第27話 糾う Ⅰ

文字数 4,945文字

 フロドアルトら諸侯連合軍が敵の目を引き付けている間に、レギスヴィンダが親率する潜入部隊が活動を開始しようとしていた。
 レギスヴィンダたちは先の斥候隊と同じように、ブロートシェルムで準備を整え、村人に案内され黒き森の入口へ向かう。
 皇女の麾下に名を連ねたのはヴァルトハイデ、ゲーパ、フリッツィの他、当初レギスヴィンダは必要ないとしたが、どうしてもということで宮廷騎士団から護衛役として陪従を許されたブルヒャルトと、オトヘルムが発見した滝までの案内役を申し出たディナイガーの五名だけだった。
「それにしても静かね。とても敵の本拠地に近付いてる気がしないわ」
 森へ入ってすぐ、拍子ぬけするようにフリッツィがつぶやいた。
 計画が功を奏して敵魔女集団は、このちっぽけではあるが命をかけた決死隊の存在に気づいていない。それでも、いつどのようなきっかけで発見され、どこから襲撃を受けるか予見できない。レギスヴィンダは、このまま順調にミッターゴルディング城まで近づければと祈りながら、それでも決して気を緩めることなく、七十年前レムベルト皇太子が切り開いた勝利の道を進んだ。
「大丈夫か、無理をせずとも良いのだぞ?」
 先頭を行くディナイガーを気づかい、後に続くヴァルトハイデが声をかけた。
 斥候隊ただ一人の帰還者であるディナイガーは傷が完治しておらず、痛めた右肩に包帯を巻いていた。それでも痛いだの辛いだのと弱音を口にすることなく、レギスヴィンダたちを先導する。
 そして前回よりも早く、部隊が襲撃にあった場所までたどり着いた。
「ここです。ここで我々は魔女の待ち伏せに合いヘンデリクス隊長以下、自分以外の隊員すべてが殺されました」
 当時の様子を語る。
「ここでオトヘルムが……」
 ゲーパは立ち尽くし、帰還できなかった男の名前を呟いた。
「せめて遺体だけでも回収できればよかったのだがのう……」
 散華した仲間の冥福を祈りながら、ブルヒャルトがいった。周囲には、戦いの形跡を示すものは何も残されていない。
「もしかしたら、情けある魔女が埋葬してくれたのかも知れませんね……」
 希望を込めてレギスヴィンダがいった。飢えた森の獣に喰いつくされた可能性もあったが、それではあまりにも悲しすぎた。
「死体がないってことは、まだみんな生きてる可能性だってあるってことじゃない。そのうち、どこかで出くわすかもよ?」
 決戦を前に、しんみりした空気になるのを嫌ってフリッツィがいった。
「そうじゃな、フリッツィ殿のいう通りじゃ。ルームの騎士が、こんなところで全滅するはずがあるまい。きっと生き残った連中が、先にミッターゴルディグング城へ乗り込んでるはずじゃ」
 気持ちを奮い起こすようにブルヒャルトが答えた。このときは、まさかそれが予言になるとは誰も想像しなかった。


 レギスヴィンダたちは顔をあげ、沢に沿ってオトヘルムが発見した滝を目指して歩きだした。
 斥候隊が全滅した場所から先は、ディナイガーにとっても未知の領域である。
「無理をするな。ここからは、わたしが先頭に立とう」
 傷が完治していないディナイガーにとって、先頭を歩き続けるのは大変な負担だった。見かねて、ヴァルトハイデが声を掛けた。
 ディナイガーは「すまない」と答えると、ヴァルトハイデと順番を入れ替わった。
 それから、しばらく進んだときだった。ヴァルトハイデが足を止めた。
「どうしました?」
 先頭を見やってレギスヴィンダが訊ねた。
 森の中に、少女を連れた魔女が立っていた。瞬間、一団に緊張が走る。が、魔女は相手に気づくと、敵意がないことを示すように膝を折った。
「レギスヴィンダ様ですね……」
 傷ついた姉の身体を妹が支えている。
 アスヴィーネはオトヘルムから帝国軍の中にレギスヴィンダがいるはずだと聞き、森に糸を巡らせて捜していた。
 レギスヴィンダは困惑するも、魔女の前へ歩み出ると偽ることなく答えた。
「いかにも、わたくしがルーム帝国の皇女レギスヴィンダです。あなたは?」
「わたくしはアスヴィーネと申す魔女でございます。こちらは妹のエルラでございます。わたくしたち姉妹はレギスヴィンダ様に謝罪し、罪を購うために、ここでお待ちしておりました」
 突然の告白に一同は鼻白んだ。罠なのか、本心なのか、誰も判断できなかった。
「……わたくしに、何を謝罪するというのですか?」
 戸惑いのまま、レギスヴィンダが訊ねた。
「心ならずとはいえ、わたくしは命じられるまま多数の騎士の命を奪いました。どのような理由があろうとも赦されることではありません。ですが、せめて一言だけでもレギスヴィンダ様に謝罪しなければ、わたくしたち姉妹を見逃してくれた騎士に対して情けを裏切ることになると考え、死をも覚悟で参ったしだいです……」
 アスヴィーネが理由を述べると、ディナイガーが相手の正体に気づいた。
「……貴様は、あのときの魔女か!!」
「あのとき……?」
 レギスヴィンダがつぶやく。何を指しているのかまでは分からなかったが、ディナイガーと目の前の魔女の間で、ただならぬ因縁が結ばれていることは誰もが理解した。
「オレたち斥候隊を襲ったのは、貴様かと訊いてるんだ!!」
 ひざまずき、弱々しく妹に支えられた魔女にむかって、ディナイガーが怒気と糾問を叩きつけた。
 魔女も、相手があの時逃げた斥候隊の一員だと気づいた。
「……そうだ。沢で待ち構え、お前たちを襲ったのはわたしだ」
 アスヴィーネが答えると、衝撃がレギスヴィンダたちを襲った。その波濤に、もっとも深く呑み込まれたのはゲーパだった。
「貴様のために、オレたちは……!!」
 ディナイガーは怒りを抑えきれないまま、剣に手をかけた。が、寸前のところでレギスヴィンダが止めた。
「お待ちなさい!」
「どうしてですか!」
 騎士は食い下がったが、自ら罪を打ち明けようとする者を、ルーム帝国の皇女は話も聞かずに罰しようとはしなかった。
「あなたに斥候隊を襲うよう命じたのは、リントガルトですね?」
 レギスヴィンダが訊ねた。これについては確認するまでもない。アスヴィーネは「その通りです」と答える。
「だとしても、そんなことは理由になりません!」
 ディナイガーは訴え続けた。アスヴィーネも、そんなことを免罪符にしようとは考えていなかった。
「たとえ命令に従ったこととはいえ、わたくしが騎士の命を奪ったことは事実です。どのような罰でもお受けいたします……」
 魔女は潔く、言い繕うとはしなかった。しかし、妹だけは、そんな姉を擁護した。
「違います! お姉ちゃんは悪くありません。本当は、そんなことしたくなかったのに……いうことをきかなかったらあたしを殺すっていわれて……どうしようもなかったんです……!」
 涙ながらに訴えるその姿は、彼女たちにも止むに止まれぬ事情があったことを想起させて余りあるものだった。しかし、同情で過ちを水に流すことはできない。
 レギスヴィンダは、強く厳しい態度で答えた。
「……分かりました。あなたが犯した罪に対し、わたくしはルーム帝国の皇女として相応の罰を科さねばなりません。でなければ、わたくしの御定によって命をなげうった騎士たちに報いることができないからです。ですが、その前にひとつ教えてください。あなたは、情けある騎士に見逃されたといいましたね。その騎士とは、何者でしょうか?」
 レギスヴィンダは、アスヴィーネが嘘をついているとは思わなかった。しかし、一点だけ腑に落ちない部分があった。
 黒き森の周縁部には諸侯連合に属する多くの騎士や兵士を展開させていたが、森の奥深くまでは入り込んでいないはずだった。たとえ魔女と接触しても戦闘は避け、すぐに撤退するよう命じていた。
 もしも目の前の魔女がでたらめをいっているのであれば、構わずレギスヴィンダはヴァルトハイデに命じ、この場で二人を処刑するつもりだった。
 皇女の醸し出した厳しさと緊張感が伝わると、アスヴィーネは包み隠さず事実を答えた。
「……他でもありません。わたくしが襲撃した、斥候隊の生き残りです」
「斥候隊の生き残り……?」
 レギスヴィンダは怪訝に呟く。ディナイガーの他に生還者はいないはずだった。
 皆が、やはり魔女は虚妄をならべ立てているのだと思いかけたとき、ディナイガーだけが気づいた。
「まさか、オトヘルム……!」
 自分の身代わりとなって森に残った騎士だ。あの後、うまく窮地を脱することができたのかもしれない。そう考えると、アスヴィーネに詰め寄った。
「それは最後までお前と戦った騎士のことか?」
「そうだ。彼はわたしの腹を剣で刺し、その隙に逃げ去った。そのため、止めを刺し損ねた……」
「……そうか。あのバカ野郎、生きてやがったのか!」
 命の恩人ともいうべき朋輩の朗報に、ディナイガーは歓喜した。
「オトヘルムが生きている……」
 耳を疑いながらも、同じようにゲーパが声を詰まらせた。
「彼はわたくしたちに向かい、レギスヴィンダ様に会って罪を告白せよといいました。そして、罪を償うつもりがあるのならハルツの魔女を頼れともいってくれました。心優しい魔女を知っていると……」
 アスヴィーネが答えると、ゲーパは両手で顔を抑えた。涙が溢れた。
「オトヘルムはどこにいるのですか?」
 レギスヴィンダは信じられず、確認するように訊ねた。
「この沢より、さらに上流。ミッターゴルディング城へ向かっています」
「オトヘルムが一人でミッターゴルディング城へだと……?」
 納得いかない表情でブルヒャルトがいった。生きていたのであれば、なぜ帝都へ帰還しないのかと、レギスヴィンダたちにも疑問が生じた。
「一人ではありません。彼は、かつてわたくしたちの指導者であった胸甲の魔女ファストラーデと行動を共にしています」
 アスヴィーネが答えると、これまでにない衝撃と動揺が一同を襲った。
「ファストラーデと……?」
 レギスヴィンダの脳裏に、ハルツで戦った七人の魔女のリーダーの姿が思い浮かぶ。
 なぜ二人が行動を共にしているのかと、誰もが不可解に思った。
「帝国を裏切って、魔女の側に寝返ったんじゃないの?」
 フリッツィがいった。
「オトヘルムに限り、そんなことはありえない!」
 ディナイガーが否定した。命がけで自分の身代わりとなった仲間が、今さら魔女の軍門に降るはずがなかった。
「じゃあ、術でも掛けられてるんじゃないの?」
 さらにフリッツィがいった。その可能性は否定できなかった。
 レギスヴィンダは、詳しく説明してほしいとアスヴィーネに迫った
「わたくしも、事情を把握しているわけではありません。ただ、二人はリントガルトを討つため共闘していると申していました。胸甲の魔女とルーム帝国は同盟を結んだのではないのですか?」
「いいえ、そんなことはありません。術をかけられているのでなければ、オトヘルムとファストラーデが個人でそのように申し合わせたのでしょう……」
「ともかくこれで事情が呑み込めました。なぜファストラーデがグローテゲルト伯爵夫人を介して、リントガルトや黒き森のことを伝えてきたのか。おそらくファストラーデもルーム帝国を利用し、混乱に乗じてミッターゴルディング城へ攻め込もうと考えていたのでしょう」
 ヴァルトハイデがいった。なるほどと、皆が腑に落ちた。
「ところで、そんなにすごいのファストラーデって?」
 フリッツィが訊ねた。
「やつは化け物じゃ。ハルツでのことは忘れもせぬ……」
 ブルヒャルトが答える。オトヘルムも同じように、手ひどく傷つけられたにもかかわらず、よくもそんな相手と一緒に行動できるものだと感心する。若さゆえの無鉄砲さかと、非難もすれば、羨みもした。
「わたしたちも先へ急ぎましょう。いかにファストラーデといえど、二人だけでリントガルトに敵うとは思えません」
 ヴァルトハイデがいった。レギスヴィンダは同意して頷く。
「では、わたくしがご案内いたします――」
 せめてもの罪滅ぼしにと、アスヴィーネが申し出た。
 まもなく、日が暮れようとしていた。それでもレギスヴィンダたちは立ち止まることなく、無謀な戦いに身を投じようとする騎士と魔女に追いつくため先を急ぐことにした。
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