヴァルトハイデの足音が聞こえていた。
「ヴァルトハイデが……」
「彼女はあなたの危機を知って帰ってきたの。わたしには敵わないと分かっていながら。だから、わたしは彼女を迎えに行かなければならないわ。あなたは、救われたのよ」
「どうして、もう戦う必要はないといったはずです!」
「いいえ。ルオトリープは、簡単につかまりはしないわ」
「そんなことはありません。ライヒェンバッハ公が身柄の確保に向かいました。だから!」
「さようなら、レギスヴィンダ。あなたには感謝しています。わたしにとって、あなたに出会えたことは、とても大きな癒しになりました。もう、ルーム帝国を憎むことはありません。偉大な皇帝になってくださいね」
「待って、オッティリア!」
 レギスヴィンダは立ち上がろうとした。しかし、身体に力が入らなかった。
 疲労のためではない。つぎはぎの魔女の魔力によって抑えつけられていた。
 魔女が別れを告げると、皇帝は玉座に腰かけたまま意識を失った。
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