第17話 最強の剣と楯 Ⅲ

文字数 4,804文字

 姉にとどめを刺すため、リントガルトが手斧に殺気を込める。
 これを迎え撃たんとヴァルトハイデが立ちあがろうとすると、二人を止めるように第三の魔女の声が響いた。
「そこまでにしな!」
 スヴァンブルクを連れたリッヒモーディスだ。
 リントガルトは興がそがれたように立ち止ると仲間を睨んだ。
「なんだよリッヒモーディス、今頃やってきて……まさか、とどめは自分に刺させろっていうの? やだよ、こいつはボクの獲物だからね」
 いうことを聞かない駄々っ子のような顔で言い返すリントガルトに、リッヒモーディスは年長者らしく落ち着いて言い聞かせた。
「……そうじゃない、撤退しろといったはずだ。なぜいうことを聞かなかった?」
「なにいってるのさ、目の前にボクたちの敵がいて、そいつがランメルスベルクの剣を持ってるんだから、殺して奪い取るのは当たり前だろ?」
「そんなことはいつでもできるといっただろ」
「ボクの身体を心配してくれてるの? 大丈夫だよ、こんなやつに負けるわけないから」
「こいつを外しているのにか?」
 リントガルトが捨てた銀の眼帯をリッヒモーディスが拾っていた。
「ああ、それね。邪魔だからとっちゃった。いつ以来かな、両目で物を見るなんて。怒らないでよ、すぐに止めを刺して終わりにするから。それまで、もう少し預かってて」
 リントガルトは恬然といってのけると、ヴァルトハイデに向き直った。改めて手斧に殺意を込める。
「ホントはゆっくり時間をかけてなぶり殺しにするつもりだったけど、リッヒモーディスがうるさいからね。感謝しなよ、一撃で殺してやるから!」
 リントガルトは手斧を振り上げた。
「殿下、お逃げください……!」
 ヴァルトハイデも迎撃の態勢を整える。が、受けた衝撃が思いのほか大きく、身体がうまくいうことを聞かない。
「二人まとめて、あの世に行きな!」
 リントガルトの手斧が落ちようとした瞬間だった。
「やめるんだよ!!」
 リッヒモーディスが髪を伸ばし、リントガルトの上半身を縛り上げた。その行為は、縛られた本人だけでなく、ヴァルトハイデやレギスヴィンダも当惑させた。
「……なんだよこれ、どうしてボクの邪魔をするのさ? まさか、こいつらの味方をする気なの?」
「迂闊に近寄るなといってるんだよ。その女の目はまだ死んでいない!」
 リッヒモーディスにいわれ、リントガルトはヴァルトハイデの右目を覗き直した。
 瞳の陰が、先ほどよりも広がっている。
「……こんなのがどうしたっていうのさ! それぐらい、ボクにだってできるよ!!」
 リントガルトの瞳の陰も濃く大きく変化する。
「やめてリントガルト、それ以上力を使ったら、あたしたちの仲間でいられなくなるよ……」
 懇願するようにスヴァンブルクがいった。リントガルトは聞く耳を貸さない。
「いいんだよ、こいつを殺してファストラーデが喜んでくれるんなら、ボクはどうなっても構わない」
「あたしはイヤだ。リントガルトも一緒じゃないと、魔女の国を創ってもうれしくない!」
「ボクはそんなことないよ」
「え……」
 一瞬、聞き間違いかと思ったスヴァンブルクの小さな胸を大きなショックが襲う。
「ボクにはファストラーデさえいてくれたら、それでいいんだ。他のみんなは、おまけみたいなものさ!」
 少しも悪びれることなくいったリントガルトに、リッヒモーディスが気色ばんだ。
「おまえ、本気でそんなこといってるのか!」
「もちろんさ。だって、他のみんなはボクやファストラーデほど強くないだろ? ボクたち二人は特別なんだ!」
 魔女の呪いに呑まれ、平常心を失っているのだろうが、リッヒモーディスとスヴァンブルクにとって、これほど悲しい言葉はなかった。
「しかたないね……」
 リントガルトを落ち着かせようと、リッヒモーディスはさらに強い魔力を頭髪に注ぎ込んだ。
「少し頭を冷やしな!」
 首を締め上げ、意識を奪おうとする。だが、その行為は却ってリントガルトを逆上させるだけだった。
「……いっただろ、お前たちの力なんか大したことないって! そんな魔力で、ボクに勝てると思ってるの!!」
 激高したリントガルトが左目を大きく見開いた。絡みついた金色の魔女の髪を力づくで引きちぎった。
「リッヒモーディス!」
 スヴァンブルクが名前を呼ぶ。
「大丈夫だよ……」
 呼吸を整えながらリッヒモーディス答えた。
 ちぎられたのは髪だけで、肉体にダメージを負ったわけではない。それでも、精神的なショックは計り知れなかった。大量の魔力を送り込んだはずの頭髪を簡単に引きちぎられたことも、とても仲間に向けられたものとは思えないリントガルトの瞳の変化についても。
 リントガルトの左目は眼球全体を陰に覆われ、白目さえも無くなるほど黒一色に染まっていた。
 わずかに残された理性で仲間に警告する。
「二人とも下がっててよ。こいつを殺したらランメルスベルクの剣のかけらぐらい分けてあげるからさ。これ以上、ボクの邪魔をしないでよ。じゃなきゃ、一緒に二人も殺しちゃうよ?」
 瞳の色だけでなく、リントガルトの形相は悪魔じみたものに変わっていた。
 魔女といっても幼いスヴァンブルクは、心の底から怯えた。
「怖いよ、リッヒモーディス……こんなの、いつものリントガルトじゃない……」
 魔女の呪いによって“ハイ”になっている部分もあったが、普段抑え込んでいるリントガルトの潜在意識の表れでもあった。
 リッヒモーディスも怖れ慄かざるを得なかった。
「……やっとわかったよ。どうしてファストラーデがこの娘にあれほど目をかけていたのか……わたしたちとは、根本的に違っていたのさ…………」
 スヴァンブルクは涙を浮かべ、リッヒモーディスは諦めに似た感情を抱いた。
 説得が通じないことを悟ると、金髪の魔女は呼びかける相手を変更した。
「ハルツの魔女、悪いことはいわないからランメルスベルクの剣をおいてここから去りな! これ以上リントガルトを刺激したら、本当にオッティリアのようになっちまうよ!」
 警告は正しかった。予測される脅威に対して、最も単純で的確な回避方法をリッヒモーディスは提示した。
 しかし、魔女を討つ使命を授かったハルツの魔女が、自分と同じ苦しみにもがく妹をそのままにしておけるはずがなかった。
 思いあがりだといわれるかもしれないが、ヴァルトハイデには暴走を始めようとするリントガルトを止める力と、その義務があると信じて譲らなかった。
「……殿下、離れて下さい。今のリントガルトは、かつてのわたしと同じ……どんな言葉も通じません。とるべき手段は、たった一つです……」
「それはつまり、彼女を殺すということですか……?」
「もとよりわたしは、そのためにここへ遣わされたのです」
「いけません。彼女は敵であっても、あなたの妹なのでしょう? 姉妹で殺し合うなど、わたくしは容認できません!」
「リントガルトを救うには、それしかないのです……ガイヒ殿!」
 ヴァルトハイデは騎士団長を呼ぶと、無理やり自分の傍からレギスヴィンダを引き離させた。
「なりません、ヴァルトハイデ! 考えなおしなさい!!」
「姫様、ヴァルトハイデ殿の言われる通りです! どうか、お下がりください!!」
「離しなさい、ガイヒ! わたくしのいうことが聞けないのですか! ヴァルトハイデ、彼女に剣を向けてはなりません!!」
 レギスヴィンダは最後まで姉妹で殺し合うことを認めなかった。それでも、悲壮なヴァルトハイデの覚悟を変えることはできなかった。
「申し訳ありません殿下……わたしはハルツの魔女、呪いの連鎖を断ち切るための剣なのです。すまないリントガルト。愚かな姉は、こんな方法でしかお前を救うことができない。許してくれ。いずれすべてが終わったとき、この命で愚かさを償おう……」
 ヴァルトハイデは自分に与えられた剣と魔力のすべてで妹を楽にしてやることを誓う。誰でもない、自分自身の運命に対して。
「なに白けたこといってるんだよ。ボクがお前に負けるわけないだろう! お前を殺して、そこにいる皇帝の娘も殺して、帝都の人間も皆殺しにしてやる! そしてボクとファストラーデで魔女の国を創るんだ!!」
 リントガルトは自分こそが最強だと信じ、それを証明するために斧を振り上げる。
 ふたつの魔力が共鳴し、同時に昂り高まっていく。
「ハアァァァァァーーーー!!!!!!」
「ウオォォォォォーーーー!!!!!!」
 姉と妹、二人の魔女はフレルクの下で同じ研究の実験台にされた。ファストラーデたちに行われた改良される以前の、初期の実験を元にした移植手術である。
 それは、オッティリアの肉片との感情的な融合が強く、その分だけ呪いの連鎖に捕らわれるリスクの強まるものだった。
 しかし、そのため二人の魔女は強力な魔力を得ることができた。自分の精神(こころ)さえ破壊しかねない危険な力ではあったが。
 感情の赴くまま、リントガルトは引き返すことのできない自我の境界線を踏み越える。しかし、ヴァルトハイデに同じことはできなかった。
 ハルツでファストラーデと戦ったときのことである。ヴァルトハイデは相手を凌駕すべく、敵意と憎しみを糧にして魔力を練り上げた。その結果として心は魔女の呪いに奪われ、偉大なハルツの長は命を落とした。
 同じ過ちを二度と繰り返してはならないと誓いを立てたヴァルトハイデは、自分自身に超えてはならない一線を課したのである。
「なにこれ、まるでヴァルトハイデが二人いるみたい……」
 空中で警戒に当たっていたゲーパが呟いた。それほど二人の魔力は似かよい、真実の姉妹であることを証明していた。
「姫様、前に出られては危険です。どうか、お下がりください!!」
 あふれ出る二人の魔力の奔流が嵐のように市街を駆け巡る。それでもレギスヴィンダはガイヒの忠言を聞かず、胸にかけられた銀のペンダントを握りしめながら、そうすることが自分の義務であるかのように、荒れ狂う魔力の前に身をさらした。
「死ね、ハルツの魔女!!」
 先に魔力を高めきったリントガルトが手斧を叩きつけた。
 一瞬遅れて魔力を充実させたヴァルトハイデは、寸前で妹の攻撃を回避する。
 標的を失った手斧は地面を引き裂き、大地をえぐる。数件の建物が衝撃に巻き込まれて倒壊した。
 ヴァルトハイデはその間に空中へ跳んでいた。落下の速度を加えて、リントガルトの首筋めがけてランメルスベルクの剣を振り下ろす。が、千年生きた菩提樹で造られた楯で、その切っ先は防がれた。
 最強の剣と楯を装備した二人の魔女の攻防は激烈を極め、そのまま終わる所を知らず永遠に続くのではないかと思われた。しかし、わずかではあるが、自身を顧みる者と顧みない者との間で、攻撃における威力の差が生じた。
 リントガルトの手斧が、ヴァルトハイデの肢体を捉えた。二の腕を裂かれ、鮮血が夜空に散る。
「そんな程度なの? それとも、まだ力を隠してるの? そんなのでよくファストラーデに勝てたよね!」
 頬を返り血で赤く染めながら、左目に黒い陰を蔓延(はびこ)らせた魔女が嗤う。
 リントガルトは自分が優勢に戦えていることを感じていた。だんだんとヴァルトハイデは防御が主体になっていく。
 姉妹(ふたり)の戦いを見守る者たちの目にも、どちらが強者でどちらが弱者かはっきりと分かるようになっていた。
「あのハルツの魔女すごい。ファストラーデも勝てなかったのがよくわかる……でも、リントガルトはもっとすごい……」
 驚きと戸惑いと敬意と恐怖を混ぜ合わせながらスヴァンブルクが呟いた。
「ああ、そうだね……でもあればもう、あたしたちの仲間だったリントガルトじゃないよ……分かっているだろ、スヴァンブルクも……」
「うん…………」
 翼の幼女は悲しく頷いた。
 金髪の魔女は変貌するリントガルトの姿に悲しみを抱くと、間もなく訪れるであろう最期の時に備えて魔力を蓄えた。
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