第18話 心の距離 Ⅰ

文字数 3,555文字

 再び帝都を襲った三人の魔女との戦いの後、レギスヴィンダはシェーニンガー宮殿に戻った。
 夜が明けた早朝の宮廷は人影もなく、静まり返っている。
 やるせない皇女は供をつれることもなく、魔女たちの襲撃現場となったパーティー会場にたたずんだ。
 割れたガラスや散らばった食器などは片付けられず、散乱したままになっている。中には招待客が落とした靴やイヤリングなどが転がっており、彼らがどれほど慌て急ぎ混乱しながら避難したのかを物語っていた。
 レギスヴィンダには昨夜行われた祝勝会の賑わいや、その後の戦闘によって引き起こされた狂騒などが夢か幻のように感じられた。
 しかし、すべては否定しようのない現実である。レギスヴィンダには、その後始末をしなければならない責任があった。
 何から手をつけていいかも分からない皇女の下へ、宰相のオステラウアーがやってくる。
「殿下、こちらにおいででしたか」
「……オステラウアー、昨夜の出来事による被害の状況は把握できましたか?」
「祝賀会場に居合わせた招待客につきましては避難時にガラスを踏んだなどの軽傷を負った者もおりましたが、全員の無事が確認されています」
「二度にわたり帝都へ悪なる魔女の侵入を許してしまったのは、ひとえに皇帝の代理たるわたくしの不徳に外なりません。被害にあわれた方々にはもちろん、すべての招待客に対して謝罪と補償の意志があると、レギスヴィンダが申していたと伝えて下さい」
「御意」
「城下の方はどうですか?」
「一部損壊を含め破壊された家屋は十七棟に昇り、死者三名、行方不明者二名、重軽傷者は二十名を超えております。これは現時点での数字ですので詳細が明らかになれば、さらに数が増えるものと思われます」
「そうですか……そちらについても罹災民への救護を怠ることなく、失った家屋や財産等の保証についても適切に行って下さい。逃げた魔女についてはどうなりましたか?」
「夜空へ飛び去った者については複数の目撃情報が寄せられていますが、根拠地を特定できるようなものは何も。地下へ逃れた者につきましては騎士団が捜索を続けておりますが、発見の報は入っておりません」
「飛び去った魔女については放っておいても構いません。問題なのは地下へ逃げた魔女です。おそらく彼女は生きています……今後も厳戒態勢を敷き、捜索と警戒に当たって下さい」
「地下へ逃げた魔女につきましては、戦闘が行われた現場に身につけていたと思われる銀製の眼帯が残されておりました。騎士団が回収し、保管しております」
「後でわたくしが検めます。引き続き、諸々の処置と魔女たちの情報収集に努めて下さい。御苦労でした」
 オステラウアーを下がらせ、レギスヴィンダは再び一人になる。
 優秀な宰相の存在は、若き皇女にとって非常に頼りとなるものだった。事務的な問題は、すべて彼に任せておいて間違いない。レギスヴィンダが考えなければならないのは、今後の魔女たちへの向き合い方だった。
「七人の魔女は仲間割れを起こしました……帝国としては、この状況を最大限に利用しなくてはなりません。ヴァルトハイデはよくやってくれていますが、帝国の命運を彼女と彼女の剣一本に託すのはリスクが高すぎます。あのリントガルトという魔女が生きていれば、さらに仲間どうしで殺しあってくれるでしょう。あるいは一時的にファストラーデたちと手を結び、先にリントガルトを始末してから…………」
 それは思考というよりも願望に近い妄想だった。
 皇女としてのレギスヴィンダには、帝国を護る義務があった。また肉親を殺害された遺族として、それを行った者たちへ報復する権利があるはずだった。
 いわば公人としての立場と私人としての立場を一致させ、誰はばかることなく復讐の鉄槌を振るうことができたのである。しかし、一人の魔女の友人としはどうだろうか。
 七人の魔女が行ったことは許されるものではない。これから行おうとしていることも含めて、一切の妥協や容認はできない。
 それでも実の姉妹で殺し合わなければならない者の心を思えば、何の躊躇いもなく義務と権利を行使してよいのかと悩まずにはいられなかった。
 レギスヴィンダは頭をふった。
「……いけませんね。どうもわたくしは帝国の利益ばかりを優先させるようになってしまっています。死力を振り絞ったヴァルトハイデに、もう一度妹の命を奪うようにと命令することは、わたくしにはできません……いっそあのままリントガルトが死んでいてくれたなら…………」
 レギスヴィンダはリントガルトの死を望んだ。騎士団が、彼女の遺体を発見してくれることを願った。
 しかし呪いの連鎖に堕ちた魔女は、その心臓を特別な力の宿る剣で討たない限り何度でも甦る。結局、最も苦しい選択を行わなければならないのかと、レギスヴィンダの気持ちは沈んだ。


 シェーニンガー宮殿の別の場所では、フリッツィの部屋へグローテゲルト伯爵夫人が押し掛け昨夜の出来事を振り返っていた。
「それにしても長い夜だったな……まさか帝都へ着いたその日に、再び襲撃があるとは思いもしなかった。どうにか撃退できたのは幸いだった……」
 肉体的にも精神的にも疲れ切った様子で伯爵夫人が漏らした。
 テーブルでは、侍女に淹れてもらったコーヒーが湯気を立てる。
「話には聞いてたけど、あそこまで凄い連中だとは思わなかったわ。追い払えたのが不思議なくらいよ」
 普段、元気なフリッツィも消沈している。夜に強い猫でも、昨夜は特別だった。十日分ぐらいの徹夜を一晩で行った気分だった。
「すべて殿下とヴァルトハイデのおかげだ。とてもではないが、わたしには手出しのしようもない。頼もしくもあるが、不安にもなる。これからも、あのような戦いが続くのかと思うと……」
「……続くわね、間違いなく。七十年前もそうだったもの」
 熱々のコーヒーに何度も息を吹きかけるフリッツィを見つめながら、ぽつりとグローテゲルト伯爵夫人が呟く。
「さすがに、経験者の言葉は重いな」
「け、経験者じゃないわよ……バカじゃないの!」
 グローテゲルト伯爵夫人は苦笑する。フリッツィは顔をそむけると、無理してコーヒーを飲み干した。そんな冗談でもいっていないと、気がめいるばかりだった。
 そこへ、ドアが開き、ゲーパが現れる。戦いが終わった後、倒れたヴァルトハイデを介抱するためずっと傍に付き添っていた。
 直後は、このままヴァルトハイデが死んでしまうのではと取り乱していたが、今朝はひと山越えて安堵しているようだった。
「ヴァルトハイデはどうしている?」
 グローテゲルト伯爵夫人が訊ねた。
「眠ってるわ」
「ちゃんと息はしてるの?」
 フリッツィが訊ねた。
「大丈夫よ、命に別条はないわ。ただ、暫くは起きられないでしょうけど」
 それを聞いて二人も安心する。続けてグローテゲルト伯爵夫人が訊ねた。
「お前たちは、ハルツでもこんな戦いをしていたのか?」
「そうよ。でなきゃ勝てない相手なの。あたしだって、次はどうなるか分からないわ……」
 魔女の戦いを目の当たりにした女領主は、改めてレギスヴィンダたちがどれほどの覚悟を持って戦っているのかを思い知らされた。自分にできることならば、どんな援助も惜しまない、惜しんではならないと認識を深めた。
「しかし、当分は襲ってくることもないだろう。連中は仲間割れを起こした。これは帝国にとって好都合だ」
「そうね。あの娘なんてったっけ? ヴァルトハイデの妹の……」
「リントガルトよ」
 フリッツィが訊ね、ゲーパが答えた。
「そうそう、そのリントガルトちゃんだけど、可哀そうに。あの娘はもう助からないわね。あそこまで魔女の呪いに侵されたら、生きてたとしても元には戻れないわ」
「救ってやる方法はないのか?」
「ないわね。殺してあげるしかないわ。オッティリアのように……」
「またヴァルトハイデに、妹と戦わせるの?」
 苦しそうにゲーパが訊ねた。
「もう妹じゃないわ。そう、割り切るしかないのよ」
「フリッツィは大人だな。わたしなんかよりもずいぶん長く生きていると、そんな風に冷淡に物事を考えられるようになるのだな」
「そうよ。だって、経験者だもの」
「笑えないジョークだ……」
「だったら、連中にヴァルトハイデの剣を貸してあげれば? 欲しがってたんでしょ? 仲間同士で殺し合うわよ」
「そんなこと、できるわけないじゃない!」
 フリッツィの提案に、すぐにゲーパが反対した。
「なら、ヴァルトハイデに頼るしかないわね。せめて今ぐらいは寝かせておいてあげたらいいわ。目が覚めたら、また戦いに行くんでしょ。妹を殺すために……」
 フリッツィの言葉は非情なものに聞こえた。しかし、ゲーパやグローテゲルト伯爵夫人にも、代案を出すことはできなかった。
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