第14話 戦いの後に Ⅰ

文字数 3,321文字

 御前会議にて、レギスヴィンダは出陣を決定した。
 死者の群を迎え撃つのは帝都の東に位置するゼンゲリングの丘。古来より、帝都防衛の最終拠点とされてきた場所である。
 レギスヴィンダはアウフデアハイデ城へ戻ったフロドアルトの体力が回復するのを待つと、先遣部隊を率いて進発するよう命じた。
 有利に戦えるポイントを押さえつつ、死者の群を監視し、地域住民を避難させるのが主な任務である。
 また、この先遣部隊にはレギスヴィンダの要請に応じて挙兵したエリクスハウザー伯爵、シュリヒテグロル子爵、グンデラッハ男爵の軍が帝都へ昇らず、直接戦場で合流することになっていた。


「敵軍の様子はどうなっていますか?」
 シェーニンガー宮殿にて、侍女に手伝ってもらいながら戦装束に着替えるレギスヴィンダが、ヴァルトハイデに状況を訊ねた。
「死者の群は、その数を増やしながらゼンゲリングへ迫っています。先ほどゲーパとフリッツィを偵察に向かわせましたので、戻り次第、詳しい報告を行わせます」
「分かりました。敵軍もゼンゲリングの重要性を認識しているようですね。ここで負ければ、数万に及ぶ一般市民を巻き込んでの帝都決戦になります。それだけは、避けなければなりません」
「なにも殿下自ら出陣されずとも、戦はわたしどもに任せ、帝都にて督戦されても良かったのではありませんか?」
「そういうわけにはまいりません。みなに命をかけさせるのです。わたくしだけが安全な場所にいたのでは、兵の士気に係わります。それに諸侯が口さがなく噂や憶測を交わすのは、わたくしに帝位継承者としての威厳や経験が足りないからです。女とて、全軍を率いて戦えることを証明できれば、今後あのような虚構を演じる必要もなくなります」
 御前会議での一件を振り返って、レギスヴィンダは自戒した。
「ですが戦場では何が起こるか分かりません。くれぐれも油断なされませぬように」
「ヴァルトハイデは心配症ですね。分かりました。あなたからの忠言、深く心に留めておきます」
 レギスヴィンダは支度を終えると、ヴァルトハイデを伴って部屋を出た。
 廊下を進んでいくと、新任の騎士団長ハーガン・ルイドルフ・フォン・ガイヒが待っていた。
「宮廷騎士団、出陣の用意が整ってございます」
「ご苦労です、ガイヒ。ルーム帝国の興亡は、この一戦にかかっています。騎士団の精華を天下に知らしめるのです」
「御意!」
 ガイヒは膝をつき忠誠を誓う。宮廷騎士団はこれまで通り帝室に仕え、レギスヴィンダをただ一人の主と認めていた。
 レギスヴィンダには、そんな騎士たちが頼もしく、感謝の気持ちを忘れずにはいられなかった。はたして、自分には彼らの忠節を受けるだけの資格があるのだろうか、勝ってそれを確かめる戦いでもあった。
「畏れながら殿下、進発されたフロドアルト公子から、新たな作戦提案書が届いております」
 宰相のオステラウアーが書簡を差し出した。
「……フロドアルト公子から、何でしょうか?」
 戦いの準備はすべて整い、今さら変更や中止が行える状況ではなかった。
 そんなことはフロドアルトも理解しているはずである。レギスヴィンダは、今になって何を提案しようというのだろうかと、疑問に思いながら書簡を受け取った。
 レギスヴィンダが提案書に目を通すと、それまでも緊張感を漂わせていた表情が、さらに硬く悲壮感を伴っていくのが見て取れた。
「……分かりました。フロドアルト公子の提案に従います。実行は、ヴァルトハイデに一任します。あなたの裁量でこの通りに事が成すよう、取り計らってください」
「了解しました」
 レギスヴィンダは険しい表情のまま、ヴァルトハイデに出陣するよう命令した。


 ヴァルトハイデが出陣したころ、ゲーパとフリッツィは一本の箒に跨って、上空から偵察活動を行っていた。
「すっごいわね、よくこれだけのゾンビを集められたものね……」
 地上に蠢く死者の群を見下ろし、呆れるようにフリッツィが呟いた。
 二人が飛んでいるのはゼンゲリングに程近い、リッツァーフェルスという村の上である。
 クラースフォークトに発生した死霊の群は、ゆっくりとした足取りながら、まっすぐにゼンゲリングへ向け、さらにその先に位置する帝都を目指して移動を続けていた。
 進路にある村や町はすべて呑み込まれ、甚大な被害にさらされた。
 建物は破壊され、田畑の作物は枯れて腐り、水源さえも汚染されて病魔をまき散らす。
 墓場からは死者が甦り、逃げ遅れた人々を群に加え、命なき者の行進は数と勢いを増した。
「この中のどこかにエルシェンブロイヒがいるはずなんだけど……」
 ゲーパが目を凝らして死者を操る常闇の魔術師を捜すが、上空からではよく分からない。
「あれじゃない?」
 目ざとく怪しげな人影を見つけてフリッツィが指さした。村の中央付近に、他の死者とは明らかに毛色の違う二人がいた。
「この村も完全に制圧した。次はゼンゲリングだ」
 自らの頭部を脇に抱えた赤い鎧の首なしの魔女ラインハルディーネが口を開いた。
 白骨の騎馬に跨った漆黒の鎧の騎士ボーネカンプが答える。
「ゼンゲリングは帝都防衛の要。帝国軍は以前にもまして総力を結集し、我らの前に立ちはだかるだろう」
「だが結果は同じことだ。どれだけの兵力を注ぎ込もうとも、今の帝国に我らを討てる者はいない。それを可能とする剣も存在しないのだ」
「ラインハルディーネよ、帝国軍を甘く見るな。たとえ敵わぬと分かっていても、我らは忠義と誇りのために命を捨てて戦った。それが帝国軍の強み。偉大なるルームの精神だ」
「貴様が帝国を過大に評価したがる気持ちは分らぬでもない。だが、果たして今もそのような精神が受け継がれているかは疑問だ。追い詰められた獅子の子が、牙を剥いて刃向ってくるか、そのまま尻尾をまいて退散するか、見せてもらおうではないか」
 二人の死者も、ゼンゲリングを巡る攻防が、両軍にとってどれほど重要なものであるかを認識していた。
「何だあれは? 人か、いや違う……あれは魔女か!」
 その時ボーネカンプの目に、宙に浮かぶ人影が映った。
「帝国軍め、自分たちだけでは勝てぬと考え、七十年前と同じようにハルツの力を借りたか!」
 苦々しくラインハルディーネが吐き捨てた。
「となれば、次は本物のランメルスベルクの剣が出てくる。魔女であるお主には脅威であろう?」
「そんなことはない。この首を討たれた借りを返せるのだ。願ってもないことだ!」
「よくぞいった! ならば我らの意志を明確に示さねばなるまい。ハルツの魔女よ、この槍をお主たちへの宣戦布告と受け取るがよい!」
 ボーネカンプは馬上のまま槍を構えると、空中の二人めがけて投げ放った。
 そのころゲーパは、フリッツィの指さす方向へ顔を向けていた。
「ねえ、おかしいんじゃない。赤いのと黒いのと、二人いるわよ?」
 村の中央に立つ二人の死霊に目を凝らす。
「そんなの知らないわよ。たぶん、どっちかがエルシェンブロイヒで間違いないわよ」
「また、そんないい加減なこといって。あたしたちはちゃんとした情報をヴァルトハイデやレギスヴィンダ様に報告しなくちゃいけないのよ」
「ゲーパは、ホントにまじめね。だったら、もっと近づいて確かめればいいじゃない」
 フリッツィにいわれるまま、ゲーパは村へ近づこうとした。が、その瞬間だった。
「見て、いま何か光った!」
 フリッツィが猛スピードで近づいてくる飛翔体に気付いた。
「危ない!!」
 咄嗟の判断だった。ゲーパはそれが先端の鋭く尖った凶器であることに気付くと、慌てて箒を旋回させた。
「おのれ、避けられたか……」
 寸でのところで獲物をとらえ損ねたボーネカンプが口惜しそうに呟いた。
 直撃こそ免れたものの、ゲーパとフリッツィはバランスを崩して落下しそうになる。
「なによあいつ、バカじゃないの! この距離で攻撃してくるなんて、非常識にもほどがあるわ!!」
 箒にしがみつきながら、フリッツィが怒鳴りつける。しかし、遠すぎてその声は届かない。
「ホント、想像してた以上の化け物のようね。これ以上近づくのは危険だわ……」
 ゲーパは箒を立て直すと、安全な位置まで遠ざかった。
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