第30話 女帝誕生 Ⅳ

文字数 3,373文字

 ヴァルトハイデを伴い、ドライハウプト僧院教会へ向かったレギスヴィンダは、父母が眠る石棺(サルコファガス)の前に跪いた。
「お父様、お母様、レギスヴィンダはルームの加護によって戦いに勝利することができました。帝都を襲った七人の魔女はすべて討つことができたのです。どうか安らかにお眠りください。そしてこれからも帝国とわたくしをお守りください――」
 両親の仇を討つことはできたが、戦いがすべて終わったわけではない。
 それでも大きな意義をもたらすことはできた。国民は勇気づけられ、国威は発揚し、帝室の威光は守られた。
 レギスヴィンダは、魔女との戦いが終わった次の世界のあり方について考えなければならない時期に差し掛かっていることを強く意識した。
「人々はわたくしをレムベルト皇太子の再来、生まれ変わりともてはやします。ですが、果たしてそれは事実でしょうか。わたくしは一人では何もできませんでした。多くの仲間の協力、騎士の忠勇、善良なる魔女の支えがあって、ようやくここまでたどり着けたのです。わたくしはこの戦いで、いかにルーム帝室が臣民からの信頼や尊敬を集めているかを知りました。人々は絶望や苦しみに直面したときほど、希望が必要なのです」
 ハルツから帝都へ帰り着いたとき、すぐにもレギスヴィンダに帝位を継ぐよう求める声が上がった。しかし、本人は三つの理由でこれを固辞した。
 一つ目は七人の魔女と戦いの真っ只中で、式典等を開催する余裕がなかったためである。
 二つ目は周囲の反応を気にしたからである。何の実績もない皇帝の娘が、血筋だけで地位を受け継いで諸侯が従うのかと。
 そして三つ目は、レギスヴィンダ自身に国家の統治者となるだけの覚悟が整っていなかったからだった。
 いつか自分が帝位を継がねばならないことは、皇女の義務として自覚していた。しかし、それはずっと先のことで、何の心構えもないままに突然やってくるとは思っていなかった。
 皇帝として振る舞う自信もなく、父母を失った悲しみの中で、国家の命運を双肩に担うことなどできるはずがなかった。
 レギスヴィンダは、自ら帝国軍を率いて七人の魔女を討ったことで、この条件のうちの二つまでを満たすことができた。
 残るは、自分自身の覚悟だけだった。
「わたくしは、無垢で清らかな乙女ではありません。嘘をつくこともあれば、他者を偽り、真実から目を逸らすこともあります。ですが、帝室に対する畏敬や崇拝を集めるためには様々な伝説や虚像が必要なことも学びました。だからこそ、わたくしは人々の望む声に推され帝位を継承したいと思います。どうかレギスヴィンダを信じ、すべてをわたくしにお任せ下さい。国家と人心の安寧のため、この身を偽りの英雄に奉じます」
 あの夜、魔女が帝都へ現れるまで、レギスヴィンダはレムベルト皇太子を真実の英雄と信じて疑わなかった。しかし、現実はレムベルト皇太子こそ魔女オッティリアに呪いを植え付けた張本人であり、ハルツの魔女との謀議によって創り出された偽りの英雄にすぎなかった。
 ただしそれは帝国の汚名を隠すことだけが目的だったのではなく、戦いの後に必要となる、人々が結束して立ち上がるための人身御供でもあった。
 父も母もその事実を知りながら英雄の末流として義務を果たし、運命に殉じた。
 国家を治めるためにはきれい事だけでは成り立たないことをレギスヴィンダは教えられた。そして統治者としての自分にも同じ義務と運命が受け継がれていることを受け入れた。
 自らの手で妹を討った魔女の心を思えば、皇帝の地位など取るに足りないものである。
 たとえ世を欺いたとしても、それに勝る平和を築くことができればよいではないか。
 それぐらいのことができなくてどうする。
 歴史はこうして作られていくのだと、レギスヴィンダは血の宿命に身をゆだねた。


 後日、シェーニンガー宮殿で即位式が行われた。
 都市はにぎわい、人々は歓喜して新たな皇帝の誕生を祝う。
 レギスヴィンダは純白の衣装を身にまとい、玉座の前にひざまずいた。
「誓いなさい」
 モスブレヒ枢機卿が、皇帝に即位するための宣誓を行うよう求める。
「わたくしレギスヴィンダはルーム帝室のただ一人の正当な後継者として帝位を受け継ぎ、全人生を国家と臣民のために捧げることを誓います」
「では、天の統治者たる我らが父に代わり、地上の統治者としてレギスヴィンダ・フォン・ルームライヒに冠を授けます」
 レギスヴィンダが帝冠を頂くと、列席した諸侯や有力者から歓声が上がる。
「マイネ・カイゼリン!」
「ディー・シェーンステ!」
「グローセス・ルームライヒ!」
「大ルーム帝国万歳!!」
 この日、初めて玉座に腰かけたレギスヴィンダは神々しく、誰ひとりとして彼女の帝位継承に反対する者はいなかった。
 若く美しい女帝の誕生は、ルーム帝国の更なる発展と長期にわたる安定した治世を予感させるものだった。
 戴冠を見届けたのち、アウフデアハイデ城に戻ったフロドアルトは満足そうに腹心のヴィッテキントに語った。
「ルームの令名、未だやまぬといったところか……」
 これによって、すべての諸侯が野心を捨てたわけではないが、大きな牽制になるのは間違いなかった。
「ここまでは、フロドアルト様の筋書どおり。あとはフレルクなる騒乱の首謀者を捕えれば、帝国とライヒェンバッハ家の未来は安泰でございます」
「できればハルツの連中に頼らず、この手でけりをつけたいものだな」
「全力をあげて、行方を追っております」
「期待しておこう」
 フレルクの足取りは以前としてつかめていないが、魔女との戦いが一区切りついたことで捜索に傾注できるようなった。
 フロドアルトは、すぐに男も発見されると楽観視した。しかし、誰もが慶事に浮かれている影で、人知れず凶事も発生していた。
 フロドアルトの執務室へ、顔色を青ざめさせながら駆け込んでくる兵士がいた。
「何ごとだ騒々しい!」
「申し訳ありません。ですが、すぐにもお耳にお入れしなければならない報せがありまして……」
 兵士は動揺していた。フロドアルトは改めて「なんだ?」と訊ねた。
「公爵様が、お倒れになりました」
「……父上が!」
 フロドアルトの父親であるライヒェンバッハ公ルペルトゥス・ゲルラハは生来身体が弱く、病臥を繰り返していた。
 それでも黒き森の魔女集団に勝利したことを伝え聞いた時には体調が良く、戦いに貢献した息子を褒めたたえ、レギスヴィンダの即位式にも参加する意欲を見せていた。
 しかし直前になって体調を崩し、そのため帝都へ同行することを楽しみにしていたゴードレーヴァもこれを取りやめ、父の看護に努めることにした。
「……それで、容体はどうなのだ?」
「危険な状態にあるとのことです」
 フロドアルトは、いつかこんな日が来ることを覚悟していたが、まさかその日がルーム帝国にとっての佳日に重なるとは想像もしていなかった。
「そうか、分かった……」
 フロドアルトは予感した。父に会えるとするならば、これが最期の機会になるだろう。
 戦いは一区切りつき、今なら帝都を離れても支障ない。
 フロドアルトは、エスペンラウプへ帰郷する旨をレギスヴィンダに伝えた。
「そうですか。ライヒェンバッハ公が……」
 レギスヴィンダにとって、ルペルトゥス・ゲルラハは姪と叔父の関係にあたる。また一人、家族ともいうべき人間がこの世を去ることに、やるせない思いを募らせた。
 望んで皇帝になったわけではないが、即位式の余韻も感慨も消えるものだった。
「分りました。フロドアルト公子の帰国を認めます。また、ライヒェンバッハ公の忠節と、多大な厚恩にレギスヴィンダが感謝していたと伝えてください。ルーム帝室とライヒェンバッハ家は、今後も特別な関係を維持し続けるでしょう」
 フロドアルトはレギスヴィンダの許可を得ると、即日のうちに帝都を発った。
 さらに数日後、ヴァルトハイデたちがハルツへ戻ることが正式に決定した。
 グローテゲルト伯爵夫人も、いつまでも所領を留守にしているわけにはいかず、ヴァルトハイデたちの出発に合わせてブルーフハーゲンへ帰った。
 黒き森での勝利から、凱旋、即位式と華やかな行事が続いた帝都が嘘のように、玉座に腰かけたレギスヴィンダの周囲には、久しく忘れていた静けさが生まれた。
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