第22話 宣戦布告 Ⅲ
文字数 2,487文字
悪しき魔女の攻撃はベンゲストラーテのみにとどまらなかった。
次の標的にされたのは、諸侯連合に参加したアールグリム伯爵家の所領リューベナハだった。
アールグリム伯爵は不死の王とも戦った勇士である。ベンゲストラーテの惨劇は伝え聞いており、帝都からも警戒するようにと達しがあった。それでも人々が眠りについた満月の夜、足音も立てずに忍びよる魔女の接近を察知するのは難しかった。
それはまず、長大な帯となって夜空に現れた。
「なんだあれは……」
城壁で見張りを行う兵士が空中にとぐろを巻いた不審な物体に気づく。
煌々と照らす月の光を背景に、うねうねと動き回るそれは宙を這う大蛇のようにも見えた。兵士は眠たさに夢でも見ているではないかと自分の目をこすったが、それが視界から消えることはなかった。
じっと目を凝らしていると、徐々に近づいてくるのが分かる。やがてそれは一本の帯でも、月を呑み込まんとする大蛇の鎌首でもないことが判明する。物体を構成する断片の一つ一つに羽が生え、自立して空を飛んでいた。
「……コウモリの群か!!」
まるで何者かに操られたかのように、数万にも及ぶコウモリが群をなし、意志を持った巨大な生物のように活動している。
兵士は現実離れしたその光景に、やはり自分は見張りのさなかに睡魔に負けて眠ってしまったのだと思った。しかし、上空に達したコウモリが羽ばたかせた翼の先から滴り落ちた雫を顔に浴びると、その冷たさに眠気も吹き飛んだ。
「うっ……コウモリめ、フンをかけやがった!」
兵士は額を濡らした水滴をぬぐい取る。深夜に見張りを命ぜられ、居眠りした罰とばかりに糞尿を浴びせかけられたのだ。なんという災難、運の悪さと、兵士は自分のツキのなさを呪った。
だが本当の不幸と災厄は、浴びせかけられたそれが糞ではないと気づいたときに始まった。
「……ちがう、これは油!」
ぬぐい取ったそれが何であるかを確かめた瞬間、コウモリの群に火がついた。
先頭から順番に、真っ赤な炎が群れ全体へ広がっていく。
発火したコウモリは無数の火球となってリューベナハへ降り注いだ。
「燃えろ、人も街も。全部灰になってこの世から消えてなくなれ!」
業火に焼かれる真夜中の都市を、リントガルトは嬉しそうに眺めた。
ベンゲストラーテ陥落に続くリューベナハの焼失は、帝国全土に衝撃を走らせた。
その情け容赦ないやり方に人々は戦慄し、魔女への怒りと敵意を増幅させる。
レギスヴィンダは犠牲になった者を追悼し、生き残った者への支援に乗り出したが、それらが十分に行きとどくよりも先に、リントガルトはさらに二つの都市を襲撃した。
帝国内における穀倉地帯とも評されるグラーでは飢えたイナゴの大群が発生し、作物を食いつくすと人や家畜までも餌食にし始めた。一方、旧都ディルラズィングでは竜巻によって大聖堂が倒壊し、逃げ惑う人々の上に瓦礫と稲妻を降らせた。
なぜ、これらの都市が攻撃の対象に選ばれたのかについては共通点や関連性は見出されず、魔女の気まぐれか、それとも人知の及ばない特殊な条件が重なった結果なのかと人々を怯えさせた。
魔女による攻撃は今後も続くことが予想されたが、次にいつ、どの街が標的になるかまでは予想しえなかった。
そのため人々は魔女を怖れて外出さえ控えるようになると、固く閉ざしたドアの内側に引きこもり、些細なことで不安や疑心を募らせるようになった。
隣人同士で魔女のレッテルを張りあい、各地でリンチや略奪などが横行する。主だった街道には旅人の姿もなく、商人や買い物客で賑わった広場や大通りも閑散とし、国家は打開策の一つも示せないまま、魔女の思惑どおりに不和や無秩序が広まっていった。
「水攻めに、火攻め、イナゴの大群に、竜巻と……次から次によくやるわね。教会まで敵に回して、ホント怖いもの知らずだわ」
シェーニンガー宮殿の居室にて、各地での被害状況の報告書を見やりながら食傷気味にフリッツィが呟いた。
「これは主だったものだけで、個人レベルのいさかいや小規模な暴動となるとその数は把握すらされていない。さらに増えることはあっても、治まることはないだろう……」
呆れるを通り越して、諦めたようにヴァルトハイデが答えた。
「なにが悪質かっていったら、今なら何でも魔女のせいにできるからって、好き放題やってる連中がいるってことね。やっぱり、いちばんタチが悪いのは人間だわ」
「もしかして、彼女たちはそこまで計算して行動してるのかな?」
ゲーパが訊ねた。ヴァルトハイデが答える。
「否定も肯定もしない。しかし、結果として疑心暗鬼に陥った人々の争うさまを見て、どこかで高笑いを上げている者がいるのは事実だ」
「まんまと手のひらで踊らされてるわね。ホント人間って、進歩しないんだから」
フリッツィはため息をついた。それでも、ゲーパは諦めることをしない。
「でも、そんなこといってても仕方ないわ。なんとかして彼女たちを止めなきゃ……」
「気持は分かるけど、どうするっていうの? こっちから攻めるにしても、相手の居場所が分からないんじゃどうしようもないわ。眺めてるだけじゃ、らちが明かないわよ」
「それについては有力な情報があると、レギスヴィンダ様がおっしゃられていた。近くグローテゲルト伯爵夫人が再び帝都へ来られると」
「フェルディナンダが?」
「悪なる魔女集団の内情に通じる者と、接触したとの報せがあった」
「接触って……相手は誰なの?」
驚いてゲーパが訊ねた。危険なことをするものである。果たして、信頼に足る相手なのかとも疑われた。
「それは分かっていない。相手は身分も名前も名乗らなかったそうだ。ただ、信頼に値する人物だったとは聞いている」
「へぇー、何者なのかしらね。それにしても、フェルディナンダもいろんなところにつてがあるわね。もしかして、あの娘も魔女なんじゃないの?」
冗談ぽくフリッツィがいった。
それはともかく、詳しい話は直接レギスヴィンダに会って伝えるとして、数日後フェルディナンダ・フォン・グローテゲルト伯爵夫人が帝都を再訪した。
次の標的にされたのは、諸侯連合に参加したアールグリム伯爵家の所領リューベナハだった。
アールグリム伯爵は不死の王とも戦った勇士である。ベンゲストラーテの惨劇は伝え聞いており、帝都からも警戒するようにと達しがあった。それでも人々が眠りについた満月の夜、足音も立てずに忍びよる魔女の接近を察知するのは難しかった。
それはまず、長大な帯となって夜空に現れた。
「なんだあれは……」
城壁で見張りを行う兵士が空中にとぐろを巻いた不審な物体に気づく。
煌々と照らす月の光を背景に、うねうねと動き回るそれは宙を這う大蛇のようにも見えた。兵士は眠たさに夢でも見ているではないかと自分の目をこすったが、それが視界から消えることはなかった。
じっと目を凝らしていると、徐々に近づいてくるのが分かる。やがてそれは一本の帯でも、月を呑み込まんとする大蛇の鎌首でもないことが判明する。物体を構成する断片の一つ一つに羽が生え、自立して空を飛んでいた。
「……コウモリの群か!!」
まるで何者かに操られたかのように、数万にも及ぶコウモリが群をなし、意志を持った巨大な生物のように活動している。
兵士は現実離れしたその光景に、やはり自分は見張りのさなかに睡魔に負けて眠ってしまったのだと思った。しかし、上空に達したコウモリが羽ばたかせた翼の先から滴り落ちた雫を顔に浴びると、その冷たさに眠気も吹き飛んだ。
「うっ……コウモリめ、フンをかけやがった!」
兵士は額を濡らした水滴をぬぐい取る。深夜に見張りを命ぜられ、居眠りした罰とばかりに糞尿を浴びせかけられたのだ。なんという災難、運の悪さと、兵士は自分のツキのなさを呪った。
だが本当の不幸と災厄は、浴びせかけられたそれが糞ではないと気づいたときに始まった。
「……ちがう、これは油!」
ぬぐい取ったそれが何であるかを確かめた瞬間、コウモリの群に火がついた。
先頭から順番に、真っ赤な炎が群れ全体へ広がっていく。
発火したコウモリは無数の火球となってリューベナハへ降り注いだ。
「燃えろ、人も街も。全部灰になってこの世から消えてなくなれ!」
業火に焼かれる真夜中の都市を、リントガルトは嬉しそうに眺めた。
ベンゲストラーテ陥落に続くリューベナハの焼失は、帝国全土に衝撃を走らせた。
その情け容赦ないやり方に人々は戦慄し、魔女への怒りと敵意を増幅させる。
レギスヴィンダは犠牲になった者を追悼し、生き残った者への支援に乗り出したが、それらが十分に行きとどくよりも先に、リントガルトはさらに二つの都市を襲撃した。
帝国内における穀倉地帯とも評されるグラーでは飢えたイナゴの大群が発生し、作物を食いつくすと人や家畜までも餌食にし始めた。一方、旧都ディルラズィングでは竜巻によって大聖堂が倒壊し、逃げ惑う人々の上に瓦礫と稲妻を降らせた。
なぜ、これらの都市が攻撃の対象に選ばれたのかについては共通点や関連性は見出されず、魔女の気まぐれか、それとも人知の及ばない特殊な条件が重なった結果なのかと人々を怯えさせた。
魔女による攻撃は今後も続くことが予想されたが、次にいつ、どの街が標的になるかまでは予想しえなかった。
そのため人々は魔女を怖れて外出さえ控えるようになると、固く閉ざしたドアの内側に引きこもり、些細なことで不安や疑心を募らせるようになった。
隣人同士で魔女のレッテルを張りあい、各地でリンチや略奪などが横行する。主だった街道には旅人の姿もなく、商人や買い物客で賑わった広場や大通りも閑散とし、国家は打開策の一つも示せないまま、魔女の思惑どおりに不和や無秩序が広まっていった。
「水攻めに、火攻め、イナゴの大群に、竜巻と……次から次によくやるわね。教会まで敵に回して、ホント怖いもの知らずだわ」
シェーニンガー宮殿の居室にて、各地での被害状況の報告書を見やりながら食傷気味にフリッツィが呟いた。
「これは主だったものだけで、個人レベルのいさかいや小規模な暴動となるとその数は把握すらされていない。さらに増えることはあっても、治まることはないだろう……」
呆れるを通り越して、諦めたようにヴァルトハイデが答えた。
「なにが悪質かっていったら、今なら何でも魔女のせいにできるからって、好き放題やってる連中がいるってことね。やっぱり、いちばんタチが悪いのは人間だわ」
「もしかして、彼女たちはそこまで計算して行動してるのかな?」
ゲーパが訊ねた。ヴァルトハイデが答える。
「否定も肯定もしない。しかし、結果として疑心暗鬼に陥った人々の争うさまを見て、どこかで高笑いを上げている者がいるのは事実だ」
「まんまと手のひらで踊らされてるわね。ホント人間って、進歩しないんだから」
フリッツィはため息をついた。それでも、ゲーパは諦めることをしない。
「でも、そんなこといってても仕方ないわ。なんとかして彼女たちを止めなきゃ……」
「気持は分かるけど、どうするっていうの? こっちから攻めるにしても、相手の居場所が分からないんじゃどうしようもないわ。眺めてるだけじゃ、らちが明かないわよ」
「それについては有力な情報があると、レギスヴィンダ様がおっしゃられていた。近くグローテゲルト伯爵夫人が再び帝都へ来られると」
「フェルディナンダが?」
「悪なる魔女集団の内情に通じる者と、接触したとの報せがあった」
「接触って……相手は誰なの?」
驚いてゲーパが訊ねた。危険なことをするものである。果たして、信頼に足る相手なのかとも疑われた。
「それは分かっていない。相手は身分も名前も名乗らなかったそうだ。ただ、信頼に値する人物だったとは聞いている」
「へぇー、何者なのかしらね。それにしても、フェルディナンダもいろんなところにつてがあるわね。もしかして、あの娘も魔女なんじゃないの?」
冗談ぽくフリッツィがいった。
それはともかく、詳しい話は直接レギスヴィンダに会って伝えるとして、数日後フェルディナンダ・フォン・グローテゲルト伯爵夫人が帝都を再訪した。