第31話 ただいま Ⅴ

文字数 3,096文字

 ヘルヴィガの庵にヴァルトハイデは戻った。
「お呼びですか、ヘーダ様?」
「すまぬな。何度も足を運ばせて……」
「いえ、それより何用ですか?」
「お主を魔女に造り替えた男について、話しておかねばならぬことがあっての」
「フレルクについてですか?」
「そうじゃ」
「それならば、先ほども少しお話されたはずでは? フレルクは今も生きており、レギスヴィンダ様も帝国をあげて追跡を行っていると……」
 ヴァルトハイデは怪訝に思った。なぜ同じ話を二度もするのかと。しかも、わざわざ二人きりで。
 ヘーダは、ヴァルトハイデが感じた違和感を読み取ったように、改まった態度で話し始めた。
「……おぬしのいう通り、もはやこの国にあ奴の隠れられる場所はない。逆に、いよいよ追い詰められ、何をしでかすかわからぬともいえる。だからこそ、おぬしに話しておかねばならぬことがあるのじゃ。フレルクとハルツと、七十年前の戦いについて」
「フレルクとハルツ……もしや、ヘーダ様は過去にフレルクと会われたことがあるのですか?」
「ある」
「戦われたのですね?」
「いいや」
「では、どこで……?」
「ここでじゃ」
ここ(・・)とは……?」
「ハルツじゃ」
「ハルツ……!?」
「うむ。フレルクを育てたのは、このわしじゃ」
「ヘーダ様がフレルクを……!?」
「フレルクことフリードリヒは、オッティリアの息子じゃった」
「な……」
 突然の告白だった。多少のことには驚かないつもりで身構えていたヴァルトハイデだったが、さすがにその内容は耳を疑うものだった。
「フレルクがオッティリアの息子…………」
「そうじゃ。あれは七十年前、戦いが始まる直前じゃった。オッティリアはフリッツィにフレルクを預けハルツへ避難させた。それを、わしとヘルヴィガで匿い、帝国に見つからぬよう育てたのじゃ」
「……ということは、フレルクの父親というのは?」
「レムベルトじゃ」
 これもまた衝撃的な内容だった。オッティリアとレムベルト皇太子が恋仲にあったことは知っていた。しかし、二人の間に子供が存在し、ましてその子がフレルクであったとは想像すらしていなかった。
 ヴァルトハイデは、俄かには信じられなかった。
「……事実なのですか?」
「こんなことで冗談をいってどうする」
「それでは、フレルクが帝国を敵視するのは……」
「母を奪い、自身を追放した者たちへの復讐じゃ。あ奴は自分こそが正統なルームの後継者と信じ、帝位の簒奪を企んでおる」
「フレルクがルームの皇帝だったかもしれないというのですか……」
 ヴァルトハイデは困惑するも、何故フレルクが帝国に恨みを抱き、執拗にジークブレヒトやレギスヴィンダを狙い続けたのか理解した。
「帝国は、そのことを知っているのでしょうか?」
「知らぬじゃろう。オッティリアとレムベルトの間に生まれた子供は捕らえられ、処刑されたことになっておる。当時の皇帝、つまりレムベルトの父であったメルヴィン・アーダルフンスが力づくで二人の間を引き裂き、兵を差し向けオッティリアからフレルクを取り上げたのじゃ」
「それをヘーダ様たちが助けたというのですね?」
「いや、フレルクを救ったのはレムベルトじゃった。レムベルトには父親が決めたゴーデリンデという婚約者がいた。奴も帝国の皇太子じゃ。どんなにオッティリアを愛そうとも、魔女とは結ばれぬことは分かっておった。オッティリアもまた、そのことを理解し自ら身を引いた。じゃが、まさかその身にレムベルトの一粒種を宿しているとは、わしらも気づかんかった……」
「では、オッティリアが呪いの魔女になったのはレムベルト皇太子に裏切られたからではなかったというのですね?」
「レムベルトはフレルクを助けた。じゃが、そのことを知らぬオッティリアは自分の子供を取り戻すため、自らに呪いの術をかけて帝国に戦いを挑んだのじゃ」
「そんなことが……」
 真実を聞かされ、ヴァルトハイデは運命の皮肉を感じた。
 オッティリアが呪いの魔女になったのは、一方的にレムベルト皇太子にもてあそばれ、捨てられたからではなかった。
 二人は心から愛しあい、互いに命をかけて自分たちの子供を守ろうとしたのだ。
 その結果が人と魔女の全面対決となり、七十年の時を経て、再び因果が巡ってきたのである。
 人と魔女の間に生まれた情愛を引き裂いた者たちの子孫へ。
「フレルクは、自身の生い立ちを知っていたのですか?」
「戦いが始まったとき、フレルクは生まれたばかりで母親の面影すら覚えていなかった。戦いが終わった後も、わしらは何も告げずに自分たちの子としてあ奴を育てた。無論、いつかは真実を話さなければならないとは思っていたが、わしもヘルヴィガもその時が来るのを恐れた。自分が呪いの魔女と呼ばれたオッティリアの息子だと知ったとき、あ奴がどうなるのか誰も予想ができなかったのでな」
「では、フレルクはどうして自分がオッティリアの息子だと知ったのですか?」
「……分からぬ。ただ、真実を知ったときフレルクはひどく落ち込み、食事もとらずに塞ぎこんだ。そしてある日、母の遺体とともにハルツから消えた。もう、五十年以上も前のことじゃ……」
 遠い過去を語るヘーダの顔にはぬぐいきれない後悔の念が張り付いていた。
 もっと上手く行動していればフレルクを復讐に駆られた悪の研究者になどさせなかった。七十年前の戦いも防ぐことができたのではないかと。
 ヴァルトハイデたちに対しても、過酷なる運命の環に引き込んでしまったことを悔い、償っても償いきれない負い目を抱いているように見えた。
「ヴァルトハイデよ、どうかわしを許してくれ。お主を見つけたとき、すぐにそれがフレルクの仕業じゃと気づいた。じゃが、認めたくないという葛藤もあった。何かの間違いではないかと祈った。あの優しく快活で誰からも愛されたフレルクが、まさかおぬしら罪のない娘らに、このように惨い仕打ちを行うなど信じられなかったのじゃ」
「いいえ。わたしは自分の運命を恨んだことはありません。わたしはハルツの剣。与えられた使命を果たすための道具にすぎません。ですが、ヘーダ様こそ、わたしがフレルクを斬ることを本当にお望みなのですか?」
 ヴァルトハイデの瞳が真っ直ぐヘーダの心を突き刺した。
 許しを乞うべき相手に、気遣わせてしまっている。そんな思いが、ヘーダに本心を吐露させた。
「……わしは愚か者じゃ。おぬしたちに対する罪悪感を抱きながらも、あ奴が生きていてくれたことをうれしく思った。七十年前の戦いを防げなかった後悔を、あ奴を生かすことで慰めてきたのじゃ。だが、自らの妹さえその手にかけたおぬしに対し、なぜわしだけが償いをせずにいられようか。フレルクへの未練はもはやない。だから、おぬしをここへ呼んだのじゃ。どうかあ奴を殺してくれ。そして、憐れな魔女とそれに係わった者たちの魂を救ってやってくれ。それさえ叶えば、もはや思い残すことはない…………」
 肩を落とし、涙ぐむヘーダの姿をヴァルトハイデは初めて見た。偽りのない言葉であり、心から自分を責め、許しを乞うものだった。
 ヴァルトハイデの決意に変化はなかった。どのように不条理な運命や経緯があろうとも、七十年前に始まった戦いは決着しておらず、誰かがそれを清算しなければならない。
 そのための剣に選ばれたことをヴァルトハイデは天命と受け止め、自分が魔女の呪いの連鎖の最後の受け皿になればそれでよいと考えた。
 ただ、レギスヴィンダはどうなのであろうかと迷いが生じる。
 フレルクもまた、ルーム帝国の血筋に連なる者だった。その事実を告げるべきなのか、苦悶せずにはいられなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み