第13話 疑惑と虚構 Ⅱ

文字数 4,698文字

 甦った死者の群は複数の町や村を呑み込みながら、帝都プライゼンを目指して移動を続けた。
 その足音が近づくにつれて人々の心に決戦の機運が高まり、再び不覚を取るようなことがあれば、今度は帝都を奪われるのではないかという悲壮感が広まった。
 死者の群に対抗するため、レギスヴィンダはさらに多くの諸侯に結束を呼びかけた。しかし、最も団結すべき時期になって、帝国の威信を揺るがすような疑惑が持ち上がった。


 クラースフォークトの戦いに参加したホルレバイン侯爵、デクスハイマー伯爵、アールグリム伯爵、レッケンドルプ男爵の四人が、帝都にあるディンスラーゲ侯爵の中屋敷を訪れた。
「よくぞ参られた。本日は貴公らと腹を割って話したき事柄があってな。突然の呼びかけにも関わらず、快く応じてくれたことに感謝する」
 ディンスラーゲ侯爵が出迎える。四人の諸侯は嫌な顔をすることもなく、打ち解けた様子で挨拶を交わすと広間のテーブルに着席した。
「さて、本日の議題であるが……」
 ディンスラーゲ侯爵が切り出そうとすると、諸侯は心得たように口を開いた。
「みなまで言わずとも分かっている。この時期に我らが集まって語ることといえば、例の者どもに対してどうするかであろう?」
「うむ。きゃつらクラースフォークトだけでは飽き足らず、この帝都までも奪い取らんとにじり寄ってきておるそうではないか?」
「宮廷騎士団の報せでは、近日中にも帝都の最終防衛ラインであるゼンゲリングへ迫ると予想されているとのことです」
「ですが怖れることはありませんぞ。帝都にはレギスヴィンダ内親王殿下も帰還され、さらに多くの諸侯が決起を表明しております。兵の士気も高まっている今、再び我らが撤退を余儀なくされるような不名誉は万に一つもありますまい」
 諸侯は会談の目的を死者の軍勢に対する方策を語り合うものだと考えていた。しかし、四人を招いたディンスラーゲ侯爵の返答は予想と違っていた。
「確かにどうすれば死霊どもを帝都へ近づけさせず、退けられるかを語ることも重要な事柄ではあるが、それよりも深刻な疑惑が持ち上がっている」
「なんと、この危機的な渦中に置いて、敵軍に対するよりも優先しなければならない疑惑があると!?」
「それはまた穏便ではない発言ですな……」
「いくらなんでも大げさすぎはしませんか?」
「まずは内容しだいといったところでしょう。その疑惑とは、いったいどのような事柄でありましょうか?」
 諸侯がディンスラーゲ侯爵に注目する。四人は半信半疑な様子で、興味本位で話を聞いてみようという雰囲気だった。
「信じたくはないことではあるが、帝室はかねてより魔女と契約を交わしていたというのだ」
 ディンスラーゲ公爵が話を切り出すも、四人はその内容の突飛さに、すぐには理解が追いつかなかった。
 一瞬、頭が空白になり、唖然としたまま言葉を失う。そして気持ちを整理してからゆっくりと答えた。
「それは、いけませんな……」
「まったく、事実であれば早急な対策が必要になるでしょう……」
「この逼迫した状況下で、まさか帝室にそのような疑惑が持ち上がるとは……」
「……ところで、ディンスラーゲ侯爵は、いったい何を根拠にそんなことをおっしゃられるのですか?」
 諸侯の反応は冷ややかで、告発者の正気を疑うものだった。しかし、これもディンスラーゲ侯爵にとっては予想していたことである。
「貴公らが耳を疑うのはもっともだ。わたしも話を聞いた時は同じことを思った。だが、これは宰相府に近い者から聞いた紛れもない事実だ。それを証明するように、すでに数名の魔女が宮中に入り込んでいる」
「そうはいわれましても、そのような内容を俄かに信じろとおっしゃられるのは……」
「左様。この国は、魔女に勝利した英雄の国ですぞ。なに故に、魔女と契約などをしなければならないのか?」
「ディンスラーゲ侯爵よ、我らをからかっておるのではないか?」
「からかうなどとんでもない。わたしはいたって真面目な話をしている。帝室は魔女に対抗するために、魔女の力を借りようとしているのだ」
「バカなことを。仮に力を借りるにしても、ルーム帝国と魔女は不倶戴天の間柄。こちらから呼びかけたとしても、応える魔女などいるはずがない」
「仮に、そのような魔女がいたとしても見返りに何を要求されるか分りません。ルーム帝室が、そのように愚かな契約を結ぶはずなどありません」
「こんなことは言いたくはないが、侯爵が担がれたのではありませんか?」
 四人は、まるで話にならないといった様子だった。こんなことを聞かされるために貴重な時間を割いたのかと、口にこそ出さないものの、呆れ顔を作ってみせる者もいた。
 だが、次に発したディンスラーゲ侯爵の問いかけに明確な答えを返せる者はいなかった。
「では、貴公らに訊きたい。我らがクラースフォークトで戦っている間、殿下はどこにおわした? そして何故、我らが撤退するのに合わせたかのように帝都へ戻られたのだ?」
「……帝都が襲撃された後、殿下は危険を避けるために御身を隠されていたのではなかったのですか?」
「どこにだ?」
「それは……」
「答えられまい!」
「侯爵、落ち着かれよ。いくらなんでもその物言いは礼節を欠いておられるのではないか?」
「まったくだ。殿下が蒙塵(もうじん)あそばされる場所を公にできるはずがなかろう。それとも、侯爵は知っているとでもおっしゃるのか?」
「……確かに、今の発言は行き過ぎであった。撤回させてもらう。だが、殿下の避難先だから公にできないのではない。公にできない場所へ殿下が行かれていたのだ」
 へ理屈のような返答を聞いて、四人は「やれやれ」といった表情を露骨に浮かべる。もはやこれは話し合いでも告発でもなく、ディンスラーゲ侯爵による一方的な言いがかりであるとさえ思われた。
 それでも帝国の名門貴族であるディンスラーゲ侯爵を無碍にもできず、四人は忍耐力をもって話を続けた。
「そこまでいわれるのであれば侯爵はもちろん、殿下がどこにおわしたかご存じなのであろう?」
「勿論だ」
「それはいったい?」
 諸侯の視線が集まる。
「他でもない、ハルツだ!」
 ディンスラーゲ侯爵が答えると、諸侯は押し黙った。その地名の響きに、心胆を寒からしめられる思いがした。
「……ハルツというと、魔女が集まり宴を開いたという伝説のある、あのハルツですか?」
「他に、ハルツはあるまい」
「しかし、ハルツの魔女などとうの昔に滅びたはずでは?」
「七十年ぶりに魔女が現れたのだ。ハルツに生き残りがいたとしても不思議ではない。問題なのは、そのハルツへ行き、魔女と交渉せよとお命じになられたのがジークブレヒト陛下だったということだ」
「陛下が……」
「バカなことをおっしゃるな! 不敬極まりない発言ですぞ!」
「陛下だけではない。帝室が魔女と係わりを持っていたのは、七十年前の戦いの時からだ。これは、今に始まった疑惑ではないのだ」
「侯爵は、レムベルト皇太子にまで疑惑の目を向けるといわれるのか!?」
「聞いて損したわ! わざわざ出向いてみれば、愚にもつかない世迷い言を聞かされるとは! 侯爵も焼きが回ったな!」
「まったくです、今のは聞かなかったことにいたしましょう……」
 さすがに国家の大英雄や、魔女の犠牲になった皇帝の名前まで持ち出されては、四人の我慢も限界に達した。もはや聞く耳も失ったと、四者四様の表現で非難する。
 それでもディンスラーゲ侯爵は自説を曲げることなく、舌鋒鋭く糾弾を続けた。
「貴公らの国家と帝室に対する信頼と忠誠は篤く報われるべきものであろう。だが、他でもない宰相府の者がそういっているのだ。しかも、宰相府と騎士団本部は当初からこのことを知っていながら隠蔽し、殿下の行動から目を逸らすため、また帰還されるまでの時間を稼ぐために我らをクラースフォークトで戦わせたのだと」
「どこにそんな証拠がおありか!」
「貴公らは本当に、クラースフォークトでの撤退の原因が、メーメスハイム子爵にあると考えているのか?」
「何をいわれますか、そもそも最初にメーメスハイム子爵軍の瓦解を目撃したのは他でもない侯爵の指揮下にあった兵士だったはず。それを今ごろになって否定なさるのか?」
「否定はせぬ。だが、あの場面でメーメスハイム軍が敗退したからといって、我ら全軍が帝都へまで撤退を余儀なくされるほど追いつめられていたとはわたしには思えぬ」
「それは、確かに……」
「クルムシャイト侯爵の散華を知り、お若い子爵殿が動揺したのは事実だろうが、だからといってこれを理由に総大将であるフロドアルト公子が全軍撤退を決断するのはあまりにも潔く、タイミングも整いすぎていたのではないか?」
「いわれてみればその通りではあるが……」
 侯爵が答えると、四人は一部その指摘を認めた。
「……だとすれば、フロドアルト公子も殿下の行動を把握されていたことになりますな」
「うむ。つまり公子は殿下が帝都へ帰還されるころ合いを見計らい、余力のあるうちに全軍を後退させたと仰られるのか……?」
 わずかながら、疑惑の芽が生じた。
「貴公らの言う通りだ。フロドアルト公子も殿下と同じレムベルト皇太子の血族。殿下を手助けするために、ジークブレヒト陛下から御諚を賜っていたとしても不思議はない」
「確かにそうですな。思い出しても見てください。魔女による襲撃があった後、いち早く帝都へ参上したのもフロドアルト公子でした」
「いわれてみれば疑わしき点ばかりが浮かび上がってくる……」
 一度疑惑に火が付くと、それが勝手に四方へ燃え広がり、諸侯は疑心暗鬼に陥る。
 そんな様子を冷静に見てとると、ディンスラーゲ侯爵はさらに疑惑の炎を煽り立てんと、不安の種を植え付けた。
「殿下が魔女と契約を交わしたとなれば、帝国の土台を揺るがす大スキャンダルに発展するだろう。帝室は我ら諸侯の結束よりも、得体の知れぬ魔女の力を頼ったということになる。このような事実が明るみになれば、国内だけにとどまらず、諸外国、列強からの侵略を受けることにもなりかねん」
「ディンスラーゲ侯爵のいわれるとおりだ。これが事実だとすれば、これまで帝国に忠誠を誓っていた諸侯は離反し、民衆からの支持も失うだろう」
「我らは信用されていなかったということか……なんとも情けないことだ」
「難題ですな。果たして、このまま年若い皇女殿下と公子殿に帝国の行く末を任せておいて良いものでしょうか?」
(かなえ)の軽重を問わざるを得ませんか……」
 たっぷりと四人が疑惑を深めると、ディンスラーゲ侯爵はほくそ笑んだ。さらに、彼らが勝手に先走らないよう釘をさしておくことも忘れなかった。
「だが、これらはあくまで疑惑の段階でしかない。真実を見極めるまでは軽々な行動は禁物。ここはわたしに一任してはもらえまいか。宰相府には我らと同じ、真に国家を憂う者も多い。さらなる探りを入れてみよう」
「そうですな……何の証拠もなく、レギスヴィンダ殿下や帝室を糾弾しても仕方あるまい。まずは侯爵殿にお任せ致しましょう」
「今は国家の緊急時。疑惑が出鱈目であることを願うしかあるまい……」
「ですが、このような疑惑が持ち上がること自体、帝室の弱体化といわざるを得ません」
「仕方なかろう。皇帝皇后両陛下が亡くなっているのだ。より一層、我ら諸侯の団結が必要とされる。この危機は、みなで力を合わせて乗り越えていくしかないのだ」
 諸侯は意見を合わせ、真実を究明することで一致する。
 深刻な空気に支配された部屋の中で、ディンスラーゲ侯爵だけが我が意を得たように満足げだった。
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