第14話 戦いの後に Ⅳ

文字数 3,569文字

 ゼンゲリングの丘の近くに、針葉樹の小さな林がある。その中に、少数の側近とともにディンスラーゲ侯爵が身を潜めていた。
「ええい、どうなっている! ここからでは戦いの様子を窺うこともできん! 帝国軍はどうした! レギスヴィンダは健在なのか!」
 苛立った様子で側近に詰め寄る。侯爵は、とある報せがもたらされるのを今か今かと待ち侘びていた」
 そこへ、伝令の兵士が現れる。
「侯爵、たったいま報せがありました」
「それで、どうだった! 事は、巧くいったのか?」
「はっ、死霊の軍勢との戦闘は帝国軍が勝利を収めました。その際、レギスヴィンダ内親王殿下は流れ矢に当たり、不運にも薨去(こうきょ)されたとのことです」
 兵士の報せを聞くと、ディンスラーゲは会心の笑みを浮かべた。
「そうか、あの小娘が死んだか! よくやってくれた! このわたしを愚弄した報いだ。どうせ生きていたところで、レギスヴィンダに帝国を統治することはできぬ。今のうちに死ぬのがあの小娘のため、帝国のためだ!」
 ディンスラーゲは御前会議で受けた汚辱を根に持っていた。その恨みを晴らすため、戦いのどさくさに紛れてレギスヴィンダを暗殺する計画を立てていた。
 計画が成功したことを知ると、何食わぬ顔で戦場へ戻ろうとした。
 そこへ、偶然を装って現れる者がいた。
「どこへ行かれるのです、侯爵? まさか、このような場所にこそこそと隠れておきながら、勝利の美酒だけは我らとともに分かち合おうというのですか?」
 腹心たちを従えたフロドアルトだった。
「フ、フロドアルト公子……貴公の方こそ、どうしてこんなところに? 前線に出ておられたのではありませんか……?」
「生憎、前線にわたしの居場所はありません。侯爵も御存じのとおり、内親王殿下が連れてこられた例の女戦士にレムベルト皇太子の剣を譲りましたので、今はこうして味方の中に裏切り者はいないかと、目を光らせて回っているところです」
「う、裏切り者ですと……!」
「戦闘の混乱に乗じて侯爵が内親王殿下の弑逆(しいぎゃく)を企てていることは事前に掴んでおりました。たった今、その言質も取らせていただいたところです」
「ぐうぅ……バカな、何かの間違いだ!!」
「間違いなど、あろうはずがございません。蛇の道はへびというではありませんか。まさかディンスラーゲ侯爵が、そのようなこともご理解いただけないとは意外です」
 皮肉たっぷりにフロドアルトがいうと、ディンスラーゲは自分の部下にも裏切り者がいたことを気づかされた。
 もはや、言い逃れはできなかった。開き直るとディンスラーゲは哄笑を挙げた。
「なるほど、さすがはフロドアルト公子、怖ろしいお方だ! すべての罪をわたしに押し付け、レギスヴィンダ内親王殿下を見殺しにして、ご自身が帝権を奪おうとは、よく考えつきましたな。ライヒェンバッハ家が他の門閥貴族から一目置かれる理由がよく分かる!」
「フフフ……ディンスラーゲ侯爵は物分かりも良いようです。ですが、一つだけ間違いがあります。レギスヴィンダは死んでなどおりません」
「……なに!?」
「侯爵御自身がお疑いになられたではありませんか。内親王殿下が連れてきた者たちが魔女ではないかと?」
「どういうことだ!」
「戦場で指揮を執っていたのは影武者です。本人は、一歩たりともシェーニンガー宮殿から出ておりません」
「なんだと!!」
「いまごろは、箒に乗った魔女が帝国軍の勝利を伝えに行っているころでしょう。レギスヴィンダはまだまだ利用価値がある。こんなところで死なれては、わたしが困るのです」
「貴様! このわたしばかりか、命がけで戦った諸侯すべてを謀ったというのか!!」
「人聞きの悪ことをおっしゃるな。これが最も確実に勝利を収め、且つ、ディンスラーゲ、貴様のような不満分子を排除できる最良の選択だったのだ」
「……おのれ、フロドアルト! 貴様の思い通りになどさせるものか! この場で貴様らを始末し、事の真相を公表してくれるわ!!」
「愚か者め、死ぬのは貴様だ!!」
 フロドアルトはヴィッテキントと側近たちに命じ、ディンスラーゲ侯爵を誅殺した。


 帝国史には記載されないもう一つのゼンゲリングの戦いが終わったころ、 公子が予測したとおり箒に跨った魔女がシェーニンガー宮殿へ急行し、戦いが終了したことを伝えた。
「……そうですか、ヴァルトハイデがやってくれたのですね」
「手ごわい相手だったわよ。でも、魔女と帝国(あたしたち)の敵じゃなかったわね」
 レギスヴィンダにとっては、これがハルツとルーム帝国が結んだ同盟関係の下に行われた最初の戦闘だった。その勝利は、ただ死霊の群れに打ち勝っただけではない、極めて意味深いものになった。
「一つ不満があるとすれば、直接エルシェンブロイヒの顔を拝めなかったことですかね?」
 レギスヴィンダの護衛についていたオトヘルムが冗談めかしていった。
 そんなことがいえるのも、勝利の報を聞いたからに他ならない。戦闘が行われている最中は騎士団の仲間を案じて気が気でなかった。
「バカなことを申すな。姫様の護衛を仰せつかる以上に重大で名誉なことはない。不満などあるものか」
 年配のブルヒャルトが嗜めた。本心はオトヘルムと同じで、戦闘中は居ても立ってもいられなかった。
 そんな騎士たちの心情を察して、レギスヴィンダは微笑する。
 今回のことについて、誰よりも不満やもどかしさを感じていたのは他ならぬ自分だったからである。
「それより、わたくしの身代わりになったフリッツィは無事なのでしょうか? 何もなければよいのですが……」
「心配いらないわ。ああ見えても、魔女の使い魔は強いんですよ。何かあったとしても、ちょっとやそっとじゃ死にませんから」
「だといいのですが……」
 出陣前にフロドアルトから書簡を受け取ったレギスヴィンダは、その時始めて自分の命が狙われていることを知った。まさか諸侯の中に、そのような計画を練る者がいるとは信じたくなかったが、用心のためフリッツィと入れ替わっていた。
 レギスヴィンダはフリッツィを心配しながらも、フロドアルトの報せが間違いであってほしいと願った。
 だが、帰還したフロドアルトから暗殺の首謀者がディンスラーゲだったと知らされると、そんな風にまで侯爵を追い込んでしまっていたのかと自分を責めた。
 ディンスラーゲ侯爵を恨む気持より、自身の至らなさを悔いた。


「フリッツィ、大丈夫か? 目を開けろ!」
 エルシェンブロイヒを討ち果したヴァルトハイデは、フリッツィの下へ急いだ。
 落馬した影武者を抱き抱え、しっかりしろと呼びかける。
「ヴァルトハイデ……勝ったのね。よかったわ……でも、あたしはもうダメみたい……最後に、あなたに一つだけお願いがあるの。あたしのお墓には、こう記して。正義の使い魔フリッツィ、悲劇のヒロインにして絶世の美猫、ルーム帝国勝利の立役者として惜しまれながら逝くって…………」
「分かった、必ずそうする。ところで、享年は幾つだ?」
「享年……?」
「生きた年数を墓碑に刻まなければならないだろう?」
「そ、そうね……あれ、急に意識がはっきりしてきたわ。あたし、大丈夫みたい!」
「バカなことをいってないでささと起きろ」
「もう、つまんないわね。もっと、あたしのこと大事にしてよ!」
「フリッツィが弓矢ぐらいで死ぬわけないだろう。わたしは初めから何も心配していなかったぞ」
「そうですか。信用されすぎるってのも寂しいことね」
 レギスヴィンダに化けたままのフリッツィが何事もなく立ち上がる。
「それにしても凄いものですな。ものの見事に、胸の真ん中に矢が刺さっているというのに」
 感心しながらガイヒがいった。宮廷騎士団はフリッツィとレギスヴィンダが入れ替わっていることを知っていた。その上で、あえて隙を作って暗殺者を招き寄せたのである。
「ああ、これ? 猫の反射神経なめないでよね。こんなの、その気になれば素手で弾き落とすこともできたわよ。一応、中に鎖帷子を三重に着こんでたけど。うまく心臓に刺さったように見えたでしょ?」
 事も無げに答えて、フリッツィは突き刺さった矢を引っこ抜いた。
「暗殺者は捕らえたのですか?」
 ヴァルトハイデが訊ねた。
「ぬかりありません。身柄は拘束してあります。フロドアルト公子に引き渡し、取り調べが行われるでしょう」
「そうですか。ともかく、これですべての作戦は終了しました。勝利の報告を行うために、帝都へ凱旋しましょう。レギスヴィンダ様が首を長くして待たれているはずです」
 ゼンゲリングの戦いは終結した。この戦に参加した諸侯は、初陣にして鮮やかな勝利を飾ったレギスヴィンダの指揮や手腕を高く評価し、ルーム帝室への忠誠と結束を強めた。
 帝国に殉じて名誉の戦死を遂げたディンスラーゲ侯爵にも哀悼の意が捧げられた。
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