第9話 焔の決意 Ⅱ

文字数 4,270文字

 追跡者を出し抜いたフレルクは一息つく暇もなく、城を捨て、逃亡する準備に追われた。
「小癪な小娘どもめ……初めから味方ではなかっただと? みなでわたしを嫌っていただと? ふざけたことをぬかしおって! 大人しくいうことを聞いていればいいものを! 誰のおかげで、今の力を手に入れられたと思っているのだ!!」
 恨み節を繰り返しながら必要な物を掻き集める。
 時折、背中の傷が出血し、激しく痛む。それでも手を止めている暇はなかった。
「フレルク!!!!」
 鞄に荷物を詰め込む研究者の背中に、一つ目一角の化け物を血祭りに上げたリントガルトの声が響いた。左目の眼帯が黒く変色し、次はお前の番だと狙いを定めている。
「ひぃぃ……」
 フレルクは怯えた。
 鋼鉄の扉の部屋の化け物では、リントガルトを殺すことはできないと分かっていたが、それでも想像していたより早かった。
「……どこまでボクを怒らせれば気が済むのさ。あんなのに、ボクがやられると思ったの?」
 激怒しながら詰め寄る。フレルクは掻き集めた物を散ばらせながら、壁際まで追い詰められた。
「待て、リントガルト……話し合おう。わたしたちは今までうまくやってきたではないか、いったい何が不満なのだ?」
「うまくやってきた? そんな風に思われるだけで吐き気がするよ」
「……では、こういうのはどうだ? お前を魔女のリーダーにしてやる。今まで偉そうに命令していたファストラーデに代わって、お前が魔女たちを従えればいい。悪い話ではないだろう?」
 言った瞬間、リントガルトの投げ放った手斧が、フレルクの顔面近くの壁に突き刺さった。
「ひっ!」
「ボクにファストラーデを裏切れっていうの! 呆れた奴め! もう絶対に許さないぞ……お前はこの手で絞め殺してやる!!」
 指の骨を鳴らしながらリントガルトが近づく。
 フレルクはゆっくり壁伝いに逃げながら、リントガルトが短気を起こさないよう訴えた。
「ま、待て……今のは、わたしが悪かった。そういう意味でいったのではない……」
「黙れ、もうお前の顔は見あきた。帰ってきたファストラーデも見分けられないくらい、ぐちゃぐちゃに潰してやる!」
 リントガルトが研究室の真ん中まで進んだ時だった。それまで情けない声と表情で命乞いをしていたフレルクが笑みを浮かべた。
「バカな小娘め! さっきの一撃で殺しておけばいいものを! 甘さが抜けんガキどもだ!!」
「なんだと!」
 フレルクはこぶしを握ると、壁の一か所を叩きつけた。
 ブロックの一つが沈み込み“ガクン”と何かが起動した音が鳴る。
「はっ!」となってリントガルトが上を向くと、天井が抜けて頭上に降り注いだ。
 さらに床が砕け、瓦礫に呑み込まれる。
 またしてもフレルクは追跡者を欺き、罠にはめた。
「愚か者め! わたしが用済みだと? 用済みなのはお前たちの方だ。移植術は完成に近づいている。あとは、お前たちよりも移植に適した受給者(レシピエント)さえ見つかれば、呪いの魔女は完全に復活する。わたしさえ生きていれば、お前たちの代わりなど幾らでも造れるのだ。これまで良く役立ってくれたな。礼をいうぞ、小娘ども!」
 フレルクはリントガルトを呑み込んだ瓦礫の底を覗き込みながらほくそ笑んだ。
 その後も古城は崩壊の連鎖を起こして瓦解していく。フレルクは初めから、女たちが裏切ることを想定して仕掛けを施していた。
 空が赤く染まるころ古城は完全に崩れ去り、フレルクは姿を消した。
 茫然と立ち尽くしたリントガルトの耳に、目覚める仲間の声が聞こえた。
「痛てて……何が、どうなってるんだい!!」
 困惑しながら瓦礫の下からはい出てくるのは、金色の髪を振り乱したリッヒモーディスだった。
 さらに、銀の指環をはめたラウンヒルトが起き上がる。
「誰じゃ、わらわの眠りを妨げるのは? 誰ぞ、説明せぬか!」
 状況が飲み込めず、困惑する。
 別の場所では最年少のスヴァンブルクが小さな手で瓦礫を押しのけ、コホン、コホンと咳き込んだ。
「どなたか、わたくしの車椅子を知りませんか?」
 脚の悪いヴィルルーンが助けを求める。手を差し伸べたのは、銀のマスクをつけた長身の魔女シュティルフリーダだった。
 女たちは強制的に眠りから目覚めさせられると、リントガルトに詰め寄った。
「ゴメン、みんな、ボクの責任だ……」
 事情を説明し、素直に頭を下げる。
「フレルクが城を壊したっていうのかい!?」
 驚いた顔でリッヒモーディスがいった。
「リントガルトを責めても仕方ありませんわ。あの小男のことですもの、いずれわたくしたちが裏切ることを予想して、初めからこうするつもりでいたんですわ」
 ヴィルルーンが答える。無言のまま、シュティルフリーダも同意して息を吐き出した。
「それで、フレルクはどうなったのじゃ? 奴のことじゃ、どうせまだ生きておるのじゃろう?」
 ラウンヒルトが訊ねた。
「ギスマラに捜してもらってるけど、まだ見つかってない」
「あたしが空から捜してこようか?」
 スヴァンブルクが提案するが、リントガルトは首を振った。
「たぶん、もう近くにいないよ……ボクが軽率にやりすぎたんだ。あんな奴、すぐ殺せると思って……」
「そんなに自分を責めなくてもいいですわよ。どうせ、わたくしたちにはもう、ドクター・フレルクは必要ないのですから」
「ヴィルルーンの言う通りさ。ファストラーデがランメルスベルクの剣を持ち帰りさえすれば、あたしたちは自由だよ。改めてフレルクを捜し出して殺してやればいい」
 リッヒモーディスが続けた。他の魔女たちも同意見である。そこへ、ギスマラが戻ってきた。
「リントガルト様」
「どうだった?」
「申し訳ありません。フレルクを発見することはできませんでした」
「仕方ないね……ご苦労さん」
「それよりも、気になることがあります」
「なに?」
「瓦礫の中を捜したのですが、オッティリアの遺体も無くなっていました。フレルクが持ち去ったと思われます」
「なんだって!?」
 ギスマラの言葉に、一同が動揺した。
「とはいうても、オッティリアの遺体も、もう首から上しか残っておらぬはずじゃが?」
 ラウンヒルトが訊ねた。ギスマラが答える。
「その通りですが、それだけあれば、まだ幾人かの魔女を造ることは可能です」
「でも、もう研究所はないよ」
 スヴァンブルクがいった。
「フレルクのことだ。どこか別の場所に、隠れ家を用意しているはずだ」
 金色の髪を振り乱し、リッヒモーディスが忌々しげに吐き捨てる。
「当然、それぐらいの準備はしていますわね。結局、わたくしたちはドクターの掌の上で踊らされていたのかもしれません」
 車椅子に腰かけたヴィルルーンが、やるせなく呟いた。
「これからは、フレルクが造り出す新たな魔女とも戦わねばならぬ訳じゃな?」
 不吉な予言をするようにラウンヒルトがいうと、一同は押し黙った。
 その時、黙ったままシュティルフリーダが茜に染まる空を指差した。
 大きな黒い翼が瓦礫に埋まった渓谷へ飛んでくる。
「ファストラーデだ!」
 最初に声を上げたのはリントガルトだった。
 途方に暮れる魔女たちの上に、大鷲が下りてくる。魔女たちはリーダーの帰還に希望をつないだ。が、この時すでに、リントガルトは不安な気持ちを隠せないでいた。飛び立った時、大鷲は三羽いた。なのに帰って来たのは一羽だけだった。
 古城のあった場所に大鷲が降り立つと、魔女たちがリーダーを取り囲んだ。
「ファストラーデ!」
 リントガルトが名前を呼ぶ。胸甲の魔女は傷を負い、どうにか大鷲の背中にしがみついるといった状態だった。
「みな目覚めていたのか……フレルクはどうした? 城はどうなった?」
「それより、ファストラーデの方こそどうしたのさ? ラギンムンデは? マールヴィーダは?」
「……ラギンムンデとマールヴィーダはわたしのせいで死なせてしまった……わたしは、負けたのだ…………」
「ファストラーデが負けたなんて、嘘だよね!」
 リントガルトは驚いて訊ね返した。
「事実だ……二人の犠牲がなければ、わたしも死んでいた……」
「そんな……」
 ラギンムンデとマールヴィーダを失ったことは、他の魔女たちにとっても胸をえぐられるような痛みだった。
 ともかく、傷ついたリーダーをそのままにはしておけない。リントガルトとリッヒモーディスの手を借り、胸甲の魔女は崩れ落ちるように大鷲の背中から降ろされた。
 自力では立っていられないほど、ファストラーデは憔悴しきっていた。傷つき、心身ともに疲れ果てたその姿は、気高く自信に満ちた普段のファストラーデからは想像のできないものだった。
「ランメルスベルクの剣は?」
 スヴァンブルクが訊ねた。
「奪えなかった……ハルツの魔女は強く、賢い。わたしは、あの山を見誤っていた……」
「じゃあ、ボクたちはもう……」
 魔女の呪いを抑える銀の拘束具は作成できない。それは七人の魔女にとって死活問題だった。
「心配いりません。瓦礫の中には僅かですが、ドクターが集めた銀が残っています。それを回収すれば、しばらくは持ちこたえられます。ただし、ドクターほど完全な物が造れる保証はありませんが」
 ギスマラがいった。
「とりあえず、今はそれでいい。ギスマラ、お前に任せる」
「かしこまりました」
「それよりもわたしは、ひどく疲れた……今は一刻も早く眠りにつきたい。もう、意識が耐えられない……」
 ファストラーデの瞼が重くなる。
「ごめんよ、ファストラーデ。ボクが喜んでもらおうと思って、勝手なことをしたから……」
「……いや、謝るのはわたしの方だ。すまないリントガルト、すまないリッヒモーディス、すまないスヴァンブルク、すまないラウンヒルト、すまないヴィルルーン、すまないシュティルフリーダ。まさか、こんな結末に至るとは想像もしていなかった。どうか、わたしを許してくれ……今までにない眠気だ。こんどはいつ目覚めるか、自分でも分からない。それまでどうか、みな無事でいてくれ…………」
 ファストラーデは詫びながら眠りについた。
 残された者たちは最悪の状況の中でも力を合わせ、困難に立ち向かうことを誓い合う。
「……いいかい、みんな。弔い合戦だ。ファストラーデが目を覚ます前に、ボクたちでラギンムンデとマールヴィーダの仇を討つ。ハルツの魔女を皆殺しにして、ランメルスベルクの剣を奪い取るんだ。そしてフレルクを見つけ出して、こんどこそ血祭りにあげてやる!」
 リントガルトの提案に反対する者はいなかった。
 炎のように燃える夕日の中で、魔女たちは決意した。
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