第43話 再会と別れ Ⅲ

文字数 4,746文字

 うららかな光がさす午後の帝都で、オトヘルムがシェーニンガー宮殿の警備を行っている。そこへ、交代のためディナイガーがやってくる。
「聞いたか、オトヘルム? いよいよヴァルトハイデ殿が帰ってくるそうだ」
「うむ。朝から陛下も楽しみにされていた。これでまたこの城に活気が戻ってくるな」
「ヴァルトハイデ殿がお傍を離れてからというもの、陛下はご機嫌がすぐれず、どこか塞ぎこんでいるように見受けられた。おかげで宮殿は火が消えたように暗く、静まり返っていた」
「無理もない。今やあの三人は陛下にとって家族も同然。心配と寂しさで、気が気でなかったのだろう」
「そうだな。しかし、それは陛下だけではあるまい。誰よりもこの日を待ち望んでいたのは、お前ではないのか?」
「オ、オレが……なぜ、そんなことを……?」
「隠すな。皆、知っていることだ。箒にまたがって空を駆る佳人が早くお前の下へ帰ってくるといいな!」
 ディナイガーにからかわれ、オトヘルムが赤くなる。一足先に、宮殿に笑い声が響いた。


 皇帝の執務室に、宰相のオステラウアーが大量の書類を運んでくる。
 レギスヴィンダにとっては、ようやく待ちわびた特別な日だったが、為政者たる皇帝にとっては普段と変わらない多忙な日常だった。朝から多くの執務に追われ、そわそわと気をもむ暇もない。
「陛下、お疲れのところ申し訳ありません。こちらの書類にもすべて目を通し、署名されますようお願い申し上げます」
「いわれなくても分かっています。ですが、多少の休憩をはさんだとしても、ルームの栄光に傷がつくことはないとわたくしは考えております」
 せめてもの抵抗で、ティーブレイクを所望する。
 レギスヴィンダには、叔父の後始末をしなければならない責務があった。
 ライヒェンバッハ公の逝去を知ると、彼に追随して魔女狩りを行っていた諸侯は一転して皇帝に従った。
 レギスヴィンダは諸侯を裁くことなく免罪すると、囚われていた者を解放し、犠牲になった者の名誉を回復するため福者の称号を与えた。
 諸侯に抵抗していた魔女にも同様に、すべての行為を不問とし、改めて人と魔女が共に暮らせる社会の実現を目指すと宣言した。
 人と魔女の間には、なおも大きな隔たりや反目は残ったが、これで一様の媾和が成立した。
 ただし、今後皇帝の意志に背く者に対しては、厳罰をもって処すると付け加えられた。
 オステラウアーが部屋を去ると、レギスヴィンダは机の上の書類を片付け、大きく窓を開け放った。
 そよ風にカーテンが揺れ、明るい光が差し込む。部屋と心の換気だ。
 カップを手に取ると、外を眺めながらぼんやりあの日の夜を想い出した。
 七人の魔女による襲撃からレギスヴィンダの運命は変転した。
 激動に身を任せ、数多くの悲しいことや辛いことを経験した。それでも、こうして皇帝として振る舞っていられるのは、いつもそばで支えてくれる者がいたからだ。
 レギスヴィンダは、これからもずっとヴァルトハイデたちが一緒にいてくれるものだと、当たり前のように考えていた。
「陛下、ヴァルトハイデ様たちがお戻りになられました」
 侍女が報せにやってくる。
 レギスヴィンダは、いつの間にかイスに腰かけたまま眠っていた。
 侍女の声に目を覚ますと、夢を見ていたことに気づいた。ヴァルトハイデたちと過ごす、平和な世界の夢だ。
「分りました。すぐに参ると伝えてください」
 侍女に答えると、出迎えの準備を行った。目が覚めても、夢は続くものと信じた。


 レギスヴィンダは容儀を整え、謁見の間へ向かう。すでにヴァルトハイデたちが整列していた。
 久しぶりの対面に気持ちが浮き足立ったが、落ち着いて玉座に腰かけると形式にならって臣下を労った。
「ヴァルトハイデ、ゲーパ、フリッツィ、御苦労でした。大変な戦いだったと聞いています。ですが、あなたたちの活躍によってルームの歴史にまた一つ偉大な勝利を積み上げることができました。わたくしは、あなたたちを誇りに思います」
 言葉づかいこそかしこまっているが、その心中にあるのは親しい者たちへの気遣いであり、無事に帰ってきてくれたことへの感謝である。
 労われる方も分かっているからゲーパやフリッツィは緊張などもせず、普段通りの表情で皇帝陛下の言葉を賜った。しかしヴァルトハイデに限っては、それら君臣水魚の交わりに加わろうとせず、神妙な態度を崩さなかった。
「もったいないお言葉、身に余る光栄です。ですが、わたしは陛下に謝罪しなければなりません……」
 ヴァルトハイデは膝を折り、深々と首を垂れた。レギスヴィンダ、ゲーパ、フリッツィは意外な顔をしたが、これも形式のうちだと考えた。
「ライヒェンバッハ公のことですか? それでしたら、あなたたちのせいではありません。公爵が亡くなられたことは、わたくしにとっても胸をえぐられるような痛みでした。ですが公爵はすでに余命いくばくもなく、本人もそれを承知していたと聞いています。また、事件の首謀者たる男を取り逃がしたことについても遺憾ではありますが、帝国全土をあげて行方を追っており、身柄が拘束されるのも時間の問題かと考えています。事態はすでに収束したといっても差し支えありません」
「いいえ、戦いはまだ終わっておりません。ルオトリープは次なる奸計を巡らし、陛下と帝国に牙をむくでしょう。ですがその時、わたしはもう陛下をお守りすることができません……」
 痛切なヴァルトハイデの訴えを聞いて、レギスヴィンダは「どういうことか?」と思った。同時に、ゲーパの胸の奥に払拭したはずの不安がよみがえった。
「なぜ、もうわたくしを守ることができないというのですか……?」
「愚かにも、わたしはベロルディンゲンの戦いにおいて相手を侮り、陛下をお守りするはずの剣を折られてしまいました。これ以上は陛下のお傍にあっても、お役に立つことができません……」
「ランメルスベルクの剣が折れたというのですか! それは、本当ですか?」
 事前に受け取った報告書に、そのような内容は記されていなかった。事実なのかと、ゲーパたちを見やった。
「……ヴァルトハイデのいうとおりです。ライヒェンバッハ公に取り付いていた魔女は初めからランメルスベルクの剣を使い物にならなくすることを目的にしていました」
「でも安心して。剣は折れちゃったけど、たぶんハルツへ持って帰れば修理してもらえるわよ」
 ゲーパとフリッツィがそれぞれ答えた。経緯や詳細はともかく、剣は修復可能と聞いてレギスヴィンダは安堵する。
「だったら問題ありません。すぐにでもハルツと連絡を取り、ランメルスベルクの剣を元に戻す方法を話し合いましょう。それでいいですね?」
「いいえ。それでも、これ以上陛下にお仕えすることはできません……」
「どうしてですか!」
 ヴァルトハイデは頑なに固辞した。さらに、自身をさげすむように答えた。
「帝都へ戻ってくるまでは、わたしも何とかなると考えていました。ですが陛下の顔を見た瞬間に気づいてしまったのです。わたしの中に、心が芽生えていたことを……」
「心……?」
「わたしは、ルーム帝国との盟約に基づいて遣わされたハルツの魔女。戦うことを運命づけられ、魔女を討つために帝都へ参りました。なのに陛下と過ごす時間の中で、いつのまにか役目を忘れ、環境に安住していました。いつまでも陛下のお傍にいられるのだと……」
「その通りです。あなたは、わたくしにとって大切な友人。いつまでもわたくしの傍にあって、わたくしを支えてくれなければなりません!」
「いいえ、わたしはただの道具。戦いが終われば、ハルツへ帰らねばなりません。心を残したままでは、使命を果たすことができないのです」
 リントガルトとの戦いに決着をつけてから、ヴァルトハイデの中で守るべきものの順序が変わった。
 本来は魔女を討つために帝都へ来たはずが、いつのころからか帝都に居続けるために魔女を討つようになっていた。手段と目的が逆になり、本末転倒していた。
 そんな不純物にまみれた心だからこそ、たとえ自分勝手な妄想であったとしも、純然たるリントガルトへの想いだけを宿したイドゥベルガの執念に負けたのだ。ヴァルトハイデは敗因について、そう考えた。
「わたしは心など必要としないハルツの魔女。盟約に従い、使命を果たすだけの存在。でなければ、なんど剣を打ち直そうとも、そのたびに折り砕かれるでしょう……」
 イドゥベルガによって折られたのは剣ではなく、ヴァルトハイデの心だった。そして、折られるような心を持ってしまったことがヴァルトハイデにとっての不覚であり、これを克服するためには心を捨てる以外に方法はないと決断した。
「だとしても、折れた剣はどうするのですか? そのままでは、あなたも戦えないはずです」
「分かっています。これは、わたしの我儘なのだと……ですが、このままではダメなのです。ここにいては戦えません…………」
 良くも悪くも、そんな風にヴァルトハイデを変えてしまったのが、使命や盟約を超えた、共に過ごすうちに芽生えたレギスヴィンダとの絆だった。この絆を断ち切らない限り、魔女を討つ魔女としての復活はなかった。
 首を垂れたまま、ヴァルトハイデが肩を震わせる。あんなに勇ましく美麗で端然としていた戦魔女が、人目もはばからず自信をなくして泣いているように見えた。
 その小さく丸まった背中に、レギスヴィンダは今更ながらに思わされた。ヴァルトハイデも自分と同じ、身に余る使命を負わされた一人の少女なのだと。
「だとしても、わたくしにはあなたが必要です。顔をあげてください。わたくしの傍にいてくれるだけで構いません!」
 いつも彼女が自分に寄り添っていてくれたように、今度は自分が彼女に寄り添わなくてはならないとレギスヴィンダは思った。それほど自分にとって彼女が、彼女にとって自分が必要な存在なのだと信じた。
「申し訳ありません、陛下……どうか、お許しください。どこにいようと、わたしは陛下をお守りします。必ずわたしがルオトリープを見つけ出し、この戦いに終止符を打ちます……」
 ヴァルトハイデの決意は変わらなかった。
 ハルツの魔女は立ちあがると、ルームの皇帝に背中を向けた。
「ゲーパ、フリッツィ、陛下を頼む……」
 そう言い残し、玉座の前から去ろうとする。
「なりません、ヴァルトハイデ。待ちなさい!」
 強い口調でレギスヴィンダが命じたが、ヴァルトハイデが足を止めることはない。
 こんなこと今までになかった。実の妹と戦った時でさえ自分の感情を押し殺し、使命を果たした。レギスヴィンダはようやく理解した。自分が彼女の重荷になっていたことを。
 遠ざかる背中に、このまま何もしなければ二度と彼女が帰ってこないような気がした。
「……分りました。ハルツとの盟約に基づいて結ばれたあなたの使命を解除します」
 ゲーパやフリッツィはレギスヴィンダの言葉に驚いた。止めずに、そのまま行かせてしまうのかと。
 レギスヴィンダには分かっていた。どんな言葉も、ヴァルトハイデの心を変えることはできない。ならばせめて、皇帝の命令に背いて帝都を去ることだけはさせられなかった。
 レギスヴィンダは、さらに付け加えた。
「ただし、これは一時的な措置です。約束してください。あなたの剣が元の形に戻ったとき、必ずわたくしの下へ帰ってくると」
 ヴァルトハイデは答えない。答えてしまうと、それがまた自分の心を縛り付ける弱さになってしまうような気がした。
 レギスヴィンダは信じるしかなかった。
「大義でした。これまでのあなたの活躍に感謝します……」
 玉座の前から辞去すると、その日のうちに帝都からヴァルトハイデは消えた。
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