第13話 疑惑と虚構 Ⅰ

文字数 2,261文字

 ゲーパとフリッツィが帝都プライゼンをそぞろ歩いていた。
 数刻前のことである。
「これから下界で活動するにあたって、もっと深く人間社会のことを理解しておかないといけないと思うの!」
 レギスヴィンダに向かって、ゲーパが訴えた。
「しかたないわねえ。じゃあ、下界の事情にも精通してるあたしが案内してあげるわ!」
 調子を合わせるようにフリッツィが続けた。
 七十年前の戦いを記録した歴史書を読みふけっていたレギスヴィンダは、ページをめくる手を止めて答えた。
「……え、えぇ、わたくしは構いませんが、ヴァルトハイデはどう思いますか?」
「殿下が許可されるのであれば、わたしに反対する意思はありません」
「……そうですか。では、外出の許可を認めます。ただし、目立つような行動は控えてください。ハルツと帝国が同盟を結んだということは、今はまだ内密にしておかなければなりませんので」
「ありがとうございます、殿下!」
「心配しないでも、魔女だなんてばれるようなことはしないわ。あたしがついてるんだから」
「ねえ、どこから見てまわる?」
「そうねえ、あたしが前に来た時は……」
 レギスヴィンダの許可を受け、二人は嬉々として城下へ出かける。それを見送ったヴァルトハイデが心配そうに訊ねた。
「よろしいのですか?」
「構いません。ゲーパのいうことも一理あります。それに、戦いが本格化する前の今しか、自由に出歩く時間もないでしょうから」
 レギスヴィンダは二人の目的が人間社会の理解ではなく、観光と息抜きだということを見抜いていた。だからこそ外出を許可したという一面もあった。


「さすがにルーム帝国の首都だけあって、すごい活気ね」
 大通りに並んだ店や屋台や、行きかう大勢の人々を眺めながらゲーパがいった。これまでに立ち寄った町や村とは比べ物にならない規模である。
「帝都が襲撃されるなんて誰も想像してなかったでしょうけど、いつまでもうつむいてもいられないわ。みんな前を向いて生きていかなきゃいけないのよ」
 フリッツィがいった。
「傷つけられても立ち上がる力を失わないのが、人間の凄いところね」
「危機感が足りないだけかもしれないけど。おかげで、いい社会勉強ができるわね。まずは下界の台所事情から視察しましょ」
 フリッツィに案内してもらい、ゲーパは山では味わえない美味や珍味を堪能し、さらにおしゃれな服やアクセサリーを見て回った。
「次はどこに行きたい?」
「そうね、帝都の衛生状態が気になるわ。帝都の人はどんな箒を使って掃除をしてるのか、ぜひとも調査しとかなくっちゃ」
 食欲に物欲、言いわけ程度の知識欲を満たした二人は、さらに尽きることのない好奇心で街を見て回った。
 その途中だった。ゲーパは通りの反対側を歩く見知った人物に気付いた。
「オトヘルム!」
 名前を呼んで駆け寄る。レギスヴィンダに陪従した年若の騎士オトヘルム・フォン・グリミングだ。
「ゲーパ、フリッツィ……どうしたんだ、こんなところで?」
 驚いたようにオトヘルムが答えた。昼間から魔女が城下を出歩くのは挑戦的な行為である。
「ちょっとした社会見学よ。それより、あなたの方こそどうしたの? 浮かない顔して」
 フリッツィが訊ねた。オトヘルムは思いつめたような表情を崩さなかった。
「……戦没者墓地に眠る、兄の処へ行ってきた帰りだ」
 オトヘルムの憧れであり、宮廷騎士団随一の剣の使い手だったディートライヒは帝都が襲撃された夜、七人の魔女の一人と戦って散華した。オトヘルムが兄の死を知ったのは帝都に帰還した後のことだった。これから本当の戦いが始まると息こんでいた矢先の訃報に、士気は挫かれた。
「それは気の毒だったわね……」
 慰めるようにフリッツィがいった。
「気遣ってくれる必要はない。騎士たるもの、常に死と隣り合わせで戦っている。オレは陛下と臣民のために戦い散った兄を誇りに思う。それでも兄をやった魔女だけは、この手で討たなければ気が済まない。兄が残した、このグリミング家に伝わる家宝の剣に誓って……」
 オトヘルムの腰には、ディートライヒが所有していた剣が差されていた。グリミング家の勇士の間で受け継がれてきたその剣は、七十年前の戦いにおいても数々の武功を打ち立てた。望まぬ形で伝家の宝刀を引き継いだオトヘルムには、兄の仇討ちとグリミング家の名誉を守る重大な使命が課された。
「立派ね……」
 悲しみや重責にも心を折られずに立ち向かおうとするオトヘルムを、ゲーパは応援した。
「それで、お兄さんを殺した魔女って、どんな奴だったの?」
 フリッツィが訊ねた。
「斧と楯を持った銀の眼帯をした魔女だったそうだ」
「分かったわ。そいつを見つけたら、一番にあなたに教えてあげるわね」
「有り難う。ところで、ヴァルトハイデ殿は?」
「お城で、レギスヴィンダ様と七十年前の戦いの研究をしてるわよ。なにか参考になることがあるかもしれないからって」
 ゲーパが答えた。
「そうか。クラースフォークトに現われた死霊の軍勢は、ゆっくりと帝都へ迫っている。近く、また出征があるだろう。ゲーパもフリッツィも戦いに備えておいてくれ」
「分かったわ。ヴァルトハイデにも伝えとくわね」
「それじゃあ、オレは任務があるので失礼させてもらう」
「頑張ってね」
 二人はオトヘルムを見送った。
「頑張ってね……だって」
 冷やかすようにフリッツィがいった。
「何よ?」
「何でもないわよ。いいわね、若いって。あたしも、どこかにいいオス猫はいないかしら?」
 フリッツィはニヤニヤしながら二人の関係を怪しんだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み