第35話 伝えたい想い Ⅱ

文字数 4,700文字

 その日、帝都のシェーンガー宮殿で、フリッツィがレギスヴィンダに会わせたい人がいると話を持ちかけた。
「……わたくしにですか?」
「そ、フェルディナンダに頼まれたの」
「グローテゲルト伯爵夫人に……」
 レギスヴィンダは、何者だろうかと想像する。
 一応、ヴァルトハイデに確認してみたが、そんな話は聞いていないと答える。当のフリッツィに訊ねてみても、よく知らないと答えるありさまだった。
 レギスヴィンダにしてみれば、他でもない女領主の推挙であるなら会ってみる価値のある人物なのだろうと判断するも、いまいち釈然としなかった。
 正式なルートでの奏請ではなかったからだ。
「分りました。許可しますと伝えて下さい。それよりフリッツィ……」
「なに?」
「執務机に腰かけるのはやめてください。それに、それはわたくしのカップです。のどが渇いているのなら、新しいものを淹れなおします」
「あらいやだ、あたしったら。急いで帰ってきたものだからつい。ごめんなさいね、オホホホホ……」
 フリッツィは笑ってごまかして部屋を去る。レギスヴィンダは、やれやれといった表情でため息をついた。
「申し訳ありません、陛下。フリッツィには、後できつくいっておきますので」
 謝罪しながら、ヴァルトハイデが別のカップにコーヒーを注ぎ直す。
「構いません。それにしても彼女は相変わらず、自由に行ったり来たりしているようですね」
「わたしも普段フリッツィがどこで何をしているのか、把握し切れていない部分が多く困っています」
「それがらしさ(・・・)なのでしょうが、世の中がどう変わろうとも、この部屋の騒々しさだけは変わらないようですね……」
 レギスヴィンダは忸怩たる思いでコーヒーカップを手に取る。
 フリッツィだからなのか、それとも、やっぱり自分に威厳が足りないからなのかと悩んだ。


 グローテゲルト伯爵夫人が帝都へ到着する。
 レギスヴィンダは客人たちを歓迎し、皇帝として玉座の間での拝謁を許した。
「よく参られました、グローテゲルト伯爵夫人。本日はわたくしに会わせたい者がいると聞いております」
「まずは皇帝陛下、参内のお許しを賜り恐悦至極に存じます。こちらに連れてまいった娘が、件の者にございます。名をルートヴィナといい、陛下の御宸襟の煩いを安んじられるかもしれない妙薬を持参していると申しております」
「それは興味深いことです。このわたくしに末々の助けを借りなければならないほどの難事があるとは思えませんが、他ならぬグローテゲルト伯爵夫人のこと、我が帝国と臣民を慮ってのことと認めて特別に発言を許可します。ルートヴィナ、わたくしの内懐にいかなる病魔が宿り、どのような為様(しざま)を以ってこれを取り除こうというのか、子細明瞭に答えなさい」
 レギスヴィンダが説明を求め、グローテゲルト伯爵夫人が促す。とは言っても、ただの村娘でしかないルートヴィナが皇帝陛下の御前に連れ出されて緊張もなく口を開けるはずがなかった。
「こ、皇帝陛下に於かれましてはご機嫌麗しく、あ……わたくしはシュナイダヴィントという村からやって参りました……。へ、陛下に対して畏れ多くも…………」
 たどたどしく話し始めたところで、レギスヴィンダはルートヴィナの名前を呼んで遮った。
「わたくしへの杓子定規なご機嫌伺いは必要ありません。固くなるのは分かりますが、もう少し要点をかいつまんで話すことはできませんか?」
「も、申し訳ありません、陛下……」
 ルートヴィナは完全に委縮してしまっている。皇帝としての威厳を保ちたいレギスヴィンダだったが、あまり大仰ぶるのも却って要領を得ないものだなあと心の中で呟いた。
 仕方なく、グローテゲルト伯爵夫人が助け船を出した。
「このルートヴィナは以前リカルダという魔女とシュナイダヴィントで暮らしていました」
「魔女と暮らしていた?」
 急にレギスヴィンダは興味を惹きつけられた。
「黒き森の魔女集団に加わるよう強要されていたリカルダを自宅に匿っていたというのです」
「それは本当ですか!?」
 身を乗り出してルートヴィナに訊ねる。ただの村娘は、少し落ち着いた様子で話し始めた。
「黒き森で戦いが始まる少し前のことです。羊小屋の隅で、傷ついたリカルダが蹲っていました。恐る恐る近づいて話を聞いてみると、黒き森の魔女集団に加わるのを拒んだため、他の魔女に傷つけられて逃げてきたと答えました。リカルダは観念し、わたしに自分を帝国に差し出してもいいといいました。でもわたしは、たとえ魔女でも傷ついた相手を放っておくことができず、両親と相談して自宅で介抱してあげることにしました。戦いが終わり、傷が癒えた後もリカルダは他に行く場所がなく、わたしたちに礼がしたいといって、農作業などを手伝いながら一緒に暮らしていました……」
「えらいわ!」
 突然、大声を発する者がいた。フリッツィだった。空気も読まず、勝手に質問する。
「リントガルトに声をかけられるなんて相当な魔女よ。それを自宅に匿って手当までしてあげるなんて、あなた見た目と違って肝が据わってるわね。リカルダって娘は、他の魔女に追われてたんでしょ。怖くなかった?」
「もちろん最初は怖かったです。でも、リカルダは人を傷つけるような魔女ではありません。陛下がおっしゃられていた人と魔女がともに暮らす世界を信じて、自分にもできることがあれば協力したいといっていました」
「うんうん。ますます立派ね。あなたも、リカルダも!」
 フリッツィは、なおさら感心した。
 レギスヴィンダにとっても胸が詰まる感覚だった。
 人と魔女が争い続ける時代にあっても、個々においては友情を育むことができることをルートヴィナとリカルダは証明した。
「分かりました。確かにあなたは、わたくしのため、いいえ、この国に取りついた根治しがたい病魔を取り除くための良薬となってくれるでしょう。わたくしは、とても感謝しています。今こそ、あなたたちの協力が必要です。リカルダはどこにいるのですか? すでに囚われてしまっているのなら、わたくしが手を尽くして解放させましょう」
 レギスヴィンダの言葉は温かく、偉大で寛容な皇帝のものに聞こえた。しかし、ルートヴィナの表情は曇った。
「申し訳ありません、皇帝陛下……陛下のお言葉には感謝しかありません。ですが、わたしが陛下にお願い申したいことはリカルダを止めて欲しい、戦いを止めさせて欲しいということです……」
「それは、どういうことですか?」
 レギスヴィンダは困惑する。
 言葉を詰まらせるルートヴィナに代わり、グローテゲルト伯爵夫人が説明する。
「陛下は“風来の魔女集団”と呼ばれる者たちが各地の収容所を襲撃し、囚人を解放しているということをご存知ですか?」
「個別の事案までは把握していませんが、そのような行為があることは聞き及んでいます……」
「ルートヴィナが申すには、その集団を率いているのがリカルダなのです」
 レギスヴィンダたちは衝撃を受けた。二人は人と魔女の希望となるべき存在ではなかったのかと。
 なぜ帝国に反旗を翻すような行為に及んだのか、詳しく話を聞いた。
「シュナイダヴィントは比較的、魔女に対して寛容な土地柄でしたが、その領主も時勢には逆らえずライヒェンバッハ公を支持すると、陛下の御意を無視して魔女狩りを始めました。リカルダを匿っていた咎によりルートヴィナの下にも詮議が及びましたが、両親によって彼女だけが難を逃れ、我が領国であるブルーフハーゲンへ避難して参りました。遺憾ながらブルーフハーゲンにも不埒な者はおり、女をさらってはライヒェンバッハ公へ売り渡すといった行為が多発したため、監視と取締りを強めることになりました。その時に保護したのがルートヴィナです。わたくしもルートヴィナの話を聞いた時には、俄かには信じられませんでしたが、風来の魔女集団を率いるリーダーとリカルダの特徴は疑いようがないほど一致しており、確信に至りました。ルートヴィナが申すにはリカルダは仲間を助けるべく、止む無く決起したとのことです」
 グローテゲルト伯爵夫人の説明を聞いて、おおよその状況は把握することができた。同情すべき点もあるが、法や秩序を無視して実力行使に打って出たことは容認できるものではなかった。
 それでもルートヴィナは訴える。
「決してリカルダは、陛下や帝国と戦いたかったわけではありません。わたしは何度も思いとどまるよう説得しました……でも、彼女は罪のない大勢の人間や魔女の仲間が無理やり連れて行かれるのを黙って見ていられませんでした。こんなことを続けていれば人も魔女も傷つき、取り返しのつかないことになるのは分かっています。だから……どうか、リカルダを止めてください。そのためなら、わたしはどんなことでもいたします…………」
 レギスヴィンダには、ルートヴィナの悲壮な想いが痛いほど理解できた。だからこそ、余計に確認しておかなければならないことがあった。
「ルートヴィナ。わたくしは、この国の皇帝として、はっきりとあなたに申しておくべきことがあります。あなたの訴えを聞かずとも、わたくしは、わたくしの権威と帝国の名誉を守るため、無法な魔女集団を放置しておくことはいたしません。魔女を討伐することなどた易いことです。ですが、その前に、あなたに訊ねておきたいことがあります。リカルダを止めるため、その命を奪うことになったとしも、あなたは我が帝国に忠誠を誓い、わたくしに協力できますか?」
 非情な問いかけだった。レギスヴィンダらしからぬといってもいいだろう。だからこそ、ルートヴィナの決意の重さを知ることができた。彼女に、自らの手で妹を討った魔女と同じだけの覚悟があるのかを。
 ルートヴィナは「……はい」と答えて続ける。
「リカルダも、初めからその覚悟はできていたはずです。彼女は自分の命よりも、仲間の命を大切にします。陛下が他の者たちを許して下さるのなら、リカルダは喜んで自分の命ですべての罪を償うでしょう……」
 レギスヴィンダは胸を打たれた。
 リカルダは自分一人が罪を背負う覚悟で戦いをはじめ、ルートヴィナはその罰の半分を引き受けるため、友である魔女を失う痛みに耐えてここまで来たのだ。
 それほど二人は固く結びあっており、レギスヴィンダは彼女たちを決して失ってはいけない人と魔女の未来だと思った。
「ヴァルトハイデ」
「はい、陛下」
「あなたの剣と力で、風来の魔女集団とリカルダを討ちなさい」
「御意」
「ゲーパ、フリッツィ、あなたたちには引き続き、菩提樹の枝の魔女についての調査を命じます。二人の魔女は連動しているかもしれません。くれぐれも気をつけて下さい」
「分かりました」
「まかせといて!」
「ルートヴィナ」
「はい……」
「あなたにはこの城にとどまり、風来の魔女集団について知っていることをさらに詳しく語ってもらいます。いいですね?」
「はい、陛下……」
「グローテゲルト伯爵夫人には、変わらぬ忠誠心を見せてもらいました。その見識が、わたくしと帝国、そしてグローテゲルト伯爵家自身を救うでしょう」
「勿体ないお言葉。グローテゲルト伯爵家は未来永劫にわたって陛下にお仕えすることを誓います」
 臣下の手前、甘い顔を見せることはできないが、レギスヴィンダは皆に感謝した。
「わたくしは二十七代ルーム帝国皇帝レギスヴィンダ・フォン・ルームライヒです。勅命は伝えました。我が意を違えぬよう、それぞれの役目を果たしなさい!」
 レギスヴィンダは先の見えない暗闇の中に、ほんの少しだけ小さな明かりがともったような気がした。
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