第4話 ハルツへ Ⅲ

文字数 3,584文字

 狼の魔女が上空の人影に向かって叫んだ。
「……貴様、なに者だ!」
 返答はない。代わりに、人影の一つが地上へ飛び降りた。
 レギスヴィンダの前に着地したのは、黒い外套を纏った女だった。
「わたしは、ハルツの魔女ヴァルトハイデ。ハルツの(おさ)ヘルヴィガ様の命で、帝都からの客人を迎えにきた。レギスヴィンダというのは、あなたか?」
「ハルツの魔女……」
「そう。ヘルヴィガ様がね、今夜あたりルーム帝国のお姫様が来るかもって予言されたの」
 箒に乗ったもう一人の魔女も地上へ降りてきてレギスヴィンダにいった。
「あなたは……」
「あたしの名前はゲルピルガ。ヴァルトハイデと同じ、ハルツの魔女です。ゲーパって呼んでくださいね」
 キョトンとするレギスヴィンダに人懐っこい笑顔を見せると、ゲーパが続けた。
「それより、もっと早くそのペンダントを使ってくれたらよかったのに。でも、ぎりぎり間に合ったみたいね」
「このペンダントを……」
「それは閉ざされたハルツの扉を開く鍵だ。わたしたちは上空から、そのペンダントが光を放つのを待っていた」
 ヴァルトハイデがいった。
「そうなんです。普段ハルツは結界に守られていて、人間は近づけないようになってますから……え、もしかして知らなかったんですか?」
 意外な顔でゲーパが訊ねた。
 レギスヴィンダはペンダントを握りしめる。そんなこと知らなかった。知っていれば、とっくに行っていた。
「ともかく、そんな話をしている場合ではない。ゲーパ、客人たちを頼む」
「任せて。ひいお婆ちゃんに教わったとっておきの結界を張るから。えーと、どれだったかな……」
 ゲーパは答えると、黒い表紙の手帳を取り出し、箒の柄を使って地面に魔法陣を描き始めた。
「ハルツの魔女よ、戦うのならわしも協力するぞ!」
 ブルヒャルトが申し出た。
「下がっていろ。足手まといだ」
 冷たくヴァルトハイデが答える。
「なっ……」
 騎士として、これほどの屈辱はない。だが、さらにそこへゲーパが追い打ちをかける。
「ほら、ヴァルトハイデの邪魔しちゃだめよ。あと、この円からでないでね。おじさん」
「おじさん……」
 魔法陣の中は防御壁で守られ、狼の牙とて噛みちぎれない。
 ヴァルトハイデはレギスヴィンダたちの安全を確保すると、狼の魔女に向き直った。
「お前は、帝都を襲った魔女とは違うな。奴らの手下か?」
「……ああ、そうだよ。その娘を連れてくれば、仲間にしてくれるっていわれたのさ!」
「愚かなことを。そんなことをしても、いいように利用されるだけだ」
「黙れ! 貴様らハルツの魔女こそ、またしてもルームと結託する気か!!」
「そんなつもりはない。ただ、七十年前に摘み残した因果の種子を刈り取りにきただけだ」
「因果だと……?」
「初めにいっておく。お前では相手にならない。逃げたければ好きにしろ。追いはしない」
「バカにするな!」
 ヴェーデケは激高した。目の前に現れた二人がハルツの魔女と知って、内心では焦っていたが、せっかく追い詰めた獲物を、みすみす逃すわけにはいかなかった。
「やれ、狼たち。まずは、そのハルツの魔女から食い殺しな!」
 狼が襲いかかる。ヴァルトハイデは剣さえつかわず、体術だけでこれを打ちのめす。
「バカな!!」
 十数頭もいた狼があっという間に退治されると、ヴェーデケは顔を青ざめさせた。
「どうした、これで終わりか? 逃げたければ、今からでもいいのだぞ?」
 挑発ではない。純粋にヴァルトハイデが撤退を勧める。
 追い詰められた魔女は、窮鼠猫を噛むがごとく居直った。
「……おのれ、こうなったらあたしの力を見せてやるよ! イッヒ・フェアヴァンデレ・ミッヒ! ヴェーアヴェルフィン!」
 呪文を唱えると、ヴェーデケは自らの身体を狼に変える。
 林の木々を揺さぶるような遠吠えをあげると、その風圧でゲーパの張った結界の壁を叩いた。
「おお、何という禍々しさか……本当に一人で大丈夫なのか!?」
 ブルヒャルトが武者震いをし、誰に問いかけるともなく呟く。ゲーパは全幅の信頼を寄せて答えた。
「大丈夫よ。ランメルスベルクの剣の継承者になったヴァルトハイデに勝てる魔女なんていないわ」
 レギスヴィンダは、その単語を聞き逃さなかった。
「ランメルスベルクの剣――」
 いましがた聞いたばかりの名前だ。しかし、それが何を意味するのかまでは分からない。ゲーパが説明する。
「ランメルスベルクっていうのはね、ハルツにある鉱山なんだけど、そこで採れた銀には魔女の力を抑える効果があるの」
「じゃあ、このペンダントにも……」
「そうよ」
 レギスヴィンダは、なぜそんな力を秘めたペンダントが帝室に受け継がれてきたのか理解できなかった。ただ、もし父がこれを身につけたままだったなら、魔女たちに屈したりはしなかったのではと思った。
「お父様は、そんなに大切な物をわたくしに託してくださったのですね……」
 レギスヴィンダはペンダントを握ると、今も自分が父や母に護られていることを感じた。
「そういえば聞いたことがありますぞ。レムベルト皇太子の剣にも魔女の力を封じる効果があったと。その切っ先で心臓を一突きにされれば、どんな魔女も生きてはいられない……同じような剣が、ハルツにも存在したのか……」
 感慨深げにブルヒャルトが呟くと、ゲーパは即座に否定した。
「違うわよ。あれが、レムベルト皇太子に貸してあげた、本物のランメルスベルクの剣よ」
「……貸してあげた?」
 どういうことかとレギスヴィンダが訊ねた。
「七十年前に、オッティリアと戦うためにレムベルト皇太子が剣を借りに来たの。もちろん、戦いが終わったら返してもらったけどね」
「剣を……ハルツの魔女に?」
「そうよ。あなたたちも、そのために来たんでしょ?」
 屈託なくゲーパが答えるが、認識の違いからレギスヴィンダとの間で会話が成立しない。さらに、ブルヒャルトが割って入った。
「待ってくれ。レムベルト皇太子の剣は、帝都の宝物庫に保管されていたはずでは!?」
「知らないわよ、そんなの」
 ゲーパにも帝国側の事情は分からない。それでも、レギスヴィンダは何かを理解し始めていた。レムベルト皇太子の剣がありながら、なぜ父であるジークブレヒトが魔女に敵わなかったのか。さらに、同じランメルスベルクの銀でできたペンダントを持って、ハルツへ行けと命じられたのかを。
「とにかく見ててごらんなさい。あれが本物の、ランメルスベルクの剣だって分かるから」
 当惑するレギスヴィンダたちをしり目に、ゲーパは信頼に満ちた表情でヴァルトハイデを見やった。
 ヴァルトハイデは剣を抜くと、魔力を集中した。
「退く気がないのなら仕方あるまい。だが安心しろ。命までは奪わぬ」
 魔力に呼応し、ランメルスベルクの剣が銀色に輝く。その眩しさのせいか、ブルヒャルトに支えられていたオトヘルムが目を覚ました。
「なんだこの光は……誰か闘っているのか?」
「ハルツの魔女だ」
 ブルヒャルトが答えると、目を細めながらオトヘルムは闘いの光景を見やった。
「ハルツの魔女……あれが、なんて美しい…………」
 剣を構えるヴァルトハイデの姿は白銀に輝き、その眩しさは神々しくさえ映る。現実離れした光景に、まだ夢を見ているのではと錯覚した。
「そんなこけおどしが通用するか! 死ね、ハルツの魔女!!」
 ヴェーデケは四つん這いになり、牙をむいた。
「ランメルスベルクの剣に切れぬものはない。帝都へ帰って血肉を分け合った魔女たちに伝えよ。オッティリアの因果はわたしが断つと!」
 ヴァルトハイデが剣を振るうと、切っ先から放たれた光がヴェーデケを撃った。狼の術が切り裂かれ、元の姿に戻って地面に倒れる。
 ヴァルトハイデは勝利の高揚感もなく静かに剣を鞘へ戻した。
「ひとまず追っ手は退けましたが、ここはまだ安全とはいえません。今すぐハルツへお越しください。わたしたちの指導者、ヘルヴィガ様がお待ちです」
「分りました……」
 レギスヴィンダは困惑のままヴァルトハイデに礼を言い、指示に従った。緊張と戸惑いと鼓動の高鳴りが治まらなかった。
「大丈夫?」
 傷ついたオトヘルムを心配して、ゲーパが顔を覗き込んだ。
「あ、ああ、心配ない……」
 軽傷ではないが、自力で歩ぐらいはなんとかなる。
 三人が無事なことを確かめると、ゲーパはヴァルトハイデに向き直った。
「じゃあ、あたしは先に戻ってるから」
「客人とは無事に会えたと、ヘルヴィガ様に伝えてくれ」
 ヴァルトハイデが答えると、ゲーパは箒に跨って飛び立つ。
「では、わたしたちも参りましょう。ご案内いたします」
 ヴァルトハイデが歩きだす。
 レギスヴィンダは、自分の知らない本当の歴史があることに気付き始めていた。それがハルツへ遣わされた理由だと理解すると、真実を見定めるために強い気持ちでヴァルトハイデの後に続いた。
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