第41話 夜と朝のあいだ Ⅱ

文字数 3,795文字

 ゲーパはフロドアルトを乗せ、クラウパッツへ急いだ。
「傷はまだ痛みますか?」
「心配するな、これしきのこと何でもない……」
「もう少しだから、がんばってくださいね!」
 強がっていられるうちは大丈夫である。
 傷に障らないよう加減して飛ぶのをやめ、ゲーパはスピードを上げた。


 クラウパッツの森では、ヴァルトハイデたちが一睡もすることなくゲーパの帰りを待っていた。
 焚火を囲んだ魔女の下へ、見張りをしていたエメリーネが駆けてくる。
「ゲーパが戻ってきたよ!」
「思ったよりも早かったな?」
 リカルダが答えた。
 ヴァルトハイデも、もう少し時間がかかるだろと予想していた。ゲーパが巧くフリッツィを見つけてくれたのか、それとも、そもそもベロルディンゲンへ行っていなかったのではないかと魔女たちは話しあった。
「そうじゃないんだ。フリッツィじゃなくて、知らない男の人を連れてきてるんだ」
「知らない男……」
 エメリーネが答えると、訝しげにヴァルトハイデが呟いた。
 いったい何者なのだろうか。ゲーパがむやみに見ず知らずの人間を連れてくるなどあり得ない。魔女たちは、男の正体を確かめるべくゲーパを出迎えることにした。
「ほら、あれだよ!」
 エメリーネが夜空を指さす。遠すぎて肉眼では見えない。ヴァルトハイデは魔女の右目を凝らし、ゲーパの背中につかまっている男の顔を確かめた。
「あれは……フロドアルト公子!」
「知っているのか?」
 リカルダが訊ねた。
「ライヒェンバッハ公の御子息だ」
「ルペルトゥスの……なぜそんな奴を連れてくるんだ!」
 オーディルベルタが、驚きと憤慨を合わせて言い放った。他の魔女たちも納得できない様子だった。
「まさか、あいつらに捕まって、ここまで案内するように脅されたんじゃ!」
 エメリーネがいった。それはないとヴァルトハイデが否定する。
「フロドアルト公子は味方だ。だが、なぜ公子とゲーパが一緒にいる……」
 魔女たちは疑問を抱くと、ゲーパが帰りつくのを待った。


 ゲーパが森のはずれに着陸する。
「着いたわよ。一人で歩ける?」
「無論だ。一応、礼はいっておくぞ。かたじけない」
 傷はふさがっているが、痛みはある。しかし、プライドの高いフロドアルトは、そんな素振りなど見せない。
 二人が地上に降りて間もなく、ヴァルトハイデたちが集まる。
「ゲーパ、何があった?」
「ヴァルトハイデ、どうしたの? みんなでお出迎えなんて?」
「ゲーパの方こそ。フリッツィはどうした? なぜフロドアルト公子がここに?」
 矢継ぎ早に質問する。
「ごめんなさい。フリッツィは間に合わなかったの。代わりにじゃないけど、フロドアルト公子に来てもらったわ」
「公子、どうされたのですか? ハイミングに居られたのでは……まさか、怪我をされているのですか!」
 遠くからでは傷を負っていることまでは分からなかった。ヴァルトハイデは、血の着いたフロドアルト服を見て何があったのかと心配した。
「大丈夫だ。これしきの傷、どうということはない……それより、この中にリカルダという魔女はいるか?」
 フロドアルトはヴァルトハイデへの説明を後回しにすると、鋭く研ぎ澄ました眼光を魔女たちに向けた。
 エメリーネたちは警戒し、身構える。リカルダは仲間に自制するよう促すと、名乗り出た。
「リカルダはわたしだ。貴公のことは、ライヒェンバッハ公の御子息と聞いている」
 フロドアルトは「うむ」と頷く。こちらも取り乱したり、感情的になったりすることなく、落ち着いた態度で応えた。
「父上の行為については、わたしも残念に思っている。ライヒェンバッハ家のすべてが魔女を敵視しているわけではないことを、まずは貴様に伝えておく」
「あなたが敵でないことは、ヴァルトハイデから説明がありました。我々は公子を客人として歓迎します」
 互いに敵意のないことを確認すると、フロドアルトは張り詰めていたものが解かれたように力が抜けた。脚がふらつき、倒れそうになる。
「公子!」
 慌てて、ヴァルトハイデが手を伸ばした。傷の具合が良くなかった。
「やっぱり無理をしてたのね。強がらずにいってくれればよかったのに……」
 ゲーパが傷口に手を当て、傷を癒す。改めて、ヴァルトハイデが訊ねた。
「公子、何があったのです?」
「ベロルディンゲンで魔女にやられた。その時に、お前たちの仲間の一人に助けられ、わたしだけが落ち延びることができた……」
「フリッツィに会われたのですか?」
「認めたくはないが、あの女がいなければ、わたしと部下たちは魔女によって殺されていただろう……」
「そうですか……ともかく、ここでは傷に障ります。あちらへ参りましょう」
 ヴァルトハイデたちは、フロドアルトを暖かな焚火のそばへ連れて行く。上着を脱がせて傷口に包帯を巻くと、痛みが治まるのを待ってから詳しく話を聞いた。
「ライヒェンバッハ公が、魔女に操られていた……!」
 フロドアルトの説明を聞いて、ヴァルトハイデは耳を疑った。
「正確には、父上の主治医であるルオトリープが魔女の術を用いて争いを嗾けたのだ」
「何者なのですか?」
「分からぬ……得体の知れない男だ」
「その男がベロルディンゲンに魔女を連れてきたのですね?」
「そうだ。エルズィング伯やキースリヒリ子爵を襲ったのもその女だ」
「だが、どうして魔女がライヒェンバッハ公をかどわかし、魔女狩りを行わせたのだろうか……」
 リカルダが呟いた。他の者も同じ疑問を抱く。そんなことをしても、自分で自分の首を絞めるだけではないかと思った。
「魔女の口ぶりでは、奴らはそれぞれの目的を果たすため、利害の一致する点において手を組んでいるにすぎないといった様子だった」
「では、魔女狩りを使嗾(しそう)したのはルオトリープ個人の目的のためであって、女の方は別の理由で行動していると?」
「そういうことだ」
「その目的とは……?」
「お前の命だ」
「……わたしの?」
「魔女はお前を狙っている。リントガルトの仇として」
「リントガルトの――」
 その名前はヴァルトハイデだけでなく、風来の魔女集団に加わる者たちにとっても衝撃的で、後ろめたさの残るものだった。
 皮肉にも魔女狩りを嗾けた者たちと、それに抵抗した者たちが、同じ旗を掲げていたのである。
「ということは、公子を襲ったのは黒き森の魔女集団の残党ということか……」
 忸怩たる思いで、オーディルベルタが呟いた。
「じゃあ、その魔女も、もう一回魔女の国を創ろうとしてたってこと?」
 エメリーネが訊ねた。
 リカルダたちはすっかりリントガルトの魔力から解かれ、帝国への敵対心も魔女の国の再建という目的も失っていた。
 しかし、リントガルトの名は未だ一部の魔女にとって人間に対する抵抗の象徴として生き続けている。ベロルディンゲンの魔女が、リントガルトの意志を継承していても不思議はなかった。
 フロドアルトは否定する。
「わたしの印象では、もう一度魔女の国を創ろうなどと画策している様子はなかった。純粋に、お前に対する恨みや憎しみだけで行動しているようだった。魔女は、わたしにお前を連れて来いといった。でなければ、人質になった者たちを殺すと」
「どうするの、ヴァルトハイデ?」
 ゲーパが訊ねた。
「無論、行くしかあるまい。もとより、ライヒェンバッハ公には会わねばならない。レギスヴィンダ様の御意をつたえるためにも」
「そうね。自業自得といっても、フリッツィを放っておくわけにもいかないしね。おかげでフロドアルト公子も助かったんだし」
「では、我々も同行しよう。仲間は、一人でも多い方がいいだろう?」
 リカルダが申し出た。だが、ヴァルトハイデは断った。
「指名されたのはわたしだ。他の者が巻き込まれる必要はない」
「今さら何をいう。元々は、わたしたちの戦いから始まったことだ。ライヒェンバッハ公には借りがある。黙って指をくわえているわけにはいかない!」
「ダメだ。認めるわけにはいかない。それに、いったはずだ。陛下は対話を望まれている。戦いに行くのではない」
「では、どうするというのだ?」
「倒すべき相手はライヒェンバッハ公に術をかけた魔女と主治医の男の二人だけ。術が解ければ、公も正気に戻るだろう」
「だが、ベロルディンゲンは難攻不落の要塞。二人を倒すといっても一筋縄ではいくまい」
「それにおいては心配ない。ベロルディンゲンには抜け穴がある。わたしが案内しよう」
 フロドアルトが言ったが、ヴァルトハイデはそれも断った。
「これ以上、公子に無理をさせるわけには参りません。代わりに馬をお借りします」
「わたしの馬を……?」
「ベロルディンゲンには皇帝陛下の使者として、真正面から乗り込みます」
「なっ……」
 フロドアルトは絶句する。とんでもないことを考えると。しかし、すぐに了承する。
「相変わらず大胆な女だ……だが、いいだろう。馬ならまだ街道のあたりにいるはずだ。わたしの代りに、父上の目を覚ましてくれ!」
「お任せください」
 なんとしてもライヒェンバッハ公を説得し、無意味な争いを終わらせなければならなかった。
 そしてもう一つ、ヴァルトハイデには妹から託された重大な使命があると解釈した。
 今もリントガルトの亡霊に囚われている女がいる。その魂を解放し、救ってやらねばならない。
 これもまたランメルスベルクの剣の継承者に課せられた、逃れられない十字架だった。
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