第6話 剣の下に Ⅰ

文字数 3,529文字

 帝都での立場と拠点を手に入れたフロドアルトは、その旨を知らしめるべく諸侯に檄を飛ばした。


 親愛なる諸侯へ。臣は心底よりルーム帝国に忠誠を誓う者であり、至誠(しせい)に国家を憂う者である。
 諸侯もすでに存知のとおり、帝都プライゼンは魔女どもによって蹂躙され、我らが敬愛する皇帝陛下は御命を奪われた。
 これに絶望した皇后陛下は自裁なされ、帝国を継ぐべき皇女殿下は行方不明である。
 神聖不可侵である帝都に魔女どもの侵入を許したるは慙愧に堪えない不手際であり、千古未聞(せんこみもん)の大失態である。
 我々が被った損害は甚大で、取り返しのつかないものとなった。
 今や帝国は悲傷し、人心は悄然として、末世の感さえ漂い始めている。
 しかし、未だルーム帝国は健在で、国家の輪郭を保ちえているのは他でもない諸侯の連帯と、変わりないルーム帝室への尽忠報国(じんちゅうほうこく)の精神によるものである。
 我が心は慟哭し、弔意に肩を落としながらも、瞋恚(しんい)の炎を失ってはいない。
 不逞な輩どもの行った悪逆無道の振る舞いに対し、相応の懲罰を加え、正義の所在を示す意志のあるものである。
 皇帝皇后両陛下から賜った恩寵に報いるべく、我と同じ志のある者は剣を取れ。
 魔女どもは今もどこかで我らを監視し、三度跋扈(ばっこ)せんと毒牙を研いでいる。
 我らはこれまで以上に結束し、悪辣なる企みに立ち向かわなければならない。
 ルーム帝国は英雄の国である。勇敢なる先達たちの大業に倣い、立ちあがるのだ。
 戦いの準備を怠るな。征討の軍列を連ね帝国の威信を示そうではないか。
 我が下へ、集え!
 ルームとは名声。ルームとは栄光。ルームとは誉れ。グローセス・ルームライヒ。大ルーム帝国万歳!


 フロドアルトの檄文を受け取った諸侯は、ある者は大いに励まされ、ある者は魔女に対する怒りを再燃させ、ある者はジークブレヒトとラウレーナが殺害された事実が確定されたことに悼んだ。
 ほとんどの者がフロドアルトを支持し、彼の指揮下に加わることを望んだ。しかし、一部にはこれに不信と不満を抱く者もいた。
 フロドアルトはアウフデアハイデ城の司令室で、腹心のヴィッテキントから諸侯の返事を聞いていた。
「ザークシュナイダー侯爵、ヘルガルテン侯爵、シュリヒテグロル子爵、アルバンベルガーバウアー公爵、デクスハイマー伯爵、ディンスラーゲ侯爵、クロイトゲンス辺境伯は、フロドアルト様を正式な魔女討伐軍の指揮官と認められておられます。さらに、ホルレバイン侯爵、レッケンドルプ男爵、アールグリム伯爵、メーメスハイム子爵、クルムシャイト侯爵が、すでに一軍を率いて帝都へ向かわれているとのことです」
「それは気の早いことだな。まだ魔女たちの行方も掴めていないというのに、いったいどこへ攻め入るつもりだ?」
「それほど諸侯も今回の出来事に心を痛め、居ても立ってもいられないのでしょう。士気が上がっているのは、好いことではありませんか?」
「そうかもしれないが、市民生活はようやく落ち着きを取り戻したばかりだ。そこへ血気盛んな兵士が大挙して押し寄せれば、再び市井に混乱を招くことになる」
「それであればオステラウアー閣下にご相談され、方策を練られてはいかがでしょうか? それよりも気がかりなことがございます」
「なんだ?」
「ホーエンローエ侯エギナルト様が、フロドアルト様を総司令とすることに難色を示し、麾下(きか)に加わることを拒んでおられます」
「ホーエンローエ家というと、我がライヒェンバッハ家とは七十年前にレムベルト皇太子の跡目を争った因縁の相手だったか?」
「当時エギナルト様は十七歳で、皇帝候補の最有力に推されていました。ですが、皇太子妃であらせられたゴーデリンデ様がレムベルト皇太子の御子を授かっていることが明るみになると、その道が断たれたのです。その時、ゴーデリンデ様にお味方し、ライヒェンバッハ家を現在の地位へ押し上げたのがアルデブラント様です」
「皇帝陛下のお父上にして、我が祖父であるな。たしか高祖ヴィガロイスの兄にあたる人物でもあったか……フロイヒャウス城の広間に飾られた肖像画では、眉間に深いしわを刻んだ眼光鋭い老人として描かれているが、正直わたしは幼少のころ、深夜に一人であの絵の前を歩くのが恐ろしくて仕方がなかった。いまにも額縁の中から飛び出してきそうな迫力だったからな。で、エギナルト老侯は七十年も前のことを未だに根に持っているのか?」
「それは仕方のないことかと。一度は腰を下ろしかけた玉座から、転がり落とされたのです。その恨みは千年続いたとしても仕方ありません」
「気持は分からなくもないが、国家の危機に私情をはさんで諸侯の連帯に水を差そうというのは感心できんな……まさか、その恨みを晴らすために、ホーエンローエが魔女と結託したのではあるまいな?」
「滅多なことをいわれますな! ホーエンローエ家もレムベルト皇太子と共に呪いの魔女と戦われた英雄の家系です。諸侯を率いられるフロドアルト様が、味方を疑われてどうなさいます」
「ヴィッテキントの言う通りだ。今のは、わたしの言葉が過ぎたようだ。聞かなかったことにしてくれ。それはともかく、ホーエンローエ家の騎馬隊といえば、帝国でも随一の勇猛さを誇っていたな?」
「七十年前の戦いでは赫々たる戦果をあげ、そのためもあって当時は多くの諸侯がエギナルト様を支持しました。現在でもホーエンローエ家に臣従する者は少なくなく、エギナルト様が諸侯連合への参加を見送られるとなると、討伐軍の戦力は著しい低下を余儀なくされるかと思われます」
「魔女と戦う前に、我々には越えなければならない壁が幾つもあるようだな……」
 多難な前途を思いやり、辟易するようにフロドアルトが呟いた。
 そこへ、別の部下が報告にやってくる。何やら、慌てているようだった。
「宰相府によりますと、レギスヴィンダ様の行方が判明したとのことです!」
 報せを聞いた時、フロドアルトとヴィッテキントは耳を疑った。が、すぐにその驚きは安堵とさらなる疑念へ変化する。
「内親王殿下が! それでどこにおられるのだ? 無事なのだろうな?」
「レギスヴィンダ様は、ハルツへ向かわれたそうです」
「ハルツ……? 魔女の山と呼ばれるあのハルツか?」
「そのように伺っております」
「なぜそんなところへ? 確かな情報なのだろうな?」
「魔女による襲撃があった夜、ラウレーナ様と共に自殺を図った侍女が二名いたのですが、そのうちの一方が一命を取り留め、今朝になって会話ができるまでに回復したそうです。侍女が申すには、ラウレーナ様はレギスヴィンダ様にハルツへ向かい、魔女に協力を求めるようにと指示されたとのことです」
「伯母上が……なぜ、そんなことを?」
「詳細は不明ですが、魔女に敵うのは魔女だけだと、説得されていたと」
「魔女に敵うのは魔女だけ……どういうことだ?」
 フロドアルトは困惑する。
「さらわれたのではないのだな?」
 確認するためヴィッテキントが訊ねた。
「宮廷騎士団の騎士二名が陪従(ばいじゅう)しているとのことですので、その心配はないかと思われます」
「その侍女とやらに、直接話を訊くことはできないだろうか?」
「フロドアルト様ご自身がでしょうか?」
「うむ」
「わかりました。宰相府に掛け合ってみます」
「よろしく頼む。御苦労だった」
 フロドアルトは部下を下がらせると、ヴィッテキントに訊ねた。
「どう思う?」
「今の話だけでは如何とも……ですが、内親王殿下の行方が判明しただけでも幸いかと存じます」
「うむ……しかし、伯母上は何を考えてハルツなどに?」
「ハルツの魔女を介して、何らかの接触を図ろうとしているのではありませんか?」
「確かに同じ魔女どうし、帝都を襲った魔女についても知っているかもしれないが……」
「魔女に協力を求めるなどもってのほかです。見返りに、何を要求されるか想像もできません」
「まったくだ。ルーム帝国は魔女に勝利した英雄の国。毒を制するのに毒を用いるなど正道に反する。そんなことをして勝利しても、先人の英霊に顔向けできないではないか。いや、そんなことをせずとも、我々が一丸となれば勝利は疑いない。七十年前のレムベルト皇太子のようにだ」
「ともかく大本営からも兵を遣わし、内親王殿下を保護いたしませんと。ハルツの魔女が、悪意ある魔女に内親王殿下を売り渡す怖れもあります」
「すぐに信頼のおける者を選び、ハルツ方面を捜索させてくれ。おそらく、オステラウアーもすでに手はずを整えているだろうが構わぬ。出来れば宰相府よりも先に、我々が内親王殿下を発見したいものだな」
「畏まりました」
 フロドアルトはヴィッテキントに命じると、レギスヴィンダが無事保護されることを願った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み