第19話 鍵を掛ける Ⅴ

文字数 5,837文字

 車椅子の魔女が激痛と引き換えに手に入れた新たな足の力は凄まじく、一歩踏み込むだけで床は砕け、建物全体を揺るがし、粉塵や瓦礫をまき散らす。
 彼女が車椅子に座っていたのは歩けないからではなく、歩くことによって周囲を破壊しないためだった。
 地下室を出て螺旋階段を上がっていたファストラーデは壁が軋み、柱が悲鳴をあげるのを聞いた。
「この振動はヴィルルーンのものか……戦っているのか、リントガルトと……」
 ファストラーデは、早まったことをするなと願った。しかし、すでに手遅れだった。ヴィルルーンはリントガルトに痛めつけられると全身に傷を負い、魔女の足をもってしても立ち上がることができなくなった。
 倒れたヴィルルーンを見下ろしながら、リントガルトが痛罵する。
「いつも澄ました顔しやがって。ホントは立てるようになるためじゃなくて、復讐するために魔女になったんだろ? ボクたちの中で、お前が一番世の中を憎んでたくせに!」
 心の奥底を正確に射抜かれたヴィルルーンは否定する気力もなくなっていた。
「そんな、お利口さんの仮面を被った中途半端な魔女じゃなくて、ボクが本物の魔女にしてあげるよ!」
 リントガルトは左手でヴィルルーンの足首をつかむと、呪われた魔力を注入した。
 移植されたオッティリアの爪が黒く変色する。
「ああっ……」
 自分の中で偽っていた物が壊れ解き放たれていく感覚に、ヴィルルーンは悲鳴とも吐息ともつかない声を漏らす。
「悲しいよね? 辛いよね? でも、気持ちいいよね? 自分の気持ちに素直になるのは!」
 リントガルトがほくそ笑んだ。
 ヴィルルーンのつま先から膝までが魔女の呪いに感染する。誰にも気づかれないように閉じ込めていた心の底まで闇色に染まった。
「ふんっ!」
 満足げにリントガルトが足首を放す。そこへ、ファストラーデが到着した。
「リントガルト!!」
 部屋の中に響いたその声には、怒りと恨みに我を忘れた魔女を無条件で落ち着かせる効果があった。
「ファストラーデ……目が覚めたんだね!!」
 振り返ったリントガルトの顔には、愛情と信頼が湛えられていた。
 対照的に、ファストラーデの表情からはすべての好意的な感情が消える。変わり果てたリントガルトの姿は目を背けたくなるものだった。
 さらに、棺の中のリッヒモーディスや生きているのか死んでいるのかも判断できない四人の魔女を見やると、自分の至らなさや力の及ばなさを痛感して言葉すら失った。
「ファストラーデ、みんなひどいんだよ。ファストラーデがボクのことを騙して、利用してたっていうんだ……だから、二度とそんな嘘をつけないように黙らせてやったんだ」
 喧嘩した子供が母親に言い訳するように訴える。魔女の呪いに囚われても、純粋なリントガルトの心は本質的に何も変わっていない。それが却ってファストラーデを苦しめた。
「ファストラーデ様、お気をつけください!」
 ギスマラが注意を促す。相手には、どんな思いやりも情愛も通用しない。そんなものを見せれば、逆に付け入られるだけだった。
「なんだ、ギスマラ! ボクとファストラーデがしゃべってるんだ。邪魔するな!」
 二人だけの空間に割り込もうとする棺の番人にリントガルトが激昂する。
 静まっていた魔力を昂ぶらせ、呪われた陰を部屋中にはびこらせる。その圧迫感だけで、弱い魔女なら失神しただろう。完全に魔力や体力を回復したわけではないファストラーデにとっても息苦しさを覚えるものだった。
「見てよ、ファストラーデ。ボクは新しい力を手に入れたんだ。たぶんこれが、フレルクが造りたかった本物の魔女なんだと思う。ファストラーデにも、この力を分けてあげるよ。だから仲間なんていらない。二人だけで魔女の国を創ろうよ!」
 ファストラーデに呼びかけるときだけ、リントガルトの瞳は無垢に輝く。
 魔女の呪いに侵されていながら、あるいはだからこそより純粋にその心が求めるものに対して執着を強めるのだろう。そう思うほど、ファストラーデはリントガルトを憐れまずにはいられなかった。そうさせてしまった自分の罪の大きさに苦しんだ。
「その通りだリントガルト……わたしは、お前を騙していた。フレルクに対抗するためにも、魔女の国を創るためにも、お前の力が必要だった。今さら何をいっても言い訳にしか聞こえないだろうが、わたしはお前を愛していた。守ってやりたいと思った。だが、すべてわたしの自己満足でしかなかったのだな。恨まれても当然だ……」
 ファストラーデは自分の過ちを認め、深く傷つけてしまったことを悔やんだ。
 リントガルトが激怒し、自分にも襲いかかってくると覚悟する。だが、裏切られたはずの魔女の反応は予期していたものと逆だった。
「やっぱり、ファストラーデはボクを大切に思ってくれてたんだね! 信じてたよ。ファストラーデは嘘なんてついてなかったんだ。ゴメンね。ボクが早とちりしただけだったんだ。お詫びに、これからはボクがファストラーデを守ってあげる。もう誰にもファストラーデを傷つけさせやしないからね!」
 リントガルトの表情が歓喜にほころんだ。むしろファストラーデにしてみれば、激情のまま自分を殺してくれた方が楽だった。
「恐がらないで、すごく気持ちいいんだよ。自分に、素直になればいいだけなんだから……」
 淀んだ魔力を漂わせながら、リントガルトが歩み寄る。
 目が覚めたばかリのファストラーデに戦う力はなかった。それでも他の仲間たちと同じように、せめてもの抵抗をするしかないと身構えた。そこへ、二人の間に割って入る者がいた。
「ファストラーデ様、ここはわたしが引き受けます。ファストラーデ様は、どうか落ち延びて下さい」
 ギスマラだった。その顔には、命を捨てる覚悟が出来上がっている。
「待て、ギスマラ。お前の力をもってしても、今のリントガルトを抑えることはできない!」
「分かっています。それでも、足止めぐらいはできるはずです」
 ファストラーデは、ギスマラが何をしようとしているのか理解していた。だからこそ、それを認めなかった。しかし棺の番人は命令を無視すると、リントガルトの前に立ちはだかった。
「許可なき者の立ち入りを禁ず。霊屋(たまや)の入り口に錠を下せ、アップシュリーセン!」
 リントガルトとファストラーデの間に、魔力でできた壁が造られる。
「何のまねだ、ギスマラ? お前までボクの邪魔をするのか!」
「畏れながらリントガルト様の周囲の空間に鍵を掛けさせていただきました。棺の番人たるわたしの許可がなければ、何人たりともこの閉じた空間から出ることは叶いません」
 鍵の魔女の異名を持つギスマラは、あらゆるものを施錠し、それらの開閉や出入りを禁止することができた。
「何だこんな物! お前の魔力で、ボクを閉じ込められると思ってるのか!!」
 空間に構築された魔力障壁にリントガルトが手を触れる。
 固く閉ざされた扉は、物理的な力では開けることができない。しかし、酸が少しずつ鋼鉄を溶かしていくように、リントガルトの手のひらから送り込まれる魔女の呪いが障壁の錠前を腐食させる。
 ギスマラも魔力を振り絞り、扉を開けさせまいと抵抗するが、結界を侵食していくリントガルトの呪いの量とスピードには及ばない。
「ファストラーデ様、今のうちにお逃げください!」
 ギスマラは自分の身を捨て、ファストラーデのために時間を稼ごうとした。
「バカなことをいうな。仲間を見捨て、わたしだけが逃げられるものか!」
「なればこそ、ファストラーデ様は生きて無事にこの場を逃れられなければなりません。ファストラーデ様以外の誰に、リントガルト様を、スヴァンブルク様を、ラウンヒルト様を、ヴィルルーン様を、シュティルフリーダ様を御救いできるのですか? 皆さまを魔女の呪いから御救いするには、ハルツの魔女が持つランメルスベルクの剣が必要です。ファストラーデ様以外の誰に、その役を務められるというのですか!」
 ギスマラの犠牲は、決して無償のものではなかった。その命の代償として、ファストラーデにこの上なく非情な責務を負わせようとしていた。
 ハルツの魔女からランメルスベルクの剣を奪い、魔女の呪いに侵された仲間に死という名の救いをもたらさなければならない。その困難さに比べれば、この場で果てる方がよほど簡単だった。
「……分かったギスマラ。ここは、お前の言葉に従おう。だが、一つだけ条件がある」
「条件……何でしょうか。わたくしにできることであれば、何なりとお命じください」
「お前の術で、わたしの心に鍵をかけてくれ」
 逡巡するも、ファストラーデはギスマラの進言を受け入れた。しかし、そのための条件にギスマラは戸惑った。
「……いったい、何のためにそんなことを?」
「自分の弱さと決別するためだ」
「弱さ……ファストラーデ様に限って、そのようなものがあるとは思えません」
「いや、わたしは弱い。支えてくれる者たちに、ずっと甘え続けてきた。リントガルトのことも、ハルツへ乗り込んだ時のこともだ。いつも何とかなると、多くを考えずに行動してきた。その結果がこれだ。わたしは数え切れないほどの女たちに犠牲を強いた。他者の献身の上にようやく立っているにすぎないのだ。恐らくは、これからもそうであり続けるだろう。ならばせめて、そんな女たちに報いるために、わたしは非情に徹しきらねばならない。今頃になって、ようやくそのことを思い知らされた。ギスマラよ、だからお前の術で、わたしの弱い心に鍵をかけてくれ。二度と後ろを振り向かない、自分の間違いや過ちを顧みない、そんな鋼鉄の心をわたしに与えてくれ」
「ファストラーデ様……」
 それはファストラーデの偽らざる本心だった。これまでオッティリアの血肉を分け合った七人の魔女のリーダーとして、強い自分を演じてきた仮面の下の素顔だった。
 理由を聞かされた後も、ギスマラは自分自身と向き合う強さを持ったファストラーデを弱いとは思わなかった。それでも、たった一つの条件を満たすだけで、この場を退いてくれるのならと、恐らくこれが最期になるであろうファストラーデの命令に喜んで従った。
「……分かりましたファストラーデ様、わたしの術がお役にたてるのなら本望です」
 ギスマラは、ファストラーデの胸甲に手をかざした。
「今その魂に術を施さん。汝ファストラーデの心に鍵をかけ、薄弱なる意志を封印す。いつも前だけを見て歩けるように、自己の行為によって苦しまぬように、この手で迷いの扉を閉めましょう……」
「……感謝する」
 ファストラーデの出自は不明である。物心ついた時からフレルクの下で、研究や実験の手伝いを行わされていた。
 一説には各地から潜在的に強力な魔力を秘めた娘を集めていたフレルクによって誘拐されたとも言われており、本当の親の顔も生まれた場所も知らなかった。
 彼女が常に身につける銀の胸甲の下にはオッティリアの両乳房が移植されている。その左胸にはレムベルト皇太子によって穿たれた傷跡が残り、そのためか、魔女になってからのファストラーデは自分の心にもぽっかりと(あな)が開いたような空しさや、満たされなさを感じていた。
 ファストラーデが魔女の国を創ろうとするのは、その傷口を埋めるためであり、いつか自分に欠けたものを与えてくれる人、あるいは物を手に入れるためだった。
「いつまで二人でしゃべってるのさ! ボクだけ除け者にしやがって! こんな壁すぐに壊して、二人まとめてボクの奴隷(おもちゃ)にしてやる!!」
 まさしく蚊帳の外に置かれたリントガルトが苛立つように発した。
 ギスマラが張り巡らした結界は限界に達し、間もなく内側から喰い破られようとする。
「さあ、ファストラーデ様行ってください!」
 果たして、その術にどれほどの効果があったかは不明である。ともすればただの暗示、気休めだったかもしれない。それでもファストラーデには踏み出すための言い訳になった。
「大儀であった、ギスマラ。お前が尽くしてくれた事を、わたしは忘れない。さらばだ!」
 ファストラーデは立ち止ることも、振り返ることもなく走り去る。その背中に、鍵の魔女は感謝の言葉を贈った。
「御武運をお祈りします。わたしの術など必要とせずとも、いつかファストラーデ様の心が安んじられますように。あなた様と、お仲間の皆様に出会えたことが、わたしの幸福でした……」
 ファストラーデの姿が見えなくなり、その足音さえも聞こえなくなると、ギスマラはリントガルトに向き直った。
「さすがはリントガルト様。わたしの術などでは、とても閉じ込めておくことはできません。ですが、あなたにファストラーデ様を追わせるわけにはまいりません。この命を費やしてでも、時間を稼がせていただきます」
 ギスマラは両手をかざすと、空間の檻にかけられた錠前に魔力を注入した。
 浸食され消滅しかかっていた結界が再生する。しかし、ギスマラの力で扉を閉め続けることはできなかった。
「こんな鍵でボクを閉じ込められると思ったか!!」
 リントガルトが呪われた魔力を爆発されると魔法の鍵は粉々に砕け、逆流した波動がギスマラの身体を激しく叩いた。
「……あぁ!!」
 ギスマラは身体を仰け反らせながら悲鳴を上げる。それでも十分に時間を稼ぐことはできたと、満ち足りた感情の中で意識を潰えさせた。
 リントガルトは自由になると斃れた魔女を見下ろしながら吐き捨てた。
「バカだな。邪魔しなきゃ、命ぐらい助けてやったのに。まあいいや。ファストラーデは……もう追いかけても無理かな。急ぐこともないし、ゆっくり追い詰めてやるよ。おい、いつまでボケっとしてるんだ? これからはボクがリーダーだからね。ボクのいうことを聞いて、せいぜい役に立ってよね!」
 呪いの魔力を注入した四人にいった。
 怨念に囚われて自我を失った女たちは、リントガルトの操り人形として新たな役割を与えられる。
「この城もだいぶ壊れちゃったね。新しいアジトを探さなくちゃ。そうだ、あの場所がいい。オッティリアが使ってた……何ていったかな。ヴィルルーンたちが修理してた……とりあえず、そこへ行こう。落ち着いたらファストラーデを捜して、もう一回ルーム帝国に宣戦布告してやる!」
 リントガルトは高揚した意識のまま方針を定めると、ラウンヒルト、スヴァンブルク、ヴィルルーン、シュティルフリーダの四人を従え、魔女の仮寓を去った。
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