第41話 夜と朝のあいだ Ⅰ

文字数 2,949文字

 箒に腰かけた魔女が満月の空を飛ぶ。
 勝手にベロルディンゲンへ向かったフリッツィを連れ戻すため、上空からゲーパが探していた。
「もう、どうしていうこときかないかなぁ。わざと人を困らせて楽しんでるんじゃないの? 変なことになる前に見つけられたらいいんだけど……」
 愚痴をこぼしながら地上を眺める。いなくなった時間から計算すると、すでにベロルディンゲンに着いていてもおかしくない。急がなきゃと思ったとき、街道に人影を発見した。
「あれって、もしかして……」
 ベロルディンゲンの方角からクラウパッツに向けて、馬が男を乗せて歩いている。
 もしやと思ったゲーパは高度を下げると、馬と並走しながら名前を呼んだ。
「フロドアルト公子?」
 呼ばれた男は驚き、声の主を見やる。声をかけられるまで、まったく気付かなかった。
「お前はハルツの……」
 フロドアルトは馬をとめ、ゲーパは地上に降りて答えた。
「はい、ゲーパです。公子、こんな所でどうしたんですか?」
「……ちょうど良かった。お前たちを探していた」
「あたしたちを……?」
「ヴァルトハイデに用がある。近くにいるのか……?」
「ヴァルトハイデだったらクラウパッツにいますけど、どうしたんですか? やだ、すごい怪我……!」
 ゲーパはフロドアルトの胸の傷を見て息を呑んだ。衣服は赤く染まり、よく見れば額に脂汗が浮かんでいる。かろうじて意識を保ち、落馬しないように手綱を握っているのがやっとといった状態だった。
「すぐに馬から降りてください。あたしが治療しますから!」
 ゲーパは術を使い、傷口をふさぎながら訊ねた。
「……どうしてこんなことに?」
「ベロルディンゲンで魔女にやられた……」
「ベロルディンゲンで!?」
 ゲーパにとっては二重の意味で衝撃だった。
「ベロルディンゲンには、ライヒェンバッハ公がいたはずじゃ?」
「……そうだ。わたしは父上の目を覚まさせるため、ベロルディンゲンへ向かった。だが城内で魔女の待ち伏せに会い、心ならずも脱出を余儀なくされた……父上は魔女と主治医のルオトリープによって操られ、利用されていたのだ…………」
「そこに、フリッツィはいませんでしたか……?」
「いたとも……不本意にもあの女に助けられ、どうにかここまで来ることができた……」
 フロドアルトの説明だけでは何がどうなっているのか正確に理解することはできなかったが、ことフリッツィに関しては、やっぱりベロルディンゲンへ行っていたのねと、妙に納得した。
「魔女はヴァルトハイデの命を狙っている。わたしはフリッツィとヴィッテキントたちが身代わりになることで、辛うじて脱することができた……」
「分かりました。すぐにヴァルトハイデの所へ行きましょう。あたしが案内します。背中につかまってください!」
 ひととおり傷がふさがると、ゲーパはフロドアルトに箒に乗るよう促した。
「貴様……このわたしに、そんなものにまたがれというのか……! しかも、女の背につかまれと……」
「そんなこといってる場合ですか! 馬で行くより、こっちの方が早く着きます。さあ、遠慮しないで!」
 ゲーパは大まじめだったが、フロドアルトにとっては耐え難い屈辱だった。
「何ということだ……このわたしが魔女の背中にすがって空を飛ぶなど、ライヒェンバッハ家末代までの汚名となろう……」
「しゃべってないで、落ちないようにしっかり掴まっててください。とばしますから!」
 フロドアルトを乗せると、ゲーパは夜空に向かって飛び立った。


 フロドアルトがベロルディンゲンを脱出した後、その父親は自室に主治医を呼んでいた。
 弱々しい声で、ベッドに横になったまま話しかける。
「何かあったのか、城内が騒がしかった気がするが?」
「地下にネズミが出たようですが、ご心配には及びません。すぐに退治いたしましたので」
「そうか、この城も古いからのう……だが、用心せよ。ネズミの開けた穴から、城が崩れることもある。注意を怠ってはならぬぞ」
「心得ておきます。それよりも、ルペルトゥス様はお身体をお休めになっていてください。間もなく、魔女が参りますので」
「うむ……楽しみだ。今度こそ奴らを掃滅する。ルームの栄光は、わたしの手によって守られるのだ……」
「どうかそれまで、よい夢をご覧ください」
 ルオトリープがシーツをかけ直すと、ルペルトゥスはすぐに寝入った。
 主治医は患者の部屋を出ると、外で待っていた女に話しかけた。
「フロドアルトは逃げたのだな?」
「ええ、今ごろ、ヴァルトハイデを呼びに行ってるわ。途中で、死んでいなければね」
「そうか、それは好都合だ。君は君の想いを果たせ。ルペルトゥスは用済みだ。長くはもつまい」
「相変わらず冷たい人。自分の目的さえ達成できれば、他の人間はどうなってもいいのね?」
「それは君とて同じことじゃないか。彼女は目覚めた。ルペルトゥスはよくやってくれた。夢を見たまま逝けるのだ。こんなに幸せなことはない」
「そうね。わたしも、あなたに感謝しなくちゃいけないわ。やっと、リントガルト様のお傍にいけるのだから……」
 男と女は声をひそめて示し合う。
 まるで嵐の到来を予言するように、夜だけが静かに更けていった。


 フロドアルトを逃がすため、ベロルディンゲンに残ったフリッツィたちは地下牢に閉じこめられていた。
「こらー、なによこの扱いは! 人質になってあげたんだから、もっと丁寧に扱いなさい! こっちは怪我人もいるのよ! ちょっと、誰かいないの?」
 鉄格子の内側から大声で叫ぶが反応はない。フリッツィは諦めると、同じ牢にいるヴィッテキントたちを見やった。
「大丈夫?」
 側近の中には、イドゥベルガに手酷くやられた者もいる。それでもフロドアルトが戻ってくるまではと、みなで必死に耐えていた。
「それにしても意外でした。フリッツィ殿が、フロドアルト様の身代りを買って出られるとは……」
「そう?」
 ヴィッテキントが礼を述べる。フリッツィにしてみれば、なんともないことだった。
「フロドアルト様とフリッツィ殿は何と申しますか、水と油と言いますか、決して良好な関係ではないと思っていましたので」
「そうね、それは間違いじゃないかもね……っていうか、あっちが意識しすぎてるんじゃないの?」
 フリッツィは否定したが、ヴィッテキントから見れば、どっちもどっちといったところだった。
「それより、あたしもしなきゃいけないことがあるんだけど、ついていてあげなくても大丈夫よね?」
「それは構いませんが、何をされるおつもりですか?」
「このお城のどこかに、人質になってる夫婦がいるでしょ。その人たちが無事か、見に来たのよ」
 フリッツィは善意だけで身代わりを買って出たわけではない。城に残ったほうが、あれこれ都合が好いと考えたからだ。
「我々のことでしたら心配は無用です。どうかお気遣いなく、お勤めを果してください」
「ありがとう」
「ですが、このような場所に囚われたままでは、人質夫妻が無事かを確認するのも容易なことではありますまい?」
「そんなことないわよ」
 フリッツィは軽く答えると、黒ネコの姿に戻った。格子の間をするりと通り抜ける。
「じゃあ、行ってくるわね!」
「……お気をつけて」
 ウィンクすると、揚々と地下牢を飛び出した。
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